玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「非実在青少年」とクロマグロと捕鯨問題

2010年03月26日 | 日々思うことなど
これまで「非実在青少年」問題については「よくわからないし、自分にはあんまり関係ないし」「反対運動している人たちの姿が人権擁護法や国籍法改正反対運動に似ていてなんだかな」と思って近づかないようにしていた。だが、一度興味を持って議論を追ってみるとなかなか面白い。面白い、などと言うと真面目に反対運動している人から怒られそうだが、べつに茶化すつもりはない。
そして、自分が思っているようなことはたいてい誰かが先に書いていることも知った。

表現規制、こんにゃくゼリー、ゾーニング - 趣味のWebデザイン
非実在青少年周り。 - Scott’s scribble - 雑記。
色々と調べて回って思ったこと - 怒頭流のゴロ巻き日記
人は見たいものしか見ず、信じたいものしか信じない - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
目的を失念するネット - 俺は此処に居る
表現規制反対派に厨しかいない理由 - 無貌断片
非実在論争と敵意の行方 - はてな匿名ダイアリー
【愚痴】非実在青少年なんちゃら関連がうざい【ガス抜き】 - 2ちゃんねる同人板

これまでもネット上の政治運動(人権擁護法反対運動や国籍法反対運動など)の多くが悪い意味でオタク的だと思っていた。オタクは悪い、と言っているのではないので誤解なさらぬように。どんなものでもそうだが、オタクにもいい面と悪い面があって、政治運動とオタク的心情を組み合わせると悪い面が出やすいらしい、という程度のことだ。もともとオタクの人たちは政治運動に向いてないんじゃなかろうか。突き詰めてて熱中する傾向がかえって視野を狭くするとかなんとか(ただの思い付きです)。
児童ポルノ規制や「非実在青少年」問題は、現在のオタク界で大きな割合を占めている「萌え系」というかロリコン・ペドフィリア趣味の人たちを直撃したようだ。大げさに言えば「自分たちの存在を全否定された」ように感じてしまい、反対運動の激しさとオタク性がますます高まった。まことに無理からぬことである。無理からぬことではあるけれど、おまいら必死すぎ、少しもちつけ。

さて、前の記事では「非実在青少年問題は地中海産クロマグロ漁獲規制問題に似ている」と書いたけれど、ざっと反対運動周辺を見渡してみるとむしろ捕鯨維持派から見た「捕鯨問題」の構図を重ねている人が多いように思う。

地中海産クロマグロのアナロジー
 ・ 基本的には天然資源の利用問題である
 ・ 「非実在青少年」問題における天然資源とは「善良な市民」の寛容さ
 ・ 乱獲で資源が枯渇すると業界が破滅し消費者も損をする
 ・ 限られた資源を大切に、そして資源を増やす努力をしましょう
 ・ 輸入マグロの大量消費(萌えオタ文化の興隆)は近年急激に起きたこと(参考)なので軋轢が生じるのは必然


捕鯨問題のアナロジー
 ・ 規制派(禁止派)は資源問題を大義名分に宗教的・文化的価値観を押し付けている
 ・ 鯨食(オタク趣味)は立派な文化であり、ケチをつける人たちは偏狭だ
 ・ 資源の枯渇は誇張されており、むしろ「食害」が問題である
 ・ この場合の「食害」とは「善良な市民」によるオタク差別・表現規制
 ・ 鯨食文化(オタク文化)は日本古来の伝統なので保護されるべき


もちろん、捕鯨問題のアナロジーが生まれるのはそれなりのわけがある。実際に規制派の中には偏狭さをむき出しにして「聖戦」を戦っているつもりの人もいる。頭カチカチの保守派の思い通りに規制が行われたら大惨事になるだろう。仮に規制が必要だとしても、規制される側も納得できるよう慎重に行われるべきだ。だが、反対派がカチカチの保守派の鏡写しのようにイデオロギー化して極論を叫ぶようになると、普通の人たちはついていけない。結果として多数派の形成に失敗し、かえってオタク界への偏見を強めることになりかねない。
とはいえ、徳保隆夫さん(「趣味のWebデザイン」)も指摘しているように、「絶対に多数派にはなれない者の抵抗というのは、むしろこれが正解」らしいので、よそ者がとやかく言っても聞いてもらえないだろう。結局は行くところまで行ってなるようになる。あまり楽しい話ではないけれど。

