とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

にしげん

2010年09月30日 | とのさまの漫遊


  雨が降ったり止んだりの落ち着かない天気ですが、今日は西源流通団地店(本店)へ連れて行ってもらいました。

  嫁はんの実家が食料品などをまとめ買いする店だそうで、さすがに安い。小売店というより卸問屋の直販店といったところ。「バッタ屋」とも言いますかね。会員カードがあるものの、会員制なのか誰でも利用できるのかは分からず。

  で、買ったものというとこんなの

  

  他にお酒やごはんのおかずなど。「シルバー」なる魚の切り身があり、4切れで298円とそう高いわけでなく買ってみました。焼いて食べてもなかなかいける。でもシルバーってなんだろう?

  帰ってから調べてみると、『南太平洋やインド洋で漁獲されるスズキ目イボダイ科の大型海水魚、シルバーワレフの通称。かつて、「沖ぶり」や「沖ひさす」などと呼ばれていた』とありました。(ウィキペディアより)

シリーズ逆行の旅 ~名古屋近郊篇3日目

2010年09月29日 | とのさまの漫遊
#22 名古屋鉄道三河線

  三河線終点の猿投へは、豊田線の浄水からバスが出ていることは大型時刻表の巻頭索引地図で分かります。そこでふと浄水駅周辺をネットの地図で見てみると、駅前に「竜泉寺の湯」なる建物がある。スーパー銭湯に間違いなかろうと検索して調べてみれば、なんと朝湯を営業とある。しかもすぐ近くに“簡易”があり、これは招かれているとしか思えない(笑)。昨日よりも早起きして、7時からというホテルの朝食サービスで腹ごしらえし、早々にチェックアウトする。

  豊田線直通の地下鉄電車は、逆方向だから空いてるだろうという予測に反してかなり乗っている。豊田への通勤客や沿線にある大学への通学生が多いのだ。浄水駅は大学最寄りの駅にしては貧弱で、出口の自動改札通路が2か所しかない。そのため階段から渋滞が起こる。

  駅を出て右前方の信号を渡った真向かいが銭湯だ。駐車場には車が多く、朝から賑わってそう。朝湯は9時までで、券売機で400円の朝湯券を買ってフロントへ。平日朝からけっこう利用者が多いのに驚く。時間の都合で長くは入っていられないが、ホテルのユニットバスよりは遥かに快適だ。

  竜泉寺の湯

  9時過ぎに湯を出て身支度し、銭湯の裏手に回って駅とは反対方向に歩を進める。この辺りは区画整理されたばかりのようで舗装されていない道路や歩道もある。家もまだまだ建築が続いており、地図調査の仕事を思い出してついつい表札に目が行ってしまう。そんな一角に豊田浄水簡易局があった。浄水、なんてステキな街だろう

  

  0930時発の「とよたおいでんバス写真奥)」、足助経由百年草行きに乗る。乗客は他にハイカーらしき年配の夫婦と地元の人が2人ばかし。しばらく広い綺麗な道路を快適に走るけど、区画整理地区が途切れると道も急にみすぼらしくなる。上豊田駅の目と鼻の先を通るも駅には寄らず。愛環の四郷駅を通り20分足らずで猿投に着いた。バス停は駅前ではなく50メートルほど離れた道路沿いだ。

  猿投駅

  いったん駅に背を向けて北上し、豊田井上簡易局で経験値1とゴム印1を求める。局番号が「21906」とあり、900番台は愛知に限らず初見ではないかな。猿投駅ではワンマン運転に関する注意書きがある。ホームセンサーが通っているため注意するようにとのこと。池上線蒲田駅降車ホームと同様のシステムだ。三河線のワンマン化はもう何年も前のはずで、変わらず案内を設置しているのは感心であります。最近は乗客に不利な情報を直前まで告知せず、しかも実施したらそれっきりというケースが多い。ここも短い区間なので乗ってしまえばあっという間。梅坪で当方の未乗区間は制覇した。徒歩で愛環梅坪駅へと向かう。

#23 明知鉄道明知線

  愛環梅坪駅は5年前に開業した新しい駅だ。改札を入って左手にエレベータがあり、ちょうど停まっているので使わせてもらう。ホームまでは直行せず、途中で乗換えが必要だった。愛環線で八草へ。駅からそう近くはないが愛工大前にある豊田八草簡易局は無関心。そういえばここの局番号は「21893」で、ヤクサ(893)の語呂合わせは偶然なのか申請してもらい受けたものなのか。

  ここも初乗りのリニモはガラガラ。ただでさえ経営が厳しい上に横領事件まであって泣きっ面に蜂だろう。一昨日には元社員がタイーホされたし、ちょうどトランパスの残額が乏しくなったので千円券を買い足して、僅かながらも収入に貢献しておく。

  乗ると、いい天気なのに加えてドアの開閉がのんびりしており、電車というより遊園地のアトラクションのよう。車輌のドアが完全に閉じてからホームドアが閉まり始め、拙者の知る限りここがいちばん時間がかかるシステムではなかろうか。駅ごとにぽつぽつと乗ってくるものの、ボックスごと空いている場所もあるほど。これでも廃止された桃花台新交通よりはマシなのだろうか。

  藤が丘で地下鉄に乗り換えて千種へ。中央線ホームのきしめんスタンドで昼食に。夜に豪遊する分、昼は倹約というわけではないけれど、せっかく名古屋に来たのだからきしめんは食べておきたい。大盛り無料サービス中と言われるが普通盛りでいい。中津川行き快速は4両編成の予想に反して7両もの長編成だ。立ち客がいるほどだったけど大曽根でごっそり降りて後は閑散と。

