川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

弘前だより

2010-07-31 06:46:58 | 出会いの旅
 北秋田地方が大雨の予報で森吉山荘にいけなくなったため、昨日は五能線に沿って青森県の鯵ヶ沢経由で弘前に来ました。

 北上するにつれて天候が回復し、弘前では真夏の太陽が照りつけてくるありさまです。自然の加護に感謝しながら弘前城址を歩きました。広大な堀に蓮の花が見事です。

 今日は旅の最終日です。白神のぶなの森を歩いて盛岡に向かおうかと思っています。

盛岡だより

2010-07-28 07:02:20 | 出会いの旅
 7月17日、啄木の故郷・渋民を訪ねました。小学校の校舎のほかは、昔訪ねた記憶がよみがえりません。北上川の流れと「やはらかに 柳青める…」の歌碑のある渋民公園のたたずまいが印象に残ります。岩手山は頭を見せてくれません。

 公園の中にある店でおにぎりの昼食、これが美味しい。

 3時過ぎから北上川、中津川沿いに歩きました。さんさ踊りの練習に励む若者たちの姿がとても活き活きしている。

 盛岡城址。ネパールから来て働いている4人組と交流。その後、啄木歌碑のそばで寝転んでみたことはいうまでもありません。

 こんな具合で旅の一日は無事、一同元気に過ごしました。

 今日は八幡平です。天気はよさそうです。

 

不来方のお城

2010-07-27 03:57:54 | 出会いの旅
今日は8時22分大宮発の新幹線で盛岡に向かいます。

  不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心 

 啄木の歌に導かれて岩手を訪ねたのは1969年の連休のことです。夜行急行で大曲まで行き、角館(かくのだて)の桜を見た後、田沢湖を経て鴬宿(おうしゅく)温泉に泊りました。盛岡や渋民を訪ね歩いたのは翌日のことです。

 41年前のことで城の記憶はほとんどありません。妻の話によれば僕は「お城の草に寝ころびて」、小一時間眠り込んでしまったそうです。妻も寝ころんでみたものの地べたの冷気に数分も持たなかったとか。

 その時?、買った風鈴が今ぼくのベッド近くで鳴っています。

 僕のことですから旅の始まりは今度もやはり不来方のお城でしょう。歩いたら昔のことを思い出すことができるでしょうか。

 「不来方」はこのあたりの古くからの地名で「盛岡」は南部氏の時代に新しくつけられた名前だということです。

 昨秋、今春と続いた北上川の旅の三回目にもあたります。どんな景観が広がっているのでしょう。

 盛岡市役所から流れてくるという「春まだ浅く」のメロディーは聞くことができるでしょうか。

 川越だより・春まだ浅くhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/0608c25fb69c8841e15f51c6658f0864


 今度の旅はカツヨシさんと一緒です。長く「日本語」の先生をやってこられた方です。どんな思いが語られるのでしょう。

 「川越だより」は水曜日から土曜日までは休刊です。ホテルにパソコンの準備があれば「盛岡だより」などを発信できるかもしれません。暑い日々です。皆さんも、健康第一にお過ごしください。


 

 参考・ 啄木・盛岡
http://www003.upp.so-net.ne.jp/s-waichi/morioka2.htm

川越高校野球部の健闘をたたえる

2010-07-26 11:32:25 | 川越・近郊
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7月25日(日)晴れ 一時雷雨

 9時半、自転車で大宮球場に向かう。16号上江橋を渡った後、ひたすら県道2号を東進、一時間余りで大宮氷川神社の参道入り口に着く。ここに来るのは二度目だがさすが「武蔵一宮」の参道だ。

  大宮氷川神社の参道 http://www7a.biglobe.ne.jp/~inamaru/chapter-18/hikawa.html

 県営球場は氷川神社に隣接するようにあった。早く着きすぎたので第一試合の所沢北・浦和学院戦を見たが浦学の一方的な試合で残念ながら緊張感がなかった。

 お目当ての試合は結局1時近くに始まった。

   1 2 3 4 5 6 7 8 9  
市川越 0 0 0 2 0 0 0 0 1 3
本庄一 0 0 1 0 0 1 0 2 X 4

【投手】市川越:大岩根
本庄一:田村和

(本庄一4―3市立川越)

 本庄一が犠打を絡めて得点機をものにし、接戦を制した。3回、二塁打と犠打で好機を作り、スクイズで先制。リードされた6回も四球と犠打で進めた走者を適時打でかえし同点。8回も相手失策で出た走者を犠打で進め、三塁打で勝ち越した。長短の適時打など3安打を放った烏山の活躍が光った。

 市立川越は4回に逆転。再び逆転された直後の9回、代打関根の適時打で1点差に迫ったが、後が続かなかった。 (「朝日新聞」より)


