舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

ちょっと気が早いけど

2008-06-30 23:57:04 | 徒然話
去年のハロウィーン仮装写真を引っ張り出してみました。
この仮装は『ノートルダムの鐘』のエスメラルダです。
今年の新作ジプシードレスの原案にしたくなるくらい、なかなか会心の出来ではありましたが、それでも我々は同じ格好で同じ場所に行くなんて耐えられないため、次のネタを考えなければなりませんな。

そう、もちろん今年も仮装します
といっても前述のとおり未だにネタを考えてません(笑)。いろいろ検討してはいるのだけれど、コレってのがないんですよねえ。

ただあまりプリンセス仮装はしないと思います。
だって刀の玩具で遊んだマミちゃんと、崖の上の古城に憧れてた私ですぜ。プリンセスをやるにはいくらなんでも黒すぎるでしょう。特に私。

ああ、そういえば幼稚園の頃お遊戯会での配役を決めようとしている先生を見て、「私に変身前の苛められるシンデレラをやらせてくれろ」とのたまった記憶があります。
プリンセスにはとことん興味ないんだねえ。私の好みでいうと本当は悪い魔女とかがやりたいんですが、シンデレラの悪役は性悪とはいえ普通の人間なのでさほど惹かれなかったとみえます。

これが中学の演劇クラブになると、私はついに図々しくも並み居る先輩方に「悪役のボスキャラをやらせてくれろ」とのたまったのです。
幸い先輩方の中に悪役を好む人はいなかったようで、無事私に悪役が回ってきました。
てか、自分でどの役やりたいとか言ってる時点で、役者としてダメダメな感じはします。

演目は先輩のオリジナル脚本で、いかにも乙女の好みそうな正義の王子とお姫さまと国の乗っ取りを企む悪者(←私の役)が出てきて華麗なバトル(使うのはもちろん装飾が多く華奢な剣、しかし華奢すぎてリハの最中にレイピアが折れたのも青春のいい思い出だ)と純愛ドラマが繰り広げられる内容です。

私演じる悪役は黒づくめで裾がヒラヒラしたゴシックな衣装をまとい、しょっぱなから「フッフッフ...このアンドロメタ星(←微妙にSF)は私のものになるのだッ!!!」と独白する非常に分りやすい悪役で、つまりたいへん私好みでした。
「これよ、これがやりたかったのよ!!」と歓喜に震えながら高笑い(←これもセリフ)したものです。

悪役のさだめとして最後は正義の主人公に倒されるのですが、エンディングではなぜかあっさり回復した上に善人になって主人公の仲間に加わってました。
まあ、そうしてもらったおかげで私もカーテンコールに加わって客席に深紅のバラを投げるという男装の麗人ばりのことができたわけですから、この怒濤の展開もやむを得まい。

そういうわけで同業他社なのが非常に問題ですがじつは『ウィキッド』のエルファバが一番やりたい(笑)。
聡明で才能に恵まれてるのに孤独なところ、憧れます。悪役はそうでなくっちゃいけません。
あの仮装をするためなら顔を緑に塗ってもいい。私は本来カエルなので、緑の顔は決して似合わなくはないはずです。すくなくとも清らかなプリンセスコスプレよりは似合う気がします。

ただ問題は、エルファバのような服装をすでに私服で持ってい過ぎて、仮装という非日常感が味わえないような気がすることです。

シルエットが命です

2008-06-29 23:56:52 | ダンス話&スタジオM
先日のカラオケ発表会アトラクションの写真をいただきましたので掲載いたします

これこそ例の貴婦人ドレス微に入り細に入りシルエットにこだわったおかげでおそろしくスタイルがよく見えますが(ほかのクラスの人に「Mの人みんな痩せた」とかいわれた生徒さんも...)、安心してドカ食いすると服が入らなくなるという恐怖が待ち受けています。
ま、そりゃぜんぶドカ食いする私なりマミちゃんなりが悪いな(笑)。
いくらスタイルがよく見えるドレスだからってそれは視覚の問題で、実際の体重やウェストサイズを減らしてくれるわけではないからね(←当然である)。

もっか「着心地が良いけどスタイルがめっちゃ良く見えるドレス」を研究中です。
それ、とっても難しいですけどね。
今マミちゃんが何か考えてると思います。何時間もファッション雑誌のページをめくってる時は次のデザインを考えてますので。

マミちゃんが読む本といったらファッション雑誌くらいで、それも相性の合う合わないがあるとみえ、決まった雑誌しか読みません。
決まった雑誌の中でも彼女の琴線に触れるのは特定のデザイナーばかりらしいです。

