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香山リカが語る安倍晋三のエディプス・コンプレックス
『美しい国へ』を読むと、最初に「私の原点」という章がある。
安倍の政治家としての出発点がかかれている。このくだりから、安倍の尋常ではないエディプス・コンプレックスについて香山リカがのべている。(『論座』10月号)
香山は、「子ども、とくに少年であれば一度は父や祖父に反発を覚え、まったく別の道を歩もうとするのではないか」という。たしかに、自意識が芽生えてくると、おやじの一挙手一投足がわけもなくいやになり、このようにはなりたくない、と考えたものであった。香山は安倍にそれが読み取れないというのである。
香山の指摘に関連する部分をあげてみると、
「父、そして祖父も政治家だったので、わたしも子供のころは素朴に父のようになりたいと思っていた。そして大学時代には父の選挙を本格的に手伝うようになり、政治の道の厳しさも知ることができた」
「祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかりを考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。 |
など、この章「私の原点」には祖父・岸信介や父・安倍晋太郎によせる自分の信頼の強さが多々描かれている。
香山はここに着目している。たとえば、祖父・岸信介の真摯な人物に惹かれるのはまだしも、そのことと祖父の主張が正しいのかどうかは別物だというのだ。安倍はそれを問うことなく、先にあげたように「間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか」と判断してしまうのである。
この章にはむろん、安部が政治家になる、政治家を志す決定的なシーンが語られている箇所がある。少々長いが引用する。
わたしが職業として政治にかかわることになるのは、1982年、父の晋太郎が、中曽根内閣の外務大臣に任命されたときである。当時わたしは東京・八重洲の本社にある輸出部に転勤していた。父は、出社前のわたしをつかまえて、 「オレの秘書官になれ」 「いつからですか」 「あしたからだ」 自分では、この充実したサラリーマン生活をもうしばらく続けたいと思っていたから、寝耳に水だった。 「わたしも会社があります。これでも年間数十億ぐらいの仕事はしているんです」 父は続けた。 「オレが秘書官になったときは、1日で新聞社をやめた」 急な話だったが、もともとは考えていたことだし、これも運命だと思って決断した。 |
とこんな具合だ。香山は自らの置かれた状況をまったく疑うことのない安倍の「異常さ」を指摘しているのだ。
安倍の主張に色濃く押し出されている国家主義だけれど、ことアメリカの前ではどうしようもない、隷従ともいうべき態度をとるのをとらえて私はゆがんだナショナリズムとよんだが、安倍のこのような思考は、祖父や父を信じて疑わない思考とおそらく無縁ではないだろう。
ようするに安倍に欠如しているのは想像力である。懐疑しないということは、香山も指摘しているが、内と外、おまえとオレ、身内と他人という二項対立をそのまま引きずるだろう。そして勝ち負けでくくってしまう。だから安倍の世界は、たとえば社会的な弱者に心を寄せるということはありえない世界といえる。
このように考えれば、安倍の今日主張するところ-ナショナリズムも、社会的格差にたいする態度も読み解くことができるのではないか。
« 安倍総理が誕... | 安倍総理はミ... » |
安倍さんの愛国心というのはつまり愛「岸、安倍」心であり、つまり自己愛なのでしょうね。つまりナルシズムという精神の病で、それも相当深そうです。逆に市民が彼を治してあげたいものですね。
安倍新政権のかじとりがとても気になります。短命にしたいものですね。
つたないブログですが、今後とも宜しくお願いします。
それはそうとして、ご主張のなかで少し?なところを。
>祖父・岸信介の真摯な人物に惹かれるのはまだしも、そのことと祖父の主張が正しいのかどうかは別物だというのだ
それはその通りですが、彼がその体験をした年頃から考えると、真摯な人物=主張が正しいとなっても仕方がないところだでしょう。成人する過程でその二つが分離しなかったのも、彼の成育した環境から考えれば、これも仕方がなかったのかもしれません。
>「子ども、とくに少年であれば一度は父や祖父に反発を覚え、まったく別の道を歩もうとするのではないか」