「非実在青少年」とクロマグロ(そしてドラえもん)

2010年03月24日 | 日々思うことなど
いきなりだが、東京都の青少年育成条例だか「非実在青少年」規制論議と、地中海産クロマグロ取引禁止問題は似てると思う。

最初に私自身の立場を書いておこう。
どちらの問題に対しても直接の利害関係者ではない。作り手・送り手ではないし、消費者としてもほとんど関わっていない。エロ系のマンガ・アニメ・ゲームは苦手だし、マグロを口にするのは回転寿司かスーパーの安売りパックくらいだ。たぶんあれはメバチかキハダだと思う。
傍観者のつもりで好き勝手に言わせてもらうと、どちらも規制の対象に目されている側がやりすぎたんじゃないか、度を越している、遅かれ早かれ問題にされるのはやむをえない、むしろ当然だ、という感じ。
わかりやすいのはクロマグロのほうだ。世界の漁獲量の8割を日本が消費していると聞くと驚くし、乱獲のせいで絶滅が危惧されているとなると恥ずかしくて申し訳ない気持になる。ドーハでの会議では日本の主張が大差で「勝った」けれど、個人的には負けてもいいんじゃないかと思っていた。専門家の中にも「ワシントン条約の勝者は中国とリビアで、敗者は日本と持続的漁業」だという人もいて、私は大いに納得した。

「青少年育成条例」問題も結局のところは限りある資源の収奪がまずいのである。
この場合の資源とは、「不健全な」あれこれの存在をお目こぼししてくれる世間様とか「善良な市民」の寛容さだ。なにしろ渡る世間は鬼ばかりだし、いかに心の広い人でも寛容の井戸は無限ではない。
どれほど「不健全な」作品であってもそれは表現の自由だ、お目こぼしだの何だの恩に着せられるいわれは無い、と怒る人もいるだろう。まことに正論だ。だが、往々にしてご立派な正論が通らないのが人間社会であり、日本という国である。政治的な成果を得たければ、理屈よりも現実を見て運動しなければうまく行かないどころかかえって逆効果になりかねない。
ちなみに、この場合の「善良な市民」とは、ロリコン・ペドフィリア系二次元表現物を見て本気で怒ったり心配する人たち、具体的には小さな子供をもつ両親や祖父母、教育関係者といったあたりをイメージしている。私自身は二次元ロリペドは嫌いだけど怒りはしないし、子供はいないし、教師でもないから自分を(規制論議における)「善良な市民」とは思っていない。ちなみに、二次元エロもロリペドも興味ないが、一般的なエロ(ヌードやAV)は好物である。
ネット上で盛んな「表現規制反対運動」がどういう結果になるかわからないが、仮に勝ったとしても、ドーハで「大勝利」した日本のように、かえって資源保護に重い責任を負わされることになる。これまでどおり乱獲を続けることはできないし、無理に続ければかえって業界全体の破滅という結果を招くだろう。

ところで、規制反対論のなかに「(条文があいまいだから)ドラえもんが規制されることになりかねない」という意見が見られるけれど、そのたびになんとも微妙な気持になる。言ってる人はたぶん本気で心配していて、一般人へのインパクト抜群だと思っているのだろうが、なんだかなあ…。この微妙さが何かに似ていると思ったら、皇位継承問題で男系維持派(私もその一人なのだが)の一部が好む「Y染色体論」なのだった。
はっきり言ってしまうと、どちらも「同志」だけに通じる特殊な感覚であって、一般人へのアピールとしてはゼロ、それどころかマイナスの効果のほうが大きい。感心されたり同意を得るよりも失笑されることのほうがずっと多いはずだ。
「Y染色体論」はとりあえず置いといて、「ドラえもん規制対象論」について言えば、実際にそのような(ドラえもんを規制すべきだ)主張がそれなりの力を持って存在していることを示せなければ、「極論」「ためにする主張」とみなされてかえって反対派の信用を損なう。雲ひとつない晴天の日に「雷が怖い」と震えてみせるようなものだ。心配性だなと笑ってもらえればまだしも、「この人おかしいんじゃないか」と思われかねない。
雷(表現規制)の恐怖を訴えたければ、それなりに雲が出ている(不健全な要素が認められる作品への規制)場合でないとまともに聞いてもらえない。私が思うところの一般常識からすればドラえもんは間違いなく健全で雲ひとつない青空だ。雷の危険性を訴えて恐怖をあおりたければ、実際に雷が落ちそうな入道雲(規制の対象になりうる不健全さ)を示すべきだ。
二次元エロ規制論における「入道雲」が何に当たるのかよくわからないけれど、非オタクの一般人に理解してもらえる範囲だと耽美的な少女漫画の名作(竹宮惠子とか萩尾望都とか)あたりだろうか。「ドラえもんが」というより「中学生高校生が『風と木の詩』が読めなくなるかも」と言うほうがよほどリアリティがある。


