Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

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水木しげるの古代出雲

2015年11月30日 | マンガ・アニメ

『ゲゲゲの鬼太郎』の作者で妖怪界の”御大”水木しげるが今日、11月30日に93歳で亡くなった。

 

その水木しげるが生前、夢枕に立つ出雲一族の男の霊に促され、必ずや描かねばならない・・と語っていた作品が、この『水木しげるの古代出雲』

今から3年前の2012年3月に単行本化されているが、90歳の時に、これだけの仕事をしているのかと思うと、驚嘆するほかない。

 

 

「そもそもぼくが古代出雲王朝のことを描こうと思ったきっかけは三十年程前から古代人らしき青年が夢の中にちょくちょく現れるようになってからだ」・・と作中でも語っている。

 

そのエピソード自体、自分自身ももう何年も前に何かで目にしたこコトがあり、いつかその作品を目にするコトがあるだろう・・と思っていたので、実際に作品を手に取るコトが出来るようになったのは非常に感慨深い。

 

 

記紀「国譲り」神話には、古代出雲(葦原中国)の大国主命が大和朝廷(高天原・天孫族)に国を譲り渡したコトが描かれている。

(カテゴリー/歴史・民俗:「出雲神」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/e196fd51615f0558e832d1dbe6f097dc

 

―果たして、事実はどうだったのか・・?

 

まだまだ謎も多く、考古学上の発見や研究が待たれる分野ではある。

しかし、古代出雲には一大勢力があった(カテゴリー/歴史・民俗:考古学によって浮上した出雲」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/9f59940740955e91deb3f895eb592cafコトは間違いなく、その国を譲り渡す・・というのは、大変なコトだったろう。

そこに出雲の無念がある・・。

 

鳥取県境港・・出雲に生まれ育った水木しげるは、古代出雲に生きた人々のそうした無念を晴らすため、シャーマンのようにその声を聞き、マンガを通して現代に語るという、これ以上ない語り部であった。

 

それをこうして1つの形にまとめあげたコトは、水木しげるの長年の悲願でもあったし、喜びでもあったろう。

 

 

単行本の最後に収められた番外編は、

 

「古代への旅はこれからもまだまだ続く・・・」

 

・・という言葉で締めくくられている。

 

 

御大のご冥福をお祈りします。


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1 コメント

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あらかね和歌神社 (嘉羅久利)
2016-02-05 00:39:01
 古代日本において王権という場合に、天皇制が唯一の王権であるとして、王権論は天皇制の問題として論じられることがほとんどである。あるいは、天皇制は日本の特殊な制度としてあり、王権とは区別すべきだというふうに論じられることもある。その場合には、どこがどのように本質的に違うのかということを厳密に論じてゆく必要があるわけで、ここではその問題を措いていえば、古代天皇制の基本的な構造は一般的な王権と同じものだったはずだと認識してよいのではないかと考えている。もし天皇制が他の王権と違うとすれば、古橋信孝がいうように、「この世におけるさまざまな責任から免れうる位置」に立つための「祓え」という祭祀体系をもったことなのかもしれない(「王権と天皇制」)。しかし、すでに王権の段階で、具体的な祭祀実行者である巫者と王とが分離し、王が血筋によって継承される存在であったとみれば、そうした体系は何らかの形で、すでに王権の段階にも現れていたはずなのである。
 古代国家の統一により天皇は唯一の支配者となり、それぞれの在地豪族たちは古代天皇制のなかに組み込まれていったのだが、それ以前には、彼らもまた王あるいは首長として存在していた段階があったはずで、天皇制こそが古代日本の唯一の王権であったと考えるべきではない。そうでありながら、我々が目にすることのできる文献、記紀や風土記によると、すべての民や土地は天皇家に隷属するものとして整序され、唯一の歴史であるところの天皇家に隷属する存在として中央や地方の豪族たちはいる。古代天皇制はそれだけ強固な制度を確立していたということになるのだが、それでも、注意深くみてゆけば渾沌とした前代が見えてくるのである。
 いうまでもないことだが、王権が確立し存続し、王あるいは天皇が恒久的な支配権を保証されるためには、その制度を支えるための構造をもたなくてはならない。それは、具体的には、神話をもつことであり、シンボルとしての神宝をもつことであり、血筋を保証する系譜をもつことであり、人々の生活を可能にする呪的な力能をもつことであった。
 始源的な共同体にその共同体を統括する者が発生する段階を想定していえば、その統括者は、首長としての権力を持つとともに呪力を行使できる者だったはずである。つまり、首長=シャーマンであることが共同体を統括する力だったのであり、その首長が王になる段階が、王権の発生する時であった。そして、そこで王とシャーマンの役割は分離し、両者は別の存在になってゆくのである。
 王は、天皇の場合もそうだが、王権の成員一般とは区別された存在でなければならない。だから、多くの場合に王は神の子として幻想されてゆく。神に繋がる者であることにおいて、王あるいは天皇は存在自体として擬制的な共同体=国家を統括する力をその内部に保証されるのである。王あるいは天皇が宗教的な存在であるのはそのためである。そして、その王の力は、具体的には神話や系譜や神宝によって示される。どのような神から生まれ、どのような歴史によって王となり、代々の王はどのように繋がり、他の人々とはどのような関係性をもつかというふうな秩序が、系譜や神話として語られるのである。それが共同体全体の成員にとって確かな幻想になるために、神話や系譜は語り継がれなければならず、そこに、語部という制度化された存在が要請されてくる。語部は、王と分離された巫者的存在であった。彼らは人間の言葉ではない神の言葉を、神の立場で伝えることのできる力をもたなければならないのであり、だからこそ巫者的な存在でなければならなかったのである。たとえば、出雲国風土記意宇郡安来郷条にみえる語臣一族は、そうした王権に隷属する語部の性格をよく示している。
 また、神宝は人である王が神の子孫になるための呪具であり、語り継がれる神話や系譜の事実性を保証するための証拠である。天皇家に受け継がれる三種の神器だけが神宝だったのではない。日本書紀の崇神天皇六十年条・垂仁天皇八十八年条あるいは肥前国風土記彼杵郡・豊後国風土記速見郡などに、もともと王として存在していたであろう在地豪族が自らの神宝を天皇に献上するという伝承が伝えられており、その背後に古代王権の存在が暗示されている。そして、それらの神宝献上譚は、前代の王権が天皇制のもとに吸収解体されてゆく、その象徴的な神話であった。また、諸国の語部が古詞を奏上する天皇の即位儀礼としての大嘗祭は、それらの王権がもっていた神話や系譜を捧げて天皇への服属を誓うための神話的な場でもあったのである。

〔参考文献〕古橋信孝「王権と天皇制」(現代のエスプリ別冊『天皇制の原像』至文堂 一九八六年)、三浦佑之「王権の発生」(同前書)、赤坂憲雄『王と天皇』(筑摩書房 一九八八年)

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