よくパリコレとかの写真をひたすら大量に並べた雑誌があって、マミちゃんはあれがわりかし好きです。
私から見るとそういった雑誌は同じように見えますが(私にとって文字の少ない書籍は書籍ではなく、これらの雑誌はファッション雑誌の中でも特に文字が少ない)、マミちゃんにいわせればただ「同じコレクションから写真を撮って選び出して掲載する」だけでも雑誌によってセンスの善し悪しがあるのだとか。

しかしこれらの雑誌が好きだからといって、マミちゃんは高級ブランドにはとりたてて興味がありません。
マミちゃんにとって重要なのはあくまでもセンス、シルエットの美しさに限るのであって、ブランド名で買うって発想はしないんですね。

ただしこの世にごくわずかだけ彼女がそのブランドに対して愛を持っているケースがあります。
それらはディオールやシャネルやヴィトンのようには名が通ってなくて、名が通ってないために一流とはされないけれどモノはちゃんとしてて、ちゃんとしてるくせに遊び心たっぷりで、持っていてもおそらく日本人の90%は気づかなくて、日本支店の品揃えはハワイあたりのそれとだいぶ違う(そのまま持ってきてもたぶん売れない)のでマミちゃん的には面白くない、そんなブランドばかりです。

これらはブランドの直営店として店を開いていることはあまりなく、セレクトショップの中に紛れ込んでいるのですが、マミちゃんはこれらが紛れ込んでいる店をかなりの確率で嗅ぎ当てます。
そしておびただしい服の中から気に入ったものを無造作に取り出すとたいていそういうブランドのどれかの製品なのですから、この人のセンスというか嗅覚はとんでもなく筋が通ってます。

私は「ほ~ら、やっぱりドコドコの服だァ」と得意げに言ってくるマミちゃんを数えきれないほど目撃し、「アンタはトリュフを探すブタか」と容赦なく突っ込みながらも驚きを禁じ得ません。

この人のもう一つの特技は、ハンガーに吊るされてるだけで着た状態のシルエットがだいたい分るというものです。
私を含め一般の人は吊るされた服を見たらまず色や柄に目がいってしまい、それらが気に入ると試着室に持っていきがちですが、マミちゃんはそんなことはしません。
一緒に大量の服を抱えて試着室に入ると、私はハズレばかりなのにマミちゃんはほとんどハズレがなく、最初から買うことに決めた服しか持ち込んでいないかのようです。
彼女は吊るされた状態を見ただけで、それを着たらどんなシルエットになるか、なおかつ自分に似合うかどうかもかなりのところまでシミュレートするのです。

そういう特技を持っている人間が家族にいると、同じものを買っておけば間違いがないので楽ですが、マミちゃんの場合私が持ってきた服を「だっさ~~~何それセンス悪~~」等と貶し尽くすことも忘れないのが憎たらしいところです。

マジックアワーとインディアナ

2008-06-28 23:50:01 | 徒然話
かねてから観たいと思っていた『ザ・マジックアワー』と『インディ・ジョーンズ:クリスタルスカルの王国』を観てきました。

『マジックアワー』は最近監督の三谷幸喜さんと主演の佐藤浩市さんがほとんど漫才状態の掛け合いをしながらいろんな番組に出演して宣伝してた映画です。
邦画で唯一、三谷さんの作品だけは劇場まで観に行くことにしていますので、今回も公開からあまり間をあけずに馳せ参じました。

そしてインディ・ジョーンズのクリスタルスカル云々といえばディズニーシー最奥地にあるアトラクション...ではなく、映画最新作のタイトルです。
てか、なんでこんなに似てるんでしょうこのタイトル。ディズニーシーのを拝借したとしか思えないんですけど(アメリカにも似たアトラクションがありますが、これはクリスタルスカル云々って名前じゃなかったと思います、確か)。
スピルバーグさんかルーカスさんのどちらかが「クリスタルスカルはよく知られている伝説なので偶然の一致」と言っていたけど、どうだか.....。


まあよい。観賞順ってことで、まずは『マジックアワー』の話です。
私は三谷幸喜さんが大好きであると同時に佐藤浩市さんも好きです(もちろんお父上も大好き)。
現在の日本には色気のある男性俳優が少ないので、とても貴重な人材だと思います。
同じく三谷さんが脚本を書いた大河ドラマ『新選組!』で佐藤さんの演じた芹沢鴨なんて最高でした。飲んで荒れている姿さえ色っぽかったもんなあ。