普通の家庭であれば、両親等の間で多少なりとも諍いがあったりするものですけれど、彼が育った環境はかなり違っていた可能性が高いように思います。そのような諍いが子供の反発心の原因になるのでしょうが、おそらく安倍氏が育った環境では岸信介の意向が絶対で、そういった諍いはほぼ皆無だったのではと想像します。だとすれば、彼には先の二つを分離させる機会を与えられなかったのだと考えられます。
所詮は安倍氏も、育った環境に左右される普通の人間だということでしょう。特に先天的な異常人格とまでは思いません。
が、それならば尚のこと、こういったボッチャマに私たちの将来の舵取りを任せるのは心もとないことです。
お立ち寄りいただき、そしてコメントをいただき有難うございます。
>彼がその体験をした年頃から考えると、真摯な人物=主張が正しいとなっても仕方がないところだでしょう。
愚樵さんの解釈は的確だと私も思います。
ただ、私はちょっと熱くなりすぎたかな(笑)ともあとで考えて思ったりもしていますが、別のエントリーのコメントでふれたとおり、60年安保当時をふりかえるくだりはどうもうさんくさいように思うのです。
昨日20日のエントリーの注でふれましたが、大嶽秀夫がいうように、この『美しい国へ』は聞き書きというのがほぼ定着してきたようです。
だとするなら、なおさらご指摘の部分はまさに後日談で構成されたとみるのが妥当かもしれません。
したがって、私は香山リカのいうように、真摯な人物=主張は正しいという安倍の「意見」は短絡的すぎると考えるのが適当だろうと思います。
むろんさまざまな解釈があってよいはずです。
ご意見をいただき、あらためて自分の考えるところをふりかえることができました。ありがとうございました。
普通のおばさん様、はじめまして。
ご訪問いただき有難うございます。
「自分が生んだかわいい息子を、国のためにさしだすというのでしょうか」というご意見はすごく重たいものがありますね。
日本もそして世界も消えることのないようにしないと、自らの生も、子どもたちの生もありえませんね。
そのために、さしあたり安倍政権を短命に終わらせるために、私は自分のできる範囲のことをしないといけないと思っています。
気がむいたら、またお立ち寄りくだされば幸いです。
人間としての育みよりも、政治家としての処世術を当然に正しい事として受け入れてきた人だなぁ、てのは感じますね。恐いのは、この人には、お坊ちゃま的な人の良さっぽい所、がある。これが国民にウケるって所ですね。
ホント、このお坊ちゃまが【軍事】を手に入れようとする、という事の意味を考えないとね。でも、政府は知ってるんですよね、国民がそんな事は考えない。踊らされる民衆だって。恐い、恐い、恐い、、、(笑)
「恐いのは、この人には、お坊ちゃま的な人の良さっぽい所、がある。これが国民にウケるって所」って、あたってると思います。雑誌でもそんな紹介のされ方ですね。要するに、この間の一連の総裁選にまつわる報道もこんな視点でみないといけないのでしょう。
欠落するところがあればあるほど、権力はそこを埋めようとするはずですものね。
踊らされることのないよう、しっかり見据えないといけませんね。
コメント有難うございました。今後とも宜しくお願いします。
ただ、引用されていた、香山さんの人の見方については、強い反発を覚えました。香山さんの書かれたことは、これおさんの書かれたことではないので、僕の正直な(?)こういう告白も、構いませんよね?!
香山さんの書いていることは、「人間は、こうあることが正常である」と、勝手に、香山さんが、精神医学の名を借りて、具体的ないろんな家庭に生きる人をたくさん見るようなこともあまりしたことがないのに、決めつけてしまったことであり、たかだか、親が政治家であり、その政治家である父を子供の頃にどう思っていようが、それは、それで、大して、人の道に外れたことでもないし、想像のつかないことでもなく、しかし、そんな、人のいろんなありようをもってして、すぐ「異常」としてしまうこの狭量は、人を学問の名のもとに見る見方として、決してしてはいけないことだと常々思うのです。
ちゃんとした、政治的見解をもっている人なら、父親に反抗しないで生きてきていても、すぐ会社を親の言うとおりに辞めてしまっても構わないと思うのです。
父親には絶対、青年期とかに反抗しないと、異常であるとする、人を切り捨てるこんな見方を香山さんはどこから出して来たのでしょうか? 統計でしょうか? いろんな家族にアンケートを出して、数字をとったのでしょうか? 数字はとったけれども、各家族を実際、人目すら見たこともないわけなのでしょうか?
