山楽ぶらり探訪

国のまほろば大和の山野、寺社をぶらっと訪ね歩きます。
山川草木。日々是好日。

下市新住 丸尾の桜01

2007-03-31 21:46:32 | Weblog
下市新住 丸尾の桜01

 千石橋南詰めを右方向に直進。ハローワーク、吉野保健所から400mほどで丸尾の集落に入ります。左手の高台に太い幹から枝を四方に垂らした見事な「シダレ桜」が見えて来ます。少し手前で左手の坂を上がり民家の前をを廻って桜の下へ行けます。樹高20m、幹周り4mで、推定樹齢200年の桜です。ここは江戸時代、新住村と云われ、丸尾区に人が住み始めた頃の共同墓地で、ご先祖さんが春から子孫の墓参りを願って植えられたそうです。
 

下市新住 丸尾の桜03

2007-03-31 21:43:31 | Weblog
下市新住 丸尾の桜03

 この丸尾の桜は、Tさんの祖父、彌三吉さんが両親の供養に植えられたということで、このほど「彌三吉桜」と命名されました。

 先に樹齢200年ほどと記しましたが、専門的な測定がまたれます。

下市新住 宮前寺の桜01

2007-03-29 18:54:22 | Weblog
下市新住 宮前寺の桜01

 吉野郡下市町新住(溝ノ上)
神光山 宮前寺 浄土真宗
本尊   阿弥陀如来立像
創立 藤谷山七世教空三男教円、永享12(1440)年2月、新住村に道場を創設し吉野郡西北部の門徒を教化する。時に長禄3(1459)年本願寺八世蓮如上人、当地に遊化されるや宮前寺の寺号を賜る。明応4(1495)年開基教円は、蓮如上人願行寺を建立されるにおよんで、瀧上寺淨空、越部、弘願寺教俊と共に「吉野三僧」と称し、真宗念仏の興隆に寄与した。寺宝、文亀3(1503)年、本願寺実如上人裏書、方便方身尊像、宗祖親鸞聖人木像(『大和下市町史』には、開基教円坐像とある。)室町時代。

下市新住 宮前寺の桜03

2007-03-29 18:05:32 | Weblog
下市新住 宮前寺の桜03

 境内に入ると春爛漫。枝垂れ桜の下には、水仙、ムスカリ、パンジー、キンギョソウなどの花々が咲き誇り、まさに極楽浄土を思わせる風情を醸していました。

バイモ(貝母)

2007-03-28 20:10:13 | Weblog
バイモ(貝母)

 一般名:バイモ(貝母) 
 別名:アミガサユリ(網笠百合)
 科属名:ユリ科バイモ属
 原産地:中国 草丈:40~60cm 花期:3~5月 花色:薄緑 花径:3~4cm

  バイモ(貝母) は、まっすぐに伸びた茎や花、葉は薄緑色で、細い葉の先端が 巻いている耐寒性球根植物です。
  花は下向きに咲く釣鐘型で色ともに地味ですが、背丈があって存在感がありま すので日本庭園に似合いそうです。バイモという名前は球根が二枚貝に似ている ことから付けられ、別名のアミガサユリという名前は花びら(花被片)の内側が網 目模様になっていることから付けられました。球根からは鎮咳・解熱・止血に効 用があるといわれる漢方薬が作られます。

橘寺 中門

2007-03-25 12:26:32 | Weblog
橘寺 中門

 橘寺は聖徳太子の誕生地として伝えられ、法隆寺などとともに太子創建七ヶ寺の一つの尼寺と伝えられています。
 8世紀の最盛期には、堂宇66の大寺院であったと言われていますが、現在は本堂、太子堂、経堂、観音堂が残るのみで太子堂に安置されている本尊は聖徳太子35歳の像で、太子の彫刻としては最も古いもの。
 伽藍配置は、中門・塔・金堂が直線状に並ぶ四天王寺式であるが、当時の寺院は南向きのものが多い中、この寺院は珍しく東向きです。

橘寺 二面石

2007-03-25 12:12:24 | Weblog
橘寺 二面石

 明日香には、猿石・亀石・鬼の雪隠・鬼の俎・酒船石など謎の石像や工作物がいくつかありますが、橘寺本堂南側に二面石があります。
 この石は、左右両面に顔が刻まれ、人の善悪の表情を表裏一体にしたものだといわれています。
 寺伝によると、北面を善、南面を悪とした「善悪二業一心所造」を表わすという・・・・。とのこと。人間は誰しも二つの人格を備えていると言われていますが・・・・、それが人間の業と言うものでしょうか?

橘寺 天井画

2007-03-25 11:57:22 | Weblog
橘寺 往生院の天井画

 阿弥陀三尊を本尊とする往生院は、太子の念仏精神を今日に生かさんとして平成9年に再建。念仏写経道場として活用されています。道場内の格天井には著名な画家による260点の華の天井画が飾られています。