ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

超える人 ~ ルネッサンス人の薦め

2010年10月30日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

今日は、小学校の授業参観や、塾の個人面談に行ってみたり、と教育パパ状態の一日を過ごしました。

どーも、うえの子は英語・社会・理科(生物)がダメで、数学でなんとか伸びしろを信じてもらってる、という感じ。。
そっくりかもしれない、、(-_-メ)

私も昔、大学受験の頃の話しですが、(実は京大を目指してたというか、そこに当然に行くものだと思っていた)
中学生まで好きだった日本史がどうしても好きになれなくて、
信じてもらえないかもしれないけど、5.15事件と2.26事件の区別もつかなくて、歴史の先生に呆れられてた覚えがあります。

(↓) 科学ライターの竹内薫氏と、茂木健一郎氏の対談。
   2人とも興味のある作家だし、帯のコピーが気に入って手にとりました。
   『 発想の原点は、理系と文系の壁を超えて思考する精神にあった!』

~ 高校2年くらいまでは理系と文系の壁なんてなく、同じように勉強していたのに、
   大学生ともなると突然ベルリンの壁みたいなものが立ちはだかってくる。

~ 理系か文系かみたいなことを問題にしたがる人が多い。そういうのにはいっそ気付かないで、
  「え、世間ってそうなってるんですか」って言うぐらいの方がいい気がする。

思考のレッスン
竹内 薫
講談社


~ 万人にとって、それぞれの人の好みも、人生の目的も違うわけでしょう。
   その人の知性や感性の向かう先だって違うわけなんだよ。
   理系か文系かなんて知ったことじゃないんで、自分がいいと感じたものしかわからないってことなんですよ。
  「知」なんてそんなに境界のあるものではない。

茂木氏は、あえて言うならmarginalというか、「境界人」 とでも答えるしかない、と言います。
" 誰もが必死で生きているんだから、生命哲学は誰にでもわかると僕は思うよ。どうやって生きるべきかっていう。
 学問って結局そういうものになっていくわけじゃないですか。違いますか。
 たとえば、宮沢賢治は理系か文系かどっちなのかったって、わからない、そんなの。"

なかなかに痛快な対談。

日本の理系・文系的な知のインフラ自体が分れたまま、横断できなくなっているなら、
ボトルネックを作ってるのは私たち個人じゃなくて、硬直した社会システムの問題。
そこで嘆いてみてもしかたがないから、そこからどうやって抜け出そうかってことになる。

両氏の共通の師匠である養老孟司さんは、外国人にいつも言われるそうです、
"日本人はほんとうの意味で生きていない"って。
最近ニーチェ本が流行ってるみたいですが、
「神様が言ってるからこうやるんです」ではなく、
「私はこう思うからこうやるんです」というところが欠けている。

~ ニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」で言ったところの「超人」は、
  境界人の進め、生きることの進め、に近いんです。

~ 社会的な価値観を糧にして生きているということは、外部に価値を丸投げしている点においては、神に従っているのと変わらない。
  逆に、境界人というのはそれができない人だと思うんです。
  エゴ、自分勝手、というか、自分の心に従ってしか生きれない人。
  不器用というか、ダサいというか、世間の価値観というのがあんまりリアリティが無くて、
  自分の中に価値観があって、それに基づいている人。

~ ルネッサンス人、境界人という概念を知るとだいぶ違うんじゃないかと思います。
   今 日本は社会構造が変わってきていて、
   昔みたいに安定した、悪く言えばタコツボ化した社会は崩れてきている。
   でも、まだみんなの精神が追いついてきていない。
   一つの事に特化した専門家は評価されるが、
   いろんなことができるオールラウンドプレイヤーは、器用貧乏みたいなイメージであまり評価しようとしない。
    今のところでずっとやっていく、「考えない文化」ではなく、
   これからの日本社会で目指すべきはルネッサンス人という目標ですよ。
   いろんなことができる、いろんなことを怖がらずにやってみるという姿勢が考えることにつながる。
   なぜなら考えないと適応できないから。  

~  福澤諭吉が、「文明論之概略」の中で、
    日本人は世界から見ると「境界人」のようなものだという意味のことを言ってるんだ。
   古代ギリシャ以来の知の伝統の積み重ねではなく、
   明治維新で急に西洋の学問を輸入して、ゼロからいきなり知の全てをねつ造しなくてはいけない状態に陥ったのが日本人。
  けれど、それをネガティブに捉えるのではなく、ゼロから近代的な知の体系を築きあげられるという、
  ヨーロッパにはない境界人であればこそのチャンスや自由を日本人は手にしたと福澤諭吉は考えた。
  自分がエスタブリッシュだなんて思っているうちはダメで、
  境界人の立場にいる方が、チャンスだっていう開き直った態度
でスタートできるんじゃないか。

  ルネッサンスの万能人とか言われる人たちも、決して万能になってやろうと思ってたのではなくて、
  自分のやりたいことをなんとなくやってたらそうなっちゃったんだろうと思う。
  この「そうなっちゃった」ってところが恋愛小説風でいいんだなぁ。~ (茂木健一郎)

日本の精神や人間関係に、カラリとした明るさを持ち込んだ福沢諭吉、大した人だなぁと思う。

~  私も茂木も一芸の勝ち組からしたら、負け組なのかもしれません。
  一芸に秀でていないために、それを「いい加減」と断じる人もいるでしょう。
  でも一芸では負けるかもしれませんが、多芸になればこちらの勝ちです。
  人生の荒波を「合わせ技」で乗り切ってはいけないというルールはどこにもありません。
  この本はしたがって、一芸で上位0.1%に入る競争をしたくない、
  ほとんど全ての人のためのルネッサンス風なんでも屋のススメ、なのです。~ 竹内薫

両氏とも熱中したという哲学者ウィトゲンシュタインの黒崎宏先生の一連の解説書、
" きっと世界の見え方が変わるにちがいありません。"とのこと、気になる。

ニーチェの超人思想。
あるとき確かに神は死ぬ。
死ぬっていう意味は、つまり、
そこにある価値観で生きなければならないというところから脱却する段階があるということ

GOD JOHN LENNON LYRICS

どんな人でも必ず、自分がまっすぐ目指していた道にすんなり進んでいく人はいない。
たいていの人は多かれ少なかれ、キャリアそのものが終わってしまうような危機的な状況や場面があると思うんですよ。そこでどうするか。
打たれ強い人間というのは、いろんな所で引っかかって、どうしよう、どうしよう、って生き残り策を考えるわけです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 家族論と教育論 ~ Little Wi... | トップ | ドラゴンへの道 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