仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

わたくしといふ現象

9999-12-31 23:59:59 | ※ 表紙写真
  わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
  一つの青い照明です

  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

  風景やみんなといつしょに
  せはしくせはしく明滅しながら 
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です

  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

  これらは二十二箇月の
  過去とかんずる方角から
  紙と鉱質インクをつらね

  (すべてわたくしと明滅し
   みんなが同時に感ずるもの)

  ここまでたもちつゞけられた 
  かげとひかりのひとくさりづつ 
  そのとほりの心象スケツチです

  〈宮澤賢治「序」(『春と修羅』)より〉

※ 最近、コメント・トラックバック荒らしが多いので、一度こちらで確認させていただいています。ご了承ください。


【最近発表した書きもの】

「中国における神仏習合:六朝期江南における原型の成立と展開」(2013年度皇學館大学研究開発推進センター神道研究所公開学術シンポジウム「東アジア及び東南アジアにおける神仏習合・神仏関係」)『皇學館大学研究開発推進センター紀要』1号、2015年
・中国六朝の江南地方において、政治・社会・経済的な混乱状態のなか、非業の死者を救済しようとする中国宗教の伝統的課題、死者の現実世界へのコンタクト、不老不死への希求などが交錯し、在来信仰や道教と密接に関わりつつ、神身離脱・護法善神の神仏習合形式が構築されてゆく過程を跡づけた。


「放光菩薩記注釈」小林真由美・北條勝貴・増尾伸一郎編『寺院縁起の古層:注釈と研究』法蔵館、2015年
・成城大学民俗学研究所の共同研究の成果として、醍醐寺本『諸寺縁起集』の注釈を行った。筆者の担当した「放光菩薩紀」は、これまでほとんど研究が進んでいなかったが、遼の『三宝感応要略録』や、敦煌文書にみえる宝誌関係資料の接合であり、背景には宝誌信仰や観音・地蔵を治水神と崇める中国的信仰があることなどを明らかにした。



「日本列島の人びとと自然:伝統的農村風景を疑う」
歴史科学協議会編『歴史の「常識」をよむ』東京大学出版会、2015年
・昔話「桃太郎」の初期形態を手がかりにしながら、現在、緑豊かな山林に囲まれたものと考えられている日本列島の伝統的な農村景観が、実際は低植生の柴草山に覆われていたことを、環境史・環境文化史の成果から論証してゆく。また、そのような記憶が忘却され、なぜ緑豊かな里山という幻想が生み出されるのかを問う。




「〈串刺し〉考:〈残酷さ〉の歴史的構築過程」(第4回環境思想シンポジウム講演)
『人と自然(安藤百福記念自然体験活動指導者養成センター紀要)』4号、2014年
・『日本書紀』以降に度々現れる、動物を串刺しにする描写は、中世以降の仏教による思想的誘導を通じ、アプリオリに残酷なものだと認識されているが、もともとは動物に宿る精霊を他界へ送り返す祭儀の作法であり、動物に対する最も丁重な扱い方だった。人間が「自然」と信じる自らの感性が、実は歴史的・社会的に構築されたものであることを、上記の事例を手がかりに考えた。




「語ることと当事者性:災害における言説の暴力性と宗教者の役割」(龍谷教学会議第49回大会シンポジウム「宗教者の役割:災害の苦悩と宗教」報告)
『龍谷教学会議(龍谷教学会議研究紀要)』49号、2014年
・東日本大震災を受け、災害の現場、災害後の現場で宗教者はいかなる役割を果たすべきか、浄土真宗本願寺派の教学研究の場で問題提起。筆者は「語ることと当事者性―災害における言説の暴力性と宗教者の役割―」と題する報告を行い、被災した人々の心を周囲の言説がいかに傷つけてゆくか、宗教者がそれに対しいかに自覚的になり対抗しうるかを考えた。


「環境/言説の問題系―〈都邑水没〉譚の成立と再話/伝播をめぐって―」
『人民の歴史学』199号、2014年
・後漢から六朝の時代にかけて、中国江南地方で成立・展開した〈都邑水没〉譚が、他の洪水多発地域や少数民族文化圏、そして朝鮮半島や日本列島に伝播してゆく過程を跡づけ、当初重点が置かれていた危険感受性・避難瞬発力の醸成から、物語的面白さや、地域の人々が抱く自然環境への心性を反映するメディアとして拡大/形式化してゆく様子を考察した。



「人外の〈喪〉:動植物の〈送り〉儀礼から列島的生命観を考える」
『キリスト教文化研究所紀要』32号、2014年
・共生的と評価されることの多い日本列島の文化においても、当然のごとく、その衣食住の維持のために多くの動植物が殺戮されてきた。列島では、そうした動植物の喪葬をどのように行い、またそれを支える心性は、古代から現代に至るまでどのように変遷してきたのか。見逃されることの多い歴史事象を渉猟し、ステレオタイプの日本的生命観を再考する。



「浮動する山/〈孔〉をめぐる想像力:鰐淵寺浮浪山説話の形成にみる東アジア的交流」
三浦佑之責任編集『現代思想』12月臨時増刊号/総特集「出雲」、青土社、2013年
・中世の出雲鰐淵寺は、『出雲国風土記』に載る国引き神話を、「インドの霊鷲山から漂い出た山がスサノヲによって島根半島に繋ぎ止められた」との物語へ再構成した。このモチーフは中国杭州の古刹霊隠寺に起源し、梵僧・白猿・洞窟からなる豊かな伝承世界を有していた。この物語は、いつ、どのようにして日本へ将来され、鰐淵寺にまで至ったのか。忘れられた入宋僧覚阿の事跡を通じて考察した。 ※ 訂正表あり



