川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

経過観察「格別の異常なし」

2009-06-30 07:30:30 | 父・家族・自分
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 この統計にはでてきませんが昨日は403人のかたが「川越だより」を訪れてくれました。どういうわけでしょう。ありがとうございます。
 

 6月29日(月)
 
 昼頃、癌研有明病院の主治医の診察がありました。X線にも血液検査にも格別の異常はなく今まで通りの生活をしてよいとのことです。抗ガン剤の効能が持続しているということです。次回の検査は8月末で、CT検査を行います。このままが続くことを期待します。

 夏の盛り、2ヶ月を楽しみなさいとプレゼントされたことになります。大切にしたいと思います。さて、どんな風にすごすかな?

 帰りに岩波ホールで「嗚呼、満蒙開拓団」を見ました。
 黒竜江省方正県にある「日本人公墓」をめぐる貴重な証言がありますが、掘り下げ方が浅く、ぼくとしてはやや満足感に欠ける紀行文を読んでいる印象を受けました。
 
 「日本人公墓」を建てるきっかけになった松田さんという残留婦人が、文革時にスパイなどとして「死刑」の「判決」を受けたが、周恩来が「日本の人民は日本軍国主義の被害者だ」といって無罪放免したそうです。しかし、肝腎の松田さんやこの家族が文化大革命時にどんな迫害を受けたのかは全く語られていません。また資料的なものも提示されていません。突如でてくる周恩来の肖像と相まって、ドキュメントとしてはもの足りないと感じたのです。


 7月いっぱいは上映されるようです。ごらんになった皆さんの感想を聞かせてもらえたらと思います。

 岩波ホール http://www.iwanami-hall.com/

ダムと森(中)竜門峡と上日川ダム

2009-06-29 04:31:49 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
 27日(晴れ)
 
 妻が宿でもらった甲州市のウォーキングマップで「竜門峡コース」というのを見つけ、滝があるというので歩きに行くことにする。日川(ひかわ)の上流で旧大和町に属するが近年、塩山・勝沼などと合併し、「甲州市」となったため、勝沼の宿のパンフレットにも載るようになったのだろう。「合併」の効果かな?

 「平成の大合併」で山梨県中央部に甲州市、山梨市、甲府市、甲斐(かい)市などと旧国名や県名に因む自治体名が並ぶようになったのは異様である。甲府は甲斐の府中から来ているからいいとして(山口県防府市の例がある)他の都市はなぜかくも没個性的な名を付けたのだろう。どこがどこやらさっぱり分からない。そこへ来て笛吹市や中央市まである。南アルプス市のほうがまだましである。南アルプスに近いのだろうと位置を推定できる。(静岡県の伊豆の国市と伊豆市もこまったものである)。

 甲州街道の甲斐大和駅の先から日川に沿って登ると「竜門峡入り口」がある。ここからは一本道なので「竜門の滝」まで妻には先に行ってもらう。ぼくのよたよた歩きに付き合っていたら疲れ果ててしまうからだ。
 日川の渓流を下に見ながらみごとな落葉樹の森を歩いていくがなかなか「竜門の滝」に到達しない。「落合三つの滝」近くで妻が待っていてくれた。此処は川に降りられるので滝近くに行ってみる。
 
 大きな磐の間を流れる急流がすばらしい。迫力がある。これを「滝」というのだろうか。

 帰り道で「竜門の滝」の発見に挑戦。東京電力が「巡察路で危険だから入るな」と表示してある道を鎖をまたいで降りてみる。そこに吊り橋がかかっており、橋の上から「滝」を望む。

 甲州市のパンフレットにも入り口の案内板にも「竜門の滝」が紹介され、我が妻が滝見に連れて来てくれたというのにこういう次第である。大和町が無くなって大甲州市になってしまったため、「大男、総身に智慧が廻りかね」という具合になったのだろうか。滝は封鎖されて警告を無視して降りていかなければその所在さえ分からないのである。

 紅葉の頃ですが、竜門峡です。http://www16.ocn.ne.jp/~e_kouiki/kouyou/ryu-mon/kouyou-ryu.html
 


思ったよりも立派な県道なのでこのまま日川を遡って大菩薩嶺の麓にいたり、奥多摩から帰ることにする。旅の目的であった「猿橋」はまたの日に。

 日川に沿う県道218号は美しい自然林の中をどこまでも進む。杉や檜の人工林はこの辺りには全く見えない。

 上日川ダムがあったので寄って見る。

 上日川ダム http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=3106

 発電量東洋一の揚水式・葛野川発電所の上池にあたり、下池にあたるのが相模川水系の葛野川ダムだという。日川は笛吹川の支流の一つだが静岡県に注ぐ富士川水系の上流部である。

揚水式というからには葛野川ダムから揚水しこの巨大なダムに水をためているのであろう。そういえば日川に水を流している風情は無かった。大菩薩嶺付近に降った雨はこのダムに集められたあと昔のように日川に流れゆくことなく相模川に注ぐことになる。
 電力の専門家にとってこんな自然改造はお手の物かも知れないが大菩薩嶺などの「最初の一滴」を集められない日川が可哀想な気がする。

 ダムの天端の柵外に高山植物のコマクサが植えられ可憐な花をつけている。それがずうっと続いているから見事なものである。土曜の真っ昼間だが足立ナンバーのバイクで来た若者2人の他に人影はなかった。

 ダムから先も快適な道が続いて、ところどころに駐車場や旅館?がある。登山の基地なのであろう。青梅街道と出会うところにある番屋茶屋で昼食とする。
 質素な盛りそばだがちょっとしたお手製の添え物が味を引き立てる。昨日の山麓亭もそうだった。
 
 

ダムと森(上)滝沢ダム

2009-06-28 12:07:18 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
 26日(晴れ)
 
 妻が「猿橋」を見に行こうといってくれたので甲州へ。泊まりは勝沼の鈴木園と決める。

 国道299号・140号と走って11時頃、秩父の滝沢ダム着。

 中津川の流れが美しく子どもたちをつれて何度も遊びに来た頃から知っている地域に巨大なダムが聳えている。有名になったループ橋は何度も通っているがダムサイトに来るのははじめてである。