参考
 Homura's R Comics Blog: 表現の自由を守る為に
 規制反対運動をしながら、どんどん敵を増やしてる人たち

城内議員の「信念」

2010年03月05日 | 政治・外交
城内議員ブログの炎上は、去年の「眞鍋かおりポスター事件」をなぞるような形で続いている。
「つくづく懲りない人だ」と、呆れるのを通り越して感心してしまう。
城内議員があの調子でブログを続ける限り、無用に読者を怒らせて何度でも炎上騒ぎを繰り返すことだろう。

今回の炎上は「浅田選手の記事を書いたため」と呼ばれることが多いが、実際は3つの原因が合わさって大火事になった。ホップ・ステップ・ジャンプで事故自己記録更新だ。おめでとう城内選手。

ステップ1 浅田選手とキム選手の記事
ステップ2 スピードスケート女子団体追い抜き(チームパシュート)の記事
ステップ3 上の2記事が炎上したのを受けてのコメント

個人的には「ステップ2」つまりチームパシュートの獲得した銀メダルを「つめの甘さやちょっとしたミス」呼ばわりし「勝たなければしょうがない」と切り捨てたのがいちばんひどいと思う。傲慢というか勘違い野郎というか精神力馬鹿というか何というか。目の前でそんなことを言われたら「お前、何様のつもりだ!?思い上がるな!!」と激怒しそうだ。百分の一秒を競うトップアスリートに対して無礼千万である。

「ステップ1」、女子フィギュアの採点問題についてはあまり言いたくない。というか、私には言う資格がない。
ショートプログラムとエキシビジョンで浅田選手の演技は見たけれど、肝心のフリーはダイジェストでしか見ていない。なぜかといえば、先に結果を知ってしまって「真央ちゃんの涙を見るのは辛いな…」と思ったからだ。なんとも意気地がない。録画はしてあるので、そのうちにちゃんと見るつもりだけれど。たぶん半年後くらいに(やっぱり意気地がない)。
金メダルを獲得したキム選手についてはまともに見ていない。実を言えば、私はキム選手が嫌いなのだ。4年前に初めて知ったときは「浅田選手のいいライバルだな、競い合って技を磨いてほしい」と好感を持ったものだが、何年かして「練習妨害」アピール「安藤選手を減点しろ」アピールの話を聞いてがっかりした。いくら強くてもこういう選手を好きにはなれない。F1でシューマッハーを尊敬はしても応援する気になれないのと同じだ。
フィギュアファンのブログや2ちゃんねるなどを見ると、浅田・キム両選手の問題に限らずフィギュアスケートの採点について疑問と怒りがくすぶっている。私には多くの説明や推理のどれが正しいのか判断できないけれど、不明瞭なルールとジャッジのために選手とファンが振り回されるのは残念なことだと思う。
城内ブログに長文コメントを寄せているのはフィギュアファンが多いが、いささか陰謀論めいた韓国批判・キム選手批判が気になる。それこそ城内議員の「ステップ3」での逆切れを正当化しかねない。浅田選手の立派さ、演技の素晴らしさを語るのはいいがライバル批判はほどほどに。