「あるささやかな〈水災〉の痕跡:四ッ谷鮫ヶ橋とせきとめ稲荷をめぐって」
上智大学文学部史学科編『歴史家の窓辺』上智大学出版、2013年
・「帝都三大スラム」のひとつに数えられる四ッ谷鮫ヶ橋は、縄文期の入り江に由来する低湿地が、社会的に自己実現した姿であった。近世末期から近代にかけて、鮫ヶ橋に住む人々が経験した〈水災〉の様子と、湿地の不衛生に由来する病害を防ぐとされたせきとめ稲荷の由来を、可能な限りの史資料を渉猟して描き出した。実証主義に抗う「可能性を叙述する歴史学」の試み。



「〈荒ましき〉川音:平安貴族における危険感受性の一面」
三田村雅子・河添房江編 源氏物語をいま読み解く4『天変地異と源氏物語』翰林書房、2013年
・『源氏物語』宇治十帖は、宇治川の川音に関する記述を多く載せるものの、そのほとんどが不快や恐怖で彩られている。自然科学的には、水の音は人間に快適なものとして感受されるというが、なぜ宇治十帖では、それとは正反対の表現がなされているのだろうか。平安時代における宇治川の洪水をめぐる感性史・心性史を志向するとともに、平安貴族の日記類から洪水に関係する記事を抜き出し、「洪水の契機をどのように認識しているか」という危険感受性の一面を描き出した。



「野生の論理/治病の論理:〈瘧〉治療の一呪符から」
『日本文学』62巻5号、2013年
・下記「歴史叙述としての医書」の姉妹編。二条大路木簡に見出された瘧病除去の一呪符の起源を中国医書に探り、孫思�『千金翼方』に基づくとする定説を否定したうえで、疫鬼に対しその天敵に当たる神霊を呼び出して撃退するという形式の呪言がどのように形成されたのかを、医書・本草書・道教経典を著した六朝初期の道士たちの山林修行にまで遡って論じたもの。併せて、『源氏物語』若紫巻において、瘧に悩む光源氏が北山へ登り、海景を想う意味についても明らかにした。



「担い手論の深化/相対化」(神道宗教学会第65回学術大会シンポジウム「神々の神仏関係史再考」コメント)
『神道宗教』228号、2012年
・パネリストの各報告にコメントを付けつつ、〈神仏習合〉という宗教現象を僧侶の実践の問題として捉えなおすこと、列島固有という狭小な文脈ではなくアジア的観点から照射しなおすことを提案した。




「歴史叙述としての医書:漢籍佚書『産経』をめぐって」
小峯和明編 アジア遊学159『〈予言文学〉の世界』勉誠出版、2012年
・現在、歴史学者の〈科学的〉監視のもとに置かれている歴史は、前近代においては、より豊かで多様な相貌をみせていた。例えば、中国から日本に伝わった医書のなかには、過去を根拠として未来を予想し、現状への対処法を提示する〈歴史叙述〉を持つものもあった。漢籍佚書『産経』を題材に、未来を志向する歴史的言説の可能性を探ってゆく。



「環境と災害の歴史」
北原糸子他編『日本歴史災害事典』吉川弘文館、2012年
・環境史の視座から災害を捉えた概説。他の項目との差別化を図りつつ、開発に伴う二次災害や獣害の問題に特化して述べた。突然の依頼を受け極めて短い期間で執筆したもので、もう少し熟成期間が欲しかったと悔いが残る。




「禁忌を生み出す心性」
上杉和彦編 生活と文化の歴史学1『経世の信仰・呪術』竹林舎、2012年
・人間はなぜ禁忌を生み出すのか。タブーという用語の検討、人類学や精神分析学に跨る研究史の整理から始め、様々な歴史資料の分析から分節と実体化の実践プロセスを浮き彫りにする。





「神禍をめぐる歴史語りの形成過程:納西族〈祭署〉と人類再生型洪水神話」
『アジア民族文化研究』11号、2012年
・中国雲南省納西族の祭祀〈祭署〉と、その起源神話や関連経典の分析から、中国少数民族が広く共有する洪水神話の意味、その歴史的起源について明らかにした。六朝の仏教・道教において流行した洪水による終末説が、説話化、民間伝承化を通じて少数民族の神話にまで至る。納西族固有の問題としては、今後、東巴教と道教との関係においても論及する必要があろう。



「過去の供犠:ホモ・ナランスの防衛機制」
『日本文学』61巻4号、2012年
・書く前から評判の悪かった、昨年11月日文協大会シンポ報告の活字化。東日本大震災後に噴出した転換論的言説情況は、激甚災害後にみられる太古からの繰り返しであり、現状のストレスに対する〈糸巻き遊び〉的な防衛機制に過ぎないとの内容。




「先達の物語を生きる:行の実践における僧伝の意味」
藤巻和宏編『聖地と聖人の東西:起源はいかに語られるか』勉誠出版、2011年
・鹿島徹さんの〈物語り論的歴史理解〉を、東アジア史の枠組みで実証したもの。以前から神仏習合研究のなかで触れていた修行テキストとしての僧伝の使用を、ホワイトの"practical past"の概念と絡めて明らかにした。




「〈負債〉の表現」
渡辺憲司・野田研一・小峯和明・ハルオシラネ編『環境という視座:日本文学とエコクリティシズム』勉誠出版、2011年
・2010年1月に開催された国際シンポの記録。下記「御柱」「草木成仏」の総論。





「草木成仏論と他者表象の力:自然環境と日本古代仏教をめぐる一断面」
長町裕司・永井敦子・高山貞美編『人間の尊厳を問い直す』上智大学出版、2011年
・日本天台の主張になる、草木発心修行成仏説の概要。