 水位が異常に低いが勢いよく放水している、一度、空にでもするのか?ちょうど放水状況を確かめに来た?職員の方にいろいろと質問してみた。

 このダムは2005年に完成し、試験湛水を実施したところ、あちこちで亀裂が見つかり、水位を下げて壁面の修理中らしい。ダムサイトのすぐ近くの左岸で工事が行われているのでよく分かる。
 この方の説明によると、この辺りの地磐が弱いことは前々から分かっていたそうだ。
 集落があったところなので水がわき出やすい弱い地盤と当然認識していたが、ダム工事に金がかかりすぎるとの世間の批判もあり、強化対策をしなかったらしい。

 本当にそうだとしたらバカバカしいことである。ダムという半永久的な施設づくりに必要な工事費をケチるなどと言うことがあるのだろうか。

 結果として百億近くの金を出してパッチワークを余儀なくされ、完成して4年近くが経ってもいつ供用開始になるか分からないざまなのだ。

 今、あるHPを開いてみると脆弱な地盤のこの地域にダムはそもそも造るべきでなかったとある。

 
 滝沢ダムの地すべり問題のその後http://yambasaitama.blog38.fc2.com/blog-entry-11.html

 さて、これからどうなるのだろう?ぼくは九州の「底抜けダム」のことを思い出す。新聞を取っていないせいなのか、滝沢ダムの問題点について県民でありながら何も知らなかった。

 底抜けダムhttp://d.hatena.ne.jp/souichiro_iida/20090417/p1

 滝沢ダムhttp://www.water.go.jp/kanto/arakawa/index.html


 雁坂峠手前の山麓亭で遅い昼食のあと県境のトンネルを抜け笛吹川最奥部の広瀬ダムのベンチで仰向けになってやすむ。このあと山梨市フルーツ公園奥のほったらかし温泉へ。富士を正面に見ながらの入浴。

 ほったらかし温泉http://spa.s5.xrea.com/broom/yamanashi/hottarakashif.htm

 勝沼の鈴木園は2回目。ぼくらには安くてよい宿。おいしいワインのせいか、ぼくは疲れがでて早々に休む。

 http://red.ap.teacup.com/tabizuki-naho/990.html  

胆振・後志への旅

2009-06-26 07:24:01 | 出会いの旅
7月5日から北海道の胆振(いぶり)後志(しりべし)地方を旅することにしました。

 ざっとこんな感じです。



 7月5日(日) 羽田~千歳  支笏湖   白老町「ななかまど」泊

   6日(月) 地球岬 室蘭 洞爺湖   今金町「クアプラザピリカ」泊
  
   7日(火) 瀬棚 島牧 寿都  岩内町「グリーンパーク岩内」泊

   8日(水) 神威岬 積丹岬 余市   小樽市「マリンヒルH小樽」泊

   9日(木) 小樽 倶知安       札幌市「グリーンH」泊

  10日(金) 千歳~羽田


 1962年夏に十勝・池田を訪ねたのをきっかけに、夏になると北海道に世話になってきました。長期滞在は5回ですが、あわせて10回にはなります。
 今回訪ねる小樽・積丹(しゃこたん)半島や地球岬・洞爺湖などはどういうわけか行ったことがないところです。
 これで北海道の海岸部はほぼ廻ったことになります。(オホーツク沿岸の雄武~湧別がまだです)。支庁所在都市も岩見沢を除いて一度は訪ねたことになります。どんな旅になるのか、いつものように決まっているのは宿舎だけです。

 

土肥・前三鷹高校長の裁判闘争を支持する

2009-06-25 04:09:09 | こどもたち 学校 教育
 都教委という公権力を私物化しやりたい放題を続けている一部のならず者たちに対する土肥さんの闘いは裁判という形になったようです。JANJANにこんな記事を見つけました。
 民主主義の原点を守り抜こうという主張にどんな反論があるというのでしょう。とくと聞かせてほしいものです。
 石原都政に対する都民の支持(選挙で圧勝)を背景にウルトラ右派分子が台頭し命令を連発する行政をやってきました。今度の都議選で流れを変えることが出来るのでしょうか。
 土肥さんの声に耳を傾けて下さい。こういう声を孤立させてはなりません。


言論の自由を抑える都教委を「公開討論」の場へ

  東京都を訴えた都立三鷹高校の土肥信雄・前校長に聞く
               三上英次2009/06/16
 

 都立三鷹高校の校長在職中から、「挙手・採決禁止」通知をはじめとする都教委による「言論統制」に異を唱えていた土肥信雄氏が6月4日、ついに都教委を相手どり訴訟を起こした。東京都の非常勤教員への不採用に関し、都教委の教育施策の違法性を明らかにするため、無効確認でなく損害賠償のみを求めたという。訴状を提出した土肥氏に話を聴いた。

 都教委の施策に広く審判を仰ぐのが目的

 記者 今回のことは、「前校長が教育委員会を提訴」と聞けば、事情をよく知る人はともかく、初めての人は驚くでしょう。また、私も、非常勤教員不採用の無効確認訴訟かと思っていましたが、どうやらそうではないということで、今日は訴訟の理由、そのねらい、あるいは広く土肥先生の考える望ましい教育行政などについてお話をうかがえればと思います。 



 土肥 まず、訴訟の内容ですが、表向きは非常勤教員の不採用等による慰謝料1,850万円を求めたものですが、実質は今までの都教委の教育施策に対する審判を仰ぐものと私は考えています。都教委は、本来民主的であるべき教育現場には「言論の自由」を認めず、都教委に都合の悪いことはことごとく抑えて表に出さないという方針でやって来ました。

 都教委の「挙手・採決禁止」通知は2006年4月に出されましたが、私は現職中の07年秋頃から、「これは学校から言論の自由を奪うものだから撤回してほしい、撤回できないのなら、通知の理由や根拠についてきちんと説明してもらいたい」と言って来ました。08年5月以後は、外の社会に向けても同様のことを言い、「公開討論」も呼びかけました。しかし、都教委は、それについて一切の説明を拒んでいます。 

 私が都教委に公開討論をお願いしたのは、「挙手・採決禁止」通知をはじめ、都の教育施策が、どういういきさつで決まり、何をねらいとするのか、全く「藪の中」だったからです。しかし、教育は、国の将来を決める大事な事業なのです。健全な青少年を育てられなければ、その国は滅びます。健全な青少年を育てる施策が不健全であってよいはずがない。私は自分の独断で「都教委が不健全だ」と決めつけるのではなく、健全か不健全かについて、より多くの人と問題を共有し、公正な判断を仰ぎたいということです。 