 こちらはきびきびしたいい試合だった。好機に一打が出ない川越は負けたが選手諸君の健闘をたたえたい。

 今年は体調も良く、おかげで朝霞、大宮と初めて川越初雁球場以外にも応援に出向くことができた。

 試合終了後から雨になった。行きと同じ道を帰ることにしたが途中から雷鳴が轟く、驟雨となる。

 荒川を渡る上江(かみごう)橋の風景は凄まじい。吹き付ける雨、稲光、怖ろしい雷鳴。そして、濁流。何度か、自転車を放棄して歩こうかと考えたぐらいだ。

 僕の少し前を行く女性がいた。やはり応援帰りかもしれない。休むことなくペダルをこいでいる。この方に勇気づけられるように僕も懸命に漕いだ。

 川越に入ると急に気温が下がり、伊佐沼のあたりに来ると急に大粒の雨が直撃してきた。肌が痛いくらいだ。蓮田が霞んでみえ、白鷺の一団が輪を作っているようだった。

 初雁球場が見えるあたりに来ると雨は小やみになり、市街にたどり着くころには青空がのぞくという感じになった。

 落雷の恐れがあり本当に怖い体験だった。こんなことは予想の範囲内であり、69の爺さんにしては無分別で馬鹿にされる行為だともいえる。

 幸いなことに無事帰ることができ、誕生日に忘れられない体験をしたが、二度としてはならないとは思っている。自転車でこんな怖い,しかし、爽快極まりない体験をしたのはおそらく人生で初めてのことだろう。

 白鵬が3連続全勝優勝と47連勝。異国から来て苦労も多かったに違いない。前人未到の大活躍、ほんとうに「おめでとう」。秋場所のあとに双葉山の69連勝に挑んでほしいものだ。

 妻が野菜たっぷりの餃子を作って祝ってくれた。

1941年7月25日

2010-07-25 06:37:13 | 父・家族・自分
1941・7・25 ○ 政府、駐日英・米大使に日仏印共同防衛成立を通告

    ○南部仏印進駐部隊、海南島三亜港を出港

○米、在米日本資産を凍結

 69年前の7月25日の出来事を年表で調べてみました。

   「政府」 第3次近衛文麿(このえふみまろ)内閣

   「仏印」 フランス領インドシナ  フランス(ヴィシー政府)が植民地支配してい        たヴェトナム・カンボジア・ラオス

   
 日中戦争の行き詰まりを打開するため(英米軍の援蒋ルートを遮断するため)政府はヴィシー政府に圧力をかけ、前年の北部仏印に続いて南部仏印に部隊を進駐させることにしたのです。
 これに対し、アメリカがこの日、直ちに日本の在米資産を凍結し、翌日、英蘭もこれに続きました。日米(英蘭)開戦(12・8)はもうすぐです。

 
 こんな日に僕は高知県室戸岬町で生まれました。父がなぜ「啓介」と名付けたのか、きき忘れてしまいました。「岡田啓介」という首相(海軍大将)の名とかかわりがあったのでしょうか?

 「資産凍結」という言葉は最近目にしたばかりです。


 米、北朝鮮不法関与者の口座凍結 追加制裁へ http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE0E3E2E1E48DE0E3E2E5E0E2E3E29F9FEAE2E2E2


 韓国哨戒艦撃沈事件をきっかけにして朝鮮半島の緊張は高まっているのです。鳩山(前)首相が「米軍の抑止力」を理由として普天間基地の県外移転を諦めると声明して辞任したばかりですがそのことはもうこの国では話題にすらなっていません。これでいいのでしょうか。

 戦争以外の方法で国際紛争を解決する、これが日本の国是です。北朝鮮の金独裁政権が引き起こす果てしのない無法とどう対決するか、私たちは私たちなりに議論を深め覚悟を決めなくてはならないはずです。

 69年前には「日米決戦」に突き進んでしまい、日本は破滅の道を選びました。憲法9条を持つ今の日本はどんなことがあっても戦争に突き進んではなりません。しかし、北朝鮮の独裁者の無法に融和的であっていいはずがありません。


 家族をはじめ多くの友人たちのおかげで69歳の誕生日を元気に迎えることができました。この12月には左肺摘出手術から5年になります。70歳になって「大野ヶ原から源氏ヶ駄馬に登る」という目標も夢ではなくなったかな。「皆さん、ありがとうございます。」

 今日はベスト4に挑む市立川越高校の応援に出かけます。大宮の県立球場です。いつもの通り自転車です。

 東に西に北に南に自転車を走らせる毎日です。しかし、どんな時でも北朝鮮で助けを待つ人々のことは頭から離れません。40年間在日コリアン問題とかかわりを持つことによって人の情けが少しはわかるようになった人間の現在です。無力ですができることをやっていきたいと思います。

 

 


 
 


 
  

岳岱自然観察教育林 白神山地Ⅱ

2010-07-24 11:07:36 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
 昨日は江東区の公園でバーベキューの集いがありました。北朝鮮を脱出してきた人々がくつろぎのひと時を持てるように移民政策研究所が企画したものです。我が家では総員3名が参加し、昼前から4時ころまで交流してきました。

