仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

背水の陣

2010-07-29 00:39:31 | 生きる犬韜
また、ずいぶん更新に間が空いてしまった。大学の正規の授業はほぼ終わったのだが、毎月末の横浜の生涯学習の講義があり、首都大のオープン・ユニバーシティも始まった。今年は、上智のオープン・キャンパスでも公開授業を担当している。滞っている各種委員会の仕事も片付けねばならない。なんだかんだで、7月も最後まで疾走し続けることになりそうだ(8月もだけどね)。

原稿の方は、今日ようやく、「神仏習合と自然環境」を脱稿した。最初は、5月に『上代文学』に書いたものを分かりやすくまとめればいいか、程度に思っていたのだが、少し欲を出したところから迷走が始まり、ずいぶんと〆切を超過してしまった。いつもながら、まことに申し訳のない限りである。『上代文学』では注に回していた、『太上洞淵神呪経』等にみえる〈甲申年の災害〉説と八斎戒との関係、草木発心修行成仏論と神身離脱説との関係などを表に出してみたのだが、案の定問題が大きすぎて収拾がつかなくなった。奈良時代の宗教思想史は、まだまだ追究すべき点を多く残している。やはり、四天王信仰は『金光明最勝王経』だけからでは分からないし、大仏の意義も『華厳経』や『梵網経』だけからではみえてこない。とくに、『女青鬼律』や『洞淵神呪経』に出て来る、疫鬼を統率し力士を派遣して種民を守る魔王の存在と、阿含系経典などにみえる四天王の機能はかなり重複している。『提謂波利経』前後の八斎戒隆盛の情況をみても、こうした信仰が道教/仏教の交渉によって成り立っているのは明らかなので、(自分としては)四天王信仰の新たな一面を発見した思いだ。天然痘流行から国分寺創建に至る思想情況は、この、疫鬼ヴァーサス四天王の構図を前提にするとより分かりやすくなるし(四天王像が踏みつけている邪鬼もね)、東大寺や初期神仏習合の寺院が抱える水(須弥山周囲の四大海を模した水、お水取り、一般的神社占地の山水など)の問題も、鬼のもたらす洪水との関係で把握すると面白いかも知れない。
ところで、例の神雄寺は「橘諸兄の別荘跡」との見解も出ているようだが、良弁の話は誰も出さないのだろうか。木津川周辺に良弁開基の寺院が点在するのは、やはり後世の仮託と決めてかかっているからなのか。『興福寺官務牒疏』の研究って、いま中心的にやっている人はいるのだろうか。ずいぶん前に書いた「良弁の出自と近江国における活動」、誰かみなおしてくれないかな?(「金鍾寺」が「金鍾香水」に基づくという浅井和春さんの説も、水を媒介に考えるとさらに面白くなるように思う)。

今日はもうひとつ、日本史出版の老舗H社のTさんが研究室を訪ねてくださった。
ぼくは周知のとおり、学位論文を提出していないのだが、それにはもろもろの事情がある。ひとつは今のように課程博士の輩出を推進するようになる前後の、端境期に院生であったこと、もうひとつには、研究を広げてゆくのは好きだが畳むのは苦手という本人の性格。そしてもうひとつは…ここでは書くことができない。いずれにしろ、幾つかの要因が重なって現在の悲惨なありさまを露呈しているわけだが、そろそろ教務の関係もあって学位論文をまとめざるをえなくなってきた。論文も、内容の質はともかく、数だけは60本近くあるので、単純に繋げるだけでも論文集の体裁は作れる。しかし、10年前に書いた論文の方向性といまのそれとはずいぶん違ってしまっているので、かなり細かく手は入れなければならないだろう。3冊は作れるだろう量を、1冊のできるだけコンパクトな形にまとめたい(値段もあるし)。しかし、やらなければいけないことは分かっていても、目の前の仕事を片付けることに追われて、なかなか手は着けられない。書き下ろしの単行本も2冊抱えており、まずはそれを仕上げねばならないので、このままゆくと論文集はずっとずっと後回しになる危険性がある。
そんなところへH社さんが、タイミングよく、「論文集を出しましょう。3~5年かかっても結構です」というお話を持ってきてくださった。書いてもいない学位論文の版元が決まってしまった。背水の陣を敷いた、ということだろう。とりあえず、サバティカルのとれそうな?3年後を見据えて頑張るとしましょう。
しかしH社とは…モモも首を傾げていたけれど、ぼくの論文、歴史学界における位置とは、もっともイメージのかけ離れた出版社であるような。

