玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「日本のチベット」

2010年02月23日 | 日々思うことなど
私は基本的に政治家の失言問題には寛容なので、この件も「謝罪して終わりにすればそれでいい」と思う。

民主・石井氏「鳥取、島根は日本のチベット」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 民主党の石井一選挙対策委員長は22日、都内で開かれた川上義博・同党参院議員(鳥取選挙区)のパーティーであいさつし、「鳥取県とか島根県と言ったら、日本のチベットみたいなもので、少し語弊があるかもわからないが、人が住んでいるのか。牛が多いのか。山やら何やらあるけど、人口が少ない所」と述べた。

 川上氏が夏の参院選に向けて鳥取選挙区の候補者を発掘したため、保守地盤の鳥取での活動を評価した発言とみられる。しかし、会場からは「失礼だ」との声もあがった。


ずいぶんつまらないことを言ったものだ。
もしも私の住んでいる地方(中途半端な田舎である)のことをこんな風に言われたら怒る。
とはいえ、鳥取や島根の人たちがこの発言を知ってどう思うのかはよくわからない。もしかしたら過疎地であることをわが県の特質と自認し、恥じるどころか誇りをもっている人が多いのかもしれない。
外部の人間の意見と現にそこに住んでいる人たちの感覚はえてして違うものだ。韓国人が日本をバカにするとき「島国のくせに」という言葉を使うことがある。韓国人にとって「島国呼ばわり」はあからさまな侮辱らしいのだが、言われた日本人のほうは「島国ですがそれが何か?」としか思わない。むしろ「島国と呼ばれて日本人が恥じ入ると思ってるのか、それこそ『半島根性』だね」と笑ったりする。
あるいは、かつてタモリが「名古屋人はエビフライをエビフリャーと呼び、一番のごちそうと信じている」などとネタにしていたとき(80年代のことだ)、どこよりも受けたのが当の名古屋の若者だったという。もちろんバカにされたと怒るマジメな人も多かったが、「よくぞネタにしてくれた」と喜ぶ人もいて、決して反発ばかりではなかった。

私が嫌な感じを受けたのは、この発言が「都内で開かれたパーティー」で行われたことだ。都会人が地方の住人をバカにして陰口を言っているようでいかにも差別的に見える。これが現地で、つまり鳥取市とか松江市で言い、地元住民にジョークとして受け入れられたなら他地域の人間がとやかく言うことではないのだが。


さて、失言の後始末がどうなるかはともかく、私が気になったのは「日本のチベット」という言葉だ。
「ひどいことを言いやがる」と思ったのではなく「アナクロな表現だなあ」「ずいぶん古い言葉を聞いた」とちょっと驚いた。
はてなブックマークの反応を見ると「日本のチベット」という表現を初めて知った人が多いようだが、昔は僻地・田舎にかぶせられる決まり文句としてよく使われていた。岩手県を描いた1955年のドキュメンタリー映画に「カメラルポ 脚光あびる日本のチベット 岩手三陸」という題名が付けられたのがはじまりらしい。私が子供のころの岩手県の印象は「日本のチベット・リアス式海岸・三陸大津波」で、それこそとんでもない田舎とばかり思っていた。東北新幹線ができる前の話である。
「日本のチベット」という表現は子供でさえ知っていた慣用句であり、石井氏がひねり出した新らしい表現ではない。たぶん、というかほぼ間違いなく石井氏は「田舎の枕詞といえば『日本のチベット』だろう」という程度の安易な気持で使ったに違いない。
「ことさらチベットを持ち出すのは底意がある」「中国に支配されたチベットの状況を踏まえて言ったのか」などと深読みする必要はない。とはいえ、放送禁止用語でもありアナクロなのは間違いなく、痛くもない(?)腹を探られる羽目になった石井氏の「日本のチベット」発言がろくでもない代物なのは確かだ。