「『日本書紀』と祟咎:「仏神の心に祟れり」に至る言説史」
大山誠一編『日本書紀の謎と聖徳太子』平凡社、2011年
・以前、『アリーナ』5号(2008年)に書いたもののリライト版。






「樹霊はどこへゆくのか:御柱になること、神になること」
『アジア民族文化研究』10号、2011年
・下記、『諏訪市博物館研究紀要』5号に掲載のものの増補版。






「鎌足の武をめぐる構築と忘却:〈太公兵法〉の言説史」
篠川賢・増尾伸一郎編『藤氏家伝を読む』吉川弘文館、2010年







「生命と環境を捉える〈まなざし〉:環境史的アプローチと倫理的立場の重要性」
歴史科学協議会編『歴史評論』728号、校倉書房、2010年







「樹霊はどこへゆくのか:御柱になること、神になること」
諏訪市博物館編『諏訪市博物館研究紀要』5号、2010年







「神仏習合と自然環境:心性・言説・実体」
水島司編『アジア遊学』136号/環境と歴史学、勉誠出版、2010年







「鎮魂という人々の営み:死者の主体を語れるか」
中路正恒編『地域学への招待 改訂新版』角川学芸出版、2010年







「神を〈汝〉と呼ぶこと:神霊交渉論のための覚書」
倉田実編『王朝人の婚姻と信仰』森話社、2010年







「〈神身離脱〉の内的世界:救済論としての神仏習合」
上代文学会編『上代文学』104号、2010年

「ヒトを引き寄せる〈穴〉:東アジアにおける聖地の形式とその構築」
古代文学会編『古代文学』49号、2010年
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南相馬小高地区:白鳥をみる

2016-12-24 06:21:11 | ※ 独歩考
昨日はまず、下記の公開セミナー「ヘイドン・ホワイトの今」に参加。どうしようか最後まで迷っていたのだが、主催の岡本充弘さんからダメ押しがあり、何だかコメントを求められそうな雰囲気だったので、9月にこちらのパブリック・ヒストリー・シンポに出ていただいた義理もあり、顔を出させていただくことにした。もちろん、もともと内容に関しては、万難を排して出席すべき性格のものなのだ。会場へ行くとすぐ鹿島徹さんにお会いできたので、その後ろの隅の方へ座ろうとすると、「そこじゃ主催者に失礼だよ、心当たりがあるでしょ」とラウンド・テーブルに着くことを促された。仕方ないので鹿島さんの隣へ腰掛けたが、終始彼と意見交換をしながら報告を聞くことができたので、これはかえって僥倖だった。

報告は、上村忠男さんの「ヘイドン・ホワイトと歴史の《喩法》」、そしてカレ・ピヒライネンさんの「On the ethics and politics of historical representation」。上村さんのお話は、ご自身がホワイトに関心を持つようになった経緯から、最終的に彼も注目するヴィーコの〈詩的知恵〉、言語における神話の発生作用ともいうべき起源の知恵を解き明かすものだった。ヒピライネンさんのお話は、過去の再現前化をめぐる倫理の問題をナイーヴに扱い、かつ表象されたものが生み出す諸効果への責任を訴えかけたもの。上村さんには、まず、〈詩的知恵〉が、例えばレヴィ=ストロースの〈野生の思考〉とはどう異なるのか、歴史叙述が民族誌研究を参照しなかったために現在の停滞を招いているのではないか、倫理の欠落を生じているのではないかとの質問を。また〈詩学〉の用法に関して意見を求められたので、単なる形式作法の問題ではなく、解釈の多様化を要請しアプリオリな理解を批判する詩的エクリチュール、バシュラールの詩学などの系譜に連なるものだろうとコメントした。また全体討論では、ピヒライネンさんの質疑応答の際に「歴史学無用論」が飛び出したので、「歴史を現在に従属させ、現在の正当化のために利用しようとする目的においては、確かに歴史学の存在意義は危うい。しかし逆に、そうした現在を批判する学として、過去の多様性を実現してゆく学としては有用であり、倫理性を発揮しうるのではないか」との質問をした。あまり生産的な議論を起こすことはできなかったかもしれないが、鹿島さん、内田力さんら議論巧者が揃っていたので、大いに刺激を受けた。歴史学者/歴史哲学者らの間で、このような諸命題が活発に意見交換できる日が来るとは、20年前は考えもしなかった。ありがたいことだ。

シンポの終了後は、文化財レスキュー関係の打ち合わせを経て(学生たちが、本当によくやってくれている)、眠る暇もなく福島、相馬・小高へ。南から攻めていた独歩考を、北からのルートに変えてみたのだが、いつものように大した目標はなかったところ、前日鹿島さんから、とてもいい契機をいただいたのだ。そこでまずは駅前の大通りを西進、日本国憲法の実質的な起草者である、鈴木安蔵の旧宅へと向かった。彼は治安維持法の第1回の適用者でもあるのだが、なんと鹿島さんの母方のお祖父様に当たられるのだという(驚き!)。小高に行く話をしたところ、「偶然なんだけど…」と、その旧宅が、震災・原発事故により崩壊寸前に放置されていることを伺ったのだ。不思議な縁を感じ、「では、様子をみてきます」とお答えしたのだが…。周囲の家々はどんどん取り壊されていて、新しく建て直されているものもあるにはあるが、大部分は更地になったり、あるいはソーラー・パネルへと姿を変えている。管理に当たっていた林薬局のシャッターが、強風に煽られて空しい音を立てるなか、日本国憲法が空洞化されようとしている現在を、これほど象徴的に表している光景もあるまいと、寒々とした気持ちになった。
詳しくはまた動画をアップしたいと思っているが、そのあとは、重い気分で金性寺、貴船神社、相馬小高神社=小高城と歩いて回り、最終的には村上海岸方面へ。巨大なダンプがひっきりなしに通り、大規模に堤防工事が行われている海岸へ次第に近づくと、恐らくかつては水田や宅地が広がっていたであろう低湿地に(やはり潟化している?)、何か点々と白いものが…。「まさか」と思ってよくみると、なんと、かなり大きな白鳥の群れが、広範囲にわたって展開している。関東から東北にかけての太平洋側には、冬期湛水水田に白鳥の飛来がみられることは知っていたが、ここで出会えるとは思っていなかった。つい昨日、今井知樹監督の映画に触れて渡り鳥の話をしていたばかりだったので、これにも不思議な繋がりを感じ、少々心が軽くなった(でも彼らは、自分たちの越冬地が、汚染されていることを知らないのだよなあ…)。