※ 写真は、柳田国男の勉強です。『捜神記』と『遠野物語』の比較研究はどの程度行われているのか?オシラサマ以外の論文をあまりみないのだが、きっと相当な蓄積はあるはず…。
Comments (4)
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学習院「修行」シンポ参加

2010-07-18 04:04:20 | 議論の豹韜
毎年夏の恒例、首都大OUの講座が始まる一方、大学の正規の授業は結びに入る。今週は、いちばん最初に始まった特講「野生と文化の神話・伝承学」が終了。それなりに頑張ったと思うが、やはり1年は必要なテーマだったか…。上智は人類学や民俗学の講義が少ないので、それらとの協働を射程に入れた歴史学を打ち出してはいるのだが、学生の側がどれくらい理解してくれたかどうか不安は残る。去年の「全学共通日本史」の方向を深めるつもりで議論を展開したが、動物に特化しなかったぶんだけ、「日本史」ほど受けはよくなかったかも知れない。
自主ゼミも春学期分を終了。最後の2回はディベート大会を行ったが、もともと15名に及んだ参加者のうち、この試みに顔を出してくれたのは10名ほど。意見交換や議論そのものに喜びを感じる学生と、大学へ対応するための情報を得ようとしていた学生との差異が出た形である。しかし、集まったメンバーはかなり試合巧者で、討論そのものも昨年よりスムーズに進み、下準備もしっかり行っていて感心した。彼らが、ちゃんとやる気や個性を伸ばしてゆける環境を整えねばならない。忙しさにかまけて、いろいろなことをなおざりにしてしまっている自分をやや反省した。
その他、もろもろの校務を片付けてやっと週末。原稿の進捗具合は相変わらずだが、だんだんと書き進めて各方面へ提出しているところである。

今日17日(土)は、友人のもろさんnomuraさん、テレビ等々でいつも拝見している夏目房之介さんが主催するシンポジウム「からだの文化―修行と身体像―」に参加。面白かった。
夏目さんのご報告(レジュメはこちら、夏目さんご自身のコメントはこちら)は、マンガ表現における修行と身体との関係を戦前から現代まで跡づけるもので、とくに戦前のものが驚くほど伝統的物語世界と近似していることに興味を惹かれた。田河水泡『天狗と巻物』など、「巻物だけで修行が済んでしまう、魔法の書物」との位置づけだったが、これは『義経記』鬼一法眼譚の一般化した形だろう。それこそ、起源としては『史記』の、張良が仙人黄石公から「太公兵法」を授かる話まで遡るが、暗誦するだけで超人的な力が身につくという内容である(日本史の初見は、天平宝字4年『藤氏家伝』における、鎌足が『六韜』を暗誦して乙巳の変に勝利したという話である)。この系統の兵書は、『六韜』『三略』『素書』と増殖を重ね、日本で伝来してさらに展開し(江戸後期に至るまで、日本で兵書といえば『六韜』『三略』であった。『孫子』がよく読まれたというのは近代の神話に過ぎない)偽書『兵法秘術一巻書』を生み出す。これは、大江匡房が「太公兵法」を倭語に咀嚼して源義家に伝えたという来歴を持つが、中身はほとんど密教的呪術書で、南北朝における成立以来書写され続け、『訓閲集』など類似の諸本も多く生じてゆく。武技や馬術について記した具体的な武家故実書も確かに存在したが、説話から幸若舞、浄瑠璃、歌舞伎、落語・講談などへ展開してゆくサブカル的表象文化は、圧倒的に「秘術書」系統のコードのみを受け継いでゆくのである。今回はマンガがその正統な後継者であることを再認識したが、一方で武家故実系の知の世界も命脈は保っていたはずで、それが武道の世界との接触を媒介に、折に触れてマンガ的身体の革新を誘引してきたのかも分からない。
もろさんのご報告は、『天台小止観』や『占察経』を題材に、仏教の身体観を分かりやすく説明したもの。我々にも馴染みのある近代的身体を前提にしながら、その自覚的コントロールを目指すうえでの「仏教的レイヤー」が存在する、という説明の仕方もよく、勉強になった。会場からの質問にもあった声明の問題に当てはめると、個人的には一層理解しやすくなる。さいきん引っ越したせいで宗教的実践からは大いに遠ざかってしまったのだが、例えば読経という行為は、毎日続けていると、だんだん過去の自分、過去の身体・精神との対話という営為になってゆく。今日はあそこに無理な力が入ってしまった、この間は別のことを考えていてこの部分がなおざりになっていた、いつも気をつけているのにここができなかった…などなど。複数で読経する場合はシンクロを意識し、調声や導師に合わせるべく全身で気を配るが(配らないやつもいる)、一人で行う場合は自分との対話のなかで深みがましてゆく。その点、このシンポのメイン・イベントであった八卦掌のワークショップに参加したとき、ああ武術も同じだなと痛感した。
そこで全体討議の際、『兵法秘術一巻書』が顕に対する密を標榜していることから、夏目さん・もろさんの報告を繋げるものは密教の身体観なんじゃないか、密教の身体観・身体表象についてどう考えるかと発言してみた。夏目さんからは日本のマンガ表現は確実に密教を基盤とするものが多いこと、もろさんからはシンボルと身体の問題やイコンの背景に確実に存在したロゴスの問題、そしてnomuraさんからは禅の秘伝も意識すべきではという回答をいただいた。展開からいって、やっぱり即身成仏や存思と絡めると面白いと思ったのだが、あまりそういう方向へは話が広がらなかった。印を結ぶ行為など、文字の象徴性と身体の一体化でもあるのだから、「書物を受けることで修行が達成される」身体観を論じるうえで欠かせない気がするのだが。
さて、最後はさっきも書いたが、夏目さんやnomuraさんのお師匠李先生による八卦掌のワークショップ。基本中の基本の走圏を2時間やって、くたくたになった。そしてやはり、簡単な動作なのに思うように動けない。「北條さんもたまには運動せねばね」とご叱責をいただき、やはりPCを眺めているだけの「修行」ではだめか…と、久しぶりに阿弥陀さんと向き合ったりしたのであった。
もろさん、nomuraさん、いろいろありがとうございました。そういえば、ちゃんと夏目さんにご挨拶しなかったな。ごめんなさい、どうもありがとうございました。