国母選手批判とオリンピック精神

2010年02月20日 | 日々思うことなど
バンクーバーオリンピックの男子スノーボード・ハーフパイプで国母選手が8位に入賞した。
本気でメダルを狙っていた国母選手は悔しいだろうが、誰に恥じることもない立派な成績である。心からおめでとうと申し上げる。
私はF1レースが好きなので日本人選手の成績をつい比べてしまう、F1では中嶋悟からはじまって日本人選手が20年以上フル参戦し、延べ数百レース走っても表彰台に上ったのは2回だけだ。「世界で三位以内に入る」のはそれほどまでに難しい。国母選手だけでなく、8位以内に入賞した選手は大いに胸を張って帰国していい。

さて、国母選手といえば競技よりもファッションセンスや記者会見での態度のほうが話題になった人である。有体に言えば「話題になった」というよりもバッシングを受けた。私自身はというと、正直言って腰パンはだらしなくて嫌いだし、「謝罪」会見で「不遜な」態度を見せてかえって批判を広げたのはまずかったと思う。身近に国母選手のような若者がいたら仲良くできる自信はない。
だが、彼を強く批判する人たちのほうもなんだか変である。眉をひそめるのはともかく、罵倒やら呪いをぶつけるのはいただけない。中にはオリンピック精神を踏みにじるようなことを言う人までいて、あなたたちのほうが場違いで無礼じゃないか、とさえ思ってしまう。


【主張】五輪とマナー 国の誇りを背負う自覚を (1/2ページ) - バンクーバー冬季五輪 - MSN産経ニュース
 バンクーバー冬季五輪のスノーボード男子ハーフパイプで8位に入賞した国母(こくぼ)和宏選手(21)には、複雑な思いを抱いた人も少なくないのではないか。

 国母選手は日本選手団の公式ウエアのズボンをずり下げる「腰パン」スタイルや謝罪会見での反抗的な態度で厳しい批判を浴びた。橋本聖子団長が諭し、「結果を出すことでおわびを」と出場させた経緯がある。

 試合後、服装問題の影響を聞かれた国母選手は「全くない。気にしていたらやっていられない」と語った。批判を真摯(しんし)に受けとめたとは言い難いと、あえて苦言を呈したい。

 1998年の長野大会から冬季五輪の正式種目となったハーフパイプは若者の人気を集める競技だ。円筒を半分に割って横に倒した形状の雪面をブランコのように往復し、両側の壁の頂上付近や空中にいる間に様々(さまざま)な技を競う。

 冬季五輪への関心を高めた貢献の半面、五輪を必ずしも最高の舞台とはしない独特の競技風土もあるようだ。国母選手は謝罪会見で「自分にとって五輪は特別なものではない」と発言していた。

 「腰パン」発祥の地とされる米国では、公序良俗を乱すとして罰金や禁固刑を科す規制条例を施行する市がある一方で、条例は表現の自由を保障した憲法に反するとの裁判所の判決も出ている。

 腰パンとハーフパイプが結びつくスポーツ文化があってもいい。私的な場での自己表現なら腰パンの自由も許されよう。

 しかし、謝罪会見で「反省してまーす」と語尾をのばす発言をしたり、舌打ちしたりした国母選手は明らかに五輪代表選手としての思慮と品格を欠いていた。若いスター選手をたしなめる関係者がいなかったのも問題だ。

 五輪を拒否するのは自由だ。しかし、参加していながら五輪精神を無視したり、冒涜(ぼうとく)したりする言動は許されない。

 「スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見いだされる喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である」(オリンピック憲章)

 腰パン騒動は、国母選手だけでなく、国の誇りを背負うすべての代表選手、さらにはテレビの前の国民にも五輪精神について考える機会を与えたと受けとめたい。


はっきりいってひどい駄文だと思うけれど、国保選手のファッションや礼儀知らずを批判するのは勝手だ。だが、都合よくオリンピック精神をつまみ食いするのは感心しない。他人がオリンピック選手に「国の誇り」を背負わせようとするのはそれこそオリンピック精神にそぐわない。


オリンピック憲章(pdf

オリンピズムの根本原則

1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意思と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。

2. オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることである。その目的は、人間の尊厳維持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。(p10)