それにしても、この広大な景観を覆う喪失感は、いったいいつ払拭されるのだろうか。ダンプのけたたましい走行音、舞い上がる砂塵は、何か、復興の活気とは異質な足音を響かせているようだった。聖夜のライトアップとは対照的な帰宅困難区域の暗闇も、強く印象に残った。

ところで、気になることがもうひとつ。白鳥の越冬地から、広範囲に展開している防波堤工事の現場を突っ切り、津波・原発事故後放置されている村上城跡の付近まで行ってみたのだが、その南側、字としては入羽和形の辺りに、何らかの化学プラント的なものがみえた。煙突があり、水蒸気らしきものが排気されている。帰宅して検索してみたが、引っかかってこない。Googleでは、航空写真ではもちろん映っているものの、mapには記載がない。さらに調査してみると、「南相馬市災害廃棄物の減容化処理等業務用地」であることが分かった。すなわち、放射能汚染されたものも含む災害廃棄物を破砕処理、ガス化溶融処理などし、容積を減らすための施設であるようだ。周囲の井戸水の水質調査報告書もみつかり、概観したところ大きな問題はないようなのだが、そもそもこの存在が伏せられているのが気になる。
防波堤工事には、常磐道方面からひっきりなしに巨大なダンプがやって来るのだが、入羽和形の方へも多少のダンプの往復があった。破砕処理が必要な廃棄物が常時施設へ搬入されることはあるのだろうが、フレコン入で仮置きされるべき破砕物が、そのまま埋め立てに使用されることなど、あるのだろうか。また、工事現場に囲まれ巨大なダンプが通過する情況で、白鳥越冬地は適切に保護されているのだろうか。一定の除染はされているはずだが、周囲にはかなりのゴミがあり、汚水の溜まっている情況も確認されたので、白鳥に何らかの危険が及ぶ可能性は拭いきれない。
杞憂であればいいのだが、いろいろ疑問が生じたので、福島県環境創造センターの、野生生物共生センターへ問い合わせてみよう。
なお、恐らくは工事現場を監視循環している車だと思うのだが、ぼくが村上城跡へ来るまでの間、何度か脇を通り過ぎて注意を向けている印象があった。プラントの写真を撮っているときも、高台に車をこちらへ向けて停めており(周囲には関係の施設が何もなく、こちらを監視するために停車しているとしか思えなかった)、歩き出すと、後ろから横を通り越して去って行った。危険であることを警告するためかもしれないが、付近には津波慰霊碑などもあり、立ち入り禁止措置は採られていない。ほんと、いろいろ気になる。
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平塚らいてうの「太陽」

2016-11-29 11:52:28 | 議論の豹韜
ちょっと気になることがあって、不勉強をさらしながらも書いておく。平塚らいてうの有名すぎる『青鞜』創刊の辞、「元始、女性は実に太陽であった」なのだが、この「女性」は誰を念頭に置いているのかということだ。あまりものごとを深く考えていなかった頃は、単に古代の女性全般を曖昧に指しているのかな、という程度に解釈していた。しかし、自分なりに日本近現代史を整理してゆくようになって、これはやっぱりアマテラスだよなあ、しかも時代情況を明確に反映して…と考えるようになったのだ。
上記の有名な冒頭の一文のあとには、「私どもは日出ずる国の東の水晶の山の上に目映ゆる黄金の大円宮殿を営もうとするものだ。女性よ、汝の肖像を描くに常に金色の円天井を撰ぶことを忘れてはならぬ」といった記述もある(何となく『霊異記』みたいだけど)。これが何を指すかも議論があり、近年は仏教、禅の思想などの影響も指摘されているが、太陽をめぐる観念複合もアマテラスの平塚的表現かもしれない。
近現代史研究者には自明のことだが、1882年、明治天皇を担ぎ出した伊勢派の前に出雲派が敗退し、明治初年まで神道・国学の支配的学説であった平田国学はもちろん、顕幽論さえもが公式に否定された。神道の最高権威は平田国学の奉じるオホクニヌシではなく、皇祖神アマテラスへと確定されてゆくことになったのだ。我々などは、これを境に忘却の彼方へ消え去ってゆく近世的神話世界に宗教的な豊かさ、多様性をみるのだが、1911年に『青鞜』を起ち上げた平塚らには、かかる江戸時代的国学こそ自分たちを縛る旧弊の象徴であり、新たに近代国家大日本帝国の価値の源泉となった女神アマテラスこそ、女性を解放する光そのものにみえたのかもしれない。このあたりのことは、牟田和恵さんの指摘しているような、平塚が最終的に国権へ吸収されていってしまうことと、何らかの繋がりがあるのではなかろうか。
まだ本当に不勉強でこれから調べねばならないと思っているのだが、初期社会主義者たちのパブリック・ヒストリー的位置づけとも関わってきそうだ。
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人文学系情報発信型ポッドキャスト「四谷会談」第25回/『キタキツネ物語』からみる民族学的想像力

