玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

安倍総理のインド演説を刮目して読む

2007年08月24日 | 政治・外交
これまで安倍総理の発言や演説に心を動かされたことはほとんどない。
好感度としてはせいぜい普通の政治家レベル。真面目で一生懸命な人だとは思うけれど、勇気付けられるとか威厳があるとかユーモアが豊かだといった特別な美点を見つけるのは難しい。総裁選から始まり総理に就任して半年ほどのあいだ続いた「美しい国」連呼にはうんざりしてとても付き合いきれなかった。

そんな安倍総理が外遊中にインドの国会で演説してスタンディングオベーションを受けたという。
「インド式外交辞令じゃないのか」と半信半疑で全文を読んでみたら、本当に立派な演説なのでびっくりした。なるほどこれなら拍手喝采が起きるわけだ。

外務省: インド国会における安倍総理大臣演説「二つの海の交わり」
 皆様、日本はこのほど貴国と「戦略的グローバル・パートナーシップ」を結び、関係を太く、強くしていくことで意思を一つにいたしました。貴国に対してどんな認識と期待を持ってそのような判断に至ったのか、私はいま私見を申し述べましたが、一端をご理解いただけたことと思います。

 このパートナーシップは、自由と民主主義、基本的人権の尊重といった基本的価値と、戦略的利益とを共有する結合です。

 日本外交は今、ユーラシア大陸の外延に沿って「自由と繁栄の弧」と呼べる一円ができるよう、随所でいろいろな構想を進めています。日本とインドの戦略的グローバル・パートナーシップとは、まさしくそのような営みにおいて、要(かなめ)をなすものです。

 日本とインドが結びつくことによって、「拡大アジア」は米国や豪州を巻き込み、太平洋全域にまで及ぶ広大なネットワークへと成長するでしょう。開かれて透明な、ヒトとモノ、資本と知恵が自在に行き来するネットワークです。

 ここに自由を、繁栄を追い求めていくことこそは、我々両民主主義国家が担うべき大切な役割だとは言えないでしょうか。

 また共に海洋国家であるインドと日本は、シーレーンの安全に死活的利益を託す国です。ここでシーレーンとは、世界経済にとって最も重要な、海上輸送路のことであるのは言うまでもありません。

 志を同じくする諸国と力を合わせつつ、これの保全という、私たちに課せられた重責を、これからは共に担っていこうではありませんか。

 今後安全保障分野で日本とインドが一緒に何をなすべきか、両国の外交・防衛当局者は共に寄り合って考えるべきでしょう。私はそのことを、マンモハン・シン首相に提案したいと思っています。

以上は一部引用だが、ぜひリンク先で全文を読んでほしい。
最初に豪雨災害を見舞い、次に「世界最大の民主主義国」と持ち上げてプライドをくすぐり、日印両国の歴史と文化を逍遥してロマンを盛り上げ、自由と民主主義と繁栄を共通の価値観として確認し、「森と水」の環境を守るため手を携えることを呼びかけ、さらなる経済協力と技術協力を推進し、「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益である」と宣言し、さらには日印にとどまらず太平洋とインド洋をつなぐ「拡大アジア」の概念で大きく夢を広げ、岸総理(安倍氏の祖父)の対印ODAとネルー首相の三頭の象という友情の贈り物を振り返り、最後にはインドの誇る文化である舞踊にたとえて「インドと日本も、そんなふうに絶妙の同調を見せるパートナーでありたいものです」と締める。
実に見事なもので、本当に感心した。安倍総理は大いに面目を施したといえる。
この演説がどれほど安倍総理自身の手によるものか、それとも麻生外相やスピーチライターの功績が大きいのか知らないが、成長する大国にして世界最大の民主主義国・インドの国会で日本の総理大臣が立派な演説をしてくれたのは素直にうれしい。



