兄が衝動的に逝ったのは9月15日の中秋の名月の日だった。
これからの人生、毎年この日が来ると、心が揺さぶられるのだろう。
「命日反応」は、亡くなった日に起こるものだと多少の覚悟はあったが、
兄の「誕生日」である5月15日の前後も精神的に相当キツイものがあった。
「歳を重ねることのない兄の誕生日に、私はなにを想えばいいのだろうか?」
と、自問自答を重ねたけれど、今でも答えが出ないままだ。
9月15日はいよいよ本格的な「命日反応」に襲われるかもしれず、今から冷や冷やしている。
もしかしたら、人前で泣いてしまうかもしれないがこれはもう仕方ない。
これからの人生、毎年この日が来ると、心が揺さぶられるのだろう。
「命日反応」は、亡くなった日に起こるものだと多少の覚悟はあったが、
兄の「誕生日」である5月15日の前後も精神的に相当キツイものがあった。
「歳を重ねることのない兄の誕生日に、私はなにを想えばいいのだろうか?」
と、自問自答を重ねたけれど、今でも答えが出ないままだ。
9月15日はいよいよ本格的な「命日反応」に襲われるかもしれず、今から冷や冷やしている。
もしかしたら、人前で泣いてしまうかもしれないがこれはもう仕方ない。