山楽ぶらり探訪

国のまほろば大和の山野、寺社をぶらっと訪ね歩きます。
山川草木。日々是好日。

聖徳太子

2007-02-23 20:03:19 | Weblog
聖徳太子

本名は厩戸(うまやと)で、厩戸の前で出産したことによるとの伝説があるが、生誕地の近辺に厩戸(うまやと)という地名があり、そこから名付けられたという説が有力である。

聖徳太子は後世につけられた尊称であるため、現在、日本の学校教育では正称である「厩戸王」と呼んでいる。聖徳太子に関しては謎も多く、聖徳太子は存在すらしなかったのではないかとする説もある。

聖徳太子は信仰の対象として、その事蹟には多くの潤色が含まれている。 教科書での呼称を「聖徳太子」から「厩戸王」に移すなど、これを歴史上の人物(厩戸王)として見直す動きは進んでいます。

 聖徳太子の肖像画は過去に紙幣(日本銀行券)の絵柄として何度か使用されている。特に高度成長期に当たる1958年から1984年に発行された「C一万円券」が知られており、高額紙幣の代名詞として「聖徳太子」という言葉が使用されていた。
               ※ フリー百科事典ウィキペディアより

叡福寺・聖徳太子御廟

2007-02-23 20:02:27 | Weblog
叡福寺・聖徳太子御廟

 推古天皇30年(622)斑鳩宮(奈良県斑鳩町)で薨去された聖徳太子は太子町の五字ヶ峯南麓の墓に埋葬されました。
 この聖徳太子御廟は「母の穴穂部間人皇后や妃の膳郎女も葬られている三骨一廟とされ、この三人を阿弥陀三尊になぞらえて信仰されてきました。

 この聖徳太子のお墓は、磯長山の丘陵を利用した円墳となっており、内部は横穴式石室だそうです。また、管理は叡福寺ではなく宮内庁管轄となっています。写真正面の扉に菊のご紋が、右に宮内庁の注意書きがあります。

太子道をたずねる集い01

2007-02-22 20:51:04 | Weblog
太子道をたずねる集い01

法隆寺主催の「太子道をたずねる集い」が、聖徳太子のご命日である2月22日に斑鳩町(いかるがちょう)の法隆寺から大阪府太子町に佇む叡福寺・聖徳太子御廟までの太子道約20km<磯長(しなが)ルート・葬送の道とも言われる>を寺社や遺跡を巡り、途中、解説を聞きながら、太子を偲びつつ歩きました。(一部バス利用)参加人数は約150人。
 快晴の午前9:00 仏法を守る八部衆が担ぐ聖徳太子像を乗せた輿(こし)を先頭に僧侶らも同行、3班に分かれた一行が法隆寺を出発しました。

太子道をたずねる集い02

2007-02-22 20:50:16 | Weblog
太子道をたずねる集い02

 この太子道をたずねる集いは毎年2月22日(磯長ルート)と11月22日(明日香・橘寺コース)の2回行われ、今年は11年目、21回目の開催です。
 〈磯長ルート・葬送の道〉は法隆寺…龍田新宮…達磨寺…尼寺廃寺跡…正福寺…志都美神社…どんづる峯…叡福寺(聖徳太子御廟)(大阪府太子町)

 写真は香芝市の尼寺廃寺跡です。この一帯はすでに住宅地にもなっていますが飛鳥時代(六百年代)に創建された寺院跡で南北に200m隔てて南遺跡があるとのこと。飛鳥時代後半の仏教文化を考える上で重要であることから平成14年に国史跡に指定されました。

太子道をたずねる集い03

2007-02-22 20:49:31 | Weblog
太子道をたずねる集い03

 午後4時予定通り、太子道最終の到着点、磯長(しなが)叡福寺の聖徳太子御廟に到着、御廟前に置かれた輿の太子像を拝謁しつつ僧侶の読経が静かに始まり、参加150名が遠巻きに太子像を囲み静かに手を合わせて威徳を偲びました。

 叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町にある仏教寺院。聖徳太子の墓所があることで知られている。山号は磯長(しなが)山、本尊は如意輪観音である。開基(創立者)は聖武天皇ともいい、聖徳太子または推古天皇ともいう。宗派は真言宗系の単立寺院で、太子宗を名乗る。また「中之太子」野中寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「上之太子」と呼ばれている。
 (出典 ウィキペディアより)

 境内では枝垂れ梅が満開を向かえ、2羽のウグイスが盛んに花びらをついばんでいました。

鏡作神社01 古代の鏡

2007-02-18 18:59:35 | Weblog
鏡作神社01 古代の鏡

田原本町の大字八尾に位置している鏡作神社の御田植え祭の見学に出かけました。神社は、近鉄橿原線の「田原本町」駅から北へ徒歩で約20分にあります。4世紀から5世紀にかけて、銅鏡の製作を専業としていた鏡作部が、このあたり一帯に住んでいたようで、彼らは神鏡と遠祖を祀る神社をこの地に建立しました。それが鏡作神社です。神社の正面には、新しく化粧しなおしたのか朱色も鮮やかな鳥居がそびえていました。

 写真は、神宝の唐草文帯三神二獣鏡です。
 古代には、鏡は単なる姿見ではなく神器でした。人の魂が宿るものとして最も崇敬されたものです。もちろん現代のようなガラス製ではなく、銅鏡です。

鏡作神社02

2007-02-18 18:58:06 | Weblog
鏡作神社02

 鏡作神社は古来より、鏡作りや鋳物業にたずさわる人々に信仰され、最近は美の神として技術の向上を願う美容師や化粧品関係者の参拝が多いという。
 「御田植祭」では、お田植舞や豊年舞、牛追いの儀式が行われ、慈雨と豊年が祈願されました。境内は、近隣の氏子やアマチュアカメラマンで賑わいを見せていました。
 写真は、御田植え舞いの後の豊年舞いで、14,5名の女性が腰に稲刈り鎌と稲穂つけてゆったりと舞っておられました。

鏡作神社03

2007-02-18 18:57:21 | Weblog
鏡作神社03

 鏡作神社の御田祭りは、御田植舞・豊年舞・牛使いをその特徴とするユニークな御田祭りです。牛が暴れる程、慈雨に恵まれると伝えられています。

 あらかじめ準備された田んぼは、昨夜の降雨でぬかるみ、急遽、拝殿前で男性による鍬や鍬を使っての苗代づくりや籾巻き、牛使いの神事が行われました。牛は農夫達の思うようには働いてくれませんでした。ことしは慈雨に恵まれ豊作になるでしょう。

津越 福寿草01

2007-02-15 17:47:18 | Weblog
津越 福寿草01

 一週間前は、一分咲きと言った程度でしたが、今日は日当たりの良い斜面では満開でしたが、全体的には三分咲き程度でした。
 
 今年の福寿草は茎が間延びしていて、花弁が乱れているように感じました。

津越 福寿草02

2007-02-15 17:39:33 | Weblog
津越 福寿草02

 キンポウゲ科フクジュソウ属の多年草。別名ガンジツソウ (元日草),北国ではマンサクと呼ぶこともある。短い根茎には黒褐色の堅い太い根が多数ある。寒さに強く,北国では雪どけと同時に,地下の根茎より茎を出し,伸びないままで花を咲かせる。花径は 3cmほど,花弁は多数あり,黄金色で輝いており,春一番に咲く花として喜ばれ,福寿草の名ができた。日本では北日本に多く,東または北斜面の乾燥のひどくない落葉樹林を好む。    ※ ネットで百科@Homeより抜粋