安倍さんがせっかく日印友好の手柄を上げたというのに、なぜか憮然としている人たちがいる。
その一例がこちら。

朝日新聞社説:首相の訪印―価値観外交のすれ違い
 そもそも安倍首相の価値観外交は、中国包囲という色彩を帯びている。

 03年度以降、インドは中国に代わって円借款の最大の受け取り国になった。価値観外交の展開に伴って、援助額はさらに膨らんだ。

 しかし、日本にとって中国が持つ重みは、インドとは比べものにならない。在留邦人でみれば、中国が10万人を上回るのに対し、インドは2000人ほどだ。相互依存の度合いが全く異なるのだ。

 中国を牽制するテコにインドを使うような外交は見透かされる。インドにしても中国との交流を深めており、利用されることに甘んじるような国ではない。

 価値観を声高に唱えるような一本調子の外交は考え直した方がいい。

あまりにも馬鹿らしくて批判する気さえ起きない。
むしろ朝日(そして中日)の中国様への忠勤ぶりがこれ以上なく明らかになって大変結構である。

シュツットガルトの出雲

2007年08月21日 | 日々思うことなど
最近よくメルセデス・ベンツCLSを見かける。
CLSというのはこんな車だ(carviewより)。

クリックで拡大

「よく見る」といっても高級車だからカローラやフィットのようにそこらにありふれてるわけじゃない。せいぜい一日に一回くらい。それでも印象に残るのは強い存在感があるからだろう。
メルセデス・ベンツのオフィシャルサイトによるとCLSの魅力とは「息を飲むほどに美しく躍動するロープロポーション」「アート作品とも言うべき大胆にして繊細な美しさ」だという。なるほど、スタイルに魅力を感じなければEクラスより室内が狭くて高価なセダンを買う人などそうはいない。

「そういうことになっている」のはわかったけれど、私自身はCLSを見てカッコいいとか美しいとか思ったことがない。
たしかにインパクトの強いスタイルではある。妙に大きくて踏み潰されたように平べったくて曲線と曲面がうねっていて「うわっ、なんだか凄い」とびっくりする。
だが、うらやましいとか乗ってみたいとかいった憧れを感じることはない。むしろオーナーさんに「ほかの選択肢を考えなかったのですか」と聞いてみたくなる。クーペっぽいセダンならボルボS80とかいかがですか、値段もずっと安いですよ、とか。まったくもって余計なお世話だ。

明るい色(白やシルバー)の場合はボディサイドのアーチ状プレスラインが優美で「これがベンツの考える『繊細な美しさ』か」と理解できないこともないけれど、暗い色(黒やワインレッド)だと不気味さばかりが際立つ。エイリアンの乗り物というか、巨大ゴキブリというか、人間の自然な感覚に逆らうグロテスクな存在感。
今日もそんなCLSの姿を見て「なんか嫌だなあ、気持悪いなあ」と思っていたら、ある車を思い出した。
これは光岡・オロチだ!


ほかの人はどう思うか知らないけど、というか誰も同意してくれなさそうだけど、私の感覚ではCLSの「異様な平べったさ・過剰な曲線曲面・凶悪な目つき」はオロチそっくりである。残念ながらこれまで路上でオロチに遭遇したことはないが、スーパーカーブームを知る者としてぜひ見たいものだと熱望している。オロチかっこいいよオロチ。
これまで好きになれなかったCLSも、「あれはオロチの眷属」「ダイムラーベンツのオロチへのオマージュ」と思うとなんとなくカッコよく見えてくる。CLSに乗っている人たちは、本当はオロチが欲しかったのに諸般の事情で仕方なく「メルセデスの4ドア」を買わざるを得なかったに違いない。ファンキーである、ロックである、いやむしろアナーキーだ(言葉の意味がよくわかってない)。
メルセデス・ベンツというエスタブリッシュメントの仮面をつけてはいるが、心は娘を喰らい八塩折の酒を飲み干す凶暴なオロチ。そう思うと(妄想すると)CLSという車も、そのオーナーもなかなか粋ではないか。


やっぱり好きにはなれないけど。

註:シュツットガルト=ドイツの都市。ベンツの本社がある

鳴らない木鐸

2007年08月18日 | 日々思うことなど
どう考えても変だ。
おかしい、納得できない。
以前からマスコミのニュース価値選定(アジェンダセッティング)能力には疑いを抱いていたけれど、このニュースがほとんど報道されないのは不思議だ。