尤も今回は色気とは無縁のキャラクターです。
というよりも、あああ、佐藤さんが佐藤さんがッ!!!
そんなに壊して乱していいの三谷さん!?!?(←それは言い過ぎ)


いやぁホント、ご本人が「観客が『あの佐藤浩市がそんなことをッ』と思うようなことまでさせた」と豪語するだけあり、今までの佐藤さんからは考えられないくらい見事に三の線です。「二枚目半」なんて可愛いもんじゃなく、完全にお笑い担当です。
それを純正のコメディアンがやったらただのコメディなんだけど、色っぽい二枚目俳優佐藤浩市がやっているからよけい面白いんですねえ。

ただし今回の作品、冒頭から笑いを期待できるかというとそうでもありません。人によって様々だと思いますが、少なくとも私は佐藤さん初登場までそれほど笑えるシーンはありませんでした。もう一人の主人公がピンチに陥る導入ですしね。

そのかわり中盤でこの作品一本分の笑いが一気に来たという感じでした。
もちろん先ほど述べた「佐藤さんがいじり倒されてる展開」の部分ですね。
もう笑ったのなんの。三谷さんの真骨頂発揮といったところです。

前作『有頂天ホテル』を観ても思ったけど、三谷さんの作品は笑いの質が上品なところがいいです。誰も不快にさせないで笑わせることができる、この方の素敵な才能だと思います。
で、今回の作品を見て分ったのは、三谷さんの描く人物には憎まれ役、いじめられ役がいないんですよ。
観客あるいは視聴者に感情移入させるにあたって一番安易な道は、みんなに嫌われる「共通の敵」を作ることです。
でも三谷さんの作品にはそういう人がまったく出てこないんですね。おそらくどの登場人物にもどの役者にも愛情を持って作っているのでしょう。
だから見る側も「あのキャラクター、嫌な奴だったなあ」という印象の人が一人もいない。映画の印象が良いぶん、出てきた人物全員に対してもおしなべて好印象が残り、おかげでとても後味がいいのです。

ま、個人的に「あの役者下手だなあ」と思った人はいたけどね(笑)。
三谷作品は実力派の役者を大勢使うので、ときおり下手な人がいるとおそろしく目立つのです。見れば分るから名指しはしないでおこうっと...。

『マジックアワー』の舞台となった架空の街も素敵でした。おそらく現実の日本にはないだろうけど、昔のハリウッド映画に出てくるようなキャバレーがあって酒場があって宿があって住人はみんな煙草飲みでマフィアが牛耳っている古き良き街並みです。
私もこういう街が大好きで、そのへんの趣味はありがたくも三谷さんと近いのかもしれません。

趣味が近いといえば、その素敵な街の模型に戦国武将のフィギュアを並べて構図を考えたという話も、かえるを並べてフォーメーションを考える私と相通ずるものがあって光栄です(笑)。
じっさいに並べて見せる姿が妙に嬉しそうなのも共感を誘いますねえ。


そしてもう一本の作品『インディ・ジョーンズ』です。
マミちゃんは『マジックアワー』もそれなりに楽しんでくれたようですが、本来はこういう映画の方が好きらしいです。
洋画(特にアメリカ映画)でスピード感があって派手なアクションシーンが豊富でムダな恋愛沙汰のない作品が彼女の好むところです。
ま、トラックや刀の玩具で育った人間だからね。そういう趣味でしょうあの人は。

ともかくインディ最新作は衝撃のラストシーンが巷の話題になってますね。
私としてはこのオチ、大いに結構です。大歓迎です。なにゆえ歓迎かは過去の妄想話に書いた通りです。

だいいち映画冒頭でインディたちが探し出した箱に「ロズウェル」(←未見の方のために反転文字←携帯では無意味だスミマセン)とか書いてある時点でどんなオチかバレバレでしょう。
現在の科学では説明のつかない高度すぎる古代文明が「アレ」だったらいいのにってことは、私のような妄想狂なら一生に一度は思い浮かべる夢でしょう。

それより私が個人的に気に入らなかったのは「アレ」よりさらに後、本当の意味でのラストシーンです。
ああ、気に入らん。すごくくだらないオチなので書いちゃうけど、インディは結婚なんかしちゃダメだ。冒険のたびに違う女性と浮き名を流すようでないといけませんぜ。
ショーン・コネリー様演じる父上と共演したときなど、親子二人ともそれぞれにラブアフェアを楽しんでたようじゃないですか。
もっとも父上がショーン・コネリー様ではモテ度の点で父上にかなわないかもしれませんが。まったく~、コネリー様ったら学者然とした三揃いとか着てるくせに色っぽいんだから~~。

