とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

武蔵小山にて

2010年02月28日 | とのさまの休日
  今日は所用で武蔵小山へ。アーケードの平塚橋側出入口近くの文具店が閉店し、挨拶文が掲示されてました。実家からは近くなかったためあまり利用する機会はなかった店です。

  閉店を惜しんで馴染みの人たちからの寄せ書きがあちこちに見られます。でもこうして惜しんでもらえるだけいいですね。長年の店があっという間になくなって次の店が、なんてのでは唖然とするしかありませんから。

  それにしても今や武蔵小山は飲食店と携帯電話屋とドラッグストアばかり。とはいえかつては洋服屋ばかりでしたから、なんか偏る商店街のような気もします。

追憶 ~小向仲野町「御幸湯」

2010年02月27日 | そのほかのしごと
  初出は2006年5月16日付です。なんとはなしに思い出し、そういえばこのところ広いお風呂もご無沙汰なので入りに行くことにしました。ニャンコにも会えるかな

  電車で小杉へ。国電の改札口には来月開業の品鶴線新駅に備えて横須賀線湘南埼玉ラインの発車案内が準備されてます。(写真

  

  おかげで南武線の案内が陰に隠れて見えなくなってしまいました。なんだか軒を貸して母屋を取られたような恰好です。でも見た感じでは南武線の案内もリニューアルされそうですね。

  さて小杉駅からは川崎市バス川74系統へ。カードケースをまさぐるとマリンカードがまだあり、残額があるので使ってしまいましょう。結果として残額は10円、でもちゃんとカードリーダーを通りました。もうなんというかそれだけで胸がいっぱいです。(笑)

  御幸公園前で降りて目的の銭湯『御幸湯』へ。渋い店構えは変わらず、しかも番台には(カウンターじゃありませんよ)珍しく拙者とそう変わらぬ齢ではないかという女性が座る。コインを入れてハンドルでアームを上下させるマッサージ椅子にバネ式の体重計と、銭湯の“基本”が備わってます。ただ脱衣場が禁煙でないのがちと残念…。

  そこそこお客もいて賑わってます。川崎の銭湯も減っているとはいえ、幸区には13軒、川崎区には35軒が残ってます。以前のように仕事帰りにというわけにはいきませんけど、たまにはどこかへひと浴びといきたいものです。

  汗を流した後は目の前の焼き鳥屋へ、と思ったら今日は休みのよう。また雨になりニャンコの姿もありません。当時の写真を出しておきます。

  

  気を取り直してバス通り方面へ。「商店街」と銘打っているものの開いてる店はスーパーに理髪店に中華料理店が1軒だけと寂しいもの。仕方ないのでそのまま帰ることにしました。

  最後に湯上りに買った飲みものを。名古屋牛乳の「ローヤルトップ」です。懐かしいような初見のような。それだけあれこれご無沙汰ということなのでしょうなぁ…。

  

便所カーリング

2010年02月25日 | とのさまの休日
  五輪ってまだ始まって(終わって)なかったのか…。

  メディアの煽り企画やらがひたすら続いていたため、先月からそんなことを思ってました。

  それはそうとウインタースポーツを見ていて思い出すのは、中学校のトイレでやってた『便所カーリング』ですな。80年代前半も一時期ブームのようになり、テレビなどでも頻繁に紹介されてました。

  用具はもちろんデッキブラシと、ストーンの代わりをなしたのが排水口のフタです。床に水を撒いてフタを滑らせ、ブラシでシャカシャカ。バカバカしいですけどみんなアツくなってました(笑)。

  出身中学ではトイレ掃除はクラスごとの当番制で、大抵の人は嫌がりますけど我々のクラスはそれが楽しみだったので苦になりませんでした。もちろん先生には内緒で、見回りに来てもブラシでゴシゴシやってますから『お!真面目にやってるな』ってなもんで掃除と娯楽を兼ねた一石二鳥です。

  でも“大”の掃除は苦では?と思われそうですけど、それは当時のこと。『学校のトイレでウ○コはしない』という不文律(?)がありましたから。

半年経ちました

2010年02月23日 | 夜のとのさま
  お蔭さまでと申しますか新たな仕事に就いて早半年が過ぎました。

  事情により勤務地を明かすのは控えさせていただきますが、店舗採用ではないため勤務地は一箇所とは限りません。日によって他店への応援に行くこともあります。

  勤務時間は23時から翌9時まで。これはネット等の求人広告に出てますので。夜勤スタッフは年配からヤングながら男ばかり。女性は採らないということはないんでしょうけど(法律のこともありますし)、力仕事があるので、それができないと難しいかもしれません。皆さん親切で気さくな人ばかりのため、楽しい雰囲気の中で働けているのは幸いです。

