宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

地球に設置した情報端末

2021年11月12日 | 精神世界を語る
数年ぶりにブログを再開したばかりなので、自己紹介を兼ねて、自分のこともいろいろと書いている。それというのも、久しぶりに昔の記事を読み返してみると、自分の強みと弱みをヒシヒシと感じるからだ。

良くも悪くも、筆者はとにかく知識が多い。文系ジャンルは特に得意で、哲学の話をしているときは普通に哲学マニアだし、歴史の話をしているときは歴史マニアにしか見えない。法律・経済・会計・金融・不動産といった実務的な分野だけでも、「ずいぶん、何にでも詳しいんですね」と感心される。それでいて、理系ジャンルにもそこそこ強い。学習塾で数学や理科の先生をやってた時期もあるし、技術者のタマゴの人たちに講義したことすらある。

先日は、車で移動してたところ、同乗者が車内でクラシック音楽を聞き始めたが、筆者が「これはブルックナーの交響曲第6番の第2楽章」とか、「これはプロコフィエフのバイオリン協奏曲第1番」とか、たいていの曲を知ってるので相手はビックリしてしまった。美術館や博物館にもずっと通い続けているので、西洋美術でも東洋美術でも、たいていのことは知っている。

これだけ知識を収集するには、いくら地球で何十年も生きてきたといっても、かなり寸暇を惜しんで忙しく取り組む必要があった。真っ当に生きてたんじゃ、日々の生活に忙しくて、とても無理だろう。明らかに、人生の重点がそっちに行ってしまっている(笑)

こんなに知識を集めてきたのは、自分の強みでもあるけれど、同時に弱点にもなっている。あまりにも、ムダな回り道が多すぎた。もしも精神世界に専念して、それだけをずっとやってきたとしたら、もっと優秀なスピリチュアリストになったことだろう。それを思うと「これで良かったのか?」と思わずにはいられない。

というのも、精神世界を探求する上では、むしろ余計な知識や雑念を捨てて、霊的な感性を研ぎ澄ますだけに専念した方が良い。スポーツマンが、余計な筋肉をつけない方が良いのと同じだ。スピリチュアリストに、余計な知識は必要ない。それを思うと、自分で自分の限界を作ってしまったかもしれない。最近しみじみ、そう思うようになった。もっと早く、そこに気づくべきだった(ていうか、そうなるのは分かってたけど)。でも、こうなった以上は、まあ仕方ないか。

これは今に始まったことではないのかもしれない。以前、「霊感が強い」と評判の人物に会ったとき、「過去世で会ったことがある」といきなり言われたことがある。「あれは、古代ギリシャだった。アナタはものすごく博学で、妙になんでも知っていた」と初対面でいきなり言われた。

その「古代ギリシャの過去世」については真偽不明だからさておくとして、それくらい、筆者は妙に必死で地球の情報を収集してきた。「自分は、宇宙のどこかにある本体意識から、地球に送り込まれた情報端末なのだ」というゆえんが、そこにある。この地球史上最大の変容の時期に、ここで何十年もかけて、ひたすら情報をカキ集めているのだ。「興味深い時期なので、ここは地球に情報端末を1個、設置しておこう」という感じ。

今は地球人類にとって、最大の変容の時期だ。地球にいる目的は人それぞれにあるだろうが、結局のところ、重要なのはそこに尽きる。正直なところ、自分の人生のことより、「地球の変容」の方がよほど気になっている(笑)。これに比べると、自分のことなど、とても小さなことに思えるからだ。というのも、地球人類が変容すれば、自分もつられて変わるに決まっている。「大は小を兼ねる」という言葉の通り。

地球の歴史を振り返ってみると、それがよく分かる。地球の歴史はだんだん加速してきており、いまは途方もなくスピードが速い。スピードが速いとは、それだけエネルギーが大きいということ。地球の人口は70億人を突破し、信じがたいほど巨大な集団と化した。

いってみれば、超大型トラックが、レーシングカーなみの猛スピードで疾走している状況。それが、いまの地球人類。

この興味深い変容を見届けるため、宇宙の各地から観察者が集まっていることは、よく知られている。それは、「宇宙船を地球に派遣する」というやり方だけではない。意識の一部を地球に送り込み、そこで地球人として生活させながら定点観測するという、よりダイレクトな方法もある。

「自分は何のために生きてるのか分からない」と悩んでいる人もときどきいるけど、そういう目的で地球に滞在していることも考えられるだろう。筆者の場合は、情報を収集するのに忙しくて、そんな風に悩んだことがない(笑)

