当ブログでも三回ほど取り上げた(1・2・3)「当て逃げ動画事件」がどうやら解決しそうだ。
J-CAST ニュース : 「当て逃げ」動画騒動 「車所有者」がついに書類送検
当て逃げ犯が明らかになり事件が解決するのはたいへん結構なことである。
だが正直なところ事件そのものより周辺の騒ぎが気になって素直に喜べない。
事件周辺の問題についてはApemanさんとbuyobuyoさんが懸念している。
Apes! Not Monkeys!
リンチと化す“祭り”(追記あり)
捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
例の自動車当て逃げ事件の件
例の当て逃げの件、その2
例の当て逃げの件、その3
こんなくだらないことに社会リソースを使いすぎって思わないのか?
お二人の意見に基本的に同意する。
動画を見た人たちが「当て逃げは犯罪だ、許せない」と思うのは当然だ。警察の怠慢に怒るのも理解できる。
だが、「それなら自分たちで『正義の裁き』を下してやる」というのは間違っている。
加害車両所有者(容疑者)の勤務先にしつこく電話をしたり、周辺をうろつきまわって写真を撮ったり、家の近所に嫌がらせのようなポスターを貼ったり、個人情報を二次頒布したりといった「スネーク」たちの行為は私には当て逃げより陰湿でおぞましいものに感じられる。
アメリカの西部開拓時代じゃあるまいし、世界でもっとも治安のいい国の一つであるこの日本で私刑を正当化することはできない。
そういうと「祭り」容認派から「真面目に捜査しない警察が悪い」「悪い奴を懲らしめるのに警察も私人もあるか」と批判されそうだが、もう少し先のことまで考えてほしい。
今回の事件では被害者が動画を撮影していたことによりネット住民の心を動かして多くの「援軍」を得ることができたが、こんなことはごくまれな事例である。理不尽な被害に遭い、加害者の目星は付いているのに警察や裁判所が思うような結果を出してくれず悶々としている人たちのほとんどは「当て逃げ動画」のように強力なプレゼン素材を持っていない。2ちゃんねるでスレッドを立てても同情はされるだろうが大規模な「祭り」を起こすのは難しい。
そこへ「当て逃げ動画事件解決へ」のニュースである。一部の人には私的制裁が特効薬のように感じられるだろう。「こんなに効果があるのなら…」と思い、私的制裁行為への抵抗感が薄らぐのはありそうなことだ。
被害者が加害者に直接復讐しようとするのはまだしも(もちろん容認しているわけではない)、私が恐れているのは私的制裁を望むニーズに暴力団が応えることである。なにしろ彼らは荒っぽいやりかたのプロだ。一般人ができないような脅し・嫌がらせ・暴力を「効率的に」やってくれる。
もちろんその代償は高い。一度かかわりができるとしつこくたかられる。暴力団を利用したつもりがやがて暴力団に利用される羽目になる。ここでは「暴力団」という言葉を使ったが、不良・チンピラ・チーマー・暴走族・愚連隊(死語かな?)でも同じことだ。
法律執行機関が動かないからといって自分たちで何とかしようとすると「法律外(アウトロー)の力」を借りることになりかねない。「無能な警察に代わって自分たちの手で正義を」という方法論に共鳴する人たちは果たしてそこまで覚悟しているのだろうか?
「当て逃げ動画」に煽られた人たちは軽率なだけだとしても、「当て逃げ動画」を最初に公開した人(被害者)のやりかたは大きな問題をはらんでいる。彼のやりたかったことはいったい何なのか。
私は被害者本人でも知人でもないので、実際のところ彼がどういう考えで動画を公開したのか知らない。だが、どうしても気になるのは犯行車両のナンバーを隠さなかったことだ。ナンバーにモザイク処理(あるいはベタ塗り)しなかった理由はなんだろう?技術がなかったのか?車中ではRAIDの話をしてるのだから、コンピューターに関してそれなりの知識と能力があるはずだ。
私には被害者が警察批判よりも私的制裁を望んで動画を公開したように思えてならない。もし動画公開の主目的が「容疑者への私的制裁」であるのなら、被害者の行為に共感するのは難しい。
私が認められるのは「警察批判のための映像公開」までだ。ナンバーにモザイクをかけ、容疑者の個人情報を隠した上で徹底的に「警察の怠慢」を糾弾するのであれば何の問題もない。被害者がなぜその方法を選ばなかったのか、私には理解できない。
J-CAST ニュース : 「当て逃げ」動画騒動 「車所有者」がついに書類送検
車の「当て逃げ」の映像がユーチューブ上に公開され、インターネット上の掲示板「2ちゃんねる」で大騒動になっていた問題で、加害車両の所有者が書類送検されたことが明らかになった。所有者は当初、事件当時に「車を貸していた」などと弁明、「当て逃げ犯」でないなどと主張していた。
当て逃げ犯が明らかになり事件が解決するのはたいへん結構なことである。
だが正直なところ事件そのものより周辺の騒ぎが気になって素直に喜べない。
事件周辺の問題についてはApemanさんとbuyobuyoさんが懸念している。
Apes! Not Monkeys!
