26日(月)は、昨日から引き続いて31日(土)の朝日カルチャー、「良弁・漆部直伊波と東大寺創建」の準備(歴博の神社通史は思ったより時間がかかり、4月の1週目に仕上げる方向で仕切り直し。本当は今年度中に出さなくてはいけないのですが…)。良弁はちょうど10年前にに研究していたテーマなので、細部についてはかなり忘れてしまっています…。当時の資料や学会報告レジュメなど、ファイルしているはずがみつからないものもあり(重要なものほど出てこない)。仕方なくまた関係書籍を並べ、論文化した内容を軸にレジュメを書き始めましたが、遅々として進まず。やりかけのまま出勤し、夕方はゼミの追い出しコンパに出ました。すでに4年生は卒業式を終えているので、(学籍は3/31まで残るとしても)最初の同窓会といったところでしょうか。仕事が気になったものの、学生にはそれなりに愛情を注いでいるので、ついつい2次会のカラオケまで付き合ってしまいました。帰宅の電車のなかでは、新川登亀男さんの『聖徳太子の歴史学』の紹介文(『仏教史学研究』用)を作成。
27日(火)、昨日電車のなかで打ち込んだ原稿を軸に、『聖徳太子の歴史学』紹介文を脱稿。昼過ぎに佐藤文子さんへ送信。久しぶりに両親と語らい(父親が自宅付近の上郷深田製鉄遺跡について講演する準備をしていたので、製鉄の古代的環境や五十戸制について。家族が学者だと、日常会話も学問の話です)一休みした後、良弁のレジュメを続行。しかし、一日かかってもなかなか波に乗れません。朝方、早めの食事を摂りながら、録画しておいたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』を視聴。今回は、新作映画に挑む宮崎駿を追うドキュメント。相変わらず無意味な質問と注釈を付ける茂木健一郎に首を傾げつつ(文章を書いている人間だって、「脳のなかに釣り糸を垂らす」という感覚、表現は分かりそうなものだが)、難産にうめき、自分を追い込んでゆく宮崎駿に共感。一方で、安易な逃げ道を探してばかりいる最近の自分を反省しました(かといってすぐに更正できるわけでもありませんが)。しかし、「やっぱりね」と思ったのは、宮崎駿の、息子五朗が監督した映画『ゲド戦記』に対する本音。上映前後、さまざまなメディアで語られていた感想は、「素直な作りでよかった」という肯定的なものでした。息子には甘いことをいうのかなと疑問に感じていましたが、今回初めて公開された映像では、初号試写の途中と直後、カメラの前で痛烈な批判を口にしていたのです。すなわち、「気持ちで映画を作っちゃいけない」「まだ大人になっていない」「映画は世界を変えるつもりで創らなきゃいけない」云々。こういう形でお互いの本音を知ることになる親子関係は厳しいな…と、半日前の団欒を思い出しながら考えました。
左の写真は、先日ご恵送いただいた三浦佑之さんの最新刊『古事記のひみつ―歴史書の成立―』(吉川弘文館、2007-03)。旺盛な執筆活動には本当に圧倒されますが、今回も『古事記』の序文を9世紀まで引き下げるインパクトのあるもの。ちょうど『歴史学研究』の4月号が国史特集なので(知り合いばかりが書いている)、歴史書なるものの意味について総合的に考えるいい機会かも知れません。人間はなぜ歴史を求めるのか、なぜ歴史を描こうとするのかという、欲求の本質的なところまで追究してゆきたいですね。
27日(火)、昨日電車のなかで打ち込んだ原稿を軸に、『聖徳太子の歴史学』紹介文を脱稿。昼過ぎに佐藤文子さんへ送信。久しぶりに両親と語らい(父親が自宅付近の上郷深田製鉄遺跡について講演する準備をしていたので、製鉄の古代的環境や五十戸制について。家族が学者だと、日常会話も学問の話です)一休みした後、良弁のレジュメを続行。しかし、一日かかってもなかなか波に乗れません。朝方、早めの食事を摂りながら、録画しておいたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』を視聴。今回は、新作映画に挑む宮崎駿を追うドキュメント。相変わらず無意味な質問と注釈を付ける茂木健一郎に首を傾げつつ(文章を書いている人間だって、「脳のなかに釣り糸を垂らす」という感覚、表現は分かりそうなものだが)、難産にうめき、自分を追い込んでゆく宮崎駿に共感。一方で、安易な逃げ道を探してばかりいる最近の自分を反省しました(かといってすぐに更正できるわけでもありませんが)。しかし、「やっぱりね」と思ったのは、宮崎駿の、息子五朗が監督した映画『ゲド戦記』に対する本音。上映前後、さまざまなメディアで語られていた感想は、「素直な作りでよかった」という肯定的なものでした。息子には甘いことをいうのかなと疑問に感じていましたが、今回初めて公開された映像では、初号試写の途中と直後、カメラの前で痛烈な批判を口にしていたのです。すなわち、「気持ちで映画を作っちゃいけない」「まだ大人になっていない」「映画は世界を変えるつもりで創らなきゃいけない」云々。こういう形でお互いの本音を知ることになる親子関係は厳しいな…と、半日前の団欒を思い出しながら考えました。
左の写真は、先日ご恵送いただいた三浦佑之さんの最新刊『古事記のひみつ―歴史書の成立―』(吉川弘文館、2007-03)。旺盛な執筆活動には本当に圧倒されますが、今回も『古事記』の序文を9世紀まで引き下げるインパクトのあるもの。ちょうど『歴史学研究』の4月号が国史特集なので(知り合いばかりが書いている)、歴史書なるものの意味について総合的に考えるいい機会かも知れません。人間はなぜ歴史を求めるのか、なぜ歴史を描こうとするのかという、欲求の本質的なところまで追究してゆきたいですね。