介護について話しませんか

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2015年10月まで、右半身麻痺で車いす生活だった母を介護しながら、日々の出来事や思いを書き綴っていました。

在宅介護の様子や心の葛藤をできるだけ隠さず書いたつもりです。 もし参考にしていただける部分があればと思い、古い情報になる日記もそのままにしてありますのでお許しください。



エアコン使いましょう

2011-06-28 22:28:52 | 日常よもやま話


最近、実家の裏に住み着いているウグイスの声です
音が小さいのでよく聞いてね。 あっという間です
     江戸屋猫八の声じゃないよ 古っ


東京は昨日はわりと涼しかったんですが 今日は一転 体にこたえる蒸し暑さ。
頭もボケボケです。

節電を兼ねた暑さ対策もいろいろありますけど、家の中で熱中症になる前にエアコン使いましょう。
良識ある科学者は、 乳幼児や高齢者など体が弱い人がいる家庭では節電しないでほしい とまで言っています。
電力不足に対応するため、企業も家庭も一律15%節電とは言われてますが、実際には 一般家庭では節電しなくても乗り切れる電力は確保できているらしい という報道もあります。

猛暑日には消費電力は90%を超えますが、そもそも “供給可能最大電力” というのが説明不足な気がします。 よく見てると毎日微妙に増えたり減ったりしてるし。

とにかく暑い・・ どうぞ皆様も無理しないで・・




 


4日目、5日目退院

2011-06-17 22:45:15 | 白内障手術


4日目は左目の手術。
朝7時から30分おきに目薬をして9時45分に手術室に入り、30分程で出てきました。

母自身も最初の右目より左目のほうが楽だったそうです。
慣れもありますが、やはり手術中は看護婦さんが頭を動かさないように押さえていてくれたそうです。
白内障の進行も母は軽いほうだったのだろうと思います。

入院3日目までは緊張で吐き気がありましたが、両目終わって緊張が解けてやっとリラックスした様子でした。
ただトイレは何度も失敗しました。  着替えは沢山持ち込んでおくに限りますね。



5日目の朝8時半に眼科外来へ行って診察と視力検査。
この時まで24時間近く 左目のガーゼを取ってもらえないのがつらかったようです。
顔にテープを貼ってあると痒くなりますよね。

でもそのかわりテープが取れればスッキリ良く見えるようになったと喜んでいます。
「目が覚めたみたい」 「違う世界」 すべてが明るくなって、テレビも違うテレビみたい、メガネなしで字も見えるそうです。

そんな感じで問題なければ退院で 昼前には家に帰れました。

目薬はかなりめんどくさいです。
一日4回、2種類の時と3種類の時があって
違う目薬をするとき 5分以上間隔をおいてなので。

しかも やる度に同じことを説明するので・・
どうして何度説明しても忘れてくれるんでしょう・・  もうすでにかなりストレスでイヤになってます

でも何よりすごいと思うのは、見た目が手術前とまったく変化ないということです。
むしろ前より目が澄んでキレイになった感じがします。

白目を少し切るからには手術後は充血がひどいんじゃないかと想像していたので、まったく充血もしていないことに驚きです。
父が4年前にやったときはしばらく充血してたように記憶していたので。
すごいものですね~


これでわかったことは、 白内障の手術そのものはほとんどまったく心配いらないということ、
問題は本人の緊張による変化と、
介助者は手術後も当分は大変!  てことですね~








3日目

2011-06-16 22:46:40 | 白内障手術


3日目は 明日 左目の手術なので、準備することは 1日目と同じです。
11時、1時、4時、8時にクラビット点眼、 1時は瞳孔を広げる目薬もして夕方眼科外来で診察。

昨日手術した右目については、朝6時半に先生の診察がありガーゼを取ってくれます。
そして今日から一日4回 2種類の目薬、 一日2回 1種類の目薬。 これを三ヶ月続けるそうです。
入院中は看護婦さんが時間になると目薬をさしに来てくれますが、退院したら自分で(家族が)管理しなければなりません。
看護婦さんが、目薬3種類と拭き綿を一緒に入れておく透明プラスチックケースが百均で売ってるから用意しておくといいですよ と言われました。

これだけのことですが、母にしてみると1日中ひっきりなしに看護婦さんが来て目薬をさしたり何か用事があって 本当に忙しい一日だった感じだそうです。

逆光で暗いですが入院した直後に撮った写真です。 この後またベッドの配置を変えたりしました。
付き添いしている父は、部屋の入り口の通路に小さい折り畳みベッドを置いて寝ます。(母のベッドの隣に置けるほど部屋が広くないのです。)
部屋のドアは解放したままでアコーデオンカーテンを閉めてあるだけなので、一晩中 廊下を看護婦さんが忙しく働く物音が聞こえてあまり眠れないらしくて、昼間 家に戻って寝てるみたいです