 提訴の理由についても、私は自分自身の不採用そのものを問題視しているのではなく、不採用は都教委の不健全さの一部だととらえています。その不健全さを正すには、一部にだけ焦点を当ててはいけません。都の教育行政のありかたそのものを問うというねらいで、今回の訴訟を決断したのです。 

 記者 裁判になれば、都教委としても応じないわけには行かない。つまり土肥先生が前から求めていた「公開討論」ということですね。 

 土肥 そうなんです(笑)。おおやけの場で意見を戦わせることが大事なんです。そうすれば、都民だけではなく他府県の人も、つまり国民全体が都教委の実態を知ることになるし、それだけではなく、情報を共有することで、より望ましい方向をみんなで模索していくことができる、これこそ民主的なあり方だと思いませんか。 

 パワハラや「見せしめ」への異議申し立て

 記者 そう思います。土肥先生にとっては「裁判に勝つかどうか」ではなく、「公開討論」「問題の共有」が、目的なのですね。 

 土肥 私は、自分の考えに信念を持っていますから、裁判に勝つに越したことはありません。けれども、さきの「岩波ブックレット」でも言いましたが、私は自分だけが正しいとは思いません。より多くの人、つまり裁判所や国民などが、都教委のやり方を支持するなら、私はそれでいいと思います。そうではなく、都教委の一部の人間が、…ここが大事なのですが…、私は「都教委」「都教委」と、都教委全体が悪いように言っていますが、正確には、都教委の、ごく一部の人間が、都の教育施策を私物化して来たのです。それを正していかなければなりません。 

 記者 私物化と言えば、非常勤教員への不採用も、全く恣意的で、理不尽なものでした。 

 土肥 そうですね、むちゃくちゃですよ(苦笑)。私の聞くところでは「日の丸・君が代」不起立者以外は、定年後ほとんどが非常勤教員に採用されています。昨年の採用率は98.66%ですよ。私は、法令違反などにより処分を受けたことはありません。都教委の出した通達や通知にも従っていますし、三鷹高校では、もちろん職員の意向を尋ねるのに、挙手や採決は行っていませんでした。 

 記者 それが土肥先生らしいところです。先日お会いした際も「日本は法治国家だから、法令に従った上で、現状を変えていくよう声を上げる」という姿勢をうかがいました。先生は、極端な革命思想家でもアナーキストでもないのですね(笑)。 

 土肥 善良な小市民ですよ、声は大きいですが(笑)。だから、私は都教委の施策に従った上で、「将来の日本のためにならない」と考えて公平に意見を戦わせる公開討論を求めたり、書面による質問などをしたりして来たのです。間違ったことをしている組織(都教委)を批判したことで不採用にするなんて、納得できない。それは権力の濫用であり、パワハラであり、まわりへの萎縮効果をねらった見せしめだというのが、私の意見です。 



 基本的人権、言論の自由を互いに認め合うよう教えてきた

 記者 土肥先生には、以前お尋ねしたことがあります。「これから教育現場に入ってくる若い教員に何かアドバイスはありますか」という質問に対して、先生は「生徒たちのために、汗をかける教員になれ」――それはすなわち「子どもたちのために労苦を厭わない教師であれ」というようにお聞きしました。今回の訴訟は、今の高校生、広くはこれからの子供たちのためのアクションだということ、先生は、まだまだ「子どもたちのために汗をかき続ける」ということでもあるのですね。 

 土肥 そのつもりでいます。自分に対して、何かちょっかいを出されたぐらいで、私は怒りませんよ(笑)。でも、私にそういうちょっかいを出す相手というのは、他でも同じことをやって来たし、誰かが止めなければ、これからもやるんです。だから、もし改めるべきことがあるのであれば、それは、将来の子どもたちのため、ひいては将来の日本のためということです。 

 それから、ぜひもう1つ言わせて下さい。私は教員になった時から、教頭、校長になっても、「基本的人権」を生徒たちに教えて来ました。中でも政経の教員として、私は、民主的な社会を築いていく上で「言論の自由」を最も大切なものとして位置づけています。そして、彼らには次の2つを繰り返し言って来たのです。 

 それは、「自分が正しいと思ったことは、相手が誰であれ、きちんと発言せよ」と、「お互いが言論の自由を行使し合うことで、相手がこちらに納得することもある。向こうが正しいと思えば、それに従えばいい」という2つです。 

 この2つを私が生徒にやかましく言っているからには、私自身が実践できていなければなりません。私が権力の前に平伏したり、自分の信念に従ってものを言わなかったりしたら、私は生徒に対して責任がとれません。 

 私は将来の子どもたちに望ましい教育環境を用意するためにも、そしてまた、私が教えて来た生徒たちに対して責任を果たすためにも、「言論の自由」を封じ込めようとして来た都教委の姿勢について、異を唱え続けるつもりです。 

 第3者機関設け、教委と教員がオープンな発言を

 記者 最後に、これからの適正な教育行政についてお聞きします。先生は08年秋に東京都の公益通報者保護条例に基づいて、都教委の「業績評価実施要領」違反を告発されましたね。 

 土肥 そうです。00年4月に導入された校長の教員に対する業績評価も、実施要領では「絶対評価」でよいと定めながら、「全体の20%は悪い評価にせよ」と言って校長の裁量を認めず、こちらからの書類をつき返して来るわけです。そして、そういう都教委の実施要領違反を告発しようと思っても、告発書類は、都教委関係機関が受理することになっていて、結局「告発不受理」になってしまいました。こんなおかしなことはありません。 

 記者 考えてみると、国民は、行政不服申し立てができることになっています。ところが、教員は、人事権を握った教育委員会に対して表立った「不服申し立て」や「抗弁」をする制度が、確立されていないように思うのです。例えば、地域住民や保護者等から成る「学校運営協議会」の制度が、2004年からとりあえず始まりました。この制度は、校長にのみ意見を言える「学校評議員」制度よりもさらに一歩進んで、教育委員会にも意見を言えるという、ある意味では、画期的な制度です。同様に、校長が、教育委員会にもっと物を言える制度が必要だということでしょうか。 