佐藤参院議員:イラク駐留時に「駆け付け警護」するつもりだった 弁護士らが質問状:MSN毎日インタラクティブ
 元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員が、派遣先のイラクで他国軍隊が攻撃を受けた場合、駆け付けて援護する「駆け付け警護」を行う考えだったことを表明したことに対し、弁護士ら約150人(呼びかけ人代表・中山武敏弁護士)が16日、「違憲」と公開質問状を送った。

 佐藤氏は10日に放映されたTBSのニュース番組で、当時イラクで指揮官として「駆け付け警護」を行うつもりだったことを明言し、「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」と発言した。「駆け付け警護」は、正当防衛を超えるとして憲法解釈で認められていない。

 質問状は「違憲、違法なもので、シビリアンコントロールに反する」として、7項目について今月中の回答を求め、安倍晋三首相にも佐藤氏に辞職勧告するよう要望書を送った。佐藤氏の事務所は「現場に行って法的不備があると感じての発言。質問状は届いていないが精査する」と話した。【長野宏美】


私の見たかぎり、大手マスコミで佐藤議員の「駆け付け警護」発言に高いニュース価値を認めているところはない。新聞は一面記事や社説に取り上げないし、テレビもトップニュースにはしない。イラクへの自衛隊派遣に賛成していた読売や産経が扱いを小さくするのはまだしも理解できるが、あれほど自衛隊派遣に反対していた朝日や毎日がベタ記事扱いなのは合点がいかない。

この問題について書くのは正直言ってあまり気が進まない。
というのも、私自身がイラクへの自衛隊派遣について「容認と賛成の中間」くらいの立場だったから。「ヒゲの隊長」と呼ばれた佐藤正久氏にも「男らしく立派な人だ」と好感を抱いている。だからイラク派遣反対派やアンチ自衛隊の人たち(左翼)のように威勢良く「問題発言」を糾弾する気にはなれない。
だが、「自分が問題発言を糾弾するかどうか」とは別に、「佐藤議員の発言に問題があるかどうか」と聞かれたら「問題がある、それも大いに問題がある」と言うほかない。左翼系のブロガー諸氏は腰が引けた自称リベラルの私よりずっと歯切れよく問題点を指摘している。

民主主義にケンカを売った「ヒゲの隊長」の問題発言 シバレイのたたかう!ジャーナリスト宣言。
かつて旧日本軍が暴走し戦争を突き進んでいった反省から、そして民主主義国家の大原則として、「シビリアンコントロール(文民統制)」というものがある。すなわち、最終的に自衛隊をコントロールするのは、自衛隊員や防衛省の官僚達ではなく、国民に選ばれた政治家達である。佐藤発言は、シビリアンコントロールを無視して、現場の自衛官が勝手に違憲行為を行うつもりだった、というものであり、自衛隊イラク派遣の是非に止まらず、自衛隊の存在しうる前提をも覆すものだ。佐藤発言は「罰せられる」程度ですまされるレベルではなく、自衛官としても、政治家としても資質に欠くと判断されるべき問題なのである。


情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊) 国民を騙すつもりだった~佐藤正久は議員として不適切、直ちに辞任せよ!
自衛隊は、イラクで、この柳条湖事件と同じことを行おうとしたのであり、それは徹底的に断罪されなければならない。久間の原爆発言をはるかに上回る「証言」である。

佐藤氏が、この証言を、「私が議員になった以上は、そういう自衛隊の暴走を止めます」という文脈で話したのなら格別、そうでない以上、議員失格であることは疑いの余地無し!


good2ndの日記 - 自衛官に選択を強いてはいけない
佐藤議員の発言にあった「あえて巻き込まれる形での駆けつけ警護」という考えは、やはりどうしても認めることはできないと思います。僕はあえて「盧溝橋」とか「関東軍」とかと比べるつもりはありませんが(連想する人がいるのは当然だと思いますが)、集団的自衛権が容認されぬまま派遣された以上、どれほどそれが「普通に考えて」当然の行動と思えても、自国の民意をないがしろにするような「覚悟」をしてもらっては困るのです。

