Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

68年目に思う・・

2013年08月15日 | 最近、思うコト

作家の司馬遼太郎は、

「どうして日本はこんな国になってしまったのか?」

「日本は決してこんな国ではなかったはずだ・・」

―という、自らの戦争体験から、『竜馬がゆく』などの作品を執筆したそうだ。

 

日本を愛するがゆえに、戦争という絶望的な経験から、希望をもって復興への歩みをはじめるための、”日本再考”の作業の中で生み出されたのが、司馬の数々の歴史小説たち・・とゆーワケである。

 

 

日本だけで230万人、民間人で80万人の計約310万人もの犠牲者を出した先の大戦・・。

 

生き残った者たちは、なぜ多くの戦死者たちが、死ななければならなかったのか・・?

―その意味を、理由を、自分なりの答えを見出さなければ、前に進むコトは出来なかったのかもしれない。

 

そして、その理由を探し続けるための歩みは、68年たった今なお、それぞれの中で続けられているのだろう。

 

300万人以上の人が死ぬ・・というのは、それほどの経験であろうコトは、戦後に生まれ、戦争を直接知らない世代である自分にとっても、想像に難くない。

 

 

そんな自分でも、戦争について考えさせられるコトはある。

 

平和な世界を築くには、戦争をなくすコトは不可欠である。

 

 

―なぜ、あの戦争は起こらなければならなかったのか・・?

 

 

 

自分の中での、その答えは既にある。

 

自分自身の中にある、自己中心性。

利己主義的な考え・・。

 

―そうしたものが、戦争を招いた1つの原因である。

 

多くの人が戦争を望んでいないのは言うまでもない。

しかし、ごく少数とはいえ、戦争を望んでいた人たちもいた・・。

 

世界中の人たちを巻き込み、多くの犠牲が出るコトを知っていながら、戦争をはじめようと画策した人たち・・。

 

その主体が誰か・・?

 

―それを、ここでは問題にしない。

 

問題は、そうした、他人を犠牲にしてでも、自分の利益を優先させようとする自己中心的な思い、利己主義的な考えが、自分自身の中にもある・・という紛れもない事実である。

 

 

家庭や職場でも、そうした思いはいつも頭をもたげてくる。

その結果、小さなケンカやいざこざは、日常茶飯事といっていいだろう。

 

誰しも経験のある、そうしたごくごく小さなケンカやいざこざが、戦争と無関係だと言い切れるだろうか・・?

 

根っこは同じ、自己中心的な思い、利己的な考えなのだ。

 

もちろん、この答えが、すべての人たちを納得させるものでないコトはわかっている。

 

これからも戦争を経験した人や、経験していない人も、それぞれが、それぞれにあの戦争の意味を問いかけ、その答えを見出そうとしていくのだろう。

 

69年目も、70年目も、その先も・・。

 

それこそがまた、平和への歩みそのものに違いないのだから・・。

 

 

 

 


長~い友達

2013年08月10日 | 最近、思うコト

先日、髪を切りに行った時のコト。

「これでいいですか~?」

・・と、いつものように、後頭部の仕上がりを店員さんが鏡を開いて見せてくれた時のコトだった。

 

「・・っ

 

―なんとっ!!

ハ・ハ・ハ、ハゲてるっ・・!!

 

・・いやいやいや、うすうす薄くなっているのは、当然、自覚していた。

 

―が!

しかしっ!!

「・・ここまでひどかったか・・?

 

1ヶ月前に切った時は、ここまでじゃなかったはず・・。

 

過労か、ストレスか、睡眠不足か・・。

はたまた、単なる加齢現象か、DNAの発露か・・?

 

―まあ、すべてがあてはまるのだから、どーしようもないのであるが・・。

 

 

昔の育毛剤か何かのCMに、こんなフレーズがあった。

 

抜けはじめてわかる

髪は

長~い友達

 

・・しみじみと、それを感じる年になってしまった・・。

 

・・とゆーか、それを感じる瞬間を、こうも劇的に迎えるとは・・。

 

そんなに友達に、つらくあたった覚えはないがのぉ・・。

 

うう・・。

 

 

 

 


見ないで”観る”

2013年08月01日 | 格闘技・武道

自分が師事している武道の師範から稽古中に聞いた話。

 

反射神経を鍛えるために2人が向かいあった状態で立つ。

手を伸ばすと互いの突きは顔面をとらえるほどの距離。

相手の突きに反応して腕でガードする・・それだけの練習だ。

 

攻撃は突きだけなのだから、しごく簡単に思われるが、まあ、向かい合って立つと、突く側、受ける側、なかなかの緊張感!

目で一生懸命に突いてくる瞬間を見極めようとすればするほど、いわゆる”居つく”という状態になり、まったく体が反応できず、身動きが出来なくなるのがわかる。

 

「いつ突きが来るか?」・・と、気を張り詰めて待っているので、肩にも力が入り、力んでしまって、まあ、疲れるのだ・・。

また年齢のせいか、目が悪いせいか、異様に目が疲れて、その緊張状態に耐えられなくなってしまう。

 

たまりかねて

「相手のどこを見ればいいんですか?」

と聞いたトコロ、

 

「見ない」

—と一言。

 

相手の目や手だけに意識を集中していれば、全体が捉えられなくなってしまう。

むしろ目に何も映さないで、ただ全体をぼんやりととらえるようなイメージ。

本来なら、突きが来るか、蹴りが来るか、わからないワケなのだから・・。

 

何かが来た時、それにただ冷静に対処する・・。

反射神経と同時に、そうした”胆”をつくる練習でもあるな・・と理解した。

 

”木を見て森を見ず”の例えのごとく、一部にばかり目を向けていると、全体が見えなくなってしまう。

これは職場や家庭など、日常生活でもよくあるシチュエーションであろう。

 

”見る”のではなく”観る”

 

—なんちゅーと、カッコええのだが、余裕がなくなればなくなるほど、自分の視野がせまくなって、自分のコトしか見れなくなってしまうのを、最近よく感じる。

”忙し”いと”心”を”亡”くし、知らず知らずのうちに、自己中な発想になってしまっているのだ。

 

日々、修行なのだなぁ・・と感じる、今日この頃でした・・。