2016-11-03 21:18:04 | ※ 四谷会談
これも気候変動の影響でしょうか、近年、夏から冬にかけての変化が急激すぎる気がします。秋の余韻を楽しむ暇もなく、東京では54年ぶりの11月の初雪となりました。ずいぶん久しぶりの配信となりましたが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

今回は、すでにfacebookページにて掲載をしておりました、『キタキツネ物語』を題材に、1970年代後半〜1980年代前半の社会・文化に、民族学的想像力が大きく作用していたのではないかという仮説を提示します。これはいいかえれば、異文化への意識、他者への意識が、自己に対する批判的なまなざし、自文化の価値を相対化するまなざしを醸成していた時期ともいえます。現在の自画自賛情報の垂れ流しによる閉塞状態を打破するための、考えるヒントになっていればいいのですが…。
また今回からは、上智大学学部3年生の松本満里奈さんにも、議論の場に加わっていただきました。日本女性史を猛勉強している、期待の学生です。まだちょっと、「おじさんたちが寄ってたかって若者に教示する」という歪な構造になっておりますが、いろいろかき回してもらえるといいなあと思っています。

以上、またお楽しみいただけましたら幸いです。

《第25回 収録関係データ》
【収録日】 2016年11月3日(木)
【収録場所】 上智大学7号館9階北條研究室
【収録メンバー】山本洋平(司会・トーク:英米文学・環境文学)/工藤健一(トーク:歴史学・日本中世­史)/堀郁夫(トーク:株式会社勉誠出版編集部))/松本満里奈(トーク:歴史学・日本古代女性史)/北條勝­貴(司会・技術・トーク:歴史学・­東アジア環境文化史・心性史)
【主題歌】 「自分の感受性くらい」(作詞:茨木のり子、曲・歌:佐藤壮広)
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『キタキツネ物語』をめぐる民族学的想像力

2016-10-30 11:57:12 | 議論の豹韜
以前に「四谷会談」で加藤幸子さんの新作小説を扱った際、かつては動物文学がもっと盛んで、書店にも「動物文学」の棚があった、という話をした。戸川幸夫や椋鳩十は当たり前で、海外文学はもちろん、幾つかの書名をいまも覚えている。そのときふと気になったのが、高橋健による児童文学『キタキツネのチロン』と、蔵原惟繕監督のサンリオ映画『キタキツネ物語』の関係だった。後者については今さらいうまでもないが、日本文化において培われてきた「ずる賢い」「陰惨な」キツネのイメージを、「健気な」「凜とした」印象へ塗り替えてしまった画期的な作品である。オホーツク海を埋め尽くした流氷の彼方から、北海道は釧路の雪原に降り立ったキタキツネのフレップ。彼は、その地の厳しい自然や人間との格闘のなかで、恋人と出会い、家族を作り、そして大切なものを失い/残し、再び流氷の彼方へ去ってゆく。筋立てとしては、蔵原が日活時代に撮っていた無国籍映画そのものなのだが、随処に使用されたドキュメンタリー・フィルムが、単なるフィクションに終わらない説得力を持っていた。映画が公開された1978年夏(なんと『スター・ウォーズ』とぶつかっていたのだ)、ぼくはまだ小学生だったが、サンリオ出版から出ていたフィルム・ブックと上記『チロン』を購入し、むさぼり読んだ覚えがある。『チロン』は、登場するキツネたちの名前こそ違うが、ストーリーはほぼ共通している。そこで気になったのが、同書は映画のノベライズなのか、それとも原案なのか、あるいはまったく関係なく作られたものなのか、ということである。これは、映画『キタキツネ物語』製作の経緯にも関わる。
そこで、幾つか資料を集めてみた。まず『チロン』のあとがきを確認してみると、同書は単なるノベライズではなく、映画の原案を話し合うなかでまとめたものを、あらためて児童文学にリライトしたものだと分かった。しかし、あくまで児童文学なので、詳しい経緯は書かれていない。そこで、公開当時の『キネマ旬報』1978年7月下旬号をみると、当時のスタッフによる座談会とシナリオが採録されており、概ね製作の経緯と過程が明らかになった。まず、ドキュメンタリー部分の核になったのは、キタキツネの研究者として知られる竹田津実の記録で、これを自身が編集する動物雑誌『アニマ』に紹介した高橋健が、動物映画を撮ろうと動き始めていたサンリオへ話を持ち込んだらしい。サンリオ映画としての製作が決まってからは、高橋がキタキツネの1年を軸に原案を書き、4年かけて素材の撮影を行った。そうして蓄積された45万フィートに及ぶフィルムを、最終的に1本の劇場映画としてまとめてゆく際、蔵原が参加して脚本を書き、キツネの心情をヴォーカルとして表現すること、説明的な台詞を排し物語り的に構築することも決められていったという。恐らくこの段階で、脚本の流れから足りない素材を、飼育されたキタキツネを利用して撮影していったのだろう。なお、キツネの夫婦に目のみえない子供が誕生したことや、素材撮影の途中で多くのキツネが死んでいったことは、生態的な意味での事実であったようだ。ただし、追加撮影のいわゆる「作り」の段階で、飼育キツネにどのような演出が施されたのかは分からない。
座談会を読んでいて興味深かったのは、製作陣が一致して、キタキツネの「子別れの儀式」を映画の最大の魅力としていることだった。蔵原は以下のように述べている。「生物学的には、あの儀式は本能の行為です。大昔とは型式は違ってきていますが、人間にも本能としての親と子の別れは、あるわけです。今は甘えの構造とか、断絶があるので、もっとプリミティブに見直してみようじゃないかと思ったし、ある種、信仰に近い形で、プリミティブなものは美しくて根源的だ、という思いが演出していく上での私のベースになっていた。そういった点で、"子別れの儀式"は僕自身、観て驚き、感動したし、この映画の現実といいましょうか、ドキュメンタリーの白眉ではないかという気がします」。土居健郎の『甘えの構造』。「過保護」という言葉が一般化したのも、この頃であったかもしれない。そして、「プリミティブ」という言葉。「何回も繰り返しますが、もっとプリミティブなものを見つめていくことが必要な時代でもあるんですね。そういうことを、われわれは日常の生活の中で、一切ぬぐいさっている。僕はドキュメンタリー撮影のため、ピグミー族とジャングルで二ヵ月程生活した時、そのことを痛感しましたね。ちょっとキザな話ですが、ホイットマンが死期が近付いた時、"単純なものはすごいんだぞ"ということをつぶやいたと、若い頃何かで読みましたが、ピグミーやインディアンと一緒に生活してみて、ああ、そうかなと、だんだん思うような年齢になってきた。そんな時に、この映画に出会えたのは、すごく幸せだった」(ともに64頁)。1978年といえば、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』が川田順造によって翻訳された、その翌年に当たる。国立民族学博物館が開館したのも、1977年11月だった。近現代の芸術は、常に「プリミティヴ」なものに触発されていたが、この時代にもそうした思潮があり、『キタキツネ物語』成立の原動力になったと思うと、面白い。
それにしてもこの映画、『スター・ウォーズ』の向こうを張って興行収入59億円をあげ、『もののけ姫』に抜かれるまで20年日本映画のトップに輝いていた割に、公刊されている資料が少ない。日本動物映画史、あるいは動物文学史を考えるうえでも、またエコクリティシズムや環境人文学の対象としても、もっと言及されていい気がする。素材部分の撮影の苦労、演出部分の実態と困難、物語の確立までの具体的な議論など、現在も活躍されている関係者への聞き取りや諸資料の発掘を通じ、もっと公けに共有されるべきではなかろうか。
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原尻英樹さん、という文化人類学者