(続く)


ポジティブ行きの列車に乗る

2021年11月07日 | アセンション ~ 地球の次元上昇
前にも書いたけど、かつては宗教マニアだった。仏教・キリスト教・イスラム教、どれも大好きで大いに学んでいる。それだけでなく、日本の新宗教についても、たいていのことは知っている。よく、「本物の教えを求めて、いくつもの宗教を遍歴しました」というような人がいるけど、筆者はそうではない。多くの宗教を同時に並行してやってきた。だから、どこかの宗教の信者ではないけど、「宗教マニアです」と言っている(笑)。

同じ頃に、「ラー文書」や「バシャール」も出てきて、宇宙人チャネリング・ブームが起きた。とくに、バシャールは早くから日本にも紹介されて、大きな影響を及ぼした。筆者は、この方面からも大きな影響を受けている。本ブログは、それでできてるようなものだ。

それにしても、「1999年、7の月」のノストラダムス大予言、「2012年の冬至」というマヤ暦終了。この2つの節目は大きかった。どちらも、宗教界やスピリチュアル業界に大きな影響をもたらした。感想はいろいろとあるだろうけど、個人的にはどちらも本当の転換点だったと思う。

そもそも、物事には「期限」というのが必要だ。仕事も、「今週の金曜日までに、この申請書作成を完了しなければ」とか、「今月は3月の期末だ。それまでに営業目標を達成しなければ」とか、そういうのがあるから、仕事が進む。全部が無期限なら、何も進まない。

だからといって、地球人類の意識変容にまで「期限」を設定するというのも、ちょっと強引な話ではある。頭で考えると、それはおかしいと思う。自分自身のことなら期限を設定して取り組むのもいいけど、「地球人類」では大きすぎる。「早くしろ」と言ったところで、どうなるものでもない(笑)。それは分かっているのだが、こればっかりはヤメられない。

というのも、幼少の頃から「地球人類はもうすぐ進化します」とか、「地球はもうすぐ変容します」とか、そういう話が大好きで、このテーマになると、熱くなってくる。

ちなみに日頃の筆者は、まったくの現実主義者だ。昔からそうだったわけじゃないんだけど、長いこと、ずっと現実主義の世界に身を置いているおかげで、だんだん染まってきてしまった。「私は、まったくの現実的な人間です。そんな私が、アセンションに関心を持ち、研究しているのです」(船井会長か?)と主張するわりに、本人は現実的どころかコテコテにスピ系っぽいという人がたまにいるけど、筆者はそうではない。本当に一見、単なる現実的な人間だ。コテコテなのは頭の中だけで、外面には表れていない。好き好んでそうなったわけじゃなくて、本当は、そうなりたくなかったんだけど・・・。

若い頃は思いっきりスピリチュアルで大幅に浮き世離れした人間だったが、年とともにだんだん俗世間に染まって、地球で生きるという技術が少しずつ上達する。それが、地球環境に慣れるという生き方。それも、「地球での人生を経験しにきた短期滞在者」にとって、1つの方向性といえる。時間をかけて、この地球環境に慣れていく人生。「郷に入りては郷に従え」だ。もっとも、ここに慣れたからといって、だからどうだってわけでもない。いつまでもいるわけじゃないんだし、地球で生きるという技術は、地球でしか役に立たない。

そういうのが、このブログにも表れている。「アセンション」に異様な情熱を燃やしているわりに、「マトモすぎて驚いた」と言われる世界。「習近平にレプティリアンが憑依して地球征服を企んでいる。レプティリアンの台湾侵略を阻止するため、宇宙意識は武漢でウイルスをバラまいた」とかなんとか、そういう話はここではしない(笑)。

また話が脱線して、脱線の方が長くなってしまった。「地球の変容は近い」というテーマで書き始めたんだった。著名なスピ系YouTuberの1人、並木良和氏が唱えているのは「2021年の冬至にアセンションのゲートが閉まります」 だから、もうすぐだ。ていうか、来月だ。「ゲートが閉まる」というのは、「ポジティブな地球」行きの列車が、いよいよ発車する。ポジティブな地球に行きたい人は、それまでに乗車しないと・・・ということ。もちろん、ポジティブな地球に行きたくない人は、乗らなくていい。人にはそれぞれに好みがある。今までのような地球で、スリリングなサバイバルゲームを続けたい人だって当然いる。それは好みの問題であって、「選ばれた者たち」とか、そういうことではない。