コネリー様が出てしまうと男前すぎて主人公を喰ってしまうことがハッキリしたためか、今作では写真しか出演していませんでした。
とはいえ白黒写真だけでも十分素敵ですコネリー様。

あれ?最終的にインディではなくコネリー様の話で終わってしまったな(笑)。

パウスカートにご用心

2008-06-27 23:41:39 | ダンス話&スタジオM
われらがスタジオMでは、フラのレッスン時にパウスカートをはく必要はありません。
それも「持ってないんならしょうがないわね、とりあえず穿かなくていいわよ」といった消極的な許可ではありません。
むしろ「パウスカートのほかにレッスン着がないか、逆に数多のレッスン着のバリエーションのひとつとしてどうぞ」くらいのノリです(笑)。

まず最初にはっきり断っておかねばならないのは、パウスカートは必ずしも伝統的な装いではないということです。

歴史を紐解けばパウスカート自体、決してフラの誕生とともに存在していたものではありません。まして練習着としてということであれば、その歴史はかなり浅いといっていいでしょう。
なにしろ母が留学していた'70年代初頭のオアフ島・イリマフラスタジオのレッスンではパウスカートはほとんど使われていませんでした。
もちろん当時からパウを練習着にしていた教室は探せばいくらでも出てくるでしょう。しかしイリマフラスタジオが当時そうとうメジャーな教室であったことを考えれば、レッスン時にパウスカートをはかないのは特異な例外ではなさそうです。

ついでに言っておくとフラ雑誌があたかもレッスンでパウスカートをはくのが当たり前かのように取り上げているのは、広告主様=フラグッズ業者の思惑が多分に絡んでいると、私は睨んでいます。
どの業界もそうですが、メディアは必ずしも真実を正しく伝える権威ではなく、そのときどきの利害関係によっていくらでも情報を操作することを読者はつねに念頭に置かなければならないわけで、この法則はフラ雑誌にもあてはまります。
この話をしだすと記事一つ書いちゃう(あるいは酒を酌み交わしながら熱く論じてしまう←まるっきり迷惑な酔いどれ親父だ)けど、今日はパウスカートの話に戻りましょう。

うちがとりたててレッスン着にパウスカートをおすすめしないのは、イリマの伝統を守るためってわけじゃありません。
そもそもレッスン着としてパウスカートは適切なのかということを甚だ疑問視しているためです。

以前「パウスカート再考」という記事でも問題点をいくつか挙げましたが、このところ重点的に基礎練習をやっているとその問題が如実に浮き彫りになります。
一言でいうならパウスカートは大雑把に揺れてしまうということです。

もちろんプロや見る目のある人が見れば、一見大雑把なパウスカートの揺れでも見分けがつき、その人の踊り方がどうであるか判断できます。
しかしまずこれから見る目を養い、それから自分の基礎を磨いていって...という過程にある人たちから見るとその違いはあまりにも微妙すぎて「揺れている」「揺れていない」の単純な二極対立に捉えてしまいがちなのです。
つまり、「あの人はスカートがよく揺れているから上手い」「あの人は揺れないから下手」という極論に走ってしまいます。

「見る目を養う」という第0段階(第一ですらない)の時点で躓き、スカートがよく揺れる=腰をたくさん振ることに価値を見出すようになってしまったら最後、上品で優雅な踊りなど永遠に望むべくもありません。
フラのステップ=腰の揺れはとても繊細なものです。それはどんなに速い曲でも同じで、迫力だけでは見る目のある人の目を誤魔化すことはできません。

またスカートの大雑把な揺れは微妙な動きだけではなく、「動いてはいけない部分」もあやふやにしてしまう傾向があります。
多くの人に見られる現象として「腰が揺れているように見せかけるために上半身を反対方向へ逃がす」というものがありますが、スカートの揺れに気を取られていると特にこの上半身の逃げを見落としやすいです。

ならスカートがまったく揺れないボディコンシャスな服やスパッツ、タイツなどがいいかというと、必ずしもそうではありません。
これらではスカートの揺れる余韻がまったく研究できないからですね。フラは「余韻」がとても大切なので、繊細な揺れが出る素材やデザインの服装が理想的です。

これからの時代、(自分が踊れるかどうかは別として)見る目を持った人がますます増えていくと思います。
そんなときダンサーによからぬ期待をしているスケベしか喜(悦)ばせられないような踊りではチョット恥ずかしいですよね。
本物を知る人にこそ通じる確かな質を求めていきたいものです。

寒~~い!!