  瑞浪駅で改札を出ようとすると、前にいた男子高校生2人組がへばり付くように出ようとして失敗し、改札のゲートが閉じた。お蔭でこちらも出られない。後ろの男がこちらを振り返ったので睨み付けると、申し訳なさそうに改札機にタッチを試みるもゲートは開かず、窓口へ行くようにとの指示が流れる。乗車時も同様の手口で入場したのだろうか。不正が疑われるケースだ。その後の窓口でのやりとりは知らないけれど、通学定期での不正が目立つようだと学校ごと通学定期券の発行停止処分というおそれもあり得る。

  地下道を通って駅裏手の瑞浪郵便局で経験値(略)し、明智行きの東濃鉄道バスに乗り込む。

  明智行きバス(瑞浪駅)

  ここのバスも予想に反して大型車だった。平日は昼間時でも毎時1本あるし、そこそこ利用が多い路線なのだろう。次の竜門通りでも乗車があり、乗客は10人を越える。駅近くは運賃が100円と安いせいもあろう。市街地を出て山間部へと分け入る。下川折で左折して県道20号へ。頭上を見ると、ずいぶん高いところに道路がある。中央道にしては細く、山岡へと続く県道33号だった。このへんはゴルフ場が多いのか案内が目立つ。陶(すえ)の中心部を通って国道363号へ。視界が開けて家並みが多くなるとそこが明智だった。

  駅前のバーロ、もといバロー明智店を覗くと、ここも安い。大手メーカーの500mlペット茶が88円と、拙者の勤務先より安い。やはり地方の方が安売り要請が強いのだろうか。

  駅へ戻ると窓口で使用済み硬券乗車券を1枚20円で発売しており、適当に何枚か所望する。待合室にいると近くのばあさまのケータイが鳴り出した。受話音量を上げてるようで向こうの話し声も丸聞こえだ。どうやら赤ちゃんが生まれたらしい。

ばあさま「いつ生まれた?」
電話「「声聞かせようか?」

  おやおや、分娩室から実況中継とはいかがなものか。看護師さんからPHSを借りたのだろうか。今日びはツイッターで「生んだなう」なんて書き込む人もいそうだ。

  明知鉄道の車輌(明智駅)

  恵那行き列車は単行。ワンマンだが添乗がいる。山岡でハイカーらしき年配の男女が10人ほど乗ってきて車内は賑わう。でもありがちな声高でのおしゃべりはなく、みなわきまえていらっしゃる。30‰前後の勾配を上ったり下りたり。気動車の抑速エンジンブレーキの音ってなんだか好きだ。その後の乗降は少ないながらも、賑わったまま列車は恵那へすべりこんだ。山岡からのグループは改札で短冊式の回数券を出している。硬券を売ってるならそれもあるか。

  恵那では窓口で帰りのキップを買っておく。塩尻、立川経由向河原まで、ちょうど320㌔で5250円なり(3日間有効)。これで中原では“途中下車”扱いでキップは手許に残せる。「銭取られるライナー」と揶揄される快速で中津川へ。この区間なら料金不要だ。中津川では30分のインターバルに駅前へ出て「栗きんとん」を求める。これは嫁はんのリクエストによるもの。お勧めの店は「すや」とのことだが、駅から少し距離があり今回は無理そう。よって駅を出て右前方の信号を渡った「川上屋」で購入する。この栗きんとん、土産にするには熟慮が必要なシロモノだ。見た目のわりに高価で、1個あたり200円を優に超える。さらに消費期限(賞期限ではない)が一両日のため旅の途中で買うには不向き。でも嫁はんがリクエストするだけあってうまい。

  川上屋の栗きんとん

  しなの19号は指定席もかなり埋まっていた。2両の自由席にも乗客が多いが座れないということはなくやれやれ。中央西線を特急で辿るのは初めてではないかな。もちろん383系も初めて。以前の381系に比べて断熱が悪いと、嫁はんの評価はいまひとつ。今はまだ厳寒期ではないためその点は分からずだった。

  珍しく(?)定刻に塩尻着。駅前にある土産物屋などが集う「コアしおじり」が再開発のため8月末で閉店していた。これでは土産の調達に困る人もいるのではないかな。嫁はんから買い物の指示もあって「ウイングロードビル」へ。イトーヨーカドーが撤退した後に、建物はそのままドラッグストアや洋品店などが入り、3階は市民交流なんちゃらになっている。地下の松電スーパーこと「デリシア」は変わらず。

  無事に嫁はんと落ち合い、昨年に続いて「五千石茶屋」で一献。馬刺しに山賊焼きなど、お馴染みの郷土料理に舌鼓を打った。

  五千石茶屋 共食い?

【行程】
[丸の内] 7:39(名古屋市交鶴舞線~名鉄豊田線 3755 =6両 540円)8:21 [浄水]~[浄水駅前] 9:30(とよたおいでんバスさなげ・足助線 200円)9:47 [猿投] 10:15(名鉄三河線 6244 =2両 220円)10:23 [梅坪]~[愛環梅坪] 10:57(愛知環状鉄道1145H 2113 =2両 320円)11:11 [八草] 11:22(愛知高速交通東部丘陵線 173 =3両 360円)11:39 [藤が丘] 11:45(名古屋市交東山線 5520 =6両 260円)12:02 [千種] 12:42(中央本線2715M クモハ211-5010 =7両 740円)13:19 [瑞浪] 13:45(東濃鉄道バス 500円)14:29 [明智] 15:03(明知鉄道明知線16D アケチ12 =1両 670円)15:51 [恵那] 16:09(中央本線1713M クモハ313-8506 =6両)16:19 [中津川] 16:49(同1019M「しなの19号」6号車8A クモハ383-16 =6両)17:53 [塩尻]