どれも正論というほかない。

何よりもまず佐藤議員の真意を知りたい。
政治家や著名人の失言叩きにはほとほとうんざりしているので、佐藤議員の考えていることが左翼ブロガー諸氏の批判するようなものと違うのであればはっきりと説明して誤解を解いてほしい。説明が納得できるものであれば(そうであってほしい)私とてヒゲの隊長の味方をするのにやぶさかではない。
現在のところ佐藤議員の公式サイトには今回の件についての説明が全く載っていない。(元)武人らしからぬ反応の鈍さを残念に思う。


佐藤議員への批判あるいは擁護は彼の真意が明らかになった後にするとして、どうにも理解できないのは「駆け付け警護」発言へのマスコミの反応の鈍さだ。柳沢厚労相の「産む機械」失言にあれほど大騒ぎ(私に言わせればバカ騒ぎ)したのに、佐藤議員の発言に高い報道価値を認めないマスコミは異常としか言いようがない。
「産む機械」失言は単なる失言であり実害はほとんどなかった。外国で日本の評判が少し落ちたことと、安倍内閣と自民党への打撃が「実害」であって、マスコミの過剰報道はいたずらに騒ぎを煽り女性のプライドを傷つけただけだ。柳沢氏が本気で「女性は産む機械だ」と考えていたとしても(もちろんそんなことはない)、社会の良識に逆らって厚生労働大臣として「産む機械」政策を実現するのはほとんど不可能である。
だが「駆けつけ警護」発言は違う。
佐藤氏が陸上自衛隊先遣部隊長としてイラクで勤務についていたとき、命令一下行動する武装した部下を約90人率いていた。部隊長としての指揮権も、装甲車の機関銃も、隊員が握る小銃も、すべて具体的な現実の存在である。佐藤隊長が本気で「駆けつけ警護」を行い戦闘行為に巻き込まれる決意をすれば、誰もそれを止められなかった。

「産む機械」失言は「そもそも柳沢氏の本意ではなかったし、実害もない」
「駆けつけ警護」発言は「佐藤氏の本心かもしれない(今のところ不祥)し、実現する可能性は非常に高かった」
前者は絵に描いたトラに過ぎないが、後者は窓に映った怪しい人影だ。
絵に描いたトラに興奮して大騒ぎしたのに、現実に迫った危険の気配に無頓着な日本のマスコミはとても「社会の木鐸」と呼べるものではない。

グーグル八分が直った

2007年08月16日 | ネット・ブログ論
グーグル八分にされて嫌だなあ、と思ったらいつの間にか直ってた。
たった半日、なんという早業。


どうしてグーグルに無視されたのか、そしてすぐ直ったのかと不思議でならない。
検索結果が戻ったのはうれしいけれど不信感が募る。
あまりにも暑いから錯乱したのか。
グーグル様のお住まいには私の家とは違ってエアコンが付いてるだろうに。
考えてもわからないので今日もソーメンとアイスクリームを食おう。
ゴマダレとチョコミントが美味すぎる(解決になってない)。

グーグル八分にされた

2007年08月16日 | ネット・ブログ論
知らないうちにグーグル八分にされていた。
「玄倉川の岸辺 に一致する日本語のページ」は約63,200件(!)もあるのに、直リンクが表示されない。


なぜだろう?まったく理由が思い当たらない。
グーグルが機械的にマイナスのページランクを割り振ったのか、それとも誰かが「こいつはけしからんから検索から外せ!」とクレームを付けたのか。グーグルに嫌われるほど過剰なSEOをしたわけじゃないし(というか何もやってない)、最近は特に誰かを怒らせるようなことは書いてないつもりなのだが。

もともと「多くの人に伝えたい、世の中を動かしたい!」という高い志のもとにブログを書いているわけじゃないのでグーグル八分になってもさほど困りはしない。すでに充分以上に多くの読者に読んでいただいている。でもやっぱり検索エンジンから「無視」されるのは嫌な感じだ。
特に代理出産関係の記事がヒットしないのは悔しい。