2016-09-19 06:05:28 | 議論の豹韜
幸いなことに、未だ授業は始まらないが、先週から今週にかけては、卒論合宿、カトリックAO入試、海外就学者入試などのイベントがあり、秋学期から来年度へのこまごました事務作業が目白押し。ジャパノロジー・コースの統括や学科カリキュラム再編を担っていると、会議や関係各所への連絡、書類作成だけでどんどん時間が取られる。『上智史学』の編集、文学部初年次研修のコース選定なども同時進行のため、睡眠時間を削って原稿に向かわざるをえないが、情けないことに、若いときのように捗らない、がんばれない。体力と集中力の衰えを感じる…。卒論や修論の追い込みにかかる学生、院生を叱咤激励しつつ、自身のこの為体はいかんともしたがい。

ところで昨日は、京都から畏怖すべき文化人類学者=武道家、原尻英樹さんが調査のために来京されていて、四ッ谷にて2年半ぶりに再会することができた。原尻さんはたいそうタフでパワフルな人で、とにかく語る言葉に途切れがない。会議が遅くまでかかったので20:00からの会食となったのだが、お目にかかって開口一番、「北條さん、昨日も徹夜しただろう。何度いっても無駄だと思うけど、もうだめだよ、それじゃ。早晩死んじゃうよ!」とお叱りを受けた。facebook上でもいつもご叱正をいただくのだが、今回は「このあいだも、あー北條さん京都でゼミ旅行か、学生引率して大変だな、と思っていたんだ。もう学生なんてほっときゃいいんだよ!いい顔ばっかりするからいけないんだ。死んだら残るのは業績だけだ、とにかく早く本書きなよ」ともっともなご意見。しかし、誰かがどこかで自分のことを心配してくれているというのは、本当にありがたいことだ。こんなに不義理な人間なのに。
原尻さんとは、やはりfbが繋ぐご縁というやつで、どこかのポストを通じて知遇を得て、メッセージ・スレッドで何度も何度も理論や方法論をめぐる議論をし、たくさんのことを教えていただいた。年齢は一回りも違うけれど、なぜか可愛がっていただき、実は直接には2回しかお会いしたことがないのに、忌憚なくお話をしてくださる。昨日は、コリアンとは異なるエトランゼとしての朝鮮族の、ナショナル・アイデンティティ、エスニック・アイデンティティとは無縁の自由さ、柔軟さ。移動した先の人々と生産的な贈与交換を行う、強靱な共生の技法。個別の顔と顔を接し、歌や踊り、山登りなどの身体技法を通じて構築されるネットワーク。ぼくが中国西南民族に見出している移動のセンス、メンタリティの豊かな展開について伺って、たいへん満腹になったのだった。途中からは工藤健一さんも加わって、武道の話、環境史の話、江戸の習俗の話なども。たった2時間だったが、非常に豊潤なときを過ごすことができた。今後とも、ご教導をお願いする次第である。