 土肥 直接教育委員会にものを言えなくてもいいですから、教育委員会からも校長からも中立な、第3者機関は絶対必要だと思います。そういう機関を作って、お互いに意見を出し合えば、そんなに極端な考え方だけが幅を利かすことはなくなるはずです。とにかく、問題をオープンにして、誰もが自分の意見を言えるようにする教育環境が必要なのです。 

 記者 そのお考えは、よく理解できます。引き続き、裁判の経緯については見守って行きたいと思います。ありがとうございました。 

    出典http://www.news.janjan.jp/living/0906/0906155123/1.php

「甲子園の心」 佐藤道輔さん

2009-06-24 12:51:48 | こどもたち 学校 教育
高校野球の夏の大会が近づいてきたので大島高校野球部にかかわる記事を検索したらこんなニュースが飛び込んできました。

     元東京都高野連理事長の佐藤道輔さん死去
                朝日・2009年6月20日3時0分

 佐藤 道輔さん(さとう・みちすけ=元東京都高校野球連盟理事長)が16日、脳梗塞(こうそく)で死去、71歳。通夜・葬儀は近親者で行った。

 都立高校の社会科教諭で、32年にわたり硬式野球部監督を務めた。78年と85年には東大和高を率いて夏の西東京大会で準優勝。退職後もペルーの子どもたちに野球用具を贈る活動などを続けた。04~06年、都高野連理事長。著書に「甲子園の心を求めて」(報知新聞社)など。


佐藤さんはぼくの前任者です。61年4月から66年3月まで5年間に亘って大島高校の社会科の教員を勤められています。野球部の指導にあたるとともに舎監として寮生と起居を共にされました。佐藤さんが転任されたあと66年4月にぼくが赴任したというわけです。一度もお会いした記憶はありません。
 高校野球の指導者として当時から知られていたのか、そのお名前は忘れたことはありません。大島の一年先輩であるバタやンやモリさんはその人柄をよくしっていることでしょう。

 『甲子園の心を求めて』という著作があるそうです。


     『甲子園の心を求めて』
http://maglog.jp/benkei-books/index.php?module=Article&action=ReaderDetail&article_id=101970


 いま、大島高校『創立50周年記念誌』をひもといてみると、佐藤さんのこんな文章があります。

 大島高校にはいい生徒たちがいっぱいいた。私の若さにまかせた強い要求に応えて、自らの道を切りひらいていった優れた青年たちを、私は数多く知っている。…。今でも、あの頃のチームが、最も高校生らしく、強かったと私は考えている。ユニホームを泥まみれにして闘う球児たちは、私の胸のなかに輝いて残っている。


 退職の1年半後に書かれた文章です。教員生活の一番最初に出会った大島の高校生たちのチームが「最も高校生らしく、強かった」と述べておられます。甲子園にでたわけではありません。それでも「強かった」のです。佐藤さんはこの言葉で私たちに何を伝えようとしたのでしょう。

 『甲子園の心を求めて』を読めばその心が分かるかも知れません。野球部の顧問の仕事はアンテツさんが受け継いだのではなかったかと思います。民主主義の原理に忠実な方で批判精神にもあふれていました。アンテツさんは佐藤さんの心をどう読みとっていたのでしょうか。お聞きしてみたいと思います。

 夏の大会の東東京大会は7月11日から始まります。大島高校は16日になんと都立文京高校とあたります。
 ぼくが最初に世話になった学校と退職を迎えた学校の対戦です。どこに座って応援するか、難問です。
 部員も100人を超す文京は自慢のブラスバンドつきの大応援団です。対する大島はどんなチームなのでしょうか。応援団は例年だと大先輩のトランペット一つです。在京のOBOGたちが仕事の都合をつけて参じます。
 両校のOBOGの皆さん、7月16日(木)10時、明大球場です。

 両校に『甲子園の心』はやどっているのでしょうか。佐藤さんのご冥福を祈ります。(合掌)









高知県人会

2009-06-23 16:12:13 | 友人たち
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 22日(月)午後1時から文京区向丘の馥苑(ふうえん)で高知県人会がありました。参加者はTさんとNさん、ぼくの3人です。都立文京高校に在職していたとき、偶然3人の高知県出身者が出会ったのです。
 最後の県人会はTさんが在米の高校に赴任するというので赤坂の土佐料理屋でやったのではなかったかと思います。もう10年はたっています。

 輝子さんがあふれるばかりの笑顔で迎えてくれます。この人に会うとこの世の悩みはどこかに消えていきます。中国「残留孤児」のお父さんの帰国に付き従って来日して以来20余年。山あり谷ありの人生に違いないのに、観音様の化身なのか、笑顔が消えたことがないのです。Tさんは二十歳代の娘さんかと思ったと言います。

 私たちの交流は驚くなかれ、8時過ぎまで続きました。有為転変の人生です。10年ぶりですから話は尽きません。
 ぼくの高校の先輩でもあるTさんが視覚障害などに屈せず、元気いっぱいに活動している様子をうかがって大いに励まされました。
 元々が英語の先生です。地域で新渡来の外国人に日本語や英語を教えています。生徒の1人が突然首を切られたことを知りました。ミャンマーから来てIT産業で働いていた若い技術者です。聞けば不当解雇そのものです。休日などにしこたま働かせているのに超勤手当は出さず、自己都合退職だと言って失業保険の証明書も出さないと言います。パスポートも会社が預かったままだとか。
 Tさんはいまこんな企業が存在することは「日本の恥」だと言って徒手空拳で立ち向かっています。労働基準監督署などのいい加減さに腹を立て、裁判闘争も支援するつもりです。
 「これでこそ、土佐の男だ」と思いました。退職して人間的な魅力がいっそうにじみ出てくるのですから尊敬します。

 せめて50年後の日本を頭に置いて種々の提言をしていこうと地球温暖化問題から、人口減少社会問題など議論は尽きることはありません。

 Nさんはやや年下の元養護教諭です。退職して肩の荷が下りたのかいっそうかわいらしくなりました。顔色もつやつやしてほんのり桜色。鏡川の畔の学校に通っていた頃の少女期を彷彿とさせます。
 高知市神田(こうだ)の出身だとはじめて知りました。神田には龍馬脱藩のおり、参詣(さんけい)したという和霊神社があります。ぼくもいつだかに訪ねたことがあります。
 近年の脱藩の道を辿るツアーなどで知られるようになりました。Nさんも先年はじめて訪ねたそうです。龍馬生誕の地近くで育ったTさんははじめて聞くことだと言います。宇和島の和霊神社は大変なものですが、龍馬が詣った神田のそれは簡素な社殿です。ブーム?に対策が追いつかず、訪ね宛てるのも一苦労です。