以前は代理出産で検索すると10位以内に「代理出産=『寄生出産』」が表示されたのに。

さて、どうしよう。
ネットゲリラさんもグーグル八分にされたみたいだけど現在はヒットする
その一方で悪徳商法?マニアックスさんのようにずっと無視されている人気サイトもある。
とりあえずグーグル様がご機嫌を直してくれることを期待して様子を見るしかないか。


関連リンク
  Google八分とは - はてなダイアリー
  livedoor ニュース - 【気になるトレンド用語】ネットから存在が消える!?みんなが恐れる"グーグル八分"とは?
  圏外からのひとこと:「Google八分の刑」という難問  
  九天社 : グーグル八分とは何か
  Amazon.co.jp: グーグル八分とは何か: 本: 吉本 敏洋

すごいひと・すごいうた

2007年08月04日 | テレビ鑑賞記
NHKでやっていた阿久悠の追悼番組を見たらいろいろ凄かった。
以下は順不同で。

70年代の芸能パワーが凄い
暑苦しくて泥臭いけれど、スマートな平成文化にはありえない異様な迫力がある。いやありすぎる。昭和最強説がまたしても証明された。

森昌子の田舎臭さが凄い
「せんせい」を歌ってたのはたぶん昭和46年(1972)紅白の映像。デビューして半年とはいえ、とても芸能人とは信じられぬほど田舎臭い顔とスタイルに衝撃を受けた。(2ちゃんねるで見つけた画像)


あれで山口百恵(ローティーンの頃から色気がある)や
桜田淳子(秋田美人)と肩を並べて花の中三トリオと呼ばれていたのか。森さんも周囲もいろいろ大変だったろうな。

山本リンダの平らな腹が凄い
身をくねらせて「どうにもとまらない」を歌う彼女のむきだしのお腹には贅肉も脂肪もゼロ。安田美沙子の腹筋に匹敵する。

岩崎宏美がかわいくて凄い
「ロマンス」で紅白初出場したときはまだ16歳。歌がうますぎて可愛気がないけど幼い顔と雰囲気がとてもかわいい(どっちなんだ)。


尾崎紀世彦のモミアゲが凄い
子供のころは「なんとむさ苦しいモミアゲだろう」とひたすら感心していたが、21世紀になって初めて気付いたことにはあれはモミアゲというよりは頬ヒゲなのだった。長生きはするものである。

ピンクレディーが宇宙的で凄い
サウスポーのモンスターはウォンテッド!と迫るペッパー警部を蹴散らしてジパングからUFOに乗ってアメリカに去っていった。でもすぐに戻ってきた。

沢田研二が色っぽくて凄い
何だあの色気は!?足が短かくて顔がでかいのにやたらとカッコいいぞ。

石川さゆりが熱唱して凄い
「津軽海峡冬景色」の思い入れ過剰な歌いっぷりに感動。石川さゆりはこのとき紅白初出場だったのか。当時洟たらしのガキだった私も意味もわからず歌を覚えてしまった。
(You Tube動画を初めて貼ってみました)



都はるみがセーター編んで凄い
着てはもらえぬセーターを編むな!無駄! …という昭和ギャグを思い出した。

八代亜紀が演歌すぎて凄い
外国人に演歌とは何かと聞かれたら「舟唄」を聞かせる。「お酒はぬるめの 燗がいい 肴はあぶった イカでいい 女は無口な ひとがいい」日本の男はこれでいいのだ。

「宇宙戦艦ヤマト」が血沸き肉踊りさらに哀愁を感じさせて凄い
「さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト」「必ずここへ 帰って来ると 手をふる人に 笑顔で答え」これを聞いて胸が熱くならない奴は男じゃない!もちろん「真っ赤なスカーフ」も凄い!