まあ、今年の年内が期限かどうかはともかく、この考え方には基本的に賛成だ。そろそろ、ポジティブ行きの列車に乗って出発したいところだ。じゃないと、目的地に到達するのはいつになること
やら・・・。でもって、ポジティブ行きの列車が目的地に到達するのがいつかというと、「2037年」ということだ。

(続く)

発達障害人の特徴 その4 ~ 地球環境になじめていない

2021年10月01日 | 精神世界を語る
この世の仕組みというのは、「オンラインゲーム」に似ている。

宇宙の中心には、巨大コンピュータがある。ここが、ゲームに関するあらゆるデータを提供している。大勢のプレイヤーがいて、それぞれが端末コンピュータを持っている。端末は、ホストコンピュータからゲームデータをダウンロードする。そうすると、端末の画面上に映像が現れ、音声が聞こえてくる。早い話が、この映像と音声こそが、われわれが「世界」と思っているものの正体というわけだ。

自分だけではなく、他のプレイヤーたちも参加している。世界はそれぞれの端末で展開しているんだけど、全員の端末が同じところからゲームデータをダウンロードしてるから、誰の端末でも同じゲームが同時進行している。やってるうちに、なんだか皆でひとつの世界にいて、一緒に世界を冒険しているような気になってくる・・・という仕掛け。

重要なのは、この地球生命系というフィールドにおいて、長いことプレーしてきたベテラン・プレイヤーたちもいるということだ。つまり、ずっと地球生命系で輪廻転生を繰り返してきて、ここの主みたいになっている意識たち。筆者は、彼らを「土着の地球人」、「地元民」などと呼んでいる。土着の地球人の多くは、まだ地球に人類がいなかった時代から、動物や植物の意識から輪廻転生を続けてきて、地球生命の進化と歩調を合わせるように、人間の意識にまで進化してきた。個人的には、そのように見ている。

逆に、他の生命系で進化してきて、この地球にたまたま転生してきた魂もいる。「宇宙からの転生者」、宇宙人の魂を持つ人々だ。ある意味では地球人類より意識が進化しているが、それとこの地球という環境でうまく生きていけるかは、また別問題。人によってはスンナリと適応してうまくやっていけるのだが、全員がそうとは限らない。地球で生きるのが上手いか下手かは、それぞれに個人差がある。でも総じて、この弱肉強食のサバイバルワールド、地球生命系には違和感を持っている。

この「弱肉強食のサバイバルワールド」という話も、なんだか誤解されることが多い。地球に対する筆者の見方があまりにネガティブなので、「そんなに生きづらさを感じているのか?」と受け取る向きもあるようだ。確かにそういう面もあるのだが、それだけではない。これは自分の個人的な人生観というより、「地球の歴史」に対する率直な感想なのだ。

というのも、筆者は精神世界マニアであるのと同じくらい、「歴史マニア」でもある。世界史も日本史も、得意中の得意科目。大学受験の頃は、「西ローマ帝国が滅亡するまでの経緯を600字以内で論述せよ」とか、そういうのが極めて得意だった。ついでに国語も得意で、「この意味不明な長い文章を読んで、作者の言いたいことが何なのかを100字以内でまとめよ」とか、そういう問題には抜群に強かった。東大にトップクラスの成績で合格するようなトップ秀才連中でさえ、これに関しては脱帽だと言っていた(もちろん、英語や数学では彼らにかなわなかったが)。

学校では、小学校6年生から日本史の勉強が始まるけど、筆者は小学生のときから世界史にハマっていて、「古代エジプト文明と古代メソポタミア文明には、それぞれどういう特徴があったか?」とか「アフリカのどの国が、ヨーロッパのどの国から独立したか?」とか、そういうのを全部、すでに知っていた。

でも、頭の中は高校生レベルなのに、ふだんの言動は幼稚園レベルという定評があった。いつも時間を間違えて学校に遅刻するし、ほぼ毎日どれかの授業の教科書を忘れてくるし、気分が乗らないときはまったく授業を聞いてられなくて、ボーッとしていた。「さあ、では次の問題を解いてみましょう」とか言われても、ボーッとしていた。家で宿題をやってくることは、まずなかった。たまに宿題をやっても、学校に持ってくるのを忘れた。

どうやら、ADHD(注意欠如・多動性障害)だったようだ。だから、いつも怒られていたし、よく廊下に立たされていた。というと、学校をナメてる不良少年みたいだけど、まったくそうではなかった。むしろ逆で、いつもマジメで一生懸命だった。でも残念ながら、それ以上にボケた子だった。内心では「なんとかしなければ」と焦っていたが、どうにもならなかった。「言語性IQが人並みより高くて、動作性IQが人並みより低い。脳の発達が不均衡なせいでメンタル面のバランスが壊れている」という根本原因には、まだ気づいていなかった。

