千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『パリ・オペラ座のすべて』

2009-10-24 17:07:30 | Movie
154名の美しくも強靭なダンサーと彼らを支える1500人ものスタッフ。世界最高峰のひとつに数えられるバレエ団のひとつ、パリ・オペラ座。映画『王は踊る』でも描かれているように、当バレエ団は太陽王とも言われたフランスのルイ14世が情熱と権力を行使して膨大なお金をつぎこんで創立した350年の歴史を誇る世界最古のバレエ団でもある。その伝統あるパリ・オペラ座から全面協力をえて、84日間に及び密着撮影を行ったのが、”現代社会の観察者”として評価の高い米国のドキュメンタリー作家のフレデリック・ワイズマンである。

まだ朝の眠りからようやくさめたばかりのパリの空。その空の下には特徴のあるたまねぎのような丸い屋根があり、威厳に満ちたパリ・オペラ座がどっしりと構えている。映画では、このオペラ座の屋上からの眺めが何度もくりかえされて登場する。車の走る音が遠くに聞こえる屋上で、意外な生物による職業が成り立っているかと思うと、光の届かない地下にはまた驚く生き物が生息している。パリという街の奥の深さに興味津々なのだが、そんな小さな可愛らしい生物よりもはるかに圧倒されるのが、バレエダンサーという職業の美の化身のような生き物たちである。

エトワールというほんの一握りの選ばれたダンサーを頂点とした、厳密な階級社会のパリ・オペラ座。カメラは恵まれた容姿と才能という意味で幸運な彼らの厳しいレッスンと振付家による”日常”が次々と流れていく。汗をふき飛ばしながら、音楽とともに高く軽く舞いながら跳躍する彼らとは別に、静かに黙々と衣装を縫い小道具を整える職人たちの姿も芸術に奉仕していながら、それもひとつの”日常”のひとこまである。大口のスポンサーのためのオモテナシに知恵をしぼったり、資金運営に頭を悩ます事務局の面々、彼らは42歳定年の国家公務員であるダンサーたちに年金制度の説明もしなければならない。
舞台に登場する演目はジェニュス、くるみ割り人形、メディアの夢、パキータ、ロミオとジュリエット、ベルナルダの家、オルフェオとエウリディーチェ。古典からコンテンポラリーまで、練習風景からリハーサル、本番と芸術が創出されていく現場の熱気が伝わってくる。しかし、映画の視点は、芸術というほんのつかのまの非日常の時間と空間を生み出すための膨大な過ぎ去って流れていく”日常”の160分のコラージュにある。

巨匠と言われるフレデリック・ワイズマン監督は、『チチカット・フォーリーズ』『高校』『軍事演習』『州議会』等、これまで冷静な観察者として社会だけでなくアメリカという国も表現してきたと思う。92年に『アメリカン・バレエシアターの世界』も撮ってきた監督が好きなバレエの世界で、舞台をパリ・オペラ座に移した動機は「階級社会」だそうだ。確かに、舞台が終演した後に掃除をしている黒人や修理にせいをだす人々もいる。しかし、容姿が重要なバレエで黒人が古典の「白鳥の湖」でジークフリート王子やオデット姫を踊るには向かないのと同じように、容姿と才能がつまり階級を決めるのも当然であり、そこに「階級社会」をみてもそんなものかと感じるだけである。むしろ『エトワール』の方が映画としての魅力には富んでいたような印象もあるが、音楽も最後までいく前に無情にもきってしまう編集の冷徹さは、バレエ好きの女子うけねらいとは完全に違う路線をいっているからだろう。それにしても、私が鑑賞した11日の初回終演後には午後4時30分開演の分まで席は完売という大ヒット。160分と延々と乾いたドキュメンタリー映像が、そんなに一般に受けると思っていなかったのだが。

もっともワイズマン流といえば、ナレーションもなし、キャプション、インタビューもいっさいなし。ナレーションや解説で作家側の”意図”を親切にもすりこませる手法はいっさいとらないので、観る人それぞれが感じとればよいのだろう。私は、山岸凉子さんが「テレプシコーラ」の主人公、六花に期待したいのが振付家というのが、とても実感できる映画だった。これまでバレエといえば、古典オンリーだったがコンテンプラリーの魅力にはまりそうだ。

監督:フレデリック・ワイズマン
2009年フランス・アメリカ製作


最新の画像もっと見る

コメントを投稿