都倉俊一が立派すぎて凄い
阿久悠とコンビを組んで多くの名曲を生み出した都倉俊一がスタジオゲストとして出演。都倉さん話が上手すぎ、言葉遣いがきれいすぎ、発音が明晰すぎでアナウンサー顔負けである。話の内容も知性と品格を感じさせる。昭和の芸能界は凄い。阿久悠の薫陶なのか生家(父親は外交官)の教育が良かったのか知らないが、実にたいしたものだと感心した。

NHKが底力を見せつけて凄い
映像の蓄積はさすがに腐っても国営公共放送だ。来年から始まるNHKアーカイブスのネット配信が楽しみ。


そしてもちろん阿久悠が凄い。
山塊のごとき実力と異次元的なセンス。
美しく古典的な日本語なのにアバンギャルド。
番組中で流された名曲の多くは日本国民の過半数がソラで歌えるはずだ。
司馬遼太郎は国民作家と呼ばれるが、それなら阿久悠は国民作詞家である。
これほど凄い人を失った日本は少し不幸になった。
どうか若く美しい女性とそうでない女性のみなさんは、阿久悠の永遠のロマンの世界への旅立ちを真っ赤なスカーフを振って見送ってあげてほしい。私は30秒チンしたカップ酒とあぶったスルメでひっそりと悼むことにする。

法律「外」の力

2007年08月03日 | 日々思うことなど
当ブログでも三回ほど取り上げた()「当て逃げ動画事件」がどうやら解決しそうだ。

J-CAST ニュース : 「当て逃げ」動画騒動 「車所有者」がついに書類送検
車の「当て逃げ」の映像がユーチューブ上に公開され、インターネット上の掲示板「2ちゃんねる」で大騒動になっていた問題で、加害車両の所有者が書類送検されたことが明らかになった。所有者は当初、事件当時に「車を貸していた」などと弁明、「当て逃げ犯」でないなどと主張していた。

当て逃げ犯が明らかになり事件が解決するのはたいへん結構なことである。
だが正直なところ事件そのものより周辺の騒ぎが気になって素直に喜べない。
事件周辺の問題についてはApemanさんとbuyobuyoさんが懸念している。

Apes! Not Monkeys!
  リンチと化す“祭り”(追記あり)
被害者本人が、捜査が進まないことにいらだつのもまあわかる。しかし第三者として考えた場合に、被疑者を逮捕してまで取り調べるのが妥当な事件かと言えばとてもそうは思えない。同様な当て逃げ事件がちょくちょく起こっているであろうことは容易に想像がつくが、たまたま車載カメラの映像が記録されていたという理由で(より重大な被害が発生している事件に割かれるはずであった)リソースをこの事件に投入することが「正義」なのか?


捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
  例の自動車当て逃げ事件の件
当て逃げしたバカや、怠慢な警察に怒りを覚えるのは当然だし、被害者を支援する意味で警察を批判するというのも悪くはない。しかし、暇人が自分で捜査まがいなことをする、しかも加害者らしき人間やそいつの勤め先にいやがらせするとかは、これは話が大いに別である。正義の目的だったら、嫌がらせのような卑劣な行為が正当化されるのか?どんな蛆虫だお前ら?

  例の当て逃げの件、その2
  例の当て逃げの件、その3
  こんなくだらないことに社会リソースを使いすぎって思わないのか?

お二人の意見に基本的に同意する。
動画を見た人たちが「当て逃げは犯罪だ、許せない」と思うのは当然だ。警察の怠慢に怒るのも理解できる。
だが、「それなら自分たちで『正義の裁き』を下してやる」というのは間違っている。
加害車両所有者(容疑者)の勤務先にしつこく電話をしたり、周辺をうろつきまわって写真を撮ったり、家の近所に嫌がらせのようなポスターを貼ったり、個人情報を二次頒布したりといった「スネーク」たちの行為は私には当て逃げより陰湿でおぞましいものに感じられる。

アメリカの西部開拓時代じゃあるまいし、世界でもっとも治安のいい国の一つであるこの日本で私刑を正当化することはできない。
そういうと「祭り」容認派から「真面目に捜査しない警察が悪い」「悪い奴を懲らしめるのに警察も私人もあるか」と批判されそうだが、もう少し先のことまで考えてほしい。
今回の事件では被害者が動画を撮影していたことによりネット住民の心を動かして多くの「援軍」を得ることができたが、こんなことはごくまれな事例である。理不尽な被害に遭い、加害者の目星は付いているのに警察や裁判所が思うような結果を出してくれず悶々としている人たちのほとんどは「当て逃げ動画」のように強力なプレゼン素材を持っていない。2ちゃんねるでスレッドを立てても同情はされるだろうが大規模な「祭り」を起こすのは難しい。
そこへ「当て逃げ動画事件解決へ」のニュースである。一部の人には私的制裁が特効薬のように感じられるだろう。「こんなに効果があるのなら…」と思い、私的制裁行為への抵抗感が薄らぐのはありそうなことだ。