2008-06-26 23:54:51 | 徒然話
すっかり夏だと思っていたのにイキナリ寒くなっちゃいました
朝の弱い私には、午前中の冷えが特にこたえます。普段暑がりなくせに朝はよっぽどの真夏以外身体が冷えきっているもので。

でも陽が高くなってレッスンが始まるとやはり暖かく...を通り越して暑くなってきました。
さっきまで寒さに震えていたのが嘘のように冷房のお世話にならなきゃいけなくなり、この温度差は身体に悪いんじゃ...。

読売ベリーダンスは今日から新曲に入りました。
今日はともかくこれからの暑いシーズンに向け、軽やかに涼しく踊れるノリの曲です(えちっとも軽やかに踊れないだろって)。
実をいえば私はこういう曲が一番得意、というより好きです。仰々しい曲も踊りごたえがあるけれど、軽くチープな感じを装って踊るのが性に合ってる気がします。

あ、この「感じを装って」ってところが大切ですね。
まじで軽薄でチープなだけの踊りは素敵ではないし、技術が要らない分やり甲斐もありません。
本当はいくらでも重々しくも上品にも踊れるダンサーが敢えて軽く遊んで踊るのが粋ってものです。

実力派の歌手がその有り余る声量を少しだけ使って歌うとか、大物作家が気軽な短編小説を書くとか、高級ブランドのデザイナーが思いっきり遊び倒してほとんど安物に見える(くせにシルエットが良い)デザインとか、私はそういうのが好きです。憧れます。
テキトーに遊んでいる風に見せかけておいて、どれも本物の素養が土台としてなければ出来ない芸当ですからね。
いつかは私もそういう高度な遊びがごく自然に踊れるようになったらいいなと思ったりしますな。

『絶対彼氏』最終回

2008-06-25 03:13:55 | 徒然話
泣かせるロボットドラマ『絶対彼氏』が今日、ついに最終回を迎えました。

今まで数々のロボットもの(小説も漫画も映画もアニメも)に泣かされまくってきた私にはだいたいの展開が予想でき、泣かずにはいられないと分りきっていたのですが、それでもやっぱり見てしまいました。
で、やっぱり涙枯れるまで泣いてしまいました。

しかしねぇ、なんでロボットばかりがこんな目に遭わなくちゃならないんだ。さっき慟哭しながら言った台詞なんですけどね。
人間とロボットが共存できるのが私の最も理想の結末なんですが、どうしてもそれが無理だってんなら、たまにはロボットが人間に勝り、いっそ人間を支配しちゃってもいいのにさ。
だから私はさっきまで口直しというか腹いせにそういうロボット小説を読んでました(笑)。
「ロボット(機械)が人間を支配する」というテーマはごりごりのSF作品にはよく出てくるけど、ヒューマンドラマとして描いている(=ロボットを個々の人格を持つものとして描いている)で優れた作品はあんがい少ないんですよね。
って、ハヤカワSF文庫の話はもういい。『絶対彼氏』でしたね。

あんのじょうドラマの結末は私が望んだような、「ロボットもこみち」ことナイト君がいつまでも幸せに暮らしました、というものではありませんでした。終わったからネタバレになることも書いちゃいますが。
よくわからないんだけど彼のICが寿命に達し(←このへんの説得力の薄さは本格SFとの大きな違いだな、しかし私はロボットだってだけで既に完全に感情移入しきっているので無問題)、全機能停止に陥ってしまうのです。
それも、ヒロインのリイコを一途に愛しながら。なんと恋敵(人間)に彼女のことを頼みすらするのです。

私が何より納得いかないのは、リイコと恋敵はじめ人間達は元気いっぱいで、あまつさえ前向きに次の一歩を踏み出すとこで終わるんですぜ。
いや、それが「恋人ロボット」としてのプログラム抜きでリイコを愛していたナイト君の望みだったのは私だって分ってる。痛いほど分ってます。
でもねえ、リイコが悲しんだらいけないからとわざわざ彼女のもとを離れ、一人寂しく逝ってしまったナイト君の孤独を思うとやりきれないよ~~~

まあ、正確には一人ではなかったんだね。
最期を迎える彼のそばには私がドラマ内の自分の分身と勝手に呼んでいるナイト君の生みの親(名前は確か岳さんとか)がついていて、彼のたっての希望によってナイト君の身体は保存されることになりました。
あとは岳さんが持てる知力と技術の限りを尽くして将来的にナイト君を復活させてくれることを祈ります。