シリーズ逆行の旅 ~名古屋近郊篇2日目

2010年09月28日 | とのさまの漫遊
#19 近畿日本鉄道八王子線
#20 同、鈴鹿線
#21 三岐鉄道北勢線


  部屋には時計はあれど目覚まし機能はなく、モーニングコールのシステムもないためケータイのアラームをセットする。7時に鳴るようにしていたのだけれど6時半前に目が覚めた。目覚めは良く、ぐっすり眠れたのだろう。さて、昨夜の“大浴場”はというと、洗い場が2人分しかなく、浴槽は6人が適正。定員3名のサウナはすでに冷たい。低温サウナというにも涼しすぎてがっかり。しかし足を伸ばして入れる風呂は快適だし、また利用したいとは思う。でも次は予約確認ミスなどということがないように願いたい。なおこのホテルは男性専用の由。

  まだ雨が残る街を歩いて名古屋駅へ。名鉄尾西線の残りを制圧する。弥富駅ではトランパスが使えないため、券売機でキップを買っておく。ラッシュの真っ只中でもあり電車も遅れ気味だ。0819時の準急弥富行きも6分遅れだった(行程表は実乗のもの。以下同じ)。8両編成だが須ヶ口で後ろ4両切り離しというので前方の車輌へ。

  その須ヶ口で始発の岐阜行き普通に接続し、多数が乗り換えていって車内は閑散となる。まだ通勤客が多い上りホームを横目にこちらはのんびりと。それでも遅延回復のためにスピードを出すけどさほど揺れない。4年前に廃止された弥富口駅はほぼそのまま。所定から3~4分遅れて弥富へ。折り返しの電車は吉良吉田行きになる。ずいぶんな“遠足列車”だ。

  尾西線電車(弥富駅)

  いったん改札を出てキップを買い直し、関西本線普通列車で桑名へ。すでに雨は上がっている。駅近くの桑名東方簡易局で経験値1とゴム印1を求める。外見では全くと言っていいほど郵便局とは分からない。自動ドアを入ると右に商店、左に局というぐあい。扱いを終えて退出すると、左右から「ありがとうございました」と言われた。

  桑名局は別の機会に回し、駅前のビル2階で“名古屋式”モーニングを。喫茶は2軒あり、奥の店へ。手前は珈琲にトースト、ゆで卵に対し、奥はトーストとバナナ2切れ、餡子とある。どちらも330円なり。

  快速「みえ1号」で四日市へ。ここからバスで西日野を目指す。乗車するバスは椿大神社(つばきおおかみやしろ)行き。いったん近鉄駅へ寄ってから国道1号を走る。日永駅前を通って川の土手へ上がり20分ほどで西日野に着いた。駅(冒頭写真)はバス停の目前ながら少し奥まっている。かつては先へと線路が延びていたらしいが、すぐにそれと分かるものはない。

西日野駅にて 近鉄四日市駅にて 日永駅にて内部線車内から

  先頭車に腰を下ろし、発車すると床下から渋い重低音ドルビーサラウンドが響いてくる。幼少から慣れ親しんだサウンドだ。冷房がないので窓を開けて風を浴びながら走る。これもまた心地よい。次の日永で内部行きに連絡するが、ここで乗り換えては四日市までが未乗のままになってしまうため乗り通す。

  近鉄四日市では駅前局があるはずなので探すも見つからない。ここで時間を食っては後の行程がパァになるため涙を呑み、再びドルビーサラウンド電車の客となる。電動車1両、付随車2両の編成なので加速は鈍いし、登り坂ではモーター音が下がってくるけど、これがまたマニヤには感動的でさえある。スピードも速くなく、もしかすると拙者の自転車より遅いのではないかと考えてしまう。

  内部駅舎

  内部では平田町駅行きのバスに所定5分の乗り継ぎ。駅前の通りを渡った向かいにある四日市小古曽局をダッシュで攻める。幸いに先客はおらずすぐの取扱いで、駅舎の写真を撮れるほどの余裕を持ってバス停に向かう。バスは四日市からの便で2分遅れてきた。つまりこれに乗れば内部線も逆行できるわけ。バスは片側2車線の国道1号を快調に走る。途中に「自由ヶ丘」というバス停があり、ポールも三重交通サイトでも「ヶ」なのに車内の運賃表だけ「自由が丘」だった。庄野橋で国道と別れ、鈴鹿高校の前を通り、駅まで行かずショッピングセンターなどがあるベルシティけやき通りで降りる。さらに駅とは反対方向へ歩き、鈴鹿庄野局で経験値(略)。頃やよしと昼であり、隣のすき家で昼食にする。

  平田町は大企業の事業所があるせいか、思ったよりひらけていて、小洒落た居酒屋もある。すでに暖簾を出している店もあるがここは忍の一字とする。駅名は平田町でも駅近くの交差点名称は「平田駅」となっている。いったん駅前を通り過ぎて鈴鹿算所局をも制圧。下校の高校生も目立ち始めた電車で伊勢若松へ。平田町駅はバリアフリー化工事中とあって雑然としているが、もともと改札とホームとはスロープであり、勾配の緩和だろうか。

  平田町駅舎

  ここも短い路線なので乗ってしまえばあっという間。伊勢若松では待つほどなく名古屋行きの急行につながる。近鉄富田では17分の間に四日市富田西局へ。かなり厳しい道中だったがなんとか間に合った。三岐線のキップは窓口でとあるので求めると、なんと硬券 しかも入鋏(スタンプじゃありませんよ)という伝統手法に驚く。