被害者が加害者に直接復讐しようとするのはまだしも(もちろん容認しているわけではない)、私が恐れているのは私的制裁を望むニーズに暴力団が応えることである。なにしろ彼らは荒っぽいやりかたのプロだ。一般人ができないような脅し・嫌がらせ・暴力を「効率的に」やってくれる。
もちろんその代償は高い。一度かかわりができるとしつこくたかられる。暴力団を利用したつもりがやがて暴力団に利用される羽目になる。ここでは「暴力団」という言葉を使ったが、不良・チンピラ・チーマー・暴走族・愚連隊(死語かな?)でも同じことだ。
法律執行機関が動かないからといって自分たちで何とかしようとすると「法律外(アウトロー)の力」を借りることになりかねない。「無能な警察に代わって自分たちの手で正義を」という方法論に共鳴する人たちは果たしてそこまで覚悟しているのだろうか?


「当て逃げ動画」に煽られた人たちは軽率なだけだとしても、「当て逃げ動画」を最初に公開した人(被害者)のやりかたは大きな問題をはらんでいる。彼のやりたかったことはいったい何なのか。
私は被害者本人でも知人でもないので、実際のところ彼がどういう考えで動画を公開したのか知らない。だが、どうしても気になるのは犯行車両のナンバーを隠さなかったことだ。ナンバーにモザイク処理(あるいはベタ塗り)しなかった理由はなんだろう?技術がなかったのか?車中ではRAIDの話をしてるのだから、コンピューターに関してそれなりの知識と能力があるはずだ。
私には被害者が警察批判よりも私的制裁を望んで動画を公開したように思えてならない。もし動画公開の主目的が「容疑者への私的制裁」であるのなら、被害者の行為に共感するのは難しい。
私が認められるのは「警察批判のための映像公開」までだ。ナンバーにモザイクをかけ、容疑者の個人情報を隠した上で徹底的に「警察の怠慢」を糾弾するのであれば何の問題もない。被害者がなぜその方法を選ばなかったのか、私には理解できない。

投票所という神殿

2007年08月01日 | 日々思うことなど
あなたは投票に行ってますか?

20歳以上の日本国民にして投票権を有するもの、つまり有権者は投票に行くべきなのか、義務があるのか。
憲法にも法律にも義務とは書かれていないけれど、行ったほうがいいに決まっている。
…というのが常識的で正しい答えなのだが、本当に誰もが心から納得しているのだろうか。

偉愚庵亭憮録: 安倍はラリホーを唱えた
 びっくりいたしました。
 ここまで露骨な惨敗をするとは。いえ、参院選のことです。
  (中略)
 いずれにせよ、私のような者が付け加えるべき事柄はひとつもない。
 投票にすら行ってないわけだし。
 そう、前にも言った通り、オレは、立候補するようなタイプの人間には投票したくないのだよ。
 それに、「オレの一票で何が変わるんだよ」と、どうしてもそう思うわけで、要するに面倒なのだ。
 実際、これまで、「オダジマが入れていたであろう一票」の有無で、当選結果が変わった例は、一回もないわけだし。
 うん。わかってるってば。そういう無力感が一番いけないって言うんだろ?
 理屈ではわかっているんだ。
 だからたとえば、埼玉スタジアムで浦和レッズの応援をする時は、
「オレの声なんて、スタジアム全体から見れば、4万分の1に過ぎない。だからオレが黙っていようが喚いていようが、大勢に影響は無いんだ」
 というふうには考えない。
「オレも微力ながらチームの勝利に貢献するぞ」
 と、あくまでも前向きに一粒の麦としてふるまう。
 でも、選挙ではそういう気持ちにはなれない。
 なぜだろう。


