弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとへに親鸞一人がためなりけり。
さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、
たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ
善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、
まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
『歎異抄』
これは親鸞が生前語っていた言葉を唯円がしみじみと回想している場面で、この冒頭に「聖人のつねの仰せには、」・・とはじまる。
すべての人を救いたいという阿弥陀仏の想いは、この自分1人を救うためのものであった・・という独白である。
解説の方の説明によると、”宗教”とは、ひとつの「物語」であると・・。
この場合の「物語」とは、フィクションとかストーリーといったコトではなく、”意味の体系”といったイミ。
「物語」と単なる「情報」とでは、どう違うかというと、「物語」とは、出会ってしまうと、それ以前の自分に戻るコトができなくなってしまうものであると語っていたのが印象深かった。
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