 高知・和霊神社
http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/place/post-41.php

 オバマさんや龍馬のように全身全霊で希望を指し示す政治的リーダーが必要なときです。NHKのTVドラマを当てにして観光客を呼ぶことしか脳がないのでは困ります。われらが老人3人だけの県人会のように高知県の各地で50年後を見据えて国や社会のあり方を考える賢人会が開催されることを願ってお開きとしました。
 群れることをしない(できない)土佐人からは傑出したリーダーがでる可能性があります。

父の日

2009-06-22 06:22:08 | 父・家族・自分
 北朝鮮の核実験に抗議する市民有志の声明
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/22980a42c330be66b344cbeb9e290107

 21日(日)
 雨。きのう一日延ばしにした「きいちご」の原稿整理で暮れる。
 父の日だというので横浜に住む息子夫婦からしゃれたお菓子が届く。
 夕方、ありがとうの電話をすると9月に宮城県の旅に誘ってくれる。
 蒸留所と田代島だという。息子夫婦の「バー招福堂」は7月で5周年だ。ようやく旅をする余裕が生まれたのか。
 ぼくにはこちらのプレゼントが何ものにも代え難い。
 息子夫婦と旅をするというぼくの念願がようやく叶う。

  さっそく行き先を調べてみた。

 ◎ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所
http://cocomiyagi.blog89.fc2.com/blog-entry-103.html

 ◎猫の島・田代島
http://catalog.typepad.jp/catalog/2006/09/post_0313.html


 「バー招福堂」に縁のあるところばかりである。田代島とははじめて聞くが石巻の沖に浮かぶ島で「猫の島」として知られているらしい。猫好きの弘子さんの行きたいところなのだろう。
「バー招福堂」の名は招き猫で知られる世田谷・豪徳寺の招福堂に由来すると聞いている。

 バー招福堂http://r.gnavi.co.jp/a181700/

レンゲツツジの花の海

2009-06-21 20:41:57 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
 20日(土)晴れ間は今日だけという予報に急遽、武尊(ほたか)高原のレンゲツツジを観に行くことにする。昼頃、武尊高原牧場に着く頃からにわかに快晴となり、長いリフトの時間がこの上なく心地よい。

 レンゲツツジのまさに見頃で「花の海」の真ん中ににシートを敷いて昼食。遠くに日光白根山、皇海(すかい)山も見える。やがて食後の昼寝、至福の時。

 花の海http://www.manabi.pref.gunma.jp/bunkazai/images/p651368.jpg 

 休んだあとは武尊山頂に向かう登山道を2kmくらい歩く。何度来ても感動するブナの巨木が林立する森だ。昔、連れて行ってもらった山頂に立つことは2度と出来ないだろうが、おかげで森のすばらしさに気づいた。つれてきてくれた先輩や友人の顔が浮かぶ。

 3時半頃に帰りのリフトに乗る。急に空が曇り、寒くなり始める。急いでコートを着用。この日はお天道様が私たちのために3時間余の恵みをくれたのか。ありがたや。
 花咲の湯に浸って帰途に。

佐藤一さん逝去 松川事件

2009-06-19 22:03:35 | 政治・社会
 今朝、松川事件の元被告・佐藤一さんの訃報がありました。

 訃報:佐藤一さん87歳=「松川事件」死刑判決後に無罪

                        (「毎日」)
 
 福島県松川町(当時)の旧国鉄東北線で1949年8月、列車が脱線転覆し、乗務員3人が死亡した「松川事件」の被告として死刑判決を受け、最高裁で無罪が確定した佐藤一(さとう・はじめ)さんが17日、心筋梗塞(こうそく)のため死去した。87歳だった。葬儀は近親者のみで行い、お別れの会を後日開く。日取りは未定。自宅は東京都千代田区神田小川町1の7の804。喪主は妻三宅菊子(みやけ・きくこ)さん。

 松川事件では、国労の組合員ら20人が起訴され、佐藤さんは1、2審の福島地裁と仙台高裁で死刑を言い渡されたが、アリバイを示すメモを検事が保管している事実を毎日新聞が報道。63年、最高裁で無罪が確定した。
  
 諏訪メモ・毎日新聞http://www.asahi-net.or.jp/~JF9T-TJ/16-05.htm

 この事件のことを初めて知った(?)のは1952年春か53年春のことです。父に高知市に連れて行って貰ったとき、宿近くの電柱に「松川事件」という文字の入ったステッカーが貼ってありました。父に質問したのですがほとんど黙殺されたような感じでした。5年生になる直前か、その一年後かです。
 ぼくが父にどこかへ連れて行って貰ったのはこの2回きりです。なぜ丁寧に説明してくれなかったのか、ずうっと疑問のままです。
 (父は公立学校の教員でしたがぼくが父から直接何かを教えて貰ったことはほとんど記憶がありません。政治的な問題についても同じなのかも知れません)。

 大学に入った年に印象的なことがありました。1961年8月8日、仙台高裁の門田(もんでん)裁判長が差し戻し審で被告らに全員無罪判決を出したのです。この直後にぼくは「教育大学新聞」の編集長の命にしたがって鈴木信(まこと)被告の原稿を受け取りに新橋?辺りの事務所を訪ねました。
 鈴木さんは国鉄労働組合の福島分会長の時29歳で逮捕され、被告団長をされていました。一審二審と「死刑」判決を受けた方です。広津和郎(かずお)さんの丁寧な裁判批判などに支えられたとはいえ、獄中での13年間は想像に絶するものだったはずです。ぼくに言葉が無く、原稿のお礼を言うのが関の山だったのではないかと思います。精悍な方ではあっても苦闘を思わせるお顔を今も何となく思い起こすことが出来ます。(鈴木さんの文章は9月10日号に家永三郎先生の文章とともに掲載されています)。

 佐藤さんにもお目にかかったような気もするのですが定かではありません。門田判決からでも48年です。お二人はその後どんな歩みをされてきたのでしょうか。佐藤さんの訃報に接して遅まきながらそのかけがえのない人生に興味が湧いてきました。佐藤さん、どうぞ安らかに。(合掌)