  三岐線電車(近鉄富田) 三岐線の機関車

  西武からの流れ者電車に腰を落ち着け、発車するとコイルバネ台車特有の全身マッサージのような揺れがまた懐かしく感じられる。保々の手前で放送が何やら言っているが音量が小さく聞き取りにくい。どうやら車輌交換をするから乗り換えろとのことらしい。車輌交換の自動放送まであるのか。車内を見ると座席の2か所が水濡れのため覆われており、そのせいだろう。その保々では向かいホームに「西藤原」の表示を出した電車がいて民族大移動(といっても十数人)が始まる。

  うらうらといい天気の中を走り、少ない乗客も東藤原までにみな降りてしまい、ついに編成ごと貸切になった。西藤原駅では、これから乗車するいなべ市福祉バスの「ありがとう券」なるものを所望する。乗車も券も無料なのだが、これがないと乗れないらしい。

  

  バス停は駅を出て右手の坂を下ったところ。1分もかからなかった。(写真左奥が駅へと続く道。) 友へのケータイメールを作っていると白いワゴン車が近づいてくる。正面に「いなべ市」とあり、それが福祉バスだった。「ありがとう券」を1枚もぎって箱に入れる。結果としては箱の横に券が備えられており、持ってなければそこから取って投入してもよかったのだ。券は10枚綴りで今後使う予定もないけれど記念にしておこう。

  乗客は拙者だけ。しばらく線路と並行に走り、東禅寺バス停は東藤原駅前だった。途中で年配の婦人が乗り、運転手氏が今日で異動となるらしく感謝の言葉を述べていた。その婦人はすぐに降りてまた拙者一人に。いなべ総合病院でも乗車はなく、貸切のまま阿下喜駅に着いた。

  電車を1本遅らせて街の探索に出る。駅前に阿下喜温泉あじさいの里という施設があるけど、せっかくならゆっくりしたいし今日は見送り。西桑名から北勢線の乗車券とセットになった割引券もある。さて、まずは坂を上って北勢郵便局へ。帰りがけに酒屋をのぞくも目ぼしい地酒はなし。三重県民は肝臓にアルコール分解酵素を持つ人の割合が低いらしく、そういえば三重の地酒は知らない。駅前に戻ってショッピングセンターなる看板を出した建物にも入ってみる。ところが書店と百円店と軽食コーナー(本日定休)があるだけで、ずいぶんショボイと思ったら、奥にまた別の建物があり、そちらが食品などを扱うメイン店舗らしい。ここで三重の地酒「天慶」があったので購入する。一緒に缶ビール(キリン一番搾り)を求めるとすいぶん安い。我が家の近隣スーパーはどこも顔負けである。地方ほど安売り要請が強いのであろうか。

  阿下喜駅と福祉バス(右) テレビ番組へのメッセージボード

  駅へ戻り、構内にはローカルテレビ番組へのメッセージボードがあり、街の自慢を書くようになっている。北勢線の乗車券は券売機発売ながらも硬券入場券はあった。

  北勢線電車(阿下喜駅) 西桑名駅を望む

  発車するとこちらも床下から重低音ドルビーサラウンドが響いてくる。4両編成のうち阿下喜方の1両のみが電動車のためパワー不足の感はある。北勢線には冷房車も増えているがこちらは非冷房のまま。通学生の間では冷房車に当たったか否かで一喜一憂する会話がなされているのだろうかと、自身の高校時代を思い浮かべる。でも今日みたいな天気なら窓を開けて風を入れたほうが気持ちがいい。

  東員では交換待ちのため4分停まるという。停車時間中に駅舎へいそいそと硬券入場券を求めに行くなんていつ以来だろう。ずっと乗っていたいけど非情にも線路には終点がある。次には温泉と合わせて訪れることにしよう。

  桑名では満席の快速「みえ」を見送り、始発の普通列車で名古屋へ。ホテル最寄りの丸の内までは地下鉄桜通線で。丸の内駅を降りると足許がでこぼこしている。ホームドア(可動柵)の設置工事中らしい。大都市で費用負担と車輌規格統一などの条件が整い、ワンマン運転でも差し支えない路線なら設置したほうがよいだろう。しかし今回のような停止位置ではドアが開かなくなってしまう。

  今夜の宿は東横イン名古屋丸の内を。チェックインして洗濯物をコインランドリーに放り込み、終了見込み時間が30分強と表示されたので、ホテル斜向かいにある雰囲気のよさげな店に入ってみる。

   

  店の名は「然」。カウンターのみで8席しかない。まずはビールに味噌串カツ、どて煮、ひじきを注文。(写真左手前はつき出しのキャベツ) ダバダ火振が見えたので1杯もらう(600円)。土佐と尾張のコラボ、これもなかなかいいじゃないか。今日は余力を残し、ランドリーの時間を見計らって40分ほどで退出する。乾燥機にかけている間にロビーのネットパソコンで昨日分のえにっき下書きやメールチェックなど。その後はフロントにあった周辺ガイドを手に適当な店を探すも、さっきよりいい店がない。というより独りでふらりと入って落ち着いて呑めそうな店が見当たらないのだ。したがってまた「然」の暖簾をくぐる。さっきマスターに「またいらしてください」と言われたけど、まさかこんなに早く来るとは思わなかったろう。唖然とした顔をされるのも無理はない。

  ここのメニューは煮物が中心で、男前のマスターが作る家庭料理がまたいい。値段も1品300円、串カツ1本90円と良心的で、『ありったけの小銭かき集め、今日もこんなに呑んじゃった