小田嶋さんのおっしゃる通りである。
投票率向上を呼びかけるポスターなんかに「あなたの一票が日本を変える」といった言葉が書かれているが、20年以上も生きていれば自分の「一票」が大河に加わる一滴の雨粒程度の意味しか持たないことはいやでも思い知らされる。
結果の見えない接戦ならまだしも、どの党が勝つか、誰が当選するか初めから分かっている選挙でわざわざ投票に行く動機を見つけるのは難しい。

理屈で投票に行ったほうが得する理由を考えるとこんなところか。
 「自分が棄権することで、他の投票の価値が重くなる」
 「棄権が増えて喜ぶのは組織票を持つ業界・団体」
 「ヒモ付き政治家に権力を与えると税金を無駄遣いされる」
乏しい嚢中からふんだくられた収めさせていただいた税金が無駄遣いされるのは腹が立つが、でもやっぱり自分の「一票」にそれを止める力があるとは信じにくい。やっぱり面倒くさい、行かなくていいや、と思ってしまう。


話は急に変わるが、古代ローマでは「皇帝崇拝」という儀式があった。
カリグラとかネロとかエラガバルスといった有能にして高潔な(嘘)皇帝の像を神殿に飾り、決まった日に健康と長寿の祈りを捧げていたらしい(うろ覚えです。「皇帝崇拝」で検索するとキリスト教関係の文章ばかりなので困る)。
日本の天皇のような「神の子孫」ではない生身の人間を宗教的に崇拝しろというのは無理がある。現代の日本でそんなことを実行したら鼻で笑われるだろう。さすがにローマ人も本気で「皇帝は神だ」と思っていたわけではないようだ。

殉教 - Wikipedia
ローマ人は皇帝が神だと信じていたわけではなく、皇帝への服従を形式によって示すことを期待していた。

なるほど、それならわかる。本気で崇拝する必要はなかったのだ。
だが「形式的な服従」を拒んだものたちへの弾圧は容赦なかった。
ローマの知識人はキリスト教の教義そのものを敵視していたわけではなく、むしろ迷信に惑わされたものとして同情していたが、国の政策に公然と反対するキリスト教徒の強情さは罪に値すると考えていた。

しかし、自分の口から皇帝を神と認める言葉を出すことは、キリスト教徒にとっては重大問題であった。皇帝崇拝を拒んだキリスト教徒は、捕らえられて死刑に処された。

良くも悪くも宗教的こだわりの薄い現代の日本人から見れば「どちらも頭が固すぎ」「ナアナアで誤魔化せなかったのか」と思ってしまうが、昔の人はとても真面目だったのである。


現代社会における「投票」の意味とは、ローマの皇帝崇拝のように「社会への服従を形式によって示す」行為じゃないかと思う。
いつも真面目に投票に行く人はアナーキストでもテロリストでもないだろう(たぶん)。己が小さな砂粒に過ぎないことをわきまえ、直接の利益がないことを承知しつつ、少なからぬ時間と労力を使って投票所に足を運ぶのはまさに「議会制民主主義」の神殿への礼拝だ。
幸いなことに現代の日本では棄権したからといって闘技場でライオンと戦わされることはないが、ブログで「投票に行く気がない」と書くと生真面目な議会制民主主義信者から批判されることになる。
オダジマさんともあろう人が選挙に行かないなんて論外ですよ。
棄権は現状肯定と同義です。文句をたれる資格がありません。
選ぶ人がいなきゃ白紙投票でもかまわないので選挙には行くべきでしょう。

投稿 eddy | 火曜日, 7月 31, 2007 20:06

私自身はいい加減な議会制民主主義信者なので、「まともな大人は投票に行くべきだろ」と腹を立てつつ「棄権が増えれば『俺の』一票の価値が増えるな」と思ったりする。
小田嶋さんのような「不信心者」がいるから私ごときが安倍さんや小沢さんの悪口を言っても許されるので、もし投票率100%の世の中になれば「エラそうなこと言ってるけど、お前は実際に政治活動してるのか?」と批判されるだろう。
不真面目な人が多すぎては困るが、真面目な人ばかりの社会は怖い。