ちなみに、上の件と関連する拙稿「鎌足の武をめぐる構築と忘却―〈太公兵法〉の言説史―」はようやく上梓。吉川弘文館から出る『藤氏家伝』の論文集に載る予定ですが、刊行自体は来年初めになりそうです。
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最近の読みものから

2010-07-14 00:16:10 | 書物の文韜
以下は、もともと先月アップしようとして、草稿のまま残しておいたものです。

森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』をどうやら読了。爽やかな夏の風が吹き込むファンタジーだが、これはやはり、かつて少年だった大人の読むジュブナイルだろう。ここにも、異類婚姻を基本にした、死者との関わりを語る物語があった。ネタばれになるのでできないが、最後の数行は、ありきたりではあるが、引用したいほどに切ない。かわりに、ナンシー・ウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』から、次のインディアンの言葉を掲げておくことにしよう。
もしも、おまえが 枯れ葉って何の役に立つのってきいたなら
わたしは答えるだろう 病んだ土を肥やすんだと
おまえは聞く 冬はなぜ必要なの?
するとわたしは答えるだろう 新しい葉を生み出すためさ
おまえは聞く 葉っぱはなんであんなに緑なの?
そこでわたしは答える なぜって、やつらはいのちの力に溢れているからだ
おまえはまた聞く 夏が終わらなきゃいけないわけは?
わたしは答える 葉っぱどもがみんな死んで行けるようにさ
おまえは最後に聞く 隣のあの子はどこに行ったの?
するとわたしは答えるだろう もう見えないよ
なぜなら、おまえの中にいるからさ
おまえの脚は、あの子の脚だ

『中世幻妖』は田中貴子さんから、『漢字文化圏への広がり』は石井公成さんから、『水の音の記憶』は結城正美さんからご恵送いただいた。
田中さんのご著書は、歴史学の欲望の表象たる「時代区分」批判を(ぼくのように)単なる理論的解体に終わらせず、血の通った近現代人論、近現代文化論としてまとめたもの。「本当の中世」など存在しないとすれば、重要なのはその「語り方」である。自分は「歴史」をどのように語っているか、「日本」をどのように語っているか。再帰的な問いを発したくなる1冊である。
石井さんのご著書は、朝鮮・ベトナム仏教の研究水準を示した概説で、石井さんの学識の広さには驚かされるばかりだ。最近は、韓国の出土文字史料に重要な発見が相次いでいるし、ぼくはベトナムばかりか朝鮮にも不案内なので(それではいけないのだが)、全体の見通しを得るためには格好の書物である。なお、石井さんからは 「聖徳太子伝承中のいわゆる『道教的』要素」(『東方宗教』115号、1~23頁)もご恵賜いただいた。早速講義等々でも紹介したのだが、納得できる議論が展開されている。ただし、厳しい批判の対象となっているのが知人ばかりなので、心情的にはかなり複雑である。いずれにしろ、今後の聖徳太子をめぐる議論において、石井さんや(以前からも書評等に書いているとおり)森博達氏への学問的応答は必要不可欠になってくるだろう。
結城さんのご著書は、エコクリティシズムの観点から幾つかの日本文学を批評したもの。母親が子供を食べるということはどういうことなのか、石牟礼道子の『苦海浄土』をモチーフに発する結城さんの問いかけに序盤から共振する。食べること、そして食べられることには快楽がつきまとう。一方は性的なものを帯び、もう一方は母胎回帰と再生を表象する。野生の思考を飼い慣らそうとした制度との緊張関係も、「食べる」という行為をとおして最も顕著にみえてくるように思う。
田中さん、石井さん、結城さん、どうもありがとうございました。
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傲慢