【行程】
[名鉄名古屋] 8:19(名鉄名古屋本線~津島線~尾西線 3579 =8両→須ヶ口から4両 540円)9:03 [弥富] 9:08(関西本線307M クモハ313-3026 =2両 190円)9:15 [桑名] 9:56(同2901D キハ75-206 =2両 230円)10:06 [四日市] 10:15(三重交通62系統 280円)10:35 [西日野] 11:00(近鉄八王子線 262 =3両 220円)11:08 [近鉄四日市] 11:30(同内部線 123 =3両 220円)11:47 [内部]~[内部駅前] 11:54(三重交通 53系統 500円)12:14 [ベルシティけやき通り]~[平田町] 13:28(近鉄鈴鹿線 2009 =3両)13:39 [伊勢若松] 13:41(同名古屋線 1434 =6両 430円)13:57 [近鉄富田] 14:04(三岐鉄道三岐線 804→保々から781 =3両 500円)15:01 [西藤原]~[西藤原駅東口] 15:09(いなべ市福祉バス 無料)15:29 [阿下喜] 16:15(三岐鉄道北勢線 201 =4両 460円)17:11 [西桑名]~[桑名] 17:42(関西本線342M クモハ313-3018 =2両 330円)18:10 [名古屋]~以下略

シリーズ逆行の旅 ~名古屋近郊篇1日目

2010年09月27日 | とのさまの漫遊
#17 名古屋鉄道尾西線(冒頭写真

  

  「旅」とは己の未知の領域に足を踏み入れることにある。今回は嫁はんの実家へ向かう前段として名古屋近郊に散在する未乗路線制覇を試みる。(嫁はんはすでに実家へ行っているため一人旅であります)

  その前にさっそく未知の領域が現れた。東海道新幹線乗車は実におおよそ8年ぶり、そして700系は今にして初乗車だ。(300系は「ひかり」で1回乗っている。500系も未乗) 新横浜駅もなんか雰囲気が違う。あぁそうか、通過列車がなくなったからホームドアがホーム端直前に移動しているのだ。雁行する「のぞみ」を差し置いて、そのホームドアがある3番線から発車。ここだけ気分は「ひかり号」だ。「ぷらっとこだま」の一等車プランとはいえ、存分に楽しもうではないか。ドリンク券で引き換えたヱビスビールで旅の出立とし、前途の安全を願う。昼食は崎陽軒の「横浜チャーハン」。拙者の好きな駅弁ではベスト3に入る。

    

  今日は生憎の天気のため富士山は見えず(写真右)。車内はガラガラ。「こだま」に3両もの特別車輌は無駄ではなかろうか。といって昔の四国のように普通車指定席として売るわけにもいかないだろうけど、のんびりしたい向きには好都合ではある。

  駅ごとに何分か停まっては追い越され。鈍行旅行の風情をも楽しめる。「鶴見線ファンクラブ」に続いて「こだま号愛好会」も作ろうか。(笑)

  それにしても車内チャイムが今やマヌケになってしまった感がある。そろそろ昔の「ぴ~んぽ~んぱ~んぽ~ん」に戻してもよかろう。“流行歌”という言葉があるように、長命な曲というものはなかなか輩出されるものではない。

  そういえば友近氏は新幹線の座席について、今はどう感じておられるのだろう(2009年2月1日付)。拙者の感想としては、座り心地はそこそこ。フルリクライニングさせると腰を押されるようで落ち着かない。本当にいったいどんな人の体型に合わせているのだろう。フルに倒さなければいいだけなのだろうが。

  それ以外は存分に“鈍行新幹線”の旅を楽しみ、名残惜しいけれど名古屋で降りる。改札を出て駅前をぶらぶら。タワーズ内局は無関心ながら名古屋中央局第二豊田ビル内分室の関心度が高く、制圧に向かう。かつて名古屋中央局だった場所にある同局駅前分室にも関心はあるのだが時間の都合で次回に。そう一度に回ることもなかろう。

  行程メモについ「新名古屋」と書いてしまう名鉄名古屋から電車で。先に2200円券のトランパスを買っておく(発売額2000円)。今朝方に岡崎公園前駅で事故があったため、いささかダイヤが乱れている。所定1408時の特急新岐阜(?)行きは5分遅れで来た(下記の行程表は実乗のもの。以下同じ)。走り始めれば快調に飛ばし、名鉄木曽川(?)には3分延まで回復する。

  駅を出ると、周辺の雰囲気は四半世紀前の高崎線沿線に似ている。半世紀もののような民家に商店が並び、畑があったり真新しい店舗があったり、道路も歩道が用水路に蓋をしたものだったりというぐあい。少し歩いた木曽川郵便局で経験値1とゴム印1を求める。局からまっすぐ北上して銀行の前にバス停がある。一宮市i-バスのもので、ここを走るのは「木曽川・北方コース」という。所定1511時だが3分ほど遅れてきた。先客はなし。名鉄が受託しているがトランパスは使えない。やはり埼玉のような風景の中を走って5分ほどで玉ノ井駅東に着く。運賃は100円なり。

  

  バス停が“東”というからには駅は西方向なんだろうなと見当をつけて適当に歩を進めると、木曽川玉井局にでくわす。すると駅は目と鼻の先だった。経験値(略)してから駅へ。かつては先へと線路が続いていたらしいが、今ではすぐにそれと分かる形跡はない。

  

  相変わらずのんびりとした雰囲気の中を走って8分で一宮へ。津島方面へは降りて前方の電車にすぐの連絡だがいったん改札を出る。駅構内にある一宮七夕局が、我ながら意外や未訪なので制圧する。番号札を取ると現時刻表示が1600時とあり、ずいぶんと進んでいるものだ。間違っても直前アポ入れ突撃(※)なぞ行なっていないと申し上げておく。

  下校の高校生が目立つ電車で津島へ。ここでまた降りて名古屋へはバスで向かう。名古屋へは中村公園経由と岩塚経由があり、どちらも程なく出るようとあっては本数の少ないほうに乗るのが性分である。よって後者に。運賃は同じ。ところが時間になってもバスが来ない。目の前の待機所にいる車の中から運転手が出てきて、「ちょっと待っててください!」とこちらに声をかける。ややあって回送の表示を出したバスが現れ、それが岩塚経由名古屋(名鉄バスセンター)行きとなった。先ほどの運転手が乗り込み、「すいません。車輌が故障したので…」と。バスの車輌故障というのは初体験ではないかな。

