山楽ぶらり探訪

国のまほろば大和の山野、寺社をぶらっと訪ね歩きます。
山川草木。日々是好日。

高取城まつり 3-1

2006-11-29 11:11:27 | Weblog
高取城まつり 3-1

 高取城 紅葉 01

城まつり当日、幕末高取城を攻めた天誅組戦士となって、高取城をゲームやクイズに答えながら攻めるポイント制ウォークラリーが行われました。
 高取城へは、壷阪山駅から土佐街道(夢創館・児童公園)を経由して砂防公園、宗泉寺~高取城(4.5km、約100分)へ、帰路は壺阪寺を経由して夢創館に至るコースで、11のチェックポイントがありました。

高取城まつり 3-2

2006-11-29 11:09:55 | Weblog
高取城まつり 3-2

 高取城 紅葉 02

 南北朝時代、豪族の越智氏がかきあげ城として築くが、郡山城に入府した豊臣秀長の命により、1585年本多氏により大修築が始まる。本多氏以後、譜代大名の植村氏の居城となり幕末まで続く。
 平地からの高低差390mは、難攻不落という視点から日本一の山城。城内は周囲が3km、郭内は周囲が30kmの規模を誇り、標高583.9mの高取山全体が山城といっても過言ではない。

高取城まつり 3-3

2006-11-29 11:07:43 | Weblog
高取城まつり 3-3

 高取城 紅葉03

 大和高取城は奈良盆地と吉野地方との間に障壁のように連なる山塊中の高峯にあり、近世の山城としては異例の高さと規模を有し、日本百名城に選定されました。

 大和盆地から眺める高取城は如何に壮大で美しい城であったことか・・・・・・「巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城」・・・歌として城内の句碑に刻まれています。

 本丸跡からは東に高見山、南に大台、吉野大峰の山々が、国見櫓跡からは金剛葛城、二上山に囲まれた奈良盆地を眺めることができます。

高取城まつり 2-03

2006-11-27 12:29:22 | Weblog
高取城まつり 2-03

 大道芸 南京玉すだれの皆さんのパレード

南京玉すだれ(なんきんたますだれ)とは、日本の大道芸の一つ。歴史のある芸で伝統芸能であるとも言える。一人の演者が長さ20~30数センチの竹製の小型のすだれを持ち、唄にあわせて踊りながらすだれを変化させて釣竿、橋、しだれ柳、旗などに見立てる。

「アァ、さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉簾。」の威勢良い掛け声とともに玉すだれをおもむろに取り出し、「ちょいとひねれば、ちょいと、ひねれば、日米国旗に早変わり。日米国旗をちょいと伸ばせば、・・・」といった風に、簾の形状を次々と変えながらのパレードでした。

 メイン会場の児童公園では南京玉すだれや居合い術、バナナの叩き売りなどの大道芸が披露されていました。

高取城まつり 1-01

2006-11-23 19:53:19 | Weblog
高取城まつり 1-01
 火縄銃の実演
 日本にヨーロッパから鉄砲が伝来したのは 1543 年 (天文 12) が通説になっており,この銃は種子島に伝わったことから種子島銃と呼ばれるが,火縄式のマスケット銃であった。マスケット銃は当時の戦国大名の間に驚くべき速さで普及し,堺,国友 (近江) では鉄砲鍛冶が盛んに製作した。

高取城まつり 1-02

2006-11-23 19:48:11 | Weblog
高取城まつり 1-02
 火縄銃の実演 02

1575 年 (天正 3) 信長は長篠の戦で 3000 の鉄砲隊をもって無敵の武田騎馬隊を撃破したが,この勝利の背後には堺の資金と鉄砲があったであろう。こうして戦国乱世は,鉄砲の出現によって信長,秀吉,家康と急速に天下統一の歩みを速めることになった。鉄砲が技術的に最も頂点を極めたのは大坂の陣のころであった。

高取城まつり 1-03

2006-11-23 19:46:47 | Weblog
高取城まつり 1-03
 火縄銃の実演03

 今日、11月23日(祝)高取町土佐の児童公園及び高取城跡を会場に、真紅に燃える「山城の紅葉」と「歴史のロマン」の祭典!《たかとり城まつり》が行われました。火縄銃の実演は迫力がありました。