でもきっとその頃にはリイコと人間の男がくっついてたりすんだろうなあ。ケッ。
どのみちこういう作品ではロボットはなかなか幸せになれないんですよ。フン。

どうせ涙の結末が待っているのなら、私としては『アンドリューNDR114』式の終わり方が良かったな。
『アンドリュー』は映画化もされたけれど、話が恋愛に偏った映画版に比べ、主人公のロボットが「人間」としての地位を手に入れるまでの姿を中心に描いた原作の方が好きです。

あ、そうそう。「ナイト君はリイコを一途に愛しながら云々」のくだりを見て私が恋愛ものに弱いタチと思われたら、それは美しい誤解です。
私にとって重要なのはロボットであるという一点に尽きるので、これが男と女の人間同士だったら涙の一滴も流さないと思います。
それ以前に見ないぞこんなベタな恋愛ドラマ(笑)。「愛してるよ」なんつう台詞を誰かがのたまった時点でテレビのスイッチをぶち切ります。

まあそれはともかく、『アンドリュー』の話ですが。
これはナイト君と同じくロボットに生まれて人間の中で暮らす「アンドリュー」が、やがて人間により近い存在になることを望むようになり、社会全体を巻き込んだ騒動に発展しながら、最後に「人間」としての地位を認められるまでを描いています。

なぜ「最後」なのか?
アンドリューは長い人生(ロボット生?)のなかで自らの身体を徐々に改造し、人間らしさを獲得してゆきます。
最後にはほかのロボットさえもアンドリューがロボットであると見抜けないくらい人間と同じ見た目になりました。
しかしそれはあくまでも外見だけの話で、人間社会は決してアンドリューを人間と認めようとはしなかった。
どうしても人間になりたかったアンドリューは自分を不老不死の存在にしている「脳」の部分を人間のそれと同じにする、つまり自ら「死ぬ身体」になることによって、ついに人間たちから「人間」として受け入れられたのです。
(私の説明だと分りにくいけど、この辺の描写はさすがにSFの巨匠が書いてるんでリアリティーがあります)

アンドリューにとって人間になることは永遠の命と引き換えにしてでも得たかったものなのです。
外見はもうすっかり人間なのですから、そのまま人間のであるかような顔をして生きていくことだってできたのに、本当の「人間」になることを欲していたのですね。

しかしながらこの最後の改造の結果はすぐに出ました。
それまで数世紀を生き抜いてきた彼の身体はあっけなく寿命を迎え、人間としての地位を獲得してからほどなく息を引き取ってしまったのです(彼の場合、人間になりましたから「機能停止」ではないですね)。

ナイト君に『アンドリュー』式であって欲しかったというのは、何も人間として死んでほしかったって意味じゃありません。
彼にはぜひ機能停止になどならず、いつまでも元気でいてほしかった。

それではハッピーエンドのままじゃないかって?とんでもないです。
愛する人(ナイト君の場合はリイコですね)が年を重ねてやがて死んでしまうというのは、十分切ないドラマになり得ます。
いえ、そこまで先のことでなくても、リイコはいつしかナイト君を置き去りにして生身の人間と恋愛し結婚して離れていってしまうでしょう...。
その展開だけでも涙は十分に誘えるはずです。『アンドリュー』原作の前半も、じつはそういう展開がありました。

ええい、どうしてもロボットを不幸にしたいってんならそれでも構わん!!それでもいいからせめてロボットは生かしといてあげてくれ~~~
生きてればロボットだってほかの愛する人や生き甲斐を見つけられるんだから!!!

一日講習会!!

2008-06-24 02:51:06 | ダンス話&スタジオM
午前・午後にわたった一日講習会が無事終了しました
参加された皆さん、お疲れさまでした!!