オリンピック・ムーブメントとその活動
 6 オリンピック競技大会
  1.オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。(p17)

「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」と明記されている。もちろん、「オリンピック選手は国の誇りを背負っていることを自覚せよ」などとはどこにも書かれていない。オリンピック精神とナショナリズムの強制は水と油で、本来は交じり合わない。
もちろんこれは憲法9条のような理想主義で、実際のところどの国でも純粋に「スポーツの祭典」としてオリンピックを楽しむ人よりも「自国選手の活躍」を期待してテレビ中継を見る人のほうが多いだろう。オリンピック精神とナショナリズムは本来は水と油だが、フレンチドレッシングのように激しく攪拌されて交じり合っている。だがそれはそれぞれの成分が細かい水滴に分かれただけで、化学的に融合したわけではない。


かつての冷戦時代、1980年のモスクワオリンピックでは日本を含む西側諸国の多くが参加をボイコットした。アフガン侵攻への抗議のためだ。その仕返しに、1984年のロサンゼルスオリンピックではソ連を初めとする東側諸国が参加しなかった。世界中で涙を飲んだ選手が大勢いて、スポーツの祭典にとっては暗い時代だった。
そのころは「オリンピックとナショナリズム」について大いに論じられたものである。ナチスドイツの主催したベルリン五輪を引き合いに出して「オリンピックが侵略国家の飾りに使われていいのか」と怒る人、「いや、そういうナショナリズムとは別の次元でスポーツの祭典を行うのが平和のためだ」と反論する人、どちらも真剣に自らの価値観を語っていた。私は子供で難しい話はよくわからなかったが、「そうか、オリンピックって単なる国別対抗運動会じゃないんだな」という印象が強く刻み付けられた。


モスクワ五輪やロサンゼルス五輪でのボイコット議論と比べると、国保選手の腰パン事件や彼に向けられた批判はまことに軽い。それこそワイドショーレベルの話題である。茶飲み話として適当に消費するならかまわないが、「国の誇り」だのなんだの大上段から演説されるのはうんざりだ。
国母選手を嫌うのもバカにするのも勝手だが、「国の誇りがどうのこうの」という批判は「鶏を裂くに牛刀を以ってする」たぐいで大げさすぎて滑稽だし、クーベルタン男爵の理想、非ナショナリズム(反ナショナリズムではないにせよ)のオリンピック精神にもそぐわない。どうしてもオリンピック精神を持ち出して国母選手を批判するなら「スポーツマンとしてふさわしくない態度だ」と言ったほうがずっといい。

朝青龍とデーモン閣下と内館牧子氏

2010年02月06日 | 日々思うことなど
朝青龍の引退は残念だ。
だが一般人に暴力を振るったのなら、これまでの行状と合わせて引退に追い込まれても仕方ない。
でもやっぱり残念だ。とにかく強くて愛嬌もあって小憎らしくて、自分にとってはいい横綱だった。
だが暴力沙汰は「品格」騒ぎとは違って明らかに一線を越えている。
それでもやっぱり残念でならない。「大草原の少年」はコンクリートジャングルには住めなかったのか。

好角家のデーモン閣下も朝青龍の引退を惜しんでおられる。
世を忍ぶ仮の子供時代から輪島の大ファンで、北尾(双羽黒)がプロレスデビューしたとき入場テーマ曲を作ってあげた閣下は横綱に品格を求めつつ規格外の暴れん坊を受け入れる懐の深さをお持ちだ。

デーモン閣下の地獄のWEB ROCK: Feb.05.DC12:朝青龍引退。
朝青龍の引退発表を聞いて、吾輩の率直な感想は「実に残念な結果になったな」というものである。理由は、これだけの『スター選手』が、まだまだ第一人者の力がありながら、体力気力の限界とは別の理由で引退しなければならないという点につきる。