2日目

2011-06-15 22:33:26 | 白内障手術


2日目は右目の手術。
目の手術でも手術後はしばらくお風呂に入れないので普通の人は前日に入浴するんですが、母は無理なので (洗髪だけ入院前日に家のベッド上でしました。)
朝 看護婦さんが体を拭いてくれたそうです。
ところが母は 替えのパジャマがないから? 着替えを断った と・・もう~~~! ちゃんとわかるように何枚も着替え置いてあるのに。

手術の3時間前から、30分おきに5回 麻酔の目薬を看護婦さんがさしに来てくれます。

抗生剤の点滴をしたまま 頭にカバーをして車椅子で手術室へ。

ジッとしていられるか心配でしたが、無事に普通に30分程で戻ってきました。
部屋のベッドに寝て1時間安静。

手術した目にはガーゼとカバーが厚く貼ってあります。
でも元気でした。 痛みもなかったと言っていました。

麻酔の目薬と抗生剤の点滴をしているあいだは少しは気分が悪かったそうですが食べられないことはなく (手術前後で食事を抜く必要はありません)

ただ目を塞がれていてよく見えないせいなのか足に力が入らなくて介助が大変です。

看護婦さんが言うには 高齢者は手術した日か次の日あたりから見当識障害が出る人が多いそうです。  一過性で退院すれば治るそうです。

母は 目の手術なのに点滴(抗生剤) される意味がわからなくて少し混乱していました。
点滴の針を刺すのが痛かったらしくて、自分だけが痛い針を刺された? とか言っていました。

それでも精神的にはいつもと変わらず元気です。

いつものことですが 母は元気なのに父だけが大騒ぎして過保護で、 もう一瞬たりとも母の傍にいてやりたくて、 でも自分も昼間は家に帰って田んぼに行ったりしたい、 だから自分がいないあいだ娘たちに母の傍にいろと言う、 私や姉は、そんなの無理だよ~ それに ちゃんと最初に看護婦さんが、 家族がいない時間帯はナースコールでトイレ介助など何でも対応しますから大丈夫ですよ って言ってくれてるんだし!
というやり取りを何度やったか・・・

ホント うちのオジーサンには疲れるのです



              







白内障手術・ 入院1日目

2011-06-14 23:12:41 | 白内障手術

 
母のような ほとんど全介助の人が白内障の手術をするのがどんな感じか参考になる方もいらっしゃるかと思い記録しようと思います。
入院は4泊5日間ですので連続して書いてしまいますね。


入院は午前10時。
まず売店で 保護メガネ(手術後目に触らないようにかけるゴーグルのようなメガネ。 健常で自分で気をつけることが出来る人は必要ないことも。) と “拭き綿”(目を拭く専用の脱脂綿) を買ってから病室へ。

個室を頼んでおいた件は先生から伝わっていなかったんですが、 看護婦さんが 「白内障手術の方のためのお部屋はココ って決まってますので~」 と
快くナースステーションの前の個室に案内してくれました。

今回は体調が悪くての入院ではないので、導尿管は入れずにトイレは家にいる時と同じに部屋のトイレへ車椅子で介助、 夜間はオムツ ということにする と看護婦さんからお話があり、
でも部屋のトイレが 手摺りが右手用になっていて右麻痺な母の介助にはとても大変なのですが、 看護婦さんが 「日帰り手術ができる病院もあるなかで 入院手術をしているこの病院を選ぶ方は、ご自分で通院したり目薬をさしたりすることが困難な方ばかりなんです、 だからこちらもそのつもりでお手伝いさせてもらってますから大丈夫ですよ」 と言ってくれました。

それから 夜は父が泊まって付き添いたいこともお願いすると
快く、小さいベッドと寝具一式を部屋に運び入れて貸してくれるということでした。(一日につき300円) 逆に寝具を家から持ち込まないでほしい ということでした。 衛生面のためですよね。

その後、 退院後に介助する家族に目薬のさしかたの練習
ちょっと難しいんですよ~

まず 拭き綿で目の周りをきれいに拭き取る。
手術後はマブタに触れてはいけないので、下だけアッカンベーさせて、目薬のボトルがマツ毛などに触れないよう なるべく目からボトルを離して1滴だけ目に落とす。
一分間 目を閉じてジッとしていてもらう。 こうすると目薬が目全体にいきわたる。

目薬をさした後、鼻や喉の奥に違和感(目薬が流れたような感じ) がするのは、ダメなんだそうです。
そういえば私も花粉症の目薬を自分でさした時なんかはいつもそうでした。 ダメってことです。

こうして練習しながら  母の 明日手術する右目に抗生剤の目薬 (11時)

その後、 薬剤師さんが来て手術後の目薬と飲み薬の説明。

その後 昼食が来たんですが、好みがまだ伝わってなくて普通のウドンとお浸しと魚の煮付け。
母には食べにくいものでしたが私が口に運んであげて半分くらい食べました。(トロミ剤は家で使っている缶のを持参しました)