リンチと化す“祭り”(追記あり)
被害者本人が、捜査が進まないことにいらだつのもまあわかる。しかし第三者として考えた場合に、被疑者を逮捕してまで取り調べるのが妥当な事件かと言えばとてもそうは思えない。同様な当て逃げ事件がちょくちょく起こっているであろうことは容易に想像がつくが、たまたま車載カメラの映像が記録されていたという理由で(より重大な被害が発生している事件に割かれるはずであった)リソースをこの事件に投入することが「正義」なのか?
捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
例の自動車当て逃げ事件の件
当て逃げしたバカや、怠慢な警察に怒りを覚えるのは当然だし、被害者を支援する意味で警察を批判するというのも悪くはない。しかし、暇人が自分で捜査まがいなことをする、しかも加害者らしき人間やそいつの勤め先にいやがらせするとかは、これは話が大いに別である。正義の目的だったら、嫌がらせのような卑劣な行為が正当化されるのか?どんな蛆虫だお前ら?
例の当て逃げの件、その2
例の当て逃げの件、その3
こんなくだらないことに社会リソースを使いすぎって思わないのか?
お二人の意見に基本的に同意する。
動画を見た人たちが「当て逃げは犯罪だ、許せない」と思うのは当然だ。警察の怠慢に怒るのも理解できる。
だが、「それなら自分たちで『正義の裁き』を下してやる」というのは間違っている。
加害車両所有者(容疑者)の勤務先にしつこく電話をしたり、周辺をうろつきまわって写真を撮ったり、家の近所に嫌がらせのようなポスターを貼ったり、個人情報を二次頒布したりといった「スネーク」たちの行為は私には当て逃げより陰湿でおぞましいものに感じられる。
アメリカの西部開拓時代じゃあるまいし、世界でもっとも治安のいい国の一つであるこの日本で私刑を正当化することはできない。
そういうと「祭り」容認派から「真面目に捜査しない警察が悪い」「悪い奴を懲らしめるのに警察も私人もあるか」と批判されそうだが、もう少し先のことまで考えてほしい。
今回の事件では被害者が動画を撮影していたことによりネット住民の心を動かして多くの「援軍」を得ることができたが、こんなことはごくまれな事例である。理不尽な被害に遭い、加害者の目星は付いているのに警察や裁判所が思うような結果を出してくれず悶々としている人たちのほとんどは「当て逃げ動画」のように強力なプレゼン素材を持っていない。2ちゃんねるでスレッドを立てても同情はされるだろうが大規模な「祭り」を起こすのは難しい。
そこへ「当て逃げ動画事件解決へ」のニュースである。一部の人には私的制裁が特効薬のように感じられるだろう。「こんなに効果があるのなら…」と思い、私的制裁行為への抵抗感が薄らぐのはありそうなことだ。
被害者が加害者に直接復讐しようとするのはまだしも(もちろん容認しているわけではない)、私が恐れているのは私的制裁を望むニーズに暴力団が応えることである。なにしろ彼らは荒っぽいやりかたのプロだ。一般人ができないような脅し・嫌がらせ・暴力を「効率的に」やってくれる。
もちろんその代償は高い。一度かかわりができるとしつこくたかられる。暴力団を利用したつもりがやがて暴力団に利用される羽目になる。ここでは「暴力団」という言葉を使ったが、不良・チンピラ・チーマー・暴走族・愚連隊(死語かな?)でも同じことだ。
法律執行機関が動かないからといって自分たちで何とかしようとすると「法律外(アウトロー)の力」を借りることになりかねない。「無能な警察に代わって自分たちの手で正義を」という方法論に共鳴する人たちは果たしてそこまで覚悟しているのだろうか?