「ステップ3」で城内議員は寄せられたコメントを「言葉尻をとらえての罵詈雑言のオンパレード」と切り捨て、真面目にフィギュア界の現状を説明し忠告した人たちを怒らせた。それよりなにより、城内議員を「保守政治家」と信じて応援してきた人たちを失望させたのは「私が命がけで反対した左派勢力推進の人権擁護法案(インターネット規制法案)の是非について真剣に再考してみたいと思った次第です。」という言葉だった。「ブログに批判コメントを書かれたくらいで『命がけで反対した』信念を曲げるのか」と怒る人の気持は理解できる。
私自身はと言えば、城内議員の器の小ささは前から知っているし、人権擁護法案には特に反対しない(推進派というわけでもないが)立場なので、単純に「何やってるんだか」と軽蔑するだけである。


さて、今年最大級のブログ炎上におそれをなしたのか、はたまた支援者から「いい加減にしろ」と叱られたのか、城内議員は謝罪記事とコメントを出した。

☆お知らせ☆ ブログでの発言について « 城内実のとことん信念ブログ
 2月27日の記事以来、皆様には貴重なご意見やお叱りをいただき、ありがとうございます。
 私のブログでのいくつかの発言が誤解を招くものであったこと、また、多くの方の気持ちを逆撫でするものであったことを認め、この場でお詫びするとともに、重ねて私の真意をお伝えしたいと思います。

城内議員が「浅田選手記事」で謝罪 「多くの人の気持ち逆撫でした」 : J-CASTニュース

なんともかんとも、形だけは整っているが真情の伝わらない薄っぺらな文章である。
私がひっかかったのは、ブログ読者の「気持を逆撫でした」ことを謝罪しているが「大敗」呼ばわりされた浅田選手と「つめの甘さやちょっとしたミス」で金メダルを逃したと貶められたチームパシュートへのお詫びがないことだ。これではかえって各選手のファンが怒りを募らせるだろう。「ステップ3」で人権擁護法案反対を見直し云々と口走ったことへの明確な反省もない。
眞鍋ポスター事件のときの説明謝罪(?)もそうだが、城内氏の対応は「遅すぎ」「身勝手」「ピント外れ」の三拍子がそろっていてかえって傷口を広げる。これが彼の持ち味なのだろう(嫌な持ち味だな)。

謝罪記事はまだいいとして、J-CASTのコメントにも新たな火種が転がっている。

城内議員はJ-CASTニュースの取材に対し、「私も浅田選手のファンであり、金メダルを取れなかったことが非常に残念だったことであのような冷静さを欠いた文章になった」と語った。
(中略) 
ただ、浅田選手の努力は認めるが銀メダルは銀メダル。「完敗」を認める事は重要で、「ルールのせいとか、置かれている環境のせい、など責任逃れをするような議論はよろしくない。全ては本人の努力と結果」と語る。

なるほど、浅田選手とチームパシュートに謝らないのはミスではなくて城内氏の信念によるものだったか。それなら腑に落ちる。ぜんぜん共感も支持もしないけれど。
怒るのもバカらしくなったので簡単に指摘するが、「ルールのせいとか、置かれている環境のせい、など責任逃れをするような議論はよろしくない。全ては本人の努力と結果」という言葉にはまことに驚いた。たしか城内議員は新自由主義(ネオリベラリズム)に反対する保守政治家を名乗っていたはずである。

◎ 政 治 ◎ 新自由主義経済の終焉   « 城内実のとことん信念ブログ

だが私には「全ては本人の努力と結果」という言葉こそまさにネオリベ的だとしか思えない。リバタリアンと言えばいいのか、自由主義の中でもかなりラジカルな部類だろう。私は特に反ネオリベでもネオリベ支持でもないのだが(正直言って経済のことはよくわからない)、反ネオリベを称する「とことん信念を貫く保守政治家」がホリエモンの言いそうなセリフを語って平然としているのを見るとさすがに呆れてしまう。もし私が筋金入りの反・新自由主義だとしたらこう言うだろう。

「何がなんでもルールに従え、というのはルールを作った強者の横暴を認めることになる。ルールは公平で多くの人が納得するものであるべきだ。環境に恵まれた人とそうでない人の間に極端な差が生まれるのは不公平だ。『全ては本人の努力と結果』というのは自己責任教で、政治と社会の責任を個人に押し付けているだけだ」

さて、城内氏のコメントとどちらが反ネオリベ的だろうか?

