風の男 白洲次郎 (新潮文庫) 青柳 恵介 新潮社 このアイテムの詳細を見る |
「風の男 白州次郎」を読みました。(読んだのは1990年刊のハードカバーなので、表紙の写真が異なりますが。)
戦前のイギリス留学時代からゴルフに親しみ、昭和27年からは「軽井沢ゴルフ倶楽部」の運営に携わった人で、
ゴルフ関係の本で最初、その名前を知りました。
権力に臆せず、ゴルフスパイクの紐を運転手に結ばせている御仁を見るや、
”てめえには手がないのか!”と怒鳴り、
ゴルフ場の入会に総理大臣が推薦者になろうとしたら、当の首相に、感心しない、と忠告する。
権力者は、その権力のゆえに、(ちょっとした一言が周囲に思わぬ気遣いをさせるので)言動に節度を忘れてはならない、というような
プリンシプル(原理原則)を、なんどきにおいても矜持し、流されない。
それでいて、子供や女性、弱者には優しく、自然を愛する男。
お金持ちでダンディな、カントリー・ジェントルマンとしてのイメージがややもすると先行する感があったのですが、
(そういう取り上げ方をしているものもあります)
43歳にして、東京町田の鶴川での百姓暮らしから、GHQ当局との交渉の仕事のため、再び表舞台に出てきた、戦後史上の隠れた重要人物、です。
なにもかもが格好良すぎて、なじみづらい面もあるのは否定できませんが、
(そもそも何から何まで立派な、偉人伝記風のものは、僕はあまり好みません。)
白州氏の、「正論をバカにしない、プリンシプルを大切にする」態度は見倣うべきものがあります。
ビデオにもありますが、
”戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない”と、
両者を明確に整理して区別するような、プリンシパルへの対峙のしかたについて本の中では、
”白洲は単に筋を通すだけではなく、自分の頭で考えた自前の筋を持っていた。”
と紹介しています。
今、併行して、福沢諭吉に関する本も読んでるのですが、白洲次郎というひとは、福沢諭吉と同じように、
「カラリとした」精神、の持ち主、であり、「非玉砕主義」だったのだと思います。
近視眼的な物の見方や、人生のすべてをかける的な美学、とは違う、
物事との距離感の足りないポッキリと折れやすい衝動的な感情から一線を画した、
しなやかさや、流されないタフさ、を持った精神。
白洲次郎については、説得にも応じず、赤紙召集を免れたエピソード、も残っています。
"日本の若者が戦地で命を賭して戦っている事態に意気地がない、見損なった"
みたいなことを言われても、自分の役割は違うところにある、と応じなかったのには、
単なる逃げではない、ブレのないプリンシプルがあったのだと感じます。
普通のメンタリティの人間であれば、そこまで言われたら断りきれない部分があるでしょう。
それでも断る力、人にどう思われようが自分の筋をとおす、強さを大事にした人だったのだと感じます。
(もっとも、真相は本人にしか分かりませんし、諸手を挙げて礼賛するのも、どうかとも思います。)
【伝記】 白洲次郎 ~ マッカーサーを叱った男 Part.1
※ 実はこの本を読了したのは昨日のことで、今日は一日、イギリス人を交えたミーティングがありました。
なぜか、白洲次郎のことが頭に浮かんで、相手がマッカーサーでないぶん気楽な感じがしました(笑)。
最初は「読書メモ」カテゴリーに投稿しようとしていたのですが、
#仕事にも活かすビジョンボード#に投稿して、ビジョンボードとして役立てようと思います。
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