写真は、まず原尻さんの新刊。環東シナ海の交渉・交流を考えるうえで重要。あとの3つは、今回の初年次研修フィールドワークで訪れる場所のひとつ、四ッ谷大木戸跡に置かれた由来不明の八面石塔、太宗寺の塩掛け地蔵、正受院の奪衣婆。咳止めなどの効能があるが、京都のお地蔵さんが願の成就によって五色の真綿を重ねられてゆくのに対し、こちらは白い真綿を被せてゆく(表象はずいぶん違うが、地獄信仰としての構造は同じか)。塩掛け地蔵など、清めのごとく塩を掛けられてしまうわけだが、川越広済寺のしゃぶき婆を思い出す。あちらも咳止め、願成就には紐を結んでゆく形式だった。まさに江戸の境界:内藤新宿を象徴する道具立てだが、柳田国男「石神問答」に描かれた姥神伝承との関連でも面白い事例。1年生にどう説明するか、〈物語り〉を練っておかねば。
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パブリック・ヒストリー研究会公開シンポジウム、終了

2016-09-12 22:10:18 | 議論の豹韜
昨日の「パブリック・ヒストリー」公開研究会、無事終了。思ったより多くの方々にお越しいただき、懇親会も含めていろいろな話が聴け、得がたい経験をした。菅豊さんの力こもりすぎのイントロダクション、岡本充弘さんの現状を浩瀚に俯瞰する周到な講演があり、自分はあまりコメントすることがないなあと思っていたが、岡本さんのお話の多少分かりにくい部分を明確にするよう、ディフォルメを心がけて質問し、また今後のパブリック・ヒストリー研究の論点になりそうなことも、2〜3指摘したつもり。 ちなみに、ホワイトのいうヒストリカル・パスト(historical past、「歴史的な過去」と訳されている)をプラクティカル・パスト(practical past、「実用的な過去」と訳されている。ぼくは「実践的過去」という訳語を使用)に対置されるものではなく、近代科学主義民族(modern scientism tribe)の歴史実践に過ぎないと規定した議論、特権的なものでもなんでもないのだと主張した点は、それなりに玄人ウケした。
しかし、このところの言語論的転回をめぐる動向で、極めて気になっている点については、あまりこの会の趣旨にそぐわないだろうとは思いつつ、質問せざるをえなかった。すなわち、00年代後期に停滞を迎えた言語論的転回をめぐる議論が昨今また復活してきたこと、それはそれで歓迎すべきなのだが、その方向性やインパクトが、90年代当初と比較して希釈されてしまっている点である。具体的には、「言語の世界構成機能」に関する論点の捨象。ぼくからすれば、バルトの「作者の死」も、デリダの「テクスト外というものはない」というテーゼも、この論点をもとにしてこそ理解できるものだ。歴史学がこれを踏まえてテクストを論じようとすると、さまざまな仮定や想定を幾重にも積み重ねねばならないことになり、極めて面倒くさい。方法論懇話会で議論していた折、これらの難問に立ち向かうために、クリサート・ユクスキュルの議論から始めて、認知物語論に至るまで勉強し、人間が自らの環境を構成するその方法について、自分なりに理論構築していった。いまのぼくの環境文化史は、そのあたりのことが基底になっている。環境史に大きく踏み出せたのも、言語論的転回の「質問状」に、具体的に応えようとしたからだ(このとき書いた論文は、『史学雑誌』回顧と展望で、「北條は言語論的転回を思想史の範疇に押し込めようとしている」と、まったく逆ベクトルの読み方をされて〈というか読んでいなかったのだろう〉一蹴されたけれども)。しかし一般的には、これは「歴史学の議論ではない」。それゆえに歴史学では、言語論的転回を自学の俎上に載せるために、希釈に希釈を重ねてほとんど別の問題に作り変えてしまった。そこでの中心的論点である「言語が対象を正確に把握できるか」なんて、アリストテレス的言語観で、ソシュール以降の考え方にはそぐわないだろう。ヒストリカル・パストの特権性を剥奪し、下位の歴史構成や歴史の担い手をとりあげるなどといった傾向も、むしろ社会史の議論であって(すでに、セニョボス/シミアン論争にみられる)、言語論的転回とは本質的な関係がない。7月の長谷川さんの書評会の際にも、その違和感は拭えなかった。
これについて、岡本さんからは納得のゆく答えを引き出すことはできなかった。会場には鹿島徹さんもいらっしゃっていたので、コメントをいただきたかったが、「疲れたから今日は帰るね」と懇親会にはおみえにならず。懇親会の場でいちばん詳しそうな内田力さんとは、概ね理解が一致したと思うが、「希釈したから扱えるようになったので、そこはポジティヴに評価してもいいのでは」と。まあ、それもそうかもしれないが…結局、言語論的転回は歴史学を開こうとした、ある意味ではその可能性を拡大しようとしたのだが、大部分の歴史学者はその実践の困難に耐えきれず、逆に閉塞し、「強烈な毒ゆえに薬にもなりえた液体を、甘い水になるくらいまで懸命に薄めてきただけではないのか」。まあ、ぼくの議論も到底完成されているとはいえず、水を注いでいるばかりかもしれないのだが。そんなことも考えた1日だった。
なお懇親会では、民俗学その他の関係の方々から、理論や方法論に関するさまざまな著作を頂戴し、新たな課題をみつけだすことができた。感謝、感謝である。また思いもかけず、尊敬する川本喜八郎氏と一緒にスタジオで作品を作っていたという!方にお会いし、かなり長い時間お話を伺うことができた。あの優しげな川本さんが、全身に刺青をされていたとか…! ほとんど聞き取り調査だが、またあらためてきちんとお話を伺いたい。歴史学と映像との関係を考えるうえでも、貴重な体験となりそうだ。