  昼間は上がっていた雨がまた降り出した。バスは駅を出てすぐの東柳原町から右折して生活道路のような道に入り込む。今回は地図を持参していないため、どこを走っているのかさっぱり分からない。濃尾平野の平坦な道を走り、やがて東名阪道や名古屋高速1号の下を走る。岩塚を過ぎると近鉄や関西本線の線路を跨ぐ黄金橋を渡り、名古屋客車区を一望できる。東海道線などの線路をくぐって左折し、小一時間でバスセンターに着いた。運賃は620円だがトランパスでの乗継割引適用で引去り額は540円だった。

  今夜の宿は愛知県青年会館近くのビジネスホテル「J-ステーション」を。値段がオープン記念価格ながら2900円と格安なので選択した。予約していた旨を告げるとフロント氏は不可解な顔をする。ここへはトラベル経由で予約しており、念のためにと予約完了メールをプリントアウトしておいたので呈示すると、ややあって部屋のキーを差し出される。足を運ぶとツインルームで、手違いでもあったのだろうか。実は翌々日の晩にホテルから門限の案内という電話があった。どうやら27日と29日を間違えていたよう。メールには確かに「27日(月)」とあるのでこちらのミスではない。ホテルかトラベルか、どちらか分からぬが宿泊日の確認は基本中の基本なのでしっかりしてほしい。まさかトラベルは英語で連絡したわけではあるまい。


#18 名古屋臨海高速鉄道あおなみ線

  荷物を置いたら“夜遊び”に出る。大須観音駅が近そうなので、そこから地下鉄で名古屋港へ。駅近くの「四君子 むらさき」の暖簾をくぐる。

   

  タレが自慢という焼鳥に味噌串カツ、焼きナスなどを注文。大衆食堂という風情だが月曜日なせいかお客はそう多くなく落ち着いた雰囲気。料理も旨いし値段も良心的で、一人で入るのがもったいない店だった。「ぐるなび」の割引クーポンがあるので使い、適当に店を出てもう一軒と意気込むも、すでにお腹がくちい。酒も料理もそんなに口にしてはいないはず。でも思えば今日は夜勤明けであり、体がそろそろ休ませてくれと悲鳴を上げているのだろうか。

  近くのコンビニで新聞を買って人気(ひとけ)のないバスターミナルで過ごすことしばし、フェリーふ頭行きの市バスに乗り込む。バス停にはこの路線の営業係数が166とある。乗らないと廃止するぞという脅しなのか。

  

  乗客は拙者ひとり。ターミナルを出て交差点前で中年サラリーマンが乗せてくれと頼むも、運転手は手で×を作る。しかしこれは止むを得まい。築地口でそこそこの乗車がありやれやれ。降りしきる雨の中をひた走って金城橋で降りる。その雨の中をあおなみ線の線路と並行してとぼとぼと歩き、建設中の「新・須田記念館を横に見ると金城ふ頭駅だ。

  ここも人影はない。すでにトランパスの残額が少ないので買い足し、初乗車なのでキップを買ってみると、券売機にはバスとの乗継割引運賃が表示された。こちらもすれ違う列車も乗客は少なく、経営が厳しいのは手に取るように分かる。それでも駅ごとにひとりふたりと乗ってきてやれやれ。先頭車に固まっているのは名古屋駅での階段位置の関係か。

  無事に乗り終えて宿に戻る。名古屋駅の新幹線改札周辺には一部にロープが張られ、「STAFF」という腕章を付けた背広姿や官憲が目につき物々しい。多くのギャラリーが歌手だかダンサーだかのグループのお揃いのシャツを着ているため、おおよその見当はつく。当方には関心がないし、さっさと帰ってホテルご自慢という大浴場で疲れを癒そう。

(※)直前アポ入れ突撃:到着が16時を過ぎそうになる郵便局に対して電話でその旨を伝え、扱ってもらうよう頼んでおく行為。拙者ではないが過去には実行した者もいるという。当然ながら推奨はしないし、断られてもやむを得ない。

【行程】
[新横浜] 11:16(「こだま649号」8号車8D 718-12 =16両)13:46 [名古屋]~[名鉄名古屋] 14:13(名鉄名古屋本線 1561 =6両 440円)14:31 [新木曽川]~[新木曽川駅西] 15:14(一宮市iバス 100円)15:19 [玉ノ井駅東]~[玉ノ井] 15:32(名鉄尾西線 6246 =2両 220円)15:40 [名鉄一宮] 15:58(同 6245 =2両 440円)16:29 [津島] 16:43(名鉄バス 540円=割引後)17:36 [名鉄バスセンター]~(中略)~ 20:32(名古屋市営バス幹築地1系統 200円)20:53 [金城橋]~[金城ふ頭] 21:15(名古屋臨海高速鉄道あおなみ線444H 1303 =4両 270円=割引後)21:38 [名古屋]

武蔵小杉駅連絡通路にて

2010年09月23日 | とのさまの休日
  去る19日のこと、高校の先輩から食事会に招かれ、同級生と品川へ行ってきました。その帰りは横須賀線に乗って小杉で乗り換え。連絡通路を歩いていてひとつの変化に気づきました。

  連絡通路から南武線へは、左手に川崎方面ホームへの階段とエスカレータがあり、右手を直進すると立川方面ホームへと続きます。その手前に南武線の発車案内があったのですが、これが逆に左手に立川方面、右手に川崎方面があったため実に紛らわしかったのです。たいてい人間の目線は進行方向に向かうもので、「よそ見」を誘発するのもいかがなものかと思っていました。

