舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

トーク・アバウト・自主トレ

2007-06-20 23:31:19 | ダンス話&スタジオM
今日はシルバー大現役さんのレッスンがありました。
今回の現役さんも、キャリアとしては新しいほうですが熱心な方が多く、骨髄バンクでの演技も上手くいった♪とおっしゃるグループのひとつです。

さて、このグループに限らず熱心な生徒さん(特に新しい方)から、しばしば「自主トレはどうしたらいいの?」と訊かれることがあります。
ではこの場を借りてお答えしましょう。

はい、自主トレなぞ全然しなくてもオッケーです。

え、答えになってない? いえいえ、そんなことないです。ちゃんと故あってのことです。
少なからぬダンスの教室が自主トレ(というか復習など)をするよう生徒さんたちにおっしゃっていることと思いますが、うちではいっさい、お勧めしておりません。
だからときどき、前回やったことができなくて「練習してこなかったから...」と恐縮する方がいらっしゃいますが、うちでは決してそういう生徒さんに呆れたり怒ったりすることはありませんので、どうかご安心のほどを。
忙しくて復習なんてできないよという方も多いでしょうし、前回やったことを忘れても、次回もう一度やれば前回よりしっかり覚えられるはずです。
もしどうしても分からないことがあれば、気兼ねなくレッスン中に訊いていただければうれしいです。
誰かにできなかった部分は、ほかのメンバーにとってもよく分からなかった可能性大ですし。
「それ訊いてくれて良かったあ」と、内心胸を撫で下ろす人がきっといるはずです。

そんなことよりもですね。
自主トレによってドンドコ軌道を逸れてゆくことの方が遥かに問題であると我々は考えます。

だってご想像ください...外国語をネイティブ・スピーカーから習っているとしましょう。
その人がとにかく発音をきょくりょくネイティブに近付けたいと思っているのなら、ひたすらネイティブの発音を聴きまくり、その場で自分で発音してみることを繰り返します。私ならそうします。
早く身に付けたいと焦るあまり、自宅に帰ってからも発音を練習したいと思うのは当然の欲求かもしれません。
しかし、どうしたって頭の中にあるネイティブの発音のイメージは、実際のそれとだんだんずれていきます。自分の発音が微妙に違うような気がしても今となっては本物を確かめられないし、そもそも自分の発音が違っているのにすら気付かないこともあり得ます。そして、違ったまま練習していても客観的に直してくれるネイティブ・スピーカーはいないので、本物とずれたまま次の授業まで練習し続けることになってしまうわけですね。
次の授業になって初めて自分の発音のずれに気付く(あるいは指摘される)ことがあっても、その癖を取るのに苦労するはめになり、なまじ何の癖もないより余計な苦労をしなければなりません。

それと同じことがダンスでも起こり得ると、我々は考えます。
というより、その実例を幾度となく見てまいりました。
うちでは「振りさえ踊れればみな同じ」とは考えません。やみくもに振り付けを覚えることよりも一つひとつの質を重視し、何百曲も踊れることよりは、ある一曲を完璧に美しく踊れることを誇りとします。

だから一番の上達の早道とは、一回一回のレッスンに集中して取り組むことだと思います。
うちのクラスの場合多いところで週2~3回、だいたいは月2回が通常のレッスン間隔ですが、これは次のレッスンまでにダンスの技術がリセット状態になってしまうほどの間隔ではありません。
頭が忘れてても、身体のどこかに前回までの積み重ねが残っているはずです。
急がば回れのこころですね。

でもやっぱりそれだけじゃ不安、何かやれることはないの!?と心配される向きもおありかもしれません。
そういうときは、さっきたとえた語学学習であれば文法を勉強すればよいのです。
つまりダンスであれば、曲が手もとにあれば繰り返し聞いて身体に覚え込ませたり、フラであれば私がレッスン中に説明した歌詞とその意味を復習したりすれば、何より為になります(あ、私が説明し忘れてたら容赦なく突っ込んでくださいな)。
まあもちろん、私も学生時代およそ自主学習というものをしなかった不良学生だったんで、これらの復習をしなくたって無問題です(笑)。

時々「お家で鏡の前でやってみてね!」と我々が言うことがありますが、それはたいていステップなどのピンポイント・レッスンで、練習し過ぎたからといって本来の姿からかけ離れてゆく心配のあるものはけっしてお勧めしません。

ちなみに複数人で自主トレすると、さっきいったようなずれがさらに激しく確信を持って極められてしまうことがままあるため、なおさらお勧めしません(笑)。
「ここってどうなの?」「こうじゃない?(←※間違い)」「だよねー。じゃ、こうしよう(←※暴走)」という悲劇の連鎖が情け容赦なく起こってしまうのです。
「複数いれば客観的になれる」なんて、とんでもないです。それが本当なら、テロも暴動もホロコーストも起こるわけないって。

...とまあ、最後は私の好きな物騒な妄想方向に行きかけてしまいましたが、主張はけっこう真面目なので、ひとつよろしくお願いします。

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