とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

哀歌第22部 ~種村直樹レイルウェイ・ライター友の会

2010年02月01日 | とのさまの休日
  鉄道愛好者でこの人物の名を知らなければモグリと言われても仕方ないでしょう。すでにほぼ隠居の身とはいえ、かつては汽車旅の第一人者として数多くの作品を残してきました。

  そんな氏のファンクラブともいえる「友の会」が今年1月31日をもって終焉を迎えました。

  かつては拙者も所属し、母体とは別に“支部”という小サークルもあって、それのひとつにも参加してました。そこでは氏をコケにするようなパロディ企画もやってたんですけど、お叱りを受けたことがないどころか、不相応とも思えるご評価をいただいたのは文責がハッキリしていたからなのか、それともまだ大らかな時代だったからなのか。

  会を去る決意をしたのは2003年末のこと。嫁はんも会員で機関誌が2部送られてくる煩わしさもあったのですが、すでに鉄道というか鉄道旅行に対する情熱も冷め始めたことが大きな要因です。

  嫁はんの実家へ行くにも高速バスを使ったり、いつしか他の交通手段の方が楽しくなってます。電車に乗るのも、それはそれで楽しいのですが、どこも画一化されて個性がない。効率一辺倒で新幹線からは個室が消え、複数社にまたがり運行が面倒な長距離列車は減るばかり。お金を出してでも付加価値を求めたいなんて思っても、最初からなければどうしようもない。

  そんなこんなで籍を置く理由がなくなったのです。

  ちなみに拙者の結婚は2002年で、新婚旅行は往復とも鉄道で九州北部を回りました。今思えば鉄道旅行が楽しかった最後の時代だったのかもしれません。またそんな時が復活することを願って止まないのですが。

  氏の作品で最も影響を受けたのは1985年の『国鉄ネットワークを記録する最長片道きっぷの旅』でしょう。(タイトルは鉄道ジャーナル誌連載時)

  佐賀県の竹下町から北海道の鵡川まで、国鉄の鉄道、バス、航路を駆使して組み立てた大旅行は読み応えがあり、拙者が“全JR線”完乗を目指すきっかけとなりました。これも足踏みしてます。計画はあるのですが仕事や“先立つもの”との兼ね合いでなかなか機会がないのです。

  氏が2000年に大病を患って思うような執筆活動ができなくなり、友の会を切り盛りしていた事務局長も高齢のため、会の存続自体も難しくなったのは想像に難くありません。

  しかしそこで知り合った人たちとは今も交友が続いてますし、会が消えたとてそれは変わることがないでしょう。

  そして会で知り合った嫁はんと幸せになることが、せめてもの恩返しでしょか。ゆったりと列車の揺れに身を任せて酒を傾ける。そんな旅がいつまでも続けられるように願いつつ。

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2 Comments

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友の会 (タネ@偽者)
2010-02-13 23:28:22
近年の友の会の活動は、年に数回のおしゃべり会だけでしたからね。大先生がお元気だった頃の様な乗り継ぎも、なくなってしまいました。ここ数年では、会員であるメリットもなかったと思います。
乗り継ぎ (雲葉)
2010-02-14 18:38:57
たとえご老公がお元気でも今じゃプラン自体が組めそうにないかもしれません。

会員であるメリットに乏しいせいか、会員自体も歯が抜けるように減っていたように思います。

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