  勤め始めたころ、えにっきで「そこそこお給金がいい」と書きましたけど、スーパーの夜勤ってコンビニのそれに比べて時給は高めです。小杉に再オープンするデリド武蔵小杉店(今月20日開店)の求人を見たら拙者よりよかったですし。今さら移る気はありませんが。でも今日びそれくらい出さないと集まらないのでしょうか。日曜日の新聞に折り込まれる求人広告を見ても、いつも募集しているスーパーがありますし。消費者の安売り要求に高い人件費と、経営側の苦悩も垣間見えます。

  アウトドアの仕事からインドアの仕事に変わったことで、いつも日焼けしていた手や顔の色が取れてきました。惣菜調理室の残飯狙いか、バックヤードにノラ猫が出没することも。でも純ノラのようで、人影を見ると脱兎のごとく逃げます。

  そんなこんなで元気に働くことができ、このえにっきも続けられております。これからもどうかご贔屓のほどをよろしくお願い申し上げます。

そうだ、浅野、行こう

2010年02月22日 | 横浜市鶴見区/鶴見線ファンクラブ
  今日は午後から思い立って鶴見線に。ワンパターンですけど、鶴見線はいつ乗ってもいいものです。

  浅野駅で降りてニャンコを偵察します。

  

  今日は4匹いますね。ご飯をあげていたおばちゃんがいたので聞くと、今は総勢6匹だそうです。

  
  

  このこはお母さんらしい。そして他の黒のうち2匹が子供とのこと。つまり黒が計4匹います。今日はキジトラに会えませんでした。

  
  目を引いたのが、これでもかというくらいの「禁煙」の掲示。それでも背広姿が掲示をものともせず紫煙を上げてます。おそらく日本語を理解できない人種なのでしょう。携帯吸い殻入れを持っていたとはいえいかがなものか。

  

  電車が来たので海芝浦へ。バリアフリー化工事でスロープを作っているため、そこだけものものしくなっています。

  そういえば今日は“2並び”の日。そこかしこの電鉄が記念キップを売ってますけど、こちらは自然体に海芝浦からの乗車券を買っておきました。

南武線の車内広告で

2010年02月13日 | とのさまの休日
  中原始発の南武線車内で広告に目をやると、広告自体よりも背景に目が行きました。なんだか見覚えがある場所だったのです。

  果たして東急の大岡山駅でした。左手上方の乗り場案内に「旗の台」の文字と、奥には目蒲線(電鉄の呼称は目黒線)のホームドアが見えます。

  東急は沿線を広告や各種撮影の舞台にと積極的に働きかけているようなので、おそらくその一環でしょう。

  意外なもので身近な場所を見ることができると楽しいものです。

旅のDEF

2010年02月08日 | 新聞×読み
  「ABC」にはできない事情がありまして…

  昨日の朝日新聞「声」欄の投書から。投書者は東京都杉並区在住の大学生女子です。

復活願う飛行機内の新聞提供
  1月初め、帰省先の島根県から東京へ戻る際、日本航空機を使った。約1時間20分の空の旅で、楽しみなのは機内の新聞サービス。普段は見ない地方紙やスポーツ紙を読むと、少し豊かな気持ちになるのだ。
  しかし、この日は違った。客室乗務員に新聞を頼むと、新聞サービスは一部の座席クラスを除き終了したとのこと。ショックだった。
  新聞くらい買って搭乗すればいいじゃないかと言う人もいるだろうが、羽田空港で地方紙は手に入らない。これから帰省する故郷の旬の話題に触れてホッとする私には、機内の新聞サービスは欠かせない。
  観光客も地方紙や全国紙の地方版を楽しみにしているのではないか。旅行ガイド本では分からないイベント情報などを機内で見ておけば、旅がより充実すると思う。
  全日空も一部を除き新聞サービスをやめたというが、残念でならない。空の旅が退屈にならないよう、航空会社は新聞サービスをぜひ復活してほしい。