 佐藤一さんに『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』という著作があるようです。http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/sato.htm
 

 松川事件にかかわる逮捕、起訴、裁判が政治的でっち上げであったことに異論は無いと思います。でっち上げで人を死刑にしようとした警察官・検察官やそれに荷担した裁判官がいたということです。これらの人が謝罪したことも罰せられたこともありません。ほんのちょっと考えてみれば恐ろしいことです。
 こういう土壌が温存されてきたため、警察官・検察官のやりたい放題と裁判官の荷担は是正されず、社会が落ち着いてきた60年代以後もえん罪事件は繰り返されてきました。足利事件もその一つです。

 民主党は政権交代によって霞ヶ関の官僚支配に挑戦するといいます。その言やよし。その際、警察、検察のやりたい放題にもしっかりメスを入れてほしいものです。ほとんど意味のない最高裁判所裁判官の国民審査制度の再検討など裁判官についても同様です。一度も問われることのなかった司法官僚たちのおごりと頽廃はこの国の民主主義にとって獅子身中の虫というべきです。
 

 

映画『はりまや橋』

2009-06-18 11:28:44 | ふるさと 土佐・室戸
 高知県を舞台にアメリカの若手監督が作った映画『はりまや橋』の上映が13日から関東でもはじまったようです。
 
【東京都】 新宿バルト9 03-5369-4955
     T・ジョイ大泉 03-5933-0147
     ユナイテッド・シネマ豊洲 03-6219-3000
     立川シネマシティ 042-525-1251
【神奈川県】 川崎チネチッタ 044-223-3190
【千葉県】 エクスワイジ―・シネマズ蘇我 043-209-3377


 この映画のことは一年ほど前「高知新聞」の記事で知りました。

 
 映画「はりまや橋」撮影安全祈願 きょうクランクイン
                 (2008年06月03日09時10分)
 高知県が主な舞台となる日米合作映画「The Harimaya Bridge はりまや橋」(来年五月公開予定)の撮影安全祈願が二日、ロケ地の高岡郡佐川町で行われ、アロン・ウルフォーク監督らが成功を祈った。
 父を太平洋戦争で亡くし、息子も日本での事故で失った米国人男性が、息子の足跡をたどって来日。人々との触れ合いを通して日本へのわだかまりが解消されていくというストーリー。高知県で外国語指導助手(ALT)経験があり、佐川町などを舞台に二本の短編も制作したアロン・ウルフォーク監督の、初の長編映画となる。
 日本人出演者は高岡早紀さん、清水美沙さんら。高知県ロケは三日の須崎市を皮切りに、七月初めまで佐川町や中土佐町、高知市で撮影する。
 安全祈願は同町役場で行われ、ウルフォーク監督や主演のベン・ギロリーさん、息子役のヴィクター・グラントさん、スタッフら約六十人が参加。玉ぐしをささげるなどした。
 ギロリーさんは「主人公は日本人やその文化があまり好きではないが、自分は日本人の温かさを感じた。(役に合わせて)自分を変えなければ」と、役づくりに意欲満々。
 ウルフォーク監督は「(ロケが)始まる実感がわいてきた。現代は人間関係が希薄になっているが、高知に残る昔ながらの人間関係を世界中の人に見せたい」と抱負を語った。


  自分になじみのある土地が舞台になるというのですからさっそく見に行きたいと思います。そうでない人々にとっては見に行きたくなる映画なのか?アメリカの青年が気づいた「高知に残る昔ながらの人間関係」とは?
 息子に言わせるとぼくは「高知民族」です。「高知民族」のいいところがそれとなく描かれているといいなあ。

 (川越を舞台にしたNHKの朝のドラマはあまりにもお粗末なのでさすがのぼくも最初の一週間で見るのをやめました。どうしたらこんなドラマが作れるのだろう)。

 「はりまや橋」
http://www.harimaya-bridge.jp/

 核廃絶への道  鳩山由紀夫さんへ

2009-06-17 22:09:24 | 政治・社会
北朝鮮の核実験に抗議する市民有志の声明
 http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/22980a42c330be66b344cbeb9e290107       

 オバマさんのプラハ演説に刺激されたのか、衆議院につづいて参議院でも本日核兵器廃絶決議が全会一致で採択されたそうです。

 オバマさんの演説についてどんな評価があるのか、余り勉強していませんが、この国会決議よりは遙かに世界の指導者としての思いが伝わってきます。日本の政治家たちにとってもっともやり甲斐のある仕事なのに心に残る演説の一つも聞いたことがありません。
 北朝鮮の核実験があり、ミサイルの再発射も近いといわれています。鳩山さん。核廃絶を目指し、国民を奮い立たせる演説をやってみたらいかがですか。核保有大国のアメリカの大統領に遅れをとって日本国民の自尊心も損なわれます。
 ぼくはこの際、政権交代を実現させるのが日本のためだと思っていますが東アジアと世界にどうやって平和を構築するかという哲学が民主党の指導者から語られないのを大いに危惧しています。政権交代は必要だが肝腎な世界観が見えず、支持を躊躇しているぼくのような国民も少なくないと思います。


参院の核兵器廃絶決議全文
                  [2009年06月17日 ]


 わが国は唯一の被爆国として、これまで世界の核兵器廃絶に向けて、1994年以来、国連総会へ「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮」決議案提出など先頭に立って活動してきたが、これからも一層行動する責務がある。
 
 しかし冷戦後の現在においても、核兵器のみならず、核爆弾搭載可能なミサイルの開発、核物質や核技術の流出、拡散等の脅威はむしろ高まりつつある。この状況を打開するため、さる4月5日、オバマ米大統領は「核兵器のない世界」を追求する決意を表明した。また国連安全保障理事会も北朝鮮の核実験に対し国連安保理決議第1874号等で断固たる拒否の姿勢を示した。
 われわれはこの事態を重く受け止め、核保有国・非核保有国等と連携をとり、核軍縮、核不拡散の取り組みと実効性ある査察体制の確立を積極的に進めるべきである。また政府はこの機会をとらえ、2010年核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議において主導的役割を果たすとともに、核保有国をはじめとする国際社会に働き掛け、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効や兵器用核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約の推進など、核廃絶・核軍縮・核不拡散に向けた努力を一層強化すべきである。
 右決議する。