※ 質疑応答での発言のうち、斎藤英喜さんの「保苅実はカスタネダになったのか否か」という議論、上智の学生Y君の「歴史戦における公正さをめぐる議論は、結局事実性を基準とせざるをえないのか」という質問、武井基晃さんの「自分とインフォーマントを同レベルの歴史実践主体と把握した場合、相手の〈誤り〉を指摘し、こちらの〈答え〉を示すのは、保苅的には適切なのか否か?」という議論は、歴史学者としてはかなり本質的な問いと感じられた。cross-culturalizing historyが、実際はどれだけ困難かも指し示しており、その問題意識の幾らかは、ぼくも共有している。今後も、できれば一緒に考えてゆきたい。また、保苅実が本当に目指したこの理想が、日本の関連分野でほとんど言及されないのは、やはりポストモダン民族誌の議論が充分咀嚼されず、定着しなかったからなのかもしれない。すなわち未だ日本では文化相対主義が主流で、それは客観主義的対象把握の裏返しなのだという議論が、歴史や文化を考える際の前提とはなっていないのだろう。
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人文学系情報発信型ポッドキャスト「四谷会談」第24回/加藤幸子『十三匹の犬』を読む

2016-07-01 21:14:00 | ※ 四谷会談
気がつくと、もう夏も本番に近付いております。久しぶりの「四谷会談」をお届けします。

今回は、エコクリティシズムの分野で注目を集める加藤幸子さんの新著、『十三匹の犬』を採り上げます。戦前から現在に至るまで、ある家族に飼われてきた13匹の犬たち。その生きざまから犬と人間との関わりを考える、珠玉の短編集です。加藤さんの語り口は、犬の目から世界を描いてゆくものですが、その描き方にはどのような良さ、あるいは問題点があるのか。犬のナラティヴに付される、人のナラティヴにはいかなる意味があるのか。単なる鑑賞には終わらない、自然環境と人間との関係を考える意見交換となっています。
また今回は、これまで四谷会談にも参加をしてくださった森田系太郎さん、上村崇さん、そしてジャズ・ピアニストの上村美智子さんをお招きしました。お三方の語りにも注目です。

選挙から水不足、福島から沖縄まで不安と心配の種は尽きませんが、皆さまの心が少しでも軽くなりますように(反対に重くなってしまったらごめんなさい)、お楽しみいただけましたら幸いです。

《第24回 収録関係データ》
【収録日】 2016年7月1日(金)
【収録場所】 上智大学7号館9階北條研究室
【収録メンバー】山本洋平(司会・トーク:英米文学・環境文学)/工藤健一(トーク:歴史学・日本中世­史)/堀郁夫(トーク:株式会社勉誠出版編集部))/上村崇(トーク・ゲスト:哲学・倫理学­)/上村美智子(トーク:応用昆虫学・音楽家)/森田系太郎(ゲスト:通翻訳者・環境文学)/北條勝­貴(司会・技術・トーク:歴史学・­東アジア環境文化史・心性史)
【主題歌】 「自分の感受性くらい」(作詞:茨木のり子、曲・歌:佐藤壮広)
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人文学系情報発信型ポッドキャスト「四谷会談」第23.2回/学問の公共性から存在論的転回へ・後篇

2016-03-28 21:12:38 | ※ 四谷会談
「学問の公共性から存在論的転回へ」後篇です。

《第23.2回 収録関係データ》
【収録日】 2016年3月28日(月)
【収録場所】 上智大学7号館9階北條研究室
【収録メンバー】北條勝­貴(司会・技術・トーク:歴史学・­東アジア環境文化史・心性史)/工藤健一(トーク:歴史学・日本中世­史)/岩崎千夏(トーク:日­本文学・中国語)/天野怜(トーク:歴史学・中国近代史­)/堀郁夫(トーク:株式会社勉誠出版編集部))
【主題歌】 「自分の感受性くらい」(作詞:茨木のり子、曲・歌:佐藤壮広)
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人文学系情報発信型ポッドキャスト「四谷会談」第23.1回/学問の公共性から存在論的転回へ・前篇

2016-02-28 20:20:59 | ※ 四谷会談
気がつくと、新年度が始まっております。すでにもう息切れ、こんなことで1年間保つのかなと心配な皆さんもおいでかと思いますが、我々も一様にそんな状態です。四谷会談、第23回をお届けします。

今回は、収録時間が長くなってしまいましたので、例のごとく前後編に分けてお送りします。テーマは、「学問の公共性から存在論的転回へ」。まず、前回やや消化不良に終わってしまった「公共性」の問題について、列島社会でそれを論じることの恐ろしさを、社会の様態や歴史過程を視野に入れつつ意見交換してゆきます。それが紛れもなく、弱きもの、小さきものへの抑圧の歴史であることも…。そこから浮かび上がってくるのが、近年話題の、人類学における「存在論的転回」。ちょうど。会談メンバーの堀さんが、「転回」をめぐる出版の動きに絡んでいることもあり、現時点での受容のあり方、今後の課題や可能性などを中心に論じてゆきます。とくに、一般的には「人類学で動植物を扱うこと」と思われているこの動きを、無生物、サイボーグ、ハイブリッドなものへと拡張してゆく方向性が強調されています。どうぞ、ツッコミを入れながらお聴きください。

なお、初期メンバーの岩崎千夏さんが、一時中国へ移住される関係で、ひとまず今回が最後の出演となります。皆さまも、彼女の門出を
祝っていただければ幸甚です。


《第23.1回 収録関係データ》
【収録日】 2016年3月28日(月)
【収録場所】 上智大学7号館9階北條研究室
【収録メンバー】北條勝­貴(司会・技術・トーク:歴史学・­東アジア環境文化史・心性史)/工藤健一(トーク:歴史学・日本中世­史)/岩崎千夏(トーク:日­本文学・中国語)/天野怜(トーク:歴史学・中国近代史­)/堀郁夫(トーク:株式会社勉誠出版編集部))
【主題歌】 「自分の感受性くらい」(作詞:茨木のり子、曲・歌:佐藤壮広)
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