(引用終)

  帰省先から戻ってくるときだったら乗る前に地方紙を空港で買っておけとツッコミたくなるのはぐっと我慢して、拙者も旅行すると地元紙を読むのは楽しみなので投書者の気持ちはよく分かります。

  でもそれは出発する際の交通機関の中じゃなくてもいいと思います。到着してから飲みものでも口にしながらのんびりと読んだって決して遅くはありません。“故郷の旬の話題”なら、今や地方紙各社ともネット配信してますから、ある程度は事前に読んでおけるでしょう。大学生でネット環境皆無の生活をしているとはちょっと考えられません。

  加えて航空各社とも経費削減にはまさに死に物狂いです。機体軽量化のため旅客にもトイレは搭乗前に済ませておけというほどせこい、もとい血の滲むような努力を払っているのですから、新聞紙どころか付箋紙1枚でも減らしたいほどでしょう。

  もちろん“旅行ガイド本では分からないイベント情報”が手に入ることもありますし、拙者自身も現地でそれを読んで旅程を変えたこともあります。でもそれは「ABC」の筆者の助言を実行して、余裕のある行程を組んでいたから柔軟に対応できたのです。欲張って詰め込みすぎるとそれもできなくなるでしょう。

  では拙者は出発から到着までの移動中は何をしているのか。夜行なら寝てますけど、主に旅程の最終チェックです。普通列車や「こだま」号なら、乗換えや「のぞみ」「ひかり」に抜かれるための停車中にホームの売店に行って地元紙を買うなどしてます。車窓を眺めたり睡眠に充てるのもいいですし、移動中に退屈するか否かは工夫次第でどうにでもなります。なので逆に退屈しそうな手段は避けるようにもしています。

  それともこの投書は主要駅や空港でのビジネスチャンスを提供しているのでしょうか。読みたい地方紙や全国紙の地方版をタッチパネルから選択して料金を投入し、高速両面印刷プリンターから排出されるというシステム。あまり需要は見込めそうにないかもしれませんけどどうでしょう?

パチポチステーション

2010年02月04日 | とのさまの休日
  今朝は寒かったですねぇ

  そんな寒空の下、パチンコ屋の前にポチくんがいました。ご主人様はどこへ行ったやら。

  武蔵中原にはパチンコ屋は1軒しかありません。その店の幟には「地域一番店」とあるのですが、それでは二番目はどこなのか、それこそズバッとカイケツしてほしい…

  ズバットで思い出しました。何日か前のテレビで、森ガール、沼ガールの発展形で『魔女ガール』ってのが出現したそうな。ずいぶんと“馬から落馬して頭痛が痛い”表現ですな。『魔女ボーイ』がいたらオカマでしょうに。

  次は何が現れてくれるのかな?

  怪奇!雑木林女
 恐怖!池沼女


に続いて

  死神魔女の呪い

  10話できたら溝の口でサンレッドと戦ってほしい…

冗談も書けない?

2010年02月02日 | 新聞×読み
  まずは当えにっき『2008年12月30日付』をご覧いただきたい。そこにはこのような一文があります。

  「勤務中の県職員喫煙は2本まで/県が制限(神奈川新聞 ~カナロコ)という記事とコメント欄があまりに笑えるので、『調査中のとのさまニャンコは2匹まで』とネタをやりたかったのですが断念。(中略)

  それにしても公務員も大変ですな。なんだか同情しますよ。「税金で食ってるんだから」ってくだりは、まるっきり「金払ってるんだから」と居丈高になる勘違い客の理屈そのものです。このさいトイレに関しても、近い人と我慢できる人とで差があるでしょうから、1日3回とか制限をつけてはいかが?
」(筆者註:神奈川新聞の当該記事とコメント欄はすでにリンク切れです)

  なぜこんなことを思い出したかといいますと、今日の朝日新聞「声」欄でこのような投書を読んだからです。投書者は八王子市在住の匿名さん。おそらく実名を掲載することで投書者に不利益が及ぶと判断したのでしょう。

