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まだ朝の眠りからようやくさめたばかりのパリの空。その空の下には特徴のあるたまねぎのような丸い屋根があり、威厳に満ちたパリ・オペラ座がどっしりと構えている。映画では、このオペラ座の屋上からの眺めが何度もくりかえされて登場する。車の走る音が遠くに聞こえる屋上で、意外な生物による職業が成り立っているかと思うと、光の届かない地下にはまた驚く生き物が生息している。パリという街の奥の深さに興味津々なのだが、そんな小さな可愛らしい生物よりもはるかに圧倒されるのが、バレエダンサーという職業の美の化身のような生き物たちである。
エトワールというほんの一握りの選ばれたダンサーを頂点とした、厳密な階級社会のパリ・オペラ座。カメラは恵まれた容姿と才能という意味で幸運な彼らの厳しいレッスンと振付家による”日常”が次々と流れていく。汗をふき飛ばしながら、音楽とともに高く軽く舞いながら跳躍する彼らとは別に、静かに黙々と衣装を縫い小道具を整える職人たちの姿も芸術に奉仕していながら、それもひとつの”日常”のひとこまである。大口のスポンサーのためのオモテナシに知恵をしぼったり、資金運営に頭を悩ます事務局の面々、彼らは42歳定年の国家公務員であるダンサーたちに年金制度の説明もしなければならない。
舞台に登場する演目はジェニュス、くるみ割り人形、メディアの夢、パキータ、ロミオとジュリエット、ベルナルダの家、オルフェオとエウリディーチェ。古典からコンテンポラリーまで、練習風景からリハーサル、本番と芸術が創出されていく現場の熱気が伝わってくる。しかし、映画の視点は、芸術というほんのつかのまの非日常の時間と空間を生み出すための膨大な過ぎ去って流れていく”日常”の160分のコラージュにある。
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もっともワイズマン流といえば、ナレーションもなし、キャプション、インタビューもいっさいなし。ナレーションや解説で作家側の”意図”を親切にもすりこませる手法はいっさいとらないので、観る人それぞれが感じとればよいのだろう。私は、山岸凉子さんが「テレプシコーラ」の主人公、六花に期待したいのが振付家というのが、とても実感できる映画だった。これまでバレエといえば、古典オンリーだったがコンテンプラリーの魅力にはまりそうだ。
監督:フレデリック・ワイズマン
2009年フランス・アメリカ製作
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