12気筒エンジン搭載のミッドシップ フェラーリ、ベルリネッタ ボクサーです。
ストラトスやカイマーノ、ブーメランなどが出品された1971年のトリノ ショーでデビューした後、73年から365GT4/BBとして市販開始、76年には 5リッターに拡大されBB512となりました。
3連テールランプは365の特徴のひとつですが写真のモデルは512ベースでしょうか。
ランボルギーニ カウンタックはこちらをご覧ください。→Lamborghini Countach LP400 1974-
ランチア ストラトスはこちらをご覧ください。→Lancia Stratos 1974-
フェラーリ 365GTB/4はこちらをご覧ください。→Ferrari 365GTB/4 1968-
フェラーリ BB512はこちらをご覧ください。→Ferrari BB512 1976-
<追記>
前半の写真の車はフロントをBB512風にしたフェラーリ 365GT4/BBのようです。
下段に2車のサイドビュー比較を追加しました。
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari 365GT4/BB Tokyo 2009年撮影 <2010年5月画像追加>
Ferrari 365GT4/BB Tokyo 2009年撮影 <2010年5月画像追加>
Ferrari 365GT4/BB Tokyo 2009年撮影 <2010年5月画像追加>
<参考>
<フェラーリ 365GT4/BB(前半の写真の車)とフェラーリ BB512とのサイドビュー比較>
(前後方向に長いボディがフェラーリ BB512です)
「前後ホイールセンター合わせ」の画像はこちらをご覧下さい。
「Fホイールアーチ合わせ」の画像はこちらをご覧下さい。
「Rホイールアーチ合わせ」の画像はこちらをご覧下さい。
ストラトスやカイマーノ、ブーメランなどが出品された1971年のトリノ ショーでデビューした後、73年から365GT4/BBとして市販開始、76年には 5リッターに拡大されBB512となりました。
3連テールランプは365の特徴のひとつですが写真のモデルは512ベースでしょうか。
ランボルギーニ カウンタックはこちらをご覧ください。→Lamborghini Countach LP400 1974-
ランチア ストラトスはこちらをご覧ください。→Lancia Stratos 1974-
フェラーリ 365GTB/4はこちらをご覧ください。→Ferrari 365GTB/4 1968-
フェラーリ BB512はこちらをご覧ください。→Ferrari BB512 1976-
<追記>
前半の写真の車はフロントをBB512風にしたフェラーリ 365GT4/BBのようです。
下段に2車のサイドビュー比較を追加しました。
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari Berlinetta Boxer Tokyo 1986年撮影
Ferrari 365GT4/BB Tokyo 2009年撮影 <2010年5月画像追加>
Ferrari 365GT4/BB Tokyo 2009年撮影 <2010年5月画像追加>
Ferrari 365GT4/BB Tokyo 2009年撮影 <2010年5月画像追加>
<参考>
<フェラーリ 365GT4/BB(前半の写真の車)とフェラーリ BB512とのサイドビュー比較>
(前後方向に長いボディがフェラーリ BB512です)
「前後ホイールセンター合わせ」の画像はこちらをご覧下さい。
「Fホイールアーチ合わせ」の画像はこちらをご覧下さい。
「Rホイールアーチ合わせ」の画像はこちらをご覧下さい。
BBだった様な記憶が・・。
違ったかな??
どちらもプロポーションは抜群で隙がないから
並べてみないとわからないかもしれませんね。
ただ512の特徴のNACAダクトがないので、365じゃないでしょうか?
わざわざ、埋めるとは思いにくいので。
素人の見解なので、あてにはなりませんが(汗)
現在は手元に書籍がありませんが(実家にある)当時の自動車専門誌に使われていた写真でフロントが512と同じなので「えっ!」と思った記憶があります。
この頃は日中交差点で信号待ちすると必ずといって良いほどフェラーリやポルシェが先頭で信号待ちしていたほどのバブル景気でした。
当時「六本木カローラ」と呼ばれたのはある時期のBMWの3シリーズの東京での新車登録台数がカローラをしばらく凌駕していたからとまことしやかに言われました。
昨年までは上海がそんな雰囲気だったそうで、現地の成功者の間ではBMWとメルセデスを飛び越え、ベントレーがステイタスシンボルとしてやたらと走っていたそうな。
いやあ、今考えてもバブル景気って本当に凄いものなんですね。
ぼくの周りでは今時フェラーリを所有されている方は自営業者はゼロで、サラリーマンの方(といっても航空会社に勤務されているパイロットさん達)だけになっちゃいました。社長さんは都バスで通勤していて話題になりましたが。
元自動車少年様が仰るこの通り、今だとプラダなどがありますが、ここの街路樹とかは、ハンズを仕掛けた浜野安宏サンがフロムファーストを作る際、働きかけたそうでバブルの影の立役者だったのかなと今にして思います。
そういえば、元紀伊国屋跡地の3.16OPEN・AO(アオ)も浜野サン関係だったような。
いつも楽しく、そして楽しみに拝見させて頂いております。
365と512の見た目の違いですが
1.365はリアのオーバーハングが短い
2.365は3連マフラー
3.ファイバーボディ
4.フロントバンパーの形状
5.タイヤサイズ
だったかな?と思います。他にもあったかな?