  この点について表示を逆にできないか改善をお願いしていたところ、なんと実現しました写真は23日撮影)

  エスカレータ下に川崎方面の案内板が、右手通路の少し奥に立川方面の案内板が見えます。以前は撮影地点手前の、品鶴線案内の反対側にありました。そこには代わりに「↑南武線のりば」の案内板が掛かっています。拙者の一存でどうにかなるわけないので、同じように思ってた人が多かったのでしょうか。なにはともあれありがたい。

  もうひとつ、長い通路を歩いていてはどう考えても間に合わない列車を案内するのは改めて、早めに次列車に切り替えられないかという点は今のところ実現してません。おそらく南武線改札口の案内などと連動していて、個別制御にするにはコストがかかるのかもしれません。

  連絡通路が今はまだ暫定的なものなので、来春予定の本格完成時にはまた改善が見られるのでしょうか。

武蔵小山駅ビル

2010年09月18日 | とのさまの休日
  昨日オープンした武蔵小山駅ビルに行ってきました。父ちゃんの車椅子を押して散歩がてら買い物です。

  正面入口前では福引きが。なおバリアフリーの出入り口も正面のみです。エレベータで2階の東急ストアへ。開店セールで賑わってます。しかし武蔵小山にはこれで3店目。共倒れにならないでしょうか。きゅうりが3本98円のところタイムサービスで5本98円に。表面にトゲトゲが多く、これはなかなか新鮮そう。母ちゃんに頼まれてるので買い求めました。

  惣菜類が充実してるのは最近の傾向か。でもふだん働いていて、入荷されてくる弁当や惣菜類を並べてると美味しそうに見えるのに、ひとたび仕事を離れると急に食べたい気が失せるのはなぜだろう???

  売り場面積は西小山と大差ないかな。レジは電子マネー対応なのは一部だけ。でもその表示が分かりづらいのは、近いうちに全レジ対応する計画があるのかどうか。

  店を出て一番通りの武蔵小山店へも足を運んでみます。こちらは割を食ったようにすいてました。店頭に並んだ野菜は陽を浴びて色が変わってます。

  対照的な両店を見て実家で寛ぎ、19時半過ぎに家路に。その前に再び駅ビルへ。するとタイムサービスで食パン3割引とあれうれしや

  そういえばこの駅ビルには名前がありません。単に「武蔵小山駅ビル」です。もっとも、『どんな名前を付けても近隣住民は“駅ビル”としか呼ばないだろうから考えるだけムダ』というなら、それも一理あるかも

ひさしぶり

2010年09月12日 | とのさまの休日
  昨日の話で恐縮ですけど所用で横浜へ。細かく言えばポルタです

  せっかくなので久しぶりに幸ヶ谷公園へも。また暑さがぶり返してきたし、ニャンコは元気にしてるかな?

  結論から言えば会えたのは写真のシロだけ。でれ~んとして微動だにしません。まぁ齢も齢ですからね。すでにフタケタに近いはず。付き合いも長いです。でも変わらず毛並みはいいです。ニャンコ界にもアンチエイジングなんてあるのかしら?

  その後はここも久しぶりの「みのかん」へ。暑いせいか温かいメニューはなく、つき出しの煮物だけ。湯豆腐も奴になっている。200円のハイボールにこはだの酢漬け、かまぼこなど、百~二百円台の肴でちびちびと。でもこういう個性豊かな店はいつまでもあってほしい。

過ぎぬ夏 白き背中に 涼求め』(雲葉)

  ここだけの時間が、流れる…。(と、後ろ手に組んで店を後にする)

シリーズ逆行の旅 ~第16回 多摩都市モノレール

2010年09月09日 | とのさまの漫遊
  我が家からそう遠くない場所に未乗の行き止まり線がありながら放置してきたのは我ながら遺憾である。よって制圧に出ます。

  中原駅0939時の立川行きに乗り、府中本町での武蔵野線への接続も良く、30分ほどで新小平へ。今回の行程をネット検索したら、ここから青梅街道駅まで歩けという勇壮な案を提示してきた。したがって半分だけ説に従う。

  駅を出て北へ進路を取ると、激安自販機がある。500mlのペット飲料も100円で、あれうれしやと喉を潤す。5分ほど歩いた小平郵便局で経験値1とゴム印1を求める。すると印が「ゆうちょ銀行小平店」とあり、こういうケースは初めてだ。

  

  青梅街道駅とは反対方向へ足を向け、小川駅方面へ。ブリヂストン前局、八坂駅前局と徒歩で進む。拝島線は立体交差化工事中。踏切を待っていると電車が徐行で通過していった。

  思ったよりも進行が早くまだ11時なので、八坂からいったん青梅街道へ。ワンマン運転の小平行きに1駅乗り、萩山では跨線橋を渡って国分寺行きにすぐの連絡。青梅街道駅を降りて局を探しうろうろ。いつの間にか一橋学園駅へ出てしまい、駅前局に立ち寄ります。

  多摩湖線電車

  再び多摩湖線で武蔵大和へ。先ほど「はまりん」氏にメールしたら合流希望とのことで、ここで落ち合います。彼は「おとぎ列車」に乗ってきた由。氏が薦める店で昼食の後(後述)、武蔵大和駅前局に立ち寄って近くの清水観音堂バス停から東大和市ちょこバスに乗り込みます。1248時の内回り便は2~3分遅れた程度。発車するといきなり住宅街の生活道路に入り込むのはコミュニティバスならでは。乗客は席が埋まるくらい。多摩湖に近いところを走るけど湖は見えず。20分ほどで上北台駅に着いた。運賃は100円なり。

