作家の司馬遼太郎は、
「どうして日本はこんな国になってしまったのか?」
「日本は決してこんな国ではなかったはずだ・・」
―という、自らの戦争体験から、『竜馬がゆく』などの作品を執筆したそうだ。
日本を愛するがゆえに、戦争という絶望的な経験から、希望をもって復興への歩みをはじめるための、”日本再考”の作業の中で生み出されたのが、司馬の数々の歴史小説たち・・とゆーワケである。
日本だけで230万人、民間人で80万人の計約310万人もの犠牲者を出した先の大戦・・。
生き残った者たちは、なぜ多くの戦死者たちが、死ななければならなかったのか・・?
―その意味を、理由を、自分なりの答えを見出さなければ、前に進むコトは出来なかったのかもしれない。
そして、その理由を探し続けるための歩みは、68年たった今なお、それぞれの中で続けられているのだろう。
300万人以上の人が死ぬ・・というのは、それほどの経験であろうコトは、戦後に生まれ、戦争を直接知らない世代である自分にとっても、想像に難くない。
そんな自分でも、戦争について考えさせられるコトはある。
平和な世界を築くには、戦争をなくすコトは不可欠である。
―なぜ、あの戦争は起こらなければならなかったのか・・?
自分の中での、その答えは既にある。
自分自身の中にある、自己中心性。
利己主義的な考え・・。
―そうしたものが、戦争を招いた1つの原因である。
多くの人が戦争を望んでいないのは言うまでもない。
しかし、ごく少数とはいえ、戦争を望んでいた人たちもいた・・。
世界中の人たちを巻き込み、多くの犠牲が出るコトを知っていながら、戦争をはじめようと画策した人たち・・。
その主体が誰か・・?
―それを、ここでは問題にしない。
問題は、そうした、他人を犠牲にしてでも、自分の利益を優先させようとする自己中心的な思い、利己主義的な考えが、自分自身の中にもある・・という紛れもない事実である。
家庭や職場でも、そうした思いはいつも頭をもたげてくる。
その結果、小さなケンカやいざこざは、日常茶飯事といっていいだろう。
誰しも経験のある、そうしたごくごく小さなケンカやいざこざが、戦争と無関係だと言い切れるだろうか・・?
根っこは同じ、自己中心的な思い、利己的な考えなのだ。
もちろん、この答えが、すべての人たちを納得させるものでないコトはわかっている。
これからも戦争を経験した人や、経験していない人も、それぞれが、それぞれにあの戦争の意味を問いかけ、その答えを見出そうとしていくのだろう。
69年目も、70年目も、その先も・・。
それこそがまた、平和への歩みそのものに違いないのだから・・。