八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

無理な曲芸歩行

2012年07月02日 06時50分41秒 | リハビリ・ADL
倒れた年の11月末の退院前には、マヒ側を付添いに強く支えて貰えば、1本杖で120,130mは歩行できるまでになった。
マヒ側が重過ぎて1歩毎に上体が後に仰け反り、曲芸みたいな危なっかしい歩行だった。
しかし将来もたとえ単独での杖歩行が叶わぬとしても、
今後も息長いリハビリを続けて行く事で、付添者の軽い支えで杖歩行が可能になりそう、
との確信をしっかり掴むことができ、宮城病院に感謝で一杯の気持ちだった。(そして新天地=宮城病院へと、より)

ブログでは淡々と書いたけど、
実際は屈強な男のセラピストさんに付添って貰い、重いマヒ足を前に出す都度マヒ側にのけぞる具合だった。
1歩1歩進む都度のけぞり倒れそうになるのだから、
歩いているというよりは、泥酔した時の介抱されて運ばれている感じだった。
会社でも食堂や会議室で歩行練習をやったけど、
付添ったお銀は背骨を痛め、矯正腰ベルトをつけるまでに悪化させてしまった。
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4 コメント

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息長いリハビリ! (たんぽぽ)
2012-07-02 06:55:19
毎日、続けられているリハビリの効果はすごいです。
お一人でされるんですもの。

その陰にはお銀様の介助も素晴らしい。
矯正腰ベルトをつけてリハを助けられたのですもの。

1歩当たりの方向時間を0.5以下に、歩幅を50cm以上。期待しております。
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覚悟 (クローバー)
2012-07-02 07:12:41
>歩いているというよりは、泥酔した時の介抱されて運ばれている感じだった

うーん。でも、奥さまは歩く練習ができてうれしかったと思います
ということは、私はこれからのことを考えて、からだを鍛えよう

「ぶらり」、丸ノ内線は荻窪から始まらなかった
私はソフトクリームに2000円は出しません
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八兵衛 (★たんぽぽさま)
2012-07-02 11:16:11
お銀共々お褒めに預かり、まことにありがとうございます。
はじめは私を転ばせないために、私が1歩マヒ足を前に出す度に、お銀はマヒ側から上体を押しつけて必死に支えてくれました。
二人三脚のリハビリというか、夫婦は運命共同体だなと、しみじみ思いましたね。

信号をクリアできるレベルには、石に齧りついても到達させたいと思っています。
そうじゃないと、近所のコンビニに○○を自由に買いにも行けないので。
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八兵衛 (★クローバーさま)
2012-07-02 11:17:59
会社復帰して2,3年は、歩行練習をしていても私を転ばせまいとして、
女房も押しくらまんじゅうするように、必死で私を支えていました。
介助する女房も慣れたのか腕が上がったのか、私の歩きも少し上手くなってきたのか、
退職する頃には、マヒ側の二の腕をお銀は片手で掴んで、前後左右のチカラをちょっと加えるだけで、
手綱をひく馬子のように、自由に私の歩行をコントロールできるようになりましたよ。

付添い介助の悟りを開いたのか、女房はこんなことを言っていましたね。
『おとうさんが転ぶ時は頭を打ったり骨折しないように、私は手を貸してあげれば良いのであって、
身体の大きいお父さんが倒れないように支えるのは、華奢な女ではしょせん不可能!!!』

いくら純正ヘルシーなアイスでも、2000円は高過ぎる!
あれなら私は、甘くて咽かえるようなハーゲンダッツのほうが好いですぅ
丸ノ内線の電車を見ると、ついつい荻窪での単身赴任生活が思い出されます。
39~41歳と若い頃だったので、いろいろ楽しかったですよ、荻窪の3年間。
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