1912年に白楊社を設立して機械設計や工作機械の製造を行っていた豊川順彌氏が1921年から開発を進め1924年に「量産」を開始したオートモ号です。
1928年に白楊社が倒産するまでに230台ほどが生産されたようです。
写真の車はトヨタ博物館と国立科学博物館により近年復元されたものです。
Otomo 1925 Chiba The 35th Tokyo Motor Show 2001年撮影
Otomo 1925 Tokyo 2008年撮影
Otomo 1925 Tokyo 2008年撮影
<参考データ>
FR/L4,0.94L/Wheelbase 2,032mm,Length 3,030mm,Width 1,212mm,Height 1,636mm
1928年に白楊社が倒産するまでに230台ほどが生産されたようです。
写真の車はトヨタ博物館と国立科学博物館により近年復元されたものです。
Otomo 1925 Chiba The 35th Tokyo Motor Show 2001年撮影
Otomo 1925 Tokyo 2008年撮影
Otomo 1925 Tokyo 2008年撮影
<参考データ>
FR/L4,0.94L/Wheelbase 2,032mm,Length 3,030mm,Width 1,212mm,Height 1,636mm
昔、何故戦前戦後の復興が早かったのかという本を読み、何でも基本的な学問の体系が江戸で出来ていたのが理由だと知ったのですが、こういうのを見ると、足元に素晴らしいものが転がっているのだと思います。
クロガネ四駆の生みの親はこの白楊社出身だそうです。
白楊社に在籍したエンジニアには後の自動車業界で指導的な役割を担った人が多いそうです。
残念ながらこのオートモ号は同時代にノックダウンされたフォードやシボレーに惨敗してしまい撤退を余儀なくされてしまいましたが・・・
ずっと拝見しています。今日は少し時間が出来たので、旧い少し前の記事までよくよく読み返していると、オートモ号の写真に目がとまりました。そこには“東京 絵画館前 2008年撮影”とあるではないですか。私はあの日、ランチェロのスクワイアというクルマでエントリーしていたのですが、まさかあの場にいらっしゃるとは思いませんでした。直接お話しする機会があったのではないかと思うと残念で。ちなみに、ランチェロやエルカミーノといったセダンピックアップを60~70年代の日本の路上で見かけることはあったのでしょうか?もし写真があれば是非拝見したく存じます。何だか取り留めのないコメントになってしまい申し訳ありません。今後とも楽しみしております。
絵画館前では30分しか撮影の時間がなくて展示車の半分も撮れませんでした。すみません、ランチェロも撮れませんでした。
お尋ねの件ですが60~70年代のセダンピックアップの写真は残念ながらないんですよ。見ていれば絶対撮っているはずなんですけれど。
DESK-TOP GARAGE、少し拝見しました。
青いエルドラド、素晴らしくキレイですね、思わず自分でも作りたくなりました。(技術もなにも持ち合わせておりませんが・・・)
またお気軽にお越しください。お待ちしています。