もっとも、正直なところ教科書の内容なんかほとんど覚えていたから、持ってくる必要がなかったのも事実。当時は、読んだ本の内容を延々と語り続ける、マンガに出てくる人みたいな記憶力があった。これまた、発達障害人にはアリガチな傾向だ(全員がそうではない。そういう人もいるっていうだけ)。話は脱線するけど、「SUITS」っていうアメリカの弁護士ドラマに出てくる、異常な記憶力を持った若手の天才弁護士。あれはリアリティーがなかった。というのも、あれほどまでに異常な記憶力の持ち主なら、まずアスペルガー症候群だろう。でも、彼はアスペルガーの人にしては、明るく爽やかで社交的すぎた。

それはともかく、話を戻すと、「地球はサバイバルゲームの戦場だ」、「ここは厳しい生存競争の場だ」、「弱肉強食。それが地球生命系の根本原理」うんぬんと、ずっと繰り返しているのは、個人的に人生が生きづらいからではない。いや、もちろん、そういう面もあるんだけど、それ以上に地球人類の歴史を知れば知るほど、そう思わずにいられないのだ。現代でこそ、基本的人権が保障され、かなり変わってきてはいるけど、昔の人類の生存競争は凄まじいの一言。地球人類の歴史だけではない。人類が登場する以前の地球生物の進化史が、もっと露骨に弱肉強食なのは言うまでもない。

地球は、ゾッとするほど怖いところだ。それが、率直な偽らざる感想。なんのキレイゴトも通用しない、食うか食われるかの殺し合いの世界。個人的には、そうとしか思えないんだよあ。ネガティブな意見で申し訳ないけど・・・。

だが、それはいつまでも続かない。地球環境は、これから大きく変容する。地球の歴史をじっくり観察してきた上での結論だ。やはり、何事にも「流れ」ってものがある。地球の歴史の流れを見るにつけ、いよいよ大きな変容を迎えるクライマックスの局面だ。「宇宙からの転生者」は、それを見物するために、ここに来ているのである。

発達障害人の特徴 その3 ~ 精神世界に関心を持つとは限らない

2021年09月26日 | こっくり亭日記
「2012年アセンション」が過ぎ去って久しい。早いもので、あれからもう10年近くが過ぎた。「次のターゲット」と目されていた2020年も過ぎた。今は2021年の秋分も過ぎて、冬至に向かっているところ。2021年の冬至は重要な節目になると、アチコチで言われている。

筆者は昔から「アセンション」が大好きで、この話になると、他のことがどうでも良くなってくる。発達障害人だから人生が難しいので、もっと生きやすい世界へと地球が変容することを望んでいるのではないか・・・と言われることもある。まあ確かに、そういう面もあるかもしれない。もっと順調な人生を送っていたら、また違う人生観になっていたかもしれない。こればっかりは、他の人生を送ってみないと分からないが。

でも、やっぱり、そうじゃないと思うんだよなあ。というのも、類は友を呼ぶで、学生時代の友人とか、若い頃に筆者の周囲でとくに親しかった人たちは、メンタル面になんらかの問題を抱える人が多かった。でもって、彼らに「アセンション」の話をしても(その時代にはまだアセンションという言葉が使われてなかったが、要するにそういう主旨の話をしても)、「そんなバカな」と笑い飛ばされることが多かったからだ。

メンタル・プロブレムを抱えて人生で苦労しているからといって、「地球という環境そのものの変容」を望むかっていったら、それとこれとは別問題だということを、彼らを通じてよく知っている。「地球は、いまでこそ生きるのが難しい環境だ。でも、これから大きく変わる。地球の変容は遠くない」という考えに、幼少の頃から取りつかれているのは筆者の個人的な属性であって、他の人たちはそうではなかった。

たとえば先日、昔の友人と15年ぶりに再会した。若い頃は大変な行動力の持ち主で、単身、アメリカ西海岸に渡り、そこでフリーター生活してたほどフットワークが良く元気だったが、帰国後になぜか精神を病んでしまった。もともと、メンタル面でなんらかの問題を抱えていたのだろう。だから筆者と波長が合ったのだ。久しぶりに再会して、「元気だな。年齢のわりにすごく若いな。とても自分と同じ年齢と思えない」と言われた。こちらは七転び八起きの人生を通じて発達障害をほとんど克服し、昔よりずっと元気になっている。一方、彼は精神の病気と闘う人生を通じて、さすがに老いが感じられた。でも、筆者の考えでは、そういう人もこれからの地球環境の変容により、健康を取り戻すはずなのだ。そこで「アセンション」の話をしてみたが、反応は良くなかった。「相変わらず、奇妙なことを考えているな」と一笑に付されてしまった。