 オバマ大統領のプラハ演説http://www.asahi.com/international/update/0405/TKY200904050209.html

寄稿  「私の生まれた故郷」

2009-06-16 17:34:39 | 友人たち
 A君の日本語作文特訓の2回目です。ぼくの添削はずいぶん減りました。ふるさとの情景が目に浮かんできます。もう30年も昔の風景です。今はどうなっているのでしょう。  


      私の生まれた故郷    A

 故郷と言えばこんな言葉を思い出します。「山秀水清・四季分明・空気清澄」。

 私の故郷は空気が新鮮で水が清麗で、とっても素晴らしい町です。そこに私の童年の夢・足跡があります。

 夜空の星が綺麗で見るのが大好きでした。一番よく輝いているのは北斗七星です。星の中で一番好きでした。

 
 春夏秋冬がはっきりしています。

 

 春。山雪や河の氷がとけ、水が流れ、植物の新しい芽がでます。河原や山が緑一面になります。
 農民たちには畑仕事が忙しい時期です。玉米(トウモロコシ)、大豆、小麦、ジャガ芋、ナスなどの産地です。

 夏は大好きな季節です。食べ物がとってもおいしいです。
 キュウリは味噌をつけて食べます。ほかの野菜も全部、生で食べることが出来ます。私は河で遊んだり、小魚を捕まえたり、山で山菜を採ったりします。

 秋がもっとも忙しい時期です。農民たちは収穫に入り、一般の家では冬の食物の備蓄の準備に入ります。

 私の家はいつも庭畑に穴を掘り、冬の何ヶ月分かの野菜の貯蔵庫を造ります。とっても大変な仕事で2・3日かかります。私もいつも手伝います。
 地面に約4~5M四方の穴を掘り、そこに冬期間・何ヶ月分かの野菜を入れ蓋をし、出入り口を作って保存します。
 そのほかにも家族が冬を越せるだけの酸菜などの漬け物を作り、数ヶ月分の石炭やマキなども準備します。


 冬はとっても寒くて長いです。河が凍り、車が河の上を走ります。山や道も積雪し、すべてが真っ白で銀の世界になります。
 人々は綿衣、綿褲(綿入れのズボン)を着て冬を越します。
 
 私は小さいとき、パーリーという手製のスケートを作って遊びました。足の長さの板のウラに鉄線を二本付けたものを両足にヒモで縛り付け、雪道を滑るのです。今でもその楽しさが忘れられません。

 人々は決して豊かではないが、みんな充実して暮らしています。
 それが、私の生まれた故郷・中国黒竜江省林口県でした。



市民の意思表示

2009-06-15 11:25:54 | 友人たち
【川越だより】のアクセス・ランキング


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 14日(日)朝からやや本格的な雨。遠くに雷鳴も。

 一日中家の中で寝たり起きたり、妻もまだ床を離れられません。風邪がいつになく長びいています。

 今日は長い電話をお二人から貰いました。

 残留孤児2世のKくん。ぼくがメールで送った「市民有志の声明」にたいする意見。名前を出すのは憚られるので署名はしないということですが、80分ぐらい意見を交流しました。
 来日して20数年になりますがこの人は中国籍のままです。中国の姓のままで帰化手続きをしたいのですが、その漢字が常用漢字ではないため法務省が許可しないのです。
 北朝鮮の実態を知りたいといいます。間接的な情報では信じられ無いとも。友人の中には日本籍をとって後悔している人もいるそうです。中国人なら北朝鮮に入国して実態をより良く知ることが出来るのではないかと考えているのです。

 ほんとうにそうなのでしょうか?朝鮮族中国人が北朝鮮の親戚のために一生懸命生活物資を送っている話を延吉に行ったとき聞きましたが、彼らでさえ、入国が容易だとは聞いていません。国を閉ざして人民が餓死していくのを放置している独裁者たちが外国人の自由な入国を認めるはずがありません。

 アジアプレスなどが北朝鮮の情報を手にするために苦闘しています。

 アジアプレス http://www.asiapress.org/

 ここ日本でも耳を澄ませば脱北帰国者や、日本人妻の声も聞くことが出来ます。本を読むだけでなく話も聞き、真偽を自ら判断するほかはありません。そういう努力をしているのでしょうか。

 Kくんは中国の民主化と北朝鮮の民主化はリンクしているといいます。どちらも絶望的だとも考えています。

 絶望的な程の現実はその通りです。しかし、嘆いていても仕方がありません。私たちには発言と行動の自由があります。ぼくはこんな提案?をしました。
 
 日本政府を動かして中国東北に北朝鮮難民のキャンプを創らせるなどということは出来ないのか。費用は全て日本の資金でまかなう。北朝鮮の民衆に対する植民地支配の補償の一部だと考えれば安いものだ。中国政府に日本の人民の意思を結集して実現を迫る。


 人には様々な事情や考えがありますからぼくは「声明」に無理に名を連ねてほしいとは思っておりません。Kくんのように読んで考えを聞かしてくれる人を尊敬します。
 大切なことは諦めないで立ち向かっていくことです。学びの機会をつくったり、自分の意見を発表したり、…。個人の力はひ弱で無力ですが、一人の行動から何かがはじまるかも知れません。


 午後には秋田県の北部の農村に住むNさん。北高時代の生徒だった人。ぼくが「現代社会」を担当したのではないかと思います。お母さんの故郷に住んでいます。
 日曜で何となく話したくなったということです。テーマはやはり核実験。この人はメールをやらないので「声明」のことは何も知りません。

 北朝鮮が最初の核実験をやったときには身の回りでいくらか話題になったそうです。今回はそういうこともないが自分では「怖い」と感じていてぼくと話をしてみたくなったそうです。

 「声明」を印刷して届けようと思います。

 

 Dさんからはメールを貰いました。池商の時の生徒だった人です。

 私もTV等で知り、北朝鮮の身勝手な恐ろしい行動をゆるせません。
 私も先生方と同意見ですが、
 署名をする件については主人がどうしても承知してくれず、できません。
 申し訳ありません。

 夫婦で話し合ったのでしょうか。こういうことをきちんと話題にしてくれたのですからぼくとしてはそれだけでも感謝です。お連れ合いはどうして署名に反対されているのでしょう。

