リリーの散歩道

クロスワード大好き、歴史ドラマ大好きな主婦です。

津軽での石田三成の子孫 追記1

2016-10-22 18:10:14 | 日記
石田三成の次男で「 杉山源吾 」と名を変えた人の嫡男が「 杉山八兵衛吉成 」で、弘前藩に重臣として出仕し、その後深味{現板柳町}は杉山家の知行所となったそうです。

板柳町の町立郷土資料館には三成に関する展示物があるそうです。

また弘前市西森の禅林街にある耕春山宗徳寺には杉山家二代目から十四代目までの代々のお墓があるそうです。
墓石には「 豊臣 」の姓が。
杉山家が豊臣の姓を受けた三成の子孫であることを物語っているそうです。
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2 コメント

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興味深いわ~ (わんこ)
2016-10-23 09:14:00
そんな遠くの地で三成の子孫が活躍してたのね。
てっきりあの戦いで途絶えたと思ってました。

しかし権力で正室から側室になんて、、
酷いですね。
どんな思いでその後を生きたのでしょうね、切ないね。
その当時に生まれてなくて良かったわ
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わんこさん、こんにちは。 (リリー)
2016-10-26 10:32:32
三成の子孫はその二代目、四代目、六代目、九代目、十二代目の5人が津軽藩の家老になったそうです。
十一代目は現在の東奥義塾高校の前身の稽古館の総司に任ぜられる。後に明治なって十三代目が東奥義塾の七代目の塾長になったそうです。

4月にわんこさんと一緒に行った外国人教師館という喫茶店はその東奥義塾高校に勤務していた教師の住居です。

知らないうちに三成つながりの場所めぐっていたのね。

ちなみに十五代目は現在も健在だそうです。

今のNHK大河ドラマの真田家の長男の一番目の妻も家康の意向で離縁され家康の家来の娘を正室として迎えていますね。最初の正室はいったんは実家に戻りはしたが、やっぱり元夫のそばにいたいと真田家に自分の意思で戻り、側室みたいになり子を産んでいますね。
その心境は私には理解出来ないが・・・

私たちはいい時代に生まれ、育ち、就職、結婚したと言えますね。

あとは大病したりせず安楽に人生終えたいものです。
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