そういう若い頃の友人が、他にも何人かいる。東大の学生だった友人が、大学を卒業したばかりの頃、「ボクは子どもの頃から勉強ばかりしてた。小学生のとき、中学受験予備校で成績が上から5番目だった。◯◯君が1番だった。アイツには勝てんかった」としきりに言うので、「まあ、どっちにしても昔のことだ。あんな奴に勝たんでもいい。気にするな」と筆者は励ましたが、本人はいたって真剣で、「人生は1度きりだというのに、なんとも凡庸な人生。こんな生き方してていいのか?」とますます悩みを深めていた。そこで、「いや、人生は1度きりなんかじゃない。人は何度でも生まれ変わっているんだ」という話をしたところ、彼はビックリしていた。「なにを奇妙なことを言い出すのか?」とあきれられた。彼は結局、精神を病んで早期にリタイアしてしまった。性格がマジメすぎる人ならではの辛さで、残念なことだった。筆者もマジメといえばマジメだけど、根がイイカゲンなので、こうはならない。でも、彼のような人も、今後の地球環境の変容により、元気を取り戻すはずだ。

というようなわけで、メンタルな面で問題を抱えることと、精神世界・スピリチュアルの探求に向かうこととは、筆者の経験では直接の関係がない。何も問題がない人と比べたら、探求する上でやや有利かもしれないが。でも、それとこれとは別問題。そうとしか言いようがない。

それより、地球はいよいよドン詰まりを迎えている。現状を維持するのは無理なので、変わるしかない。アセンションは避けられない。もっと、アセンションを本気で目指す人が増えないものか。筆者の関心は、なんといってもそこにある。正直なところ、自分自身の人生のことより、「地球の変容」の方がもっと気になっている(笑)


発達障害人の特徴 その2 ~ 発達障害の3大分類

2021年09月24日 | こっくり亭日記
「発達障害」という言葉もすっかり世間に定着し、広く一般に知られるようになった。でも、「発達障害」といっても種類がいくつかあり、それぞれに特徴が大きく異なる別モノだ。主なものは、「自閉症スペクトラム」、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」、「学習障害(LD)」の3つがある。

自閉症スペクトラムというのは、「自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー症候群」などのいろいろな名前で呼ばれていた症状を、「自閉症とその仲間たち」みたいな感じで1つにまとめたもの。極めて強いコダワリや行動パターンを持ち、「相手の反応を見ないで、一方的に話し続ける」など、対人やコミュニケーションに困難を抱えることが多いとされる。映画「レインマン」とか、アメリカのコメディー「ビッグバン☆セオリー」などでもオナジミ。これこそ発達障害のなかの発達障害と言えるだろう。単に「発達障害」と言えば、たいてい自閉症スペクトラムを意味する。

これに対して、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」は、「不注意(活動に集中できない・気が散りやすい・物をなくしやすい・順序だてて活動に取り組めないなど)」と「多動-衝動性(じっとしていられない・静かに遊べない・待つことが苦手で他人のじゃまをしてしまうなど)」というような特徴があるとされる。筆者は昔から、この傾向が強かった。でも最近は、この傾向をあまり指摘されないし、自分でも感じなくなってきたように思う。この人生を通じて自分自身の脳を刺激されてきた結果、鈍かった箇所がようやく活性化したのかもしれない(残念ながら、ちょっと遅かったが・・・)。

もう1つは「学習障害(LD)」で、これは端的に言えば、「読み書きが苦手」とか「計算が苦手」とか、何かが極端に苦手なことを意味する。それも、「ちょっと苦手なようですね」なんてものではなく、「なんで、こんなに出来ないんだろう?」と不思議になるくらい、妙に全然できない人だ。筆者はひところ学習塾で働いた。そのときに、学習障害の子どもに勉強を教えた経験が印象に残っている。発達障害の児童にアリガチな、人形みたいに可愛い子ども。ヒトケタの足し算はなんとかできるけど、フタケタになるとお手上げで、何度も教えたけど翌日には必ず忘れていた。こちらはもともと教えるのが好きなので、何度も教えるのは楽しかったが、本人は大変そうだった。もっとも、そういう人でも、成長すると普通に計算ができるようになって、「あれは一体、何だったんだろう?」ということになることもある。