メダリストを貶める城内議員

2010年03月03日 | ネット・ブログ論
城内議員のブログがまた炎上している。
そう、「また」である。

城内実のとことん信念ブログ
 ◇ コ ラ ム ◇ 浅田真央さんの銀メダル
 ◇ コ ラ ム ◇ 最後の金メダル逃す
 ☆お知らせ☆ 文部科学委員会で質問

なんとも懲りないお人だ。
私の知るだけでも、国政法改正に反対してレイシストまがいの記事を書いたとき、そして眞鍋かをりさんの写真を勝手にポスターに使用した事件(関連記事 12345)にブログを炎上させている。
こうなると、ネットの経験が足りないとか文章力の問題というよりも城内議員その人の性格が原因としか思えない。

私の見るところ、今回の炎上の根本的な原因は眞鍋ポスター事件と同じだ。
城内議員に他者への敬意が決定的に欠けていることが読者を怒らせた。そして、城内氏の「信念」と称する頑固さ、傷つきやすく過ちを認められない自尊心が火に油を注いだ。
眞鍋ポスター事件のときは、「政治に関わるつもりはない、ポスターに私の顔を使うのはやめてください」と明言した眞鍋さんの意向を踏みにじり「事務所と契約したんだからタレントの気持なんてどうでもいい」的な傲慢な対応をして顰蹙を買った。しかもその契約さえもが仲介者の手違いで実際には成立していなかったのだから呆れる。城内氏は最後までまともに自分の非を認めず、コメント欄では城内氏の狂信的支持者が陰謀論を持ち出して煽り、なんともかんとも情けない限りであった。
今回も城内氏にはフィギュアスケートの浅田選手や団体パシュート(スケート)の田畑選手・穂積選手・小平選手への敬意はかけらも見えない。

私は日本をこよなく愛する者であるが、韓国のキム・ヨナ選手がどうみてもだんとつであった。悔しいがとなりの韓国にわが日本は完敗した。僅差やどんぐりのせいくらべの金と銀ではない。大差の金と銀であった。
 浅田真央さんも安藤美姫さんも鈴木昭子(間違えました明子さんでしたね)さんも良くがんばった。
 しかし、キム・ヨナ選手は四年前から金メダルをとるためにカナダに移住し練習に練習を重ねたとのこと。その執念たるやコーチの方はじめ韓国の国をあげての努力はさすがである。それがすべての演技にあらわれていた。しろうとの私が見ても顔の表情も含めて文句のつけようのない完璧な演技であった。
 だんとつの圧勝というのもあれこれ文句のつけようんがないから気持ちがいいものだ。私の選挙もこれからもそうでありたい。
 在日外国人の地方参政権問題、竹島の領土問題などに関しては、お隣の韓国に譲歩することはできないが、今回は心から韓国のみなさんにおめでとうございます、さすがです日本は完敗しましたと言いたい。

◇ コ ラ ム ◇ 浅田真央さんの銀メダル « 城内実のとことん信念ブログ


城内氏がキム選手の演技を「だんとつ」と感じたのは個人の価値観だからとやかく言うまい。それでも私は「この人は高い値札が付いていれば安物でも気付かずに絶賛するタイプだろうな」と思ってしまった。ちなみに、三島由紀夫も「A店のほうがB店より美味い、なぜならA店のほうがB店より値段が高いから」とのたまって聞くものを呆れさせたとか。
言うまでもなく、鈴木明子選手の名前を間違えたのは失礼なことだ。しかも訂正の仕方がふざけている。コメント欄でも「木内さん(間違えました城内さんでしたね)」とやられているが自業自得だ。
「しろうとの私が見ても顔の表情も含めて文句のつけようのない完璧な演技であった。」というのは妙な文章である。素人ならそこそこの物を見せられてもどこが足りないのか気付かないものだ。「残念ながら浅田選手には素人でもわかる大きなミスがあった」と惜しむならまだわかるが、「キム選手の演技は素人が見ても文句の付けようがない」とほめるのは馬鹿げている。
いちばんひどいのは、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」という本来のオリンピック精神を踏みにじって「韓国勝った、日本は負けた」とはしゃいで(妙な表現だが他に言いようがない)いることだ。浅田選手の血のにじむような努力、誰もが頭の下がるような精神力の強さなどはまったく目に入らないようである。