「当て逃げ動画」に煽られた人たちは軽率なだけだとしても、「当て逃げ動画」を最初に公開した人(被害者)のやりかたは大きな問題をはらんでいる。彼のやりたかったことはいったい何なのか。
私は被害者本人でも知人でもないので、実際のところ彼がどういう考えで動画を公開したのか知らない。だが、どうしても気になるのは犯行車両のナンバーを隠さなかったことだ。ナンバーにモザイク処理(あるいはベタ塗り)しなかった理由はなんだろう?技術がなかったのか?車中ではRAIDの話をしてるのだから、コンピューターに関してそれなりの知識と能力があるはずだ。
私には被害者が警察批判よりも私的制裁を望んで動画を公開したように思えてならない。もし動画公開の主目的が「容疑者への私的制裁」であるのなら、被害者の行為に共感するのは難しい。
私が認められるのは「警察批判のための映像公開」までだ。ナンバーにモザイクをかけ、容疑者の個人情報を隠した上で徹底的に「警察の怠慢」を糾弾するのであれば何の問題もない。被害者がなぜその方法を選ばなかったのか、私には理解できない。
早くて安ければ何でも良いという、どこかの牛丼じゃないんだから・・・
警察が動いてくれない、と言うよりはメディアによって作られた横柄な警察というイメージに被害者自身も振り回されて、警察のごく普通の対応に被害者意識をたくましくしているだけなんじゃないですかね。
結果的に炎上に加担してしまったご自身の所業について、どのように感じられていますか。
玄倉川さんの豊かな想像力をもってすれば、「アジア人なんて」を批判した言葉に共感した右翼などが
彼を攻撃に走るかもしれないという可能性は安易に思いつくはずです。
場合によっては、それが起因となり党員資格を剥奪されてしまう可能性もありえます。
7月28日のエントリ『謎の炎上』について、頭に血が上り「ポリシーに反して」書いたと仰っていましたね。
自らも守れないようなポリシーを他人に適用し、批判する。どれだけ説得力があるでしょうか。
この事件で騒いだ人たちの被害者への感情移入も容疑者への攻撃も警察批判もやたらとお手軽で嘘臭いと感じます。
筒井康隆の「おれに関する噂」そのものです。
>kammさん
私を批判するのに礼儀も前置きも不要です。
「お前の言うことは矛盾している」でも
「お前は卑怯者だ」でも
「お前はネットイナゴだ」でも
何でも自由にどうぞ。
ただし、コメントへの返答を期待されると困ります。
気が向いたときは前回のように長文でお答えしますが、返事を強要されるのは苦手です。
そりゃあお前さんのはらわたは煮えくりかえっているのかもしれないけれど、警察にはもっとやらなきゃいけないことがあるんだっつーの。
じゃあ警察の手を煩わせないためにも自分で復讐するぜ、といわれてしまうと困りますが(^^;
現状、警察批判で動画を公開したとして「くだらないことに社会リソースを使いすぎ」って言われるくらい、警察は当てにならない、被害者泣き寝入りが現状でしょう?
個人じゃ対抗できないし、一般人は宗教的な互助的な団体に所属して集団で身を守るってわけにもいかないですし。
> 「お前の言うことは矛盾している」でも
> 「お前は卑怯者だ」でも
> 「お前はネットイナゴだ」でも
> 何でも自由にどうぞ。
了解しました。批判が目的でないのはご理解ください。
これからも一貫性がないと思われるエントリに対しては疑問を呈します。
玄倉川さんの提言や立ち位置に共感できる部分が多いため、二重基準は非常にもったいない。
被害者と家族や友人が「おれの事件を優先して捜査しろ」と要求するのは自然な感情ですからいいのです。
でも、ネットで知った事件、どこかで毎日のように起きているだろうありふれた事件に過剰に感情移入する人たちは不思議です。娯楽と割り切ってやるのならともかく正義感が暴走するのはおっかないです。
>bywordethさん
検証しやすいという点はそうかもしれません。私だってネットがなければこの騒ぎを知らなかったのですから。
ですが、私は私的制裁を公開し楽しげにやることで「これはアリなんだ」という認識が広まることのほうを恐れます。
「警察は当てにならない」というのは被害者の実感でしょうが、ここ数年「ひき逃げ」の検挙率が三割を切っている(!)のが現状ですから、重大事件以外に手が回らないのもやむを得ないように思います。
>kammさん
私も「自分がダブスタをやるのは問題なし」とは思っておりません。
矛盾したことを書けば批判を受けるのは当然です。
ですが、私は「矛盾しないこと」「批判を受けないこと」を目的にしてはおりません。
なによりも「自分に正直に」「なるべく読者を楽しませるように」書いています。
>でも、ネットで知った事件、どこかで毎日のように起きているだろうありふれた事件に過剰に感情移入する人たちは不思議です。娯楽と割り切ってやるのならともかく正義感が暴走するのはおっかないです。
玄倉川さんが「おっかない」と感じる現象がなければ被害者や家族の声などあっという間に雑音にまぎれてかき消されてしまうでしょうに。当事者にとってはガス抜きにもなりませんよ。「自衛権はあるが軍隊は持てない」という類の詭弁と同じように思えます。
法律は“法を犯したものを罰する”のであって、
別に被害者の敵討ちで捕まえるわけではないですからね。
刑事事件では被害者に賠償がありませんし。
司法官が多忙故に優先順位をつけ、順位の低い案件を有耶無耶にするのは国民感情としては納得いきませんが、
司法官の論理としては自然でしょう。