他にもあるけど、主な分類はこの3つ。発達障害と一言で言っても、自閉症とADHDではかなり傾向が異なる。たとえば、自閉症の人は、「毎朝6時15分に起きて、6時30分に歯を磨いて、6時45分に朝ごはんを食べて・・・」というような、カッチリしたパターン化を好むコダワリ派が多い。逆にADHDの人は計画性が乏しく、思いつきで衝動的に行動することを好むことが多い。たとえば筆者のように、何年も更新してなかったブログを何の前触れもなく急に熱心に更新し始めるような、行動パターンが読めない人。そういう人には、ADHDの傾向がある。こんな具合に、自閉症とADHDでは、まるきり逆の特徴を示すこともあるから一概には言えない。しかも、これらの発達障害は1つではなく、混ざり合って起きることが多い。

問題は「バランスが悪い」ということだろう。たとえば、学習障害でいえば、計算能力は高いのに、何歳になっても言葉がなかなかしゃべれるようにならないとか。このように、何かの発達が人並みより早くて、何かの発達が人並みより遅いというような偏りがあってバランスが崩れると、発達障害になりやすい。思うに、車でいえば右の車輪の回転が速くて、左の車輪の回転が遅いようなものか。これだと、まっすぐ走るのが難しい。いちいち調整しないと走れなくなる。

症状はいろいろあれど、共通するのは、「これがあると人生が難しくなる」ということだろう。バランスが取れた人間のほうが、人生は生きていきやすい。でも人生は、生きやすいほうが良い人生かっていったら、そういうわけでもない。重要なのは、この地球での人生経験を通じて意識進化することだ。課題は人それぞれであり、進化の道もさまざま。スマホのゲームでも同じで、簡単なヌルゲーを周回したい人もいれば、難易度の高いゲームにあえて挑みたい人もいる。どっちが良いというわけでもない。

精神世界を探求する上では、どっちかっていったら発達障害人のほうが有利かもしれない。お釈迦さまもイエス・キリストも、ショーペンハウアーもクリシュナムルティも、明らかに発達障害人。ごく普通の人生を無難に生きているようでは、なかなか探求へと向かう強烈なエネルギーは生まれないということだろう。

科学的に見れば、「これは、アナタの脳の特定の部位の発達度合の偏りが原因です」というようなことになる。確かにその通りとは思うのだが、背景としては霊的な要因がある。

これはいつも思うことだけど、宇宙の成り立ちとか生命の仕組みとか、そういったものを科学的・合理的に説明できるのは事実で、間違っていない。でも、その背景には霊的なものがあって、それも大きな影響を及ぼしている。

男性なのに女性みたいな(あるいはその逆も)、「性同一性障害」とかもそうだ。男性ホルモンとか女性ホルモンとか、そういう科学的なところに原因があるのも事実だけど、その背景には霊的なものがある。

重要なのは、「どっちか一方だけが原因ではない」ということ。中には、「霊的には女性の意識なのに、間違って男性の身体に生まれてしまった」というような、霊的な要素だけが原因の人もいるだろう。逆に、「霊的には何の問題もないのに、たまたま身体のホルモンバランスが化学的な要因で崩れてしまった」というような、純粋に物質的な要因でそうなったケースもあるだろう。その中間の多くのケースは、その両方が混じり合って起きたと考えられる。

物事は、物質的な要因と、霊的な要因がカラミあって起きている。あの世ならともかく、この世では両方とも無視できない。大昔の人は、何も分からなかったので、何もかも「神さまの意思」で片づけていた。つまり、物質的な要因が分からなかったので、霊的な原因を探すしかなかったのだ。現代人は逆に、科学的・合理的な理由ばかり探すようになった。「これは前世での体験に原因が・・・」なんて言おうものなら、一発で異常者あつかいだ。

でも、未来の人類は、その両方に原因があるのを前提として、すべての物事を考えるようになるだろう。筆者は、日頃からそれを実践している。科学的な説明をしてはスピリチュアル系の人たちから反対され、スピリチュアル的な説明をしては科学的合理主義者たちから反対される。これは周囲の無理解というより、両方いっぺんに語るのはそれだけ難しいのだ(笑)。それは仕方ないんだけど、いずれ、どちらか一方だけではなく、両方をいっぺんに論じるのが当たり前になるだろう。