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「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」川本三郎著

2011-06-27 22:49:52 | Book
”あの時代”・・・たくさんのデモ、内ゲバ、政治的挫折、そして死。
アメリカの女性作家ボビー・アン・メイソンの著書「インカントリー」では、60年代に憧れる17歳の娘に
「いい時代じゃなかったのよ。いい時代じゃなかったなんて思わないことね」
とシックスティーズ60年代世代の母親が諭しているそうだ。
”あの時代”、1968年から72年にかけて朝日新聞社に勤務して「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者だった川本三郎さんの回想録が本書である。

同じタイトルの映画『マイ・バック・ページ』が自伝的映画だとしたら、本書はまさに川本さん自身が体験した苦くも厳しい青春の蹉跌である。それは、彼にとっては、長い間忘れようとしていた時代だが(私には逃げようとしていた時代に思える)、しかし、一度しっかり向き合って”総括”しなければ永遠に”あの時代”から彼は自由になれない。

前半は、あの時代に川本青年を通り過ぎた若者たちが語られている。映画にも登場した「週刊朝日」のモデルを務めた保倉幸恵、センス・オブ・ギルティを議論する米国からきた記者スティーブ、日比谷高校の早熟で美青年のM君と彼の恋人。そして、戦争で両腕と両脚を失った50歳ぐらいの取材相手の男性。国会周辺ではデモがあり、羽田空港では機動隊と学生が衝突し、東大安田講堂陥落、ヒッピーが歌い、熱気に包まれた時代の中で、「記者」という特権で安全な場所で傍観者でいることに疑問を感じた川本青年の前に現れたのが、「赤衛軍」を名乗るKだった。その後の顛末は、映画と殆ど同じで23日間留置所に入れられ、犯人隠匿及び証拠隠滅罪で有罪判決を受けるまでが後半。

当初、いかがわしいKだったが彼を思想犯として考え「取材源の秘匿」にこだわり、川本さんが頑固にジャーナリストのモラルにこだわった背景には、山本義高や滝田修らが知的エリートであり、彼らが自らの社会的意味を自己否定してゆく姿に清潔さを感じていて、同じく東大出身の川本さんなりのKに対するある種の負い目や同情が事件に傾斜していったのではないだろうか。社内でも孤立していく彼を気の毒だとは思うが、様々な点で、ジャーナリストとして考えが浅く、意固地になり甘かったとしか言いようがない。本書を改めて読んで、この状況下で、共犯者にされなかっただけでもよかったと私には思える。しかし、それは今の世代の、社会経験がそれなりにあるオトナの私だから言えることだ。

重要なことはあの時代の川本さんの行動や考え方の是非を説いたり、批判することではない。ジャーナリストを志し、就職浪人までして入社した朝日新聞を懲戒解雇され、事件後は政治について語ることを川本さんは禁じてきた。その資格がないからだ。それも当然の報いだ。何の罪もない人がひとり亡くなっているのだ。それでも、大きな、大きな挫折の後に生きていく場所は文学しかなかった川本さんだが、評論や映画批評では活躍されているのは周知のとおり。人間、何とかやっていけるものだ。
映画化に際し、監督も脚本家も1972年当時まだ生まれていなかった若い世代であることに意味があることがわかった。何故ならば、川本さんはあの時代はいい時代じゃなかったが、誰もが他者のことを考えるかけがえのない”われらの時代”だったと言う。60年代世代の後、私たちはそんな”われらの時代”をずっと見失っている。

■アーカイヴも
映画『マイ・バック・ページ』
「小説家たちの休日」


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