ホイールベースは覚えてません。
写真の車両は、リアのオーバーハングが短い。(と思う)
マフラーが2連だが、取り付けられている位置が365と同じ。
512はもっと内側です。
フロントバンパーの形はスポイラー体式の512で色が512BBiの様な同色。
しかし、512BBiのフロントバンパーにはポジションランプが付いていたはず。
512BBのフロントバンパーを同色にした物を取り付けた、365GT4 BBではないかと思います。
家へ帰ってから調べてみました所、記憶違いがありました。
365はファイバーボディではありませんでした。
アルミの様です。
512と同じでした。
365はインテリア材がすべてFRP。
フレームは軽量化の為に強度ギリギリ。
その他にもFRPやマグネシウムパーツを使用した超軽量12気筒車だったみたいです。
当初、25台の限定生産だったが、追加生産したようです。
そして、正式なカタログモデルとする為にコストダウン、生産効率化を求めた512BBへとチェンジ。
手元にある資料では
365→1160Kg
512→1580Kg
となってますが、別の物では
365→1236Kg
512は+約150Kg
どちらにしろ、365は相当軽量だったみたいですね。
スリーサイズは
365→4360×1800×1120
512は管理人さんの記載と同じでした。
ホイールベースは同じみたいです。
外見の違いですが、512にはリアホイールの前にNACAダクトがありました。
しかし、写真の車両はリア周りを365に変えた物かもしれませんし、実際はどちらなんでしょうかね。
気になるな~
ぼくよりずうっとお若い方に違いないと存じますが、いやいや浜野先生をご存知だとは驚きました。かつて浜野商品研究所や田中一光事務所というとぼくらデザインや広告に関係する者には知らない者はもぐりと言われたぐらいですがまさかこの場でその話題になるとは思いもしませんでした。本当に良くご存知で感心致します。
余談ですが、浜野先生は年季が相当入った方で赤坂のMUGENというクラブの仕掛け人でもありました。当時高校生だったぼくは年齢を偽って夜な夜な悪友と何度か通ったことがあります。入り口を入ってまず最初にクロークで妙齢の女性に上着を預かられ、ドキドキしながらミラーボールの煌く店内に入り外国人と日本人が入り乱れた大人の夜の世界を初めて体験しました。
つたない記憶ではタレントの今野雄二氏やモデルの山口小夜子さん、オーストラリアのプロテニスプレイヤー、ジョン・ニューカム氏(といっても知らない方の方が今は多いでしょうね)、そうそうあのライオネル・リッチー氏も近所のクラブでライブに出演していてオフタイムだったのでしょうか、行く度に見かけましたよ。
明け方になって友人と赤坂から乃木坂を登っていく帰路の途中に中古車販売店があって、黄色のディーノが露天で650万で売られていたのを暫く立ち止まって見ていました。かまやつさんも当時ディーノに乗っておられまして飯倉のキャンティーの前でよく見かけ随分憧れたものです。プロゴルファーのジャンボ尾崎氏のエスパーダを見た時も衝撃でした。
70年代に入って間もなくの昔々の東京赤坂~乃木坂経由飯倉の点景でした…。
90年代に入ってからだと思いますが、六本木、WAVEに寄った後ABCで『リゾート感覚』という著書に惹かれ購入、浜野先生の最大の功績だと思いますが、バリの『Bari must not become another hawai』の経緯に感動し、その頃読んでいた『ハートフルに遊ぶ』以上の親しみを感じました。
その後、飯倉のAXISからハンズ、WAVEなど好きな所がみんな浜野先生だと知り、敬意を感じました。
思えば、少2でデビューサザンが好きになり、少5で『なんとなく、クリスタル』に触れ、ちょっとおかしな(マセタ)いびつな人間だったのかもしれません。
90年がハタチでしたので、浪人もありイマイチバブルの恩恵は受け切れなかったで、10年早く生まれていれば最も好きな音楽・ラブアンリミテッドの『愛のテーマ』など70年代SOULにリアルタイムに触れられたのにと悔やみました(笑)。
それもあり、ここで以前触れましたが、Cカーとコンセプトカー(ミトス)が一体化した、バブルの最中夢見たのが実際現れた様なF50,今も夢の1台です。
たぶん、同世代よりは詳しい(笑)と思いますので、またいろいろ教えて下さい。