2010-07-13 20:52:59 | ※ 雑感
「継承」というのは、やはり傲慢か。ぼくはぼくでしかないのだから、ぼくはぼくとしてやってゆく。
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追悼

2010-07-07 18:53:55 | 生きる犬韜
1ヶ月近く、更新が滞ってしまった。いつも開いて読んでくださる方々には、申し訳のない限りである。
この間、公私ともに(というか、「私」はなかったりする)猛烈に忙しく、まさにブログを書いている余裕のない状態だった。原稿さえ書けない。現在も同様の情況は続いているが、一番大変な時期を何とか乗り切って、多少なりとも自分の研究をする時間は作れている。複数からの催促に身の細る思いだが、何とか、順々に片付けてゆくしかない。

さて、まず最初に報告しておかなければならないのは、父の手術が無事に済んだということだろう。入院期間は1週間にも満たず、見舞いに行こうと思った頃には退院していた。その後自宅へ様子をみにいったが、至って元気そうであった。あれだけ、「おれは自分を犠牲にして、たばこ会社の社員たちを救っているのだ」と嘯き続けていたたばこも、ついに止めたらしい。今年は喜寿、記念論集を刊行すべく、既発表の文章を預かってきて入力作業を始めたところである。

というわけで、父は今のところ何の心配もないのだが、火曜日にとても大切な人の訃報を聞き、愕然とした。宗教学者の中村生雄さんが亡くなったのである。詳しいことは発表されていないようなのでここにも書かないが、お元気になり、講義もされていると伺っていたので、大変に残念でならない。ちょうど、供犠論研でずっと中村さんと一緒だった中澤克昭さんが、上智で非常勤の講義をしてくださる日だったので、研究室で2人で天を仰いだ。いまぼくの取り組んでいる環境文化史は、中村さんの議論にかなり影響を受けている。
今から11年前、1998年が、中村さんと最初に言葉を交わした年だった。日本仏教研究会の懇親会の席でご挨拶し、仏教が自然環境を破壊する尖兵となったという話を(若気の至りで)熱く?語ったところ、「ついに仏教の側からそういうことをいう人が現れましたか」と優しいお言葉を頂戴した。その後、再会できたのは2006年の古代文学会シンポだったが、「北條君の話は、歴史学なのに面白いね」という、これも(ちょっと毒の入った)「優しい」コメントを頂戴した。その後、環境/文化研究会(仮)の例会で上智に来ていただいたこと、ぼくが供犠論研に伺って報告させていただいたこともあったが、同会の論集『狩猟と供犠の文化誌』の書評をおみせできたことが、厖大な学恩に対する唯一のご恩返しということになるかも知れない。
今年1月の国際シンポ「エコクリティシズムと日本文学研究」の報告で、ようやくはっきりと中村さんの学問からの継承を自覚し、「後ろめたさ」の問題と「負債」の問題を、理論的彫琢も含めて正面から考えてゆきたい…と思ったところだったのに。
またひとつ、返済しようのない負債を背負ってしまった(これから中村さんについて語ることは、そのまま死者に対して語ることになってしまうのだ)。とりあえず、『歴史評論』の「古代における生命と環境」の仕事を、中村さんへの追悼の気持ちを込めてやりとげよう。未だ開発史観の抜けきらない「環境史」の世界に、中村さんの切実な問題意識を訴えかけてゆかねばならない。

なお、この1ヶ月弱の間に考えていたことも、これから少しずつアップしてゆきます。

※ 写真は、最も影響を受けた中村さんの著作。あとひとつ、『日本の神と王権』(法蔵館)もか。
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