 賛同署名してくださった友人の中にもフルネームでの署名に躊躇されたかたがいます。
 「ネットの持つ問題性を」強く感じておられるからです。自分の考えを世界に向かって表明するのです。何らかのリアクションがあるかも知れません。そういうことをいろいろと考えることは当然のことです。
 今回のことで私たちのような取り組みが他に見られないことはこういうやり方に何らかの危険があるからかも知れません。何か具体的な問題点に気づいておられる方はどうぞ教えてください。

 ぼくは如何なる政党、政治団体にも所属しておらず、自分の意見は自分の責任で表明するしか方法がありません。その際、ブログやメールはとても便利な道具だと思っています。
 意見を発表する以上、批判があるのは当然です。自由な言論の世界である限りそれはむしろありがたいことです。職場や地域社会で話題になるとしたら嬉しいことでもあります。しかし、それが脅迫や村八分などにつながっていくとしたら警戒し慎重であるべきでしょう。
 私たちの声明は批判に耐えられない無責任なものでしょうか。民主主義と人権、平和の確立を願う人なら誰もがよし解ったと言ってくれるのではないかと思っているのですが。少なくともこの日本では。甘いのかな。

 賛同署名をしてくださった方の芳名は「声明」の末尾に掲載させて貰っています。よしと思われたらいつでもご連絡ください。

 声明http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/22980a42c330be66b344cbeb9e290107

 ご自分で納得のいく声明文を書かれた方がおられたら是非、「川越だより」に投稿してください。紹介します。

 

 

 
 









映画 『嗚呼 満蒙開拓団』

2009-06-14 05:32:10 | 中国残留日本人孤児
 13日(土)
 思ったより天気が良くなったので昼前に自転車で上尾丸山公園に行く。紫陽花・花菖蒲が盛り、スイレンも咲き始める。途中平方で昼食、鰻重1950円也。値段の割りに味が今ひとつの感じ。小沢屋さんの味が懐かしい。

 7時のNHKのニュースが『嗚呼 満蒙開拓団』の上映開始を伝えている。そういえば今日の食堂で読んだ『毎日新聞』にはどういうわけか広告がでていた。上映運動に力が入っているのだろう。

 とりあえずは東京・神田の岩波ホールです。ぼくも近く観にいきます。
羽田監督のインタビュー記事があったので紹介します。


 
映画「嗚呼 満蒙開拓団」全国上映へ

 「歴史の真実知ってほしい」  羽田澄子監督にインタビュー
 

「満蒙開拓団」の悲劇を描き大きな反響を呼んだ「大地の子」に続いて、NHKでドラマ「遥かな絆」が放映されました。「平塚らいてうの生涯」「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」などの制作で知られる羽田澄子監督の演出による映画「嗚呼(ああ) 満蒙開拓団」が、6月13日の東京(岩波ホール)を皮切りに全国各地で上映されます。羽田さんに聞きました。(編集部)



大きな衝撃、「満蒙開拓団」体験者の証言


 映画は約2時間にまとめられたドキュメンタリー。その多くは、「満蒙開拓団」を体験した人びとの「証言」とその背景を撮った映像で作られています。監督自身がナレーターを務めています。
 映画の冒頭で、「中国残留日本人孤児訴訟」東京地裁の不当判決に怒り、抗議する孤児たちが登場します。映画は、この訴訟に欠かさず参加してきた羽田さんの問題意識と事実を探求する取材を前提に構成されています。
 「満州国」建設、満蒙開拓団の派遣、ソ連の侵攻、そして民間人を見捨て逃亡した関東軍の非情への憤り、置き去りにされ「お芋食べたーい、お芋食べたーい」といいながら連れ去られた妹との離別の悲しみ、凍死・餓死した4500人にものぼる遺体を処置したすさまじい体験、放置された遺骨の埋葬のために奔走し周恩来首相に「日本人公墓建立」を決断させた残留婦人の活動、養父母との再会と離別の喜びと悲しみを語る高齢となった「残留日本人孤児」など、そのひとつひとつの「証言」が大きな衝撃を与えます。そして深く胸に迫ります。



恨みもつ中国人が「なぜ日本人のお墓を」



映画 嗚呼満蒙開拓団のワンシーン
©自由工房 羽田さんは、旧「満州」大連で生まれ、旅順、大連で暮らしました。敗戦後、帰国してからも「旧満州の奥地で何が起こっていたのか」を知ることもなく何十年も過ぎました。
 「残留孤児」訴訟のなかで、目にした冊子「星火方正」(せいかほうまさ)を見て、中国東北ハルビンに近い方正(ほうまさ)に日本開拓団難民のために中国が建立してくれた「方正地区日本人公墓」があることを知りました。
 日本に恨みをもって当然の中国人が「なぜ日本人のお墓を」という疑問をもちました。その後2回の「方正地区公墓訪問」ツアーに参加し、精力的に証言取材を重ねました。
 「映画の筋書きはありませんでした。取材しつつ作り上げました。この人びとの体験を聞き、『人間のすさまじい人生』があったことを知り、驚きとともに自分と同世代でこんな苦労をしている人がいたという痛恨の思いと責任を強く感じました」と映画制作の思いを語ります。



「歴史の真実」から目をそらしてはならない


 映画を作りながら「日本の若い世代は歴史についてどんな教育を受けているのだろうか」という疑問と不安が大きくなりました。
 「歴史の真実から目をそらしてはならない。日本政府の責任も明らかにしなければ…。映画が日本の近現代史を考え、日中関係の大切さを考える役にたてば」と語ります。
 映画の編集をしながら「肉体的な疲れより、精神的な疲れが大きかった」と語るように、それほど辛い、重いテーマでした。
 「この映画を作ることができて、私は大きな重い宿題をひとつ果たしたような気持ちです」と締めくくりました。
(お)



○ 6月13日―7月末 岩波ホール(東京)
 月―金 11:30 14:30 18:30
 土・日・祝 11:30 14:30 17:30
特別鑑賞券 1500円(税込) ペア前売り券(岩波ホールのみ)2900円(税込)
当日料金(税込) 一般1800円 シニア・学生1500円 
※チケットの問い合わせ=岩波ホール 電話03―3262ー5252
 

出典http://www.jcfa-net.gr.jp/shinbun/2009/090605.html