理屈を言っている割りに説教臭くないのが不思議です。石塚友二さんという方は、とてもサッパリとしたお人柄だったのかもしれませんね。
「種ぐらいあってもいいんじゃないか」という考えは、葡萄を作る側にも食べる側にも、浮かばなかったようです、昔は・・・。
昔と言ってもほんの数十年前です。技術の進歩が「良き物」である事が、明々白々で当然だったのは、本当にわずか数十年前の事でした。
最近「種無し葡萄の智慧」は、疑いの目で見られているようですが、原爆の方は・・・・。
「こんなもの持っててもしょうがないんじゃないか」とは、ならないようです。
俳句を拝見して「種無しぶどう」からの連想ゲームをTBさせていただきました。
go2cさんがblogで紹介されている記事を読んで、「子供の頃にこういう話を聞かされたら、がんばる研究者の人たちを尊敬する気持ち100%だっただろうな・・・」と思いましたが、2005年の今では、「食物をそんなに人工的にいじくりまわして大丈夫?」と思わずにはいられません。もうすでに、科学者がいじくりまわした結果の甘い果物や野菜をさんざん楽しんでしまったのに、勝手なモンです。
ぶどうの種無しは多分日本で作られた?んじゃないんでしょうか? というのはヨーロッパ人はぶどうは絞ってワインにするものという感覚で 彼らは食べるときは 実全部(種も皮も)を食べる習慣があるようで 種無しにする必要がないですね。
いずれにしても 必要のないものは作らんほうがええーわ~ナ。ア○ンさん??
え~、すみません、「ア○ンさん」が分かりませんでした・・・。できれば「解説」をオネガイシマス。
アメリカに亡命した時 作るよう働きかけたとか?TVで先日やっていましたように?違っていたら訂正してください。
ところで日本に長く居ても 「これはいい葡萄だからこうして皮を剥いて食べてー!」って言ってもダメな人も多いです。アレジと結婚したクミコさん 広大なワイン畑のある別荘で「これは食べる葡萄よ。こうして丸ごと食べるの!」って言ってましたね。日本人は 素直!? あそこ ワイン用の木も2千本あり ワイン工場もありましたね。