「天邪鬼」(あまのじゃく)といえば、小鬼や妖怪の一種で、わざと人の言行に逆らうひねくれ者・・というイミで、現在でも使われているほど日本人には馴染み深いが、その由来は記紀神話に登場する天探女(あまのさぐめ)だと言われるほど古い。
葦原中国を平定するために天照大神によって遣わされた天稚彦(あめのわかひこ)は、務めを忘れ、大国主神の娘を妻として8年経っても戻らなかったため、次に雉名鳴女を使者として遣わすが、天稚彦は、仕えていた天探女からそのコトを告げられ、これを矢で射殺す。
その矢が天から射返され、天稚彦自身も死んでしまう・・というエピソードがあり、天探女はその名のごとく、天の動きなどを探るコトができるシャーマン的な存在。
この説話が後に、人の心を読み取って、反対に悪戯をしかける小鬼へと変化、天稚彦に告げ口をした・・というコトから、天の邪魔をする鬼=天邪鬼となったそうだ。
また、仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王に踏みつけられている悪鬼も「あまのじゃく」と言う。
四天王の一柱・毘沙門天の鎧の腹部にある鬼面の鬼が、中国の河伯(かはく)という水鬼に由来、同じく中国の水鬼である海若(かいじゃく)が「あまのじゃく」と読めるので、日本古来の天邪鬼と習合され、足下の鬼も指して言うようになったと考えられているとか。
『瓜子姫』など、日本各地にあまのじゃくの話は伝わっているが、ここ、広島にも、妖怪とゆーワケではないが、あまのじゃく伝説がある。
瀬戸内海の見える海辺に住む道空の子、道裕は親の言うコトに、ことごとく逆らうひねくれ者で、村人から「あまんじゃく」というあだ名を付けられていた。
広島では「あまんじゃく」と訛るワケだが、おとなしくしろと言われれば大暴れをし、海で魚を獲れと言われれば、山で鳥を撃つ・・といった具合だった。
道空は死ぬ前に、本当は山の上に墓を建てて欲しかったのだが、息子の性格を考え、「海の中にある津久根島に葬ってくれ」と言い残した。
道裕は、父の死を悲しみ、遺言だけは言いつけを守ろうと、瀬戸内海に浮かぶ小島に父・道空の墓を建てた・・という話。
この津久根島は、広島市佐伯区の五日市沖に浮かぶ高さ20mほどの小島で、現在も道空の墓が建っているという・・。
なかなか、こんなトコまで墓参りには来れないと思うが、墓を建てた道裕の根性も見上げたもの・・。
親孝行のつもりが、結局、最後の最後まで”あまんじゃく”人生をまっとうした道裕、天晴れ!・・かな・・?