トイレの回数で首切りとは
  私は契約社員として、公的年金関係のコールセンターで働いて2年近くになります。昨秋、今春から時給の100円減が決定。先日にはスタッフ約70人を半減させると説明されました。手取りは月約15万円。母子家庭の私は収入減どころか失業の恐怖にびくびくする毎日です。
  年金の記録や受給などの問い合わせに対応する仕事です。「1年以上の経験がなければ、使いものにならない」といわれ、知識量が勝負です。人材育成に力を注いだ会社は、顧客の都合ですが人員削減に躍起です。子どもの病気などによる早退や欠勤を理由に首切りをするらしく、目を光らせています。子を持つ母ほど不利になります。
  また、休憩などで離席する際、電話機のボタンを押す決まりです。最近、トイレのボタンができました。回数や時間も集計できます。契約打ち切りの理由にするようです。組合設立も考えましたが、時間もお金もなく断念です。
  こんな理不尽な会社に嫌気が差しています。でも、生活できる時給の仕事は少なく、途方に暮れています。

(引用終)

  匿名とはいえ会社の上司が読んでたら追求されるのではないでしょうかね。『正直に言えば首は保証するよ』と言われて正直に答えたらクビでしょう。そうです、“クビを保証”です。

  拙者はコールセンターで働いたことはありませんが、電話受付なら緊張を要することも多いでしょう。人によってはトイレに行きたくなることもあると思います。不自然に回数が多いと怪訝に思われるでしょうが、それを判断するのは上司です。正当な理由なんてクソクラエでしょう。

  それにしてもみみっちい会社ですなぁ。「70人を半減」どころか全員で辞表を叩きつければとも思いますけど、なかなかそうもいかないんでしょうなぁ。

  そしてうかうか冗談も書けなくなってしまった。この会社の人が拙者のえにっきを読んでるとは思えませんが、まさか本当に実行する者が現れるとは。やれやれ。

哀歌第22部 ~種村直樹レイルウェイ・ライター友の会

2010年02月01日 | とのさまの休日
  鉄道愛好者でこの人物の名を知らなければモグリと言われても仕方ないでしょう。すでにほぼ隠居の身とはいえ、かつては汽車旅の第一人者として数多くの作品を残してきました。

  そんな氏のファンクラブともいえる「友の会」が今年1月31日をもって終焉を迎えました。

  かつては拙者も所属し、母体とは別に“支部”という小サークルもあって、それのひとつにも参加してました。そこでは氏をコケにするようなパロディ企画もやってたんですけど、お叱りを受けたことがないどころか、不相応とも思えるご評価をいただいたのは文責がハッキリしていたからなのか、それともまだ大らかな時代だったからなのか。

  会を去る決意をしたのは2003年末のこと。嫁はんも会員で機関誌が2部送られてくる煩わしさもあったのですが、すでに鉄道というか鉄道旅行に対する情熱も冷め始めたことが大きな要因です。

  嫁はんの実家へ行くにも高速バスを使ったり、いつしか他の交通手段の方が楽しくなってます。電車に乗るのも、それはそれで楽しいのですが、どこも画一化されて個性がない。効率一辺倒で新幹線からは個室が消え、複数社にまたがり運行が面倒な長距離列車は減るばかり。お金を出してでも付加価値を求めたいなんて思っても、最初からなければどうしようもない。

  そんなこんなで籍を置く理由がなくなったのです。

  ちなみに拙者の結婚は2002年で、新婚旅行は往復とも鉄道で九州北部を回りました。今思えば鉄道旅行が楽しかった最後の時代だったのかもしれません。またそんな時が復活することを願って止まないのですが。

  氏の作品で最も影響を受けたのは1985年の『国鉄ネットワークを記録する最長片道きっぷの旅』でしょう。(タイトルは鉄道ジャーナル誌連載時)

  佐賀県の竹下町から北海道の鵡川まで、国鉄の鉄道、バス、航路を駆使して組み立てた大旅行は読み応えがあり、拙者が“全JR線”完乗を目指すきっかけとなりました。これも足踏みしてます。計画はあるのですが仕事や“先立つもの”との兼ね合いでなかなか機会がないのです。

  氏が2000年に大病を患って思うような執筆活動ができなくなり、友の会を切り盛りしていた事務局長も高齢のため、会の存続自体も難しくなったのは想像に難くありません。

  しかしそこで知り合った人たちとは今も交友が続いてますし、会が消えたとてそれは変わることがないでしょう。

  そして会で知り合った嫁はんと幸せになることが、せめてもの恩返しでしょか。ゆったりと列車の揺れに身を任せて酒を傾ける。そんな旅がいつまでも続けられるように願いつつ。