いまさらになるが、今回の「知人に暴行をはたらいたとされる」騒動を受けてのおとしまえのつけかたは、吾輩は「減俸」および「執行猶予つき引退勧告」という処分が適当ではないかと思っていた。つまり「次に何か問題を起こしたら、どんなに些細なことでも即刻引退させるぞ」という内容だ。最後通告を受けたあとの朝青龍がどのように心を入れ替えて「横綱」に向き合ってゆくのか、見てみたかった。若いころに怖いもの知らずでやってきた力士が、年輪を重ね痛みや弱さを知り、円熟し風格を備えてゆく様を見るのも、一つの相撲の醍醐味であるから。


はてなブックマークでも閣下の相撲愛と見識に感嘆する声が多い。

はてなブックマーク - デーモン閣下の地獄のWEB ROCK: Feb.05.DC12:朝青龍引退。



さて、元横綱審議委員の内館牧子氏も朝青龍の引退についてコメントを出している。
「天敵」とも呼ばれた人だけに、引退に追い込んだのを勝ち誇るような見苦しいものじゃないかと危ぶんだ(期待した?)のだが、意外にも抑制の効いたコメントだったので私は「なかなかやるな」とちょっとだけ感心した。だがなぜかはてなブックマークではたいへん顰蹙を買っている。

【朝青龍引退】内舘氏、「日本に敬意欠けていた」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
はてなブックマーク - 【朝青龍引退】内舘氏、「日本に敬意欠けていた」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

私にはずいぶん奇妙な風景に見える。
内館氏の言っていることは、賞賛されているデーモン閣下の意見とそれほど違いがないからだ。

内館氏
今後、日本であれ他の外国であれ、どこかで何かの仕事をなさるでしょうが、その際、その国とその業界、およびその仕事に対し敬意を払うことを忘れないでほしいと思います。朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた。それを持てば、彼のよさがもっとあらわれ、そして評価されると考えています


デーモン閣下
今回の件を見て、外国から来た新弟子には相撲の技術だけではなく日本の文化や美徳を教えることも、やっているのだろうが、今以上にかなりの重きを置いて叩き込む必要があると、強く感じる。


「日本であれ他の外国であれ(略)その国とその業界、およびその仕事に対し敬意を払うことを忘れないでほしい」という内館氏のコメントよりも「外国から来た新弟子には相撲の技術だけではなく日本の文化や美徳を教えることも(略)今以上にかなりの重きを置いて叩き込む必要がある」と語るデーモン閣下のほうがよほど言葉がきつい。なにしろ悪魔だから当たり前だけど。

内館氏のコメントに怒っている人たちは、こう言っては悪いが産経記事の「日本」を強調した見出しに釣られたように見える。実際のコメントを見れば彼女の意図が「日本に敬意を持て」という右翼的な押し付けというより「どの国でも、どの仕事でも敬意を持って行うべきだ」という ごく一般的な他文化尊重と職業倫理であることがわかる。もし内館氏が大リーグの日本人選手に対しても「アメリカに、大リーグに、そして野球という仕事に敬意を持て」というのであれば筋が通っている。実際のところ内館氏が日本人大リーガーについて何か言ったのかどうか知らないけれど。

はっきり言って私は朝青龍を目の敵にして引退に追い込んだ(完全に主観です)内館牧子氏が嫌いだけれど、今回のコメントは批判する気になれない。「日本文化に敬意を持てと押し付けるのはけしからん」と怒る人はデーモン閣下にも怒るべきだし、デーモン閣下の意見に同意した人は内館氏のコメントにもうなずくべきだ。

浮世離れした鳩山氏と不思議な世論

2010年02月01日 | 政治・外交
鳩山総理の説明は信じられないけれど、辞任する必要はない。
今の世論は大体こんなところらしい。

毎日新聞世論調査:石川議員起訴なら、小沢氏「辞任を」76% 内閣支持50% - 毎日jp(毎日新聞)
 毎日新聞は30、31日、全国世論調査を実施した。小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体を巡る事件で元秘書の石川知裕衆院議員が起訴された場合の小沢氏の進退について「辞任すべきだ」との回答が76%に達し、「辞任する必要はない」の18%を大きく上回った。一方、鳩山内閣の支持率は50%で、前回調査(12月19、20日)から5ポイント減ったものの5割台を維持した。偽装献金事件で元秘書が起訴された鳩山由紀夫首相の辞任を求める回答は33%にとどまり小沢氏の問題が支持率を押し下げたとみられる。