  ちょこバス(上北台駅前にて)

  ここからが本日のメインイベント(のはず)、多摩都市モノレールに乗り込みます。はまりん氏はただ暇つぶしについてきたわけではなく、立飛駅近辺に用事もあるとのこと。差し支えないようなのでこちらも同道します。それならとモノレールの1日乗車券を購入したほうがよかろう(850円)。日暮里舎人のときもそうだったが、1日乗車券の発行駅が終点駅というのも「逆行」の楽しみではある。

  はまりん氏曰く、立飛駅は開業時では完全に私有地内だったため一般客は外へ出られなかったそうな。今では一般道も通り、下車客もかなりいた。近くの宗教施設へと向かう人が多いようだ。

  氏の用を終えて立川幸局で経験値(略)し、こんどは泉体育館駅からモノレールに。そういえば全国の鉄道駅で下車したと豪語するマニ、もとい剛の者がいるけれど、拙者の場合は乗車しかしていないケースが山ほどある。こういうのはどう判断すればいいのだろう。

  はまりん氏は用務のため高幡不動で下車して京王線に。拙者はさらに進んで中央大学・明星大学で降りて中央大学内局へ。大学構内にあった簡易局の頃には来ていたけれど、駅前に移って特定局になってからは未訪だった。それも来ていたのは2003年2月6日で、廃局になったのは同月末とのこと。当時は廃局なんて知らず、運が良かったのだろう。

  さらに次の大塚・帝京大学駅でも下車して駅前局へ。今日はここまでで、9局と実に自然体であった。

  多摩センターから中原までは京王、小田急経由とも同運賃で、登戸駅の混雑を避けて京王で帰途につきます。やって来た調布行き各停は都営の10-300系。悪しき標準化を蔓延させた“走ルんです”を『国電の文明がもたらした害悪』と都知事は言い放たないのかどうか。


【今日の昼食】
手打ちうどん きくや(東村山市廻田町2丁目12-13)
 ☆LL冷汁天付き 600円
   はまりん氏ご推薦といううどん屋にて昼食を。武蔵大和駅から八坂方面へ線路沿いを南下。住宅地の中をてくてく歩き、こんなところにうどん屋なんかあるのかと怪訝に思うも、嫁はんの実家を思えば大したことない。7~8分ほどで着き、幸いにしてすいていた。「LL」とは量のこと。Lから5Lまで5段階。なにがどの程度なのか分からず、とりあえずLLの天ぷら付きに。足りなければプラス50円で追加できるのはありがたい。でもこれで充分足り、ずいぶんと小食になったものだ。はまりん氏は5Lを平らげ、さすがはヤングの食欲である。

だから「横浜」ってどこよ?

2010年09月07日 | 新聞×読み
  今日の夕刊に不動産サイト「メジャーセブン」が実施した「第13回住んでみたい街アンケート」の結果が報じられ、1位が吉祥寺、2位が自由が丘、そして3位が横浜だとのこと。(メジャーセブンのアンケート結果はこちら

  以前にも書いた気がすると思ってブログ内検索をかけたけど、このシステムが改悪されていてちっとも役に立たない。gooの担当者を怒鳴りつけておきたいものだ。(すると某氏が検索方法を教えてくださったので、それを用いたところ、2008年5月14日付でした)

  それはともかく「横浜」ってどこを指してるのだろう。拙者が「横浜へ行ってくる」と言えば、ズバリ横浜駅周辺のこと。桜木町や関内あたりの人でもそれは同じらしい。でもそれは一般的な概念と一致しているのだろうか。2009年の調査結果を見ると「みなとみらい」や「たまプラーザ」も選択肢としてあったようなので、そこは除外されるだろう。都内がものすごく細分化されているのに対し、横浜と京都だけ大雑把なのは合点が行かない。質問したくても問い合わせ先もわからない。う~ん。

  調査方法を、鉄道路線図を表示して駅を選択してもらうようにすれば納得できるんですけど。

  ちなみに拙者は「横浜」に住みたいと思うか。横浜駅周辺なんて間違っても住みたくないですね。 少~し離れて高島台や平沼あたりでも微妙…。

再開1年

2010年09月01日 | 夜のとのさま
  お蔭様で転職から1年が経過し、このえにっきもタイトルを改めて再出発してからちょうど1年となりました。

  相変わらずこんなどーでもいいような個人ブログに日々200IP近くの方々がご来訪くださり感謝に堪えません。ありがとうございます。

  別掲のとおり配属店舗を明かすことはできませんが、今のところ異動もなく同じ店舗に勤めてます。ヘルプで他店へ行くこともあるようですが、拙者に関しては今までそういうこともありませんでした。職場の皆さんも親切で、顔なじみのお客様もできたり、高校の同級生と二十数年ぶりに再会したり、いろいろ楽しく過ごしてます。

  ただ、1年前に比べて明らかに忙しく、それはもちろんありがたいことに決まってますが、逆に休日はくたびれ果てて寝てばかりということも。そのためえにっきの更新も間隔が開いてしまったり、ニャンコに会いに行く機会をつかめずにいたり、それはそれでまたちと寂しい…

  少し先ですが遅い夏休みの計画もあるので、そのときは顚末を記したいと思います。これからもどうかご贔屓に

  最後にひとつヨタ話を。

  親会社の電鉄はもちろん、スーパーをはじめ子会社なども加入している「東京西南私鉄連合健康保険組合(西南健保)」というのがあります。起源は戦前の目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄にまでさかのぼる歴史ある組合で、戦後に東急が京王や小田急、京急などを分離した後でも健保組合は引き継がれました(小田急は後に健保組合も分離)。「大東急」は意外やこんなところで生き残っています。