 バンクーバーオリンピックのスピードスケート女子パシュートは、日独の決勝戦となり、0.02秒差で日本が銀となってしまった(ドイツではmit kaum sichtbaren Vorsprung von zwei Hundertstel Sekunden(目視では全く分からない100分の2秒差のぎりぎりの僅差での勝利)と表現されていたらしい)。
 私の外務省のドイツ語の先輩が、「ドイツ人と日本人の金メダルへの執念の差を見たような気がする。」と指摘されておられたが、全く同感である。つめの甘さやちょっとしたミスは命とりである。
 私の前回選挙のように浅田真央選手が4年後のオリンピックで金メダルをとること、そしてわずか0.02秒差で金メダルをのがした日本勢が次回に0.02秒差であろうと金メダルをとることを期待している。
 オリンピックのルールがどうのこうのと言う前に、勝たなければしょうがないのである。水面下で国際オリンピック協会に日本人に不利なルール変更については適時適切に申し入れすると同時に、日本選手が精神面でも強くなって欲しいと思った次第である。

◇ コ ラ ム ◇ 最後の金メダル逃す « 城内実のとことん信念ブログ


こういう手合いは遠慮なく「金メダルの亡者」と蔑んでやりたい。
いったい何様のつもりで「つめの甘さやちょっとしたミスは命とりである。」などと偉そうに説教するのか。賭けてもいいが、城内氏は準決勝進出のニュースまで「団体パシュート」の存在さえ知らないような素人のはずだ。フィギュアスケートの記事もそうだが、城内氏の「素人の訳知り顔」はワイドショーの最低ランクのコメンテーター並だ。名前を挙げれば勝谷誠彦とかやくみつるの同類である。
「オリンピックのルールがどうのこうのと言う前に、勝たなければしょうがないのである。」というのもひどい。中小企業の社長が言えば苦笑するだけだが、城内氏はルール(法律)を作って国民に守ってもらう立場ではないか。勝利至上主義といえばまだしも聞こえがいいが、「敗者はクズだ、負け犬だ、存在価値なし」というのと表裏一体である。
たぶん城内氏は自分の選挙経験から「なにがなんでも金メダル」「一位以外は負けと同じで無意味」と思い込んでいるのだろうが、オリンピック競技は「定数1の小選挙区」ではない。表彰台は定数3、入賞なら定数8だ。もちろん入賞者は称えられるし、ましてメダルを取れば大威張りできる(実際に威張るとみっともないけれど)。世界で二位を勝ち取った偉大なアスリートたちが、衆議院の定数480人のうちの一人でしかない国会議員ごときにケチをつけられる筋合いはない。


 今回大勢のみなさまからコメントをいただきました。ありがとうございます。参考にさせていただきました。
 しかしまあなんという言葉尻をとらえての罵詈雑言のオンパレード。人のブログのコメント欄に書きたいほうだい。いやあ驚いた。
 いつから日本人はこれほど礼儀知らずになったのだろうか。人を批判するならコメント欄には実名で書いて欲しいものです。昔の日本であったら、近所のおじさんから、「こら、ふざけるな。卑怯者名をなのれ。」と一喝されるでしょうね。
 本当にインターネットの世界の誹謗中傷や某勢力の工作はこわいですね(真実がどうか分かりませんがある方から連絡があり某極左レイシストなどが2ちゃんねるなどに城内実へのいやがらせで一般のネット右翼をはじめとするインターネットユーザーに対して工作をしたとのこと。)。
 私が命がけで反対した左派勢力推進の人権擁護法案(インターネット規制法案)の是非について真剣に再考してみたいと思った次第です。私は今回のことで多少不快に感じたくらいですが、インターネットであることないこと誹謗中傷されて真剣に悩まれている方の人権は守るべきだと思いました。
 反日日本人の分断工作にのっかる人も結構いるのですね。まあしかたありませんが・・・・。

☆お知らせ☆ 文部科学委員会で質問 « 城内実のとことん信念ブログ


もはや何をかいわんや。逆切れ、上から目線、嫌味たらたら、そして陰謀論のフルコースだ。
まともな人間がブログ炎上を鎮めようと思ったら間違ってもこんな文章は書かないだろう。
とすれば、「城内氏がまともでない」あるいは「城内氏は炎上を楽しみ、煽っている」のどちらかになる。どちらなのかは読者の判断にお任せしたい。