 小沢氏の進退については、民主党支持層でも64%が「辞任すべきだ」と回答。「支持政党なし」の無党派層では79%に達した。政治資金規正法違反容疑で逮捕された石川議員は2月4日に拘置期限を迎える予定で、起訴される事態になれば、小沢氏の進退を問う声が民主党内にも広がる可能性がある。

 この事件をめぐり、民主党内には東京地検の捜査を批判する動きもあるが、世論調査では捜査について「適切だ」との回答が71%に上った。鳩山首相が小沢氏に「どうぞ戦ってください」と伝えたり「(石川議員が)起訴されないことを望みたい」と発言したことに対しては「問題だ」が65%を占めた。

 また鳩山首相の資金管理団体の偽装献金事件に関連し、首相は母親からの12億円以上の資金提供について「元秘書がやったことで自分は知らなかった」と説明している。これについて調査では68%が「信じない」と回答。一方、首相が事件の責任を取って「辞任すべきだ」との回答は前回調査より7ポイント減り、鳩山内閣の退陣を求める声は強まっていない。

 ・ 小沢幹事長は辞任すべき
 ・ 検察の捜査は適切
 ・ 民主党が一枚岩で小沢氏を擁護するのは異様
 ・ 鳩山総理の説明は信じられない

いちいちごもっともというか、自分の常識と世間の常識がそれほどずれていないとわかって安心した。
もしも小沢擁護・検察批判が圧倒的だったら自分の頭が変なのか世間がおかしくなったのかと悩んだろう。
ただし、それでも妙なことがある。
鳩山氏の「母親からの12億円以上の資金提供」についての説明が嘘だと思い、小沢幹事長は辞職すべきだと考える多くの人が同時に鳩山内閣の続投を支持している。どういうことなのか全然わからない。

仮に鳩山氏の説明が真実だとしても、「毎月1.500万円の資金提供」を7年間受け続けたのに「まったく気付かなかった、知らなかった」というのはとんでもない大間抜けである。大間抜けでなければ金銭に関する一般的な常識が欠落している。どちらにしてもはなはだしい無能を疑わざるを得ない。世論が推定しているように鳩山氏の説明が嘘であればまさに論外だ。首相辞任どころか議員バッジを外すべきである。

さらに、世論は小沢幹事長の辞任を強く求めている。それ自体はけっこうなことだが、小沢幹事長の独裁的リーダーシップに頼りきった鳩山総理が小沢氏を失って(あるいは自ら切り捨てて)まともに政権を運営し党をまとめていけるとは信じられない。エンジンを外した車に「元通り走れ」と期待するようなものだ。もしかしたらエコでグリーンな鳩山政権はハイブリッド車で、「汚い」小沢エンジンを外した後もバッテリーである程度走るのかもしれないが、せいぜい100キロも走れば力尽きるのは目に見えている。

日本国民の多くは「鳩山総理は嘘をついている」「小沢幹事長は辞めるべきだ」と考えているのに、同時に「鳩山政権に期待し、支持している」ということになる。支離滅裂でわけがわからない。
鳩山総理のどこに政治資金問題の「嘘」と小沢問題の失点を補うに足りる手腕や魅力があるのだろうか。私には見当もつかない。誰か教えてください。
あるいは、世論は鳩山氏を信じられないけれど、民主党政権(「せっかく実現した政権交代」)を大事にしたい、だが鳩山氏が投げ出した後で政権を任せたいような人材も民主党内には見当たらない、仕方ないからしばらくは「嘘つきの」鳩山氏を見守って気が済むまで総理をやらせてみよう、そのうちなんとかなるだろう、ということなのだろうか。
なんだかバカ親が成績も素行も悪い子供を見て見ぬ振りで甘やかしているようだ。まことにうるわしい「友愛」の景色である。