二代目モニカの日々・・・ときどき俳句

【日々のいろいろ、十七文字の世界】二代目モニカです✨日々の出来事やときどき俳句も🐰

響焔4月号より〜聰俳句鑑賞

2020年03月27日 | 俳句

海からの風に四月の濃い生毛

「なんだこれは」と思った。
四月という月に生毛をはえさせた。しかも濃い。気持ち悪い。いや違う。「四月の」と「濃い生毛」の間には断層があって、何かの言葉が隠れているのだ。何だろう。
「男」ではあたりまえ。「女」うわ、いやだそんなの。「外国人」いやいや、そういう人間ではないのではないか。「小鳥」もしかして「ひこばえ」かな。そうか、もっと心象的なものなのかもしれない。時は四月。希望のような、はたまた憂鬱か…。
いやちょっと待て。「海からの風に」と言っているではないか。ここにも謎解きの鍵がありそうだぞ。
まさに作者がいつも言っている「想像の余地のある句」である。色々と想像した。だが多分どれも違う。








ソール・ライター

2020年03月08日 | 俳句
少し前になりますが

渋谷Bunkamuraで開催されていた

ソール・ライター展に行ってきました



絵でも写真でも

対象の捉え方とか、それをどう強調するか

または省略するか

配置はどうするか

色彩は?

など

俳句に通じるところがあって

そんな目でいつも鑑賞してしまいます

今回のソール・ライターも

そういう意味でもとても俳句的に響くものがありました






最後の1枚

私が1番好きな作品です

大胆な構図にハッとさせられます

俳句も人に見てもらうものという意識があるなら

やはりハッとするものがなくては

と思っているので

こういう作品は素通り出来ずに

しばらく作品の前に佇んでしまいました
 
大胆な構図にシビれます

カッコいい!クールだ!




俳句の上達の道のひとつとして

俳句以外の芸術や文化に触れる

そこで感性を磨く

という方法があると思います

俳句だけではなく
 
その他のものにも目を向けてみて下さい

きっと糧になります

響焔3月号より〜聰俳句鑑賞

2020年03月05日 | 俳句

蜜柑甘くて赤いジャケツの彼がいない

久しぶりにこの句を読んで、腑に落ちたことがある。私の句に比較的「彼」という言葉が多いのだが、それは多分掲句の影響だ。
作者の第一句集『海紅』が上梓された昭和五十四年、十七歳の私がこっそり句集を読んでこの句にひっかかった。俳句に対してなんの興味も関心も知識もない高校生が「いいな」と思ったのだ。「赤いジャケツの彼がいない」のか…。
もしかするとこの時に少し、俳句を意識しだしたのかもしれない。そのあと二十年も俳句とは無縁だったのだが。
こんな古い句を持ち出して、と作者は思うだろう。だが「哲学とフランスと彼林檎齧る」「彼の名はショスタコビッチ鳥帰る」などの迷句は掲句のおかけでできたのだ。きっと。
麗しき師弟関係ではないか。