今日のレッスン、楽しんでいただけたでしょうか?
でも楽しさより先だって「難しい」という感想を持たれた方も多かったのではないかと思います。

フラは端から見るよりも実際に踊った方がずっと難しく、また思いのほか筋肉疲労もありますよね(正しく踊っていて起きた疲労はすぐに良くなる筋肉痛なので、身体への悪影響はないと思いますが)。
でも難しい分、習得することができればとても美しく優雅に踊れるようになり、難しさが楽しさにかわるはずです。

フラがほかの多くのダンスと異なるのは、ハワイ文化のバックグラウンドがある点です。
これらの知識もダンスの技術と一緒に深めていくのがこの踊りの難しさではありますが、同時に様々な角度からアプローチできる多面性も魅力であるといえます。
たとえば私みたいに言語が好きであればハワイ語を掘り下げてみるのもいいし、歴史が好きな人ならそれを学ぶことがフラをより深く理解することにつながるのです。
だから幅広い人たち(運動神経の善し悪し、年齢、興味の対象などがどうであれ)が、各々に合った楽しみ方をきっと見つけられます。

ただ楽しいだけでは決して無く、でもそれゆえにやりがいも大きいのがフラであるということを、多くの方にお伝えしていけたらいいと思います。

もう夜明け

2008-06-23 04:20:19 | ダンス話&スタジオM
ギャ~ッ。明日の支度をしているうちに朝になりそうです。
やっぱり夏至の翌日(もう翌々日?)は莫迦みたいに日の出が早いなあ。と言おうとしたら、よく考えるともう4時過ぎなのですね。
起きてくる人もいるような時刻だな。こりゃ、明るくなってもしょうがないか。

明日は5時間レッスンがあります。
といってもいつものように「5クラスのレッスン」ではなく、なんと同じメンバーで5時間ぶっ通しという超拡大版をやるのです。

こんな長丁場はさすがに珍しいので、企画に今日丸一日かかりました。
我が家の今日の話題は明日のことばっか。普段からレッスンの時間自体より準備の方が時間も根気もたくさん必要です。明日のは長い分、それに比例して準備にかかった時間も長かった...。

そんな珍しいレッスンの模様はのちほどご紹介したいと思います。
ひとまず寝たいでないとまた徹夜になってしまう~(笑)

「通の眼」養成講座

2008-06-22 02:21:24 | ダンス話&スタジオM
敬愛するオタクの師匠・岡田斗司夫さん(今やダイエット本で一般の方にも有名ですね)の受け売りではありますが、歌舞伎も落語も特撮映画も見る側の専門知識や美的感覚を必要とする高度なたしなみです。
見る目を持つ観客が少なくなれば真に価値のある作品が正しい評価を受けなくなり、遠からずそのジャンル自体が廃れてしまいます。

これはダンスも同じこと。フラにせよベリーダンスにせよ、たんなる運動ではなく文化性と芸術性を兼ね備えたダンスであり、美しく踊るにはもちろん、ただ見るためだけにも「通の眼」が要求されるのです。

だったらうちで養成しようじゃないの、「通の眼」をッ。

「基礎を徹底する!!」との決意のもと、基礎説明用かえるさんを伴って各クラスを回っているうちに、私は振付けよりも基本ステップよりもまず生徒さんの「見る目」を養うお手伝いをすべき、と思いいたりました。

今までに増して重点的に基礎を説明し、必要に応じて個別指導も取り入れたりしていると、どのクラスにも必ず意欲の高い生徒さんがいて、そういう方の踊りは目に見えて変わります。
そういう生徒さんたちは何か出来なかったことが技術的にできるようになったわけではなく、見るべき点がはっきりと理解できた方たちなのです。

よく「ひたすら練習しつづければいつか出来る」と信じてやみくもに自主トレに走り、自己研究を重ねてしまう人がいますが、これはまったく無益なばかりでなく逆効果を及ぼしかねません。
それよりまずは「見るべき点」がどこにあるかを見極めるべきなのです。

「見るべき点」は我々がいくら口で言っても納得できるものではありません。やはり自分自身で気づくしかないのです。
例えば我々が漠然と「腰がよく揺れているとか目立つところばかりを注視しないで、動かしてはいけないところが動いてないかも見てくださいね」と言ったところで、腰の動きをマスターしようと思っている生徒さんはついつい腰にばかり意識が行きがちです。
でも、そうしているうちは残念ながら「見る目」が備わったとはいえません。
そんなとき、「具体的にどこを見るべきか」を実体験でもって気づけるようにお手伝いするのが、もっかレッスン中の我々の使命なのです。

これら理詰めの説明を聞くまでもなく見る目を備えている人というのは、日頃から質の高い演技を見ることを心掛け、しかも演技の目立つ部分だけではなく全体を見渡している人のことです。
そういう人なら、今はまだでもきちんと練習を積めば必ず美しく踊れるようになるはずです。