問題は、政治家としての安部しんぞうさんであると思います。何を考えているのか。何をしたがっているのか。もっと、問題は具体的なはずだと香山さんの書いていることを読んで思ったのでした。そして、しんぞうさんにとって、父親は、祖父とどんな人物と捉えられていたのか。そちらの方が大事であって、単に反抗しないことが異常だとかなんとか、そんなことを言っていては、肝腎なことも見逃してしまう気がしてしまいました。
香山さんのような、学問の権威の名のもとに、それぞれ違ういろんな状況に生きている人間を見て、一律扱いし、「人は子供の頃は、親に反抗しなければならない。そうでなければ、精神病理学的に異常である」などと決めつけることこそ、先ずは、糾弾されるべき行為だと思いました。
政治と全く別のことを僕は、これおさんのこの記事を読んで、考えたわけですが、しかし、香山さんのような人間観があっては、良い社会は絶対に無理だろうと思ったので、書いてみました。というのも、こんな狭い人間観で、人をすぐ異常扱いしたりして、切り捨ててしまう人がいるだけで、社会は生きにくくなるのですから。
香山さんのことが好きなのなら、ごめんなさい。しかし、香山さんの書いていることは、学問の名のもとにするべきことではないと思います。
僕の過剰反応でしょうか。
お坊ちゃまだから、政治はまかせられないというような意見にも反対というわけなのです。少なくとも江戸時代は、お坊ちゃまがずっと政治をしていたのだろうし、ヨーロッパでも、今まで、政治に、お坊ちゃまがたくさん関わっていただろうし、それに異を唱えていない人が、安部さんにだけ、お坊ちゃまだから政治は君に無理だというのは、理屈として成立しないようにも思いました。
要は、この安部さんが政治家として、何をしようとしているか、それを先ず最初に見ようとしなければいけないな、と、自分を戒めます。
コメント有難うございます。一つひとつのご意見に学ばされたり、励まされたりで、コメントをいただくのは私としてはありがたい限りです。
最初にお断りしておかなくてはならないのは、香山氏の発言を引用しているのは管理人である<これお・ぷてら>です。引用の仕方によっていたずらに強調されたり、誤解を受けるようなことがあれば、それは、引用した私に責任があるでしょう。
私が引用した香山氏の文章は、むしろ安倍氏の二項対立でものを考えることに中心がおかれたものでした。別の言葉でいえば、懐疑しない安倍にふれたものということができると私は思います。
しかし、香山氏が引用している部分について私も以前、別のエントリーでふれたことがあるので、ここにあえてふれることにしました。
どうやら、この安倍氏の『美しい国へ』が聞き書きによってまとまったものであることが定説になっているようです(大嶽秀夫氏)。そうなるとなぜ、大人の安倍氏が子供の頃の一つの時点をとらえ、このような表現をするのか、ということですね。聞き書きならば、安倍氏の現在の思いがこの文章に表されているとみてよいと私は思います。
いずれにせよ、私はこの一文をもって「学問の権威の名のもとに、それぞれ違ういろんな状況に生きている人間を見て、一律扱い」しているとは考えませんし、また、「香山さんのことが好き」などという視点で扱っているわけでももちろんありません。
ともあれ、私は「狭い人間観で、人をすぐ異常扱いしたりして、切り捨ててしまう人がいるだけで、社会は生きにくくなる」という屋那雄さんの指摘に共感します。この点は香山氏の文章で、安倍氏にむけたものとして香山氏自身が説いていると私は理解します。二項対立でものを考えるあやうさが安倍氏にはあるということだと思うのです。