1時に瞳孔を広げる目薬。

その後 トイレをしてから大きいパットをしてベッドに横になり、私と父はいったん家に戻り、
3時半くらいに私が再び病室へ行くと、母はいなくて、なぜかナースステーションの中で車椅子に座っています。
看護婦さんが、「ベッドでよく眠ってらしたので、夜眠れなくなると困るから起きていただいたんですよ~ じゃあ おうちの方いらしたから部屋に戻りましょう~」と。

その後 また看護婦さんから抗生剤の目薬(4時)

その後 眼科外来に呼ばれて、明日手術する右目の診察に連れてってきて、

もう今日はこれで何にもないんだろうねえ
母も 「まったく、アタシもこんなにいろいろ忙しいとは思ってなかったよ」 と言ってたらまだあって、

個室の差額を払います という同意書と、付き添い申請書を看護婦さんが持ってきました。
入院にまつわる書類と手術の同意書は既に提出済みでしたが、
ホントに たかが白内障といえどもいろいろあるもんですね。

あ、大事なことを、
個室の料金ですが、1日10500円
なんだぁ~ 7600円でも12300円でもない部屋もあるんだぁ
ビミョー~!



                    
                                                                        





連続ドラマ 『おひさま』に思う

2011-06-04 22:19:53 | 日常よもやま話


NHK朝の連続ドラマは、いつも母と朝食を摂りながら自然に流し見ているのですが、
今放送の 『おひさま』は今までになく引き込まれます。

ある女性の、戦前から戦後をくぐり抜けたその半生を描く というのは
かつて昭和の時代の朝ドラの定番でしたが、最近では現在を生きる若い女性の “生き方探し”的なドラマが続いていて、ここ数年また少し昔に遡ったものも出てきて、

でも 『おひさま』は 昔を振り返る を通り越して 徹底的に昭和10年代の頃の暮らしと人の思いを丹念に描いています。

戦前戦後を描くことは いろいろな意味で難しいばかりでなく 反感を覚える人もいると聞きます。
そこを敢えて現実に忠実に、でもソフトに表現しているところに感心します。

好意的に見ている人が多い背景には、現代の歳を重ねた主人公が自らの半生を語る という設定の巧さと、
それに今 まさに現在の日本が、“このご時勢” と言う現状であることが後押ししているように思います。

当たり前の毎日があること、 人と人の心の繋がりを感じることが 幸せといえるんじゃないか? 
と気付き始めたところだからこそ 素直に感動できるのかもしれません。

その時代を生きた人がそれぞれ、みんながみんな 自分の意思よりもその過酷な運命に直面しながら一生懸命生きていたこと・・
あるいは若い人たちが死を覚悟したこと・・
それを決して美化するわけでなく、否定や肯定のレベルを超えた現実があった ということなのですね。


私の母は、このドラマの主人公よりもいくつか年下 ほとんど同世代の人ですから、時代の暮らしぶりは同じです。
ただし母の場合は貧乏な家だったので、ドラマで言えば タケオの妹くらいがピッタリでしょう

母はあまり戦争のことは話したくないようで細かい話は聞いたことがありませんが、
ドラマの中で国民学校(小学校)の子供たちが 毎日お腹をすかせたまま勤労奉仕や軍事教練をする場面では、
「本当にあんなことやってたんだからね・・・」 と 少し悲しそうに遠くを見たりします。

昔の話をしている時の母は、普段の少しボーッとした表情は陰を潜めて 昔に返って普通の顔になります。
私が 「 “小国民” て何? 本当にそんなふうに言ってたの?」 などと水を向けると、
ドラマを見て思い出した昔のことを懐かしそうに話します。

そうやって話せることは、母たち世代にも私達にも得るものが大きいでしょうね。
そして若い人たちや子供たちに語り継ぐ意味でも。

それが押し付けがましい感じが無く (NHKのわりには) 自然に感情移入できて、
戦地へ赴く登場人物へ  どうかご無事で・・ と祈らずにはいられなくなります。
まさにフィクションを超えたフィクション・・
作者の岡田恵和さんはお母様から聞いた話を参考に執筆したそうです。


ドラマを見て母が 束の間 普通の顔に戻ってくれるのはとても嬉しいことですが、やはり今の母ですから気持ちまで昔と今と混同してしまっているのが困っています。

つまり現実の今は現代で、私も現代人ですから、親のためでも 「えー またあ?」 とか文句が多くて
ドラマのように 「ハイ。 すみません。 すぐに支度しますね」 (家族同士でこんなに丁寧な言葉で話してたんですね!) などと言えないので、母としてはよけい不満が募るわけです。

思えば そういう時代に育ち、180度違うような現代の価値観の娘に看てもらわなきゃならない母たちの宿命も過酷なのかもしれませんね・・