ところで、私は見たもの聞いたものをそっくり同じように再現するのが得手です。
学生時代にやった語学の8割がたはこの技で乗り切りました。
同じように人の踊りを見ると、振り付けがどうではなくその人の雰囲気をカメレオンのように取り込むことがかなりのところまでできるのですが、この技は諸刃の剣です。
つまり、素晴らしい演技なら私の踊りに良い影響を与えますが、美しくないダンスも自分の好むと好まざるとに関わらずうっかり呑み込んでしまいやすいのですね(笑)。

これはおそらくどんな人にもある程度はあてはまることだと思います。
つまり、美しい演技ばかりを見ていれば審美眼や自分の技術の向上に有益な一方、そうでないものを見てしまうと悪影響を及ぼされるおそれがあります。

ですから、上質の演技を見るようにつとめながら見る目を養うことは、無闇矢鱈に自主練習を繰り返すより格段の効果があるのです。

林檎と苺

2008-06-21 02:54:25 | 徒然話
うっひ~~。困ったことになりました。
どうも近々ドコモからブラックベリーが出そうな雲行きです。

こないだ「ソフトバンクに宗旨替えしてiPhoneを買うッ」と鼻息荒く断言した私。
しかしそこには「ドコモからブラックベリーが出ない限り」という但し書きがついてました。
よ、よよよよもやそれが実現しそうとは...ッ

ブラックベリーblackberryはカナダの会社が出したビジネス向けスマートフォンで、一般の携帯より横長の形で画面の下にキーボードがついています。
そういう形の携帯を出している日本メーカーも多いですが、あれは明らかにブラックベリーの真似ですねえ。

そして私は真似が嫌いです。
この私が使うなら本家本元ブラックベリーを使いたい。いえ、使わねばならないッ。
だいいち日本で作られたのはどれもしょせん真似なので、元祖ほどかっちょいい機種も出ていませんし。
そう思って数々の「Windowsケータイ」やら何やらを遠ざけてきたわけです。

ドコモはまだ個人向け販売が確定したとは言っていませんが(じらすなー)、企業向けには2006年からブラックベリーを出していますし、なんつってもソフトバンクからiPhoneが出てしまうからには一刻も早くそれに対抗しうる目玉を用意しなければなりません。
さあさあさあドコモさん、早く決断を。

機能性でいえば(私の用途に関していうと)どう考えてもiPhoneよりブラックベリーの方が上手です。
iPhoneは要は「iPodに携帯電話機能が付いたもの」なので、私のように携帯でもりもりとインターネット見てメール打ってブログ編集する人間にはブラックベリーの方が向いてます!!

と、幼稚園児の分際でザウルス欲しがった私は思うんですけど。
あのときどれだけザウルス(これまたビジネスマン向け電子手帳、もちろん全く可愛くはない)をねだっても買ってもらえなかったトラウマが、私をブラックベリーの方へ仕向けているのかもしれません。
今思えばザウルスを幼稚園児が持ってたってほとんど何の役にも立たないと思うんだけど、私はすごく小さい頃から「おっさんくさい小道具」に惹かれていたんだな。
それが中学時代に日経トレンディ読み漁ってさらに強化(悪化?)されたのが今の状態であると、そういうことですね。

だから仮にめでたく日本で個人向けに発売されることになったとしても、どうか日本人(特に女性)向けにスマートで小ぶりなブラックベリーなんて忌まわしいものを作ったりしないでいただきたい。
ブラックベリーはあの横幅が広くて薄過ぎない形が逆に可愛いのです。てか、あのキーボードで横幅細くしたら、思いっきり打ちにくいキーになっちゃうもんね。

あとブラックベリーたるもの、キーはアルファベット表示だといいです。あの小さなキーの一つひとつに平仮名とか入れると五月蝿い気が...。

それよりなによりゲンナリしたのは、私が「フンモー!!ついにブラックベリーが」と興奮している時につい先だって買い替えたばかりのマミちゃんが「じゃ、私もそれにしようかな」とのたまったことです。
お、おのれ~。今の携帯すら使いこなしてないくせに~。ましてやブラックベリーなど逆立ちしても使えんだろうが~。電話すらかけられなくなっても知らんぞ~。

マミちゃんはたんなるミーハー心で最新機種を欲しがる困った性癖があるのです。
最新機種に買い替えていじり倒したいのに旧型の機械への愛着が捨てられなくて苦しむ私とは正反対です。
そして使えもしないくせに「私はこれを皆が持つ前から持っていた!!」と悦ぶのが好きなのです。
で、皆に行き渡ると途端に興味をなくすんですね(笑)。
彼女にかかれば携帯もファッションと同列か.........。

ブログランキング参加してみました。クリックして頂けると幸甚の至りです。