 若い人が多く、生活を支えるために働きながら、高校に通っている人も何人かいます。北朝鮮で大学を出た人もそこで得た学歴や知識は何の役にも立たないので、夜間中学で日本語を学んだあと、定時制高校に通っています。

 僕が最後に勤めた学校にこの4月から通学している人の話を聞きました。やめてから3年がたったので僕が役立てるとは思えませんが…。これらの人々が先に来た人としてあとに続く人たちの道案内人になってくれるようにと主宰の坂中さんは考えています。どんな協力が出来るか、私たちも模索していきます。

 暑い一日ですが広い公園は風通しがよく、泰子さんや仁さんなど友人にも会えたので快適に過ごすことができました。


 さて、森の話です。火曜日からの旅で白神の森を訪ねますが、今回は秋田県藤里町です。近くの大館や鷹巣(ただいま鷹巣高校が高校野球でがんばっています)には行ったことがありますが藤里は初めてです。

 宿舎で聞いたら私たちのような半病人でもゆっくり歩けて楽しめる森があるそうです。


  岳岱(だけだい)自然観察教育林http://www.daiichikanko.jp/about03.html

森の思想が人類を救う

2010-07-23 08:54:10 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
 梅原 猛(たけし)という人に『森の思想が人類を救う』という本があります。

 90年代の半ばに偶然本屋さんで見つけて読んだ感動を忘れられません。80年代の終わりから森を歩き始めて、自分が徐々に気付いてきていたことを「森の思想」と名付けてわかりやすく説いていてくれたのです。

 http://www.amazon.co.jp/%E6%A3%AE%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%8C%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%86-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E6%A2%85%E5%8E%9F-%E7%8C%9B/dp/4094600701 


 縄文時代から数千年にわたって生き続けてきた白神の森を訪ねるにあたってこの本をまた読んでみようかと思っています。僕にとっては「大自然教」の経典のような本です。

 一部分ですが紹介してくれているブログがあります。よろしかったら読んでみてください。「大自然教」に帰依する友人がふえて、森をあるく仲間になってくれたら嬉しい限りです。






  『森の思想が人類を救う』の紹介①



 戦後日本においても、近代文明の原理である自然征服を、無条件に善とする思想はあまね

く広がり、その著しく発展した工業生産の代償として、自然破壊が日本のいたるところで進

んでいる。もちろん、日本における工業汚染は、世界一厳しい規制によって、ある程度解決

されたわけですが、しかし金儲け一辺倒にこり固まった日本人は、あるいはゴルフ場の拡大

に、あるいはリゾート施設の建設に夢中であり、私などのような反時代的な学者の意見を聞

くこともなく、ますます自然破壊は進んでいる。また日本経済の繁栄は木材や紙の浪費をも

たらし、熱帯雨林の破壊に一役買っていることも否定できません。私は、二十一世紀におけ

る人類の最大の問題は、この環境破壊にあると思っているのです。酸性雨、オゾン層の破

壊、地球の砂漠化、熱帯雨林の破壊、森の死滅、どれをとってみても、人類の生存を脅かす

現象ばかりです。こういう現象が無限に複合化して、まさに人類社会の基盤そのものを覆そ

うとしているのです。この危機から人類を救い出すためには、当面の対策も必要ですが、ま

ずその哲学を変えねばなりません。近代文明を指導したデカルトやベーコンの考え方は、人

間と自然を峻別し、自然を客観的に研究する自然科学の知識によって、自然を征服する技術

をもとうとする思想です。かくて、自然科学は飛躍的に発展し、人類は、自然について三百

年前にもっていた知識とは、比較できないほどの精密な知識を持つようになった。そしてそ

れとともに自然征服の技術は飛躍的に進み、人間は自然から、それまでの人間にはとうてい

考えられないような豊かな富を生産することができるようになった。そしてその代償に、地

球環境の破棄と

いう、まさに人間は、自分の生きている土台を根本から崩壊させるような危機に直面したわ

けです。この危機は人類全体が直面する危機であり、かつて人類社会が直面したどんな

危機よりも、ずっと深い危機ではないかと私には思われるのです。かつての危機というもの

は、人類の一つの文明の崩壊の危機でありましたが、今やそれは人類の文明全体の崩壊

の危機なのです。しかもこの危機の淵源するところはじつに古く、たんなる産業革命以後

あるいは近代以後ではありません。人類が農耕牧畜文明を発明し、都市文明を形成して

いらい、人類の文明が潜在的にはらんできた危機です。つまり人類は森を食い潰して文明

をつくってきたのです。そして一つの文明が崩壊したあとに、つぎにまだ森の残る他の地域

において文明を興し、そしてまた森を食い潰してきた。農耕牧畜社会の段階では、森の破壊

は局部的でありましたが、工業文明ができていらい、文明は飛躍的に豊かな富を生産し、

その反面、森を急激な速度で破壊してきました。日本において比較的、森が残されたの

は、農業文明や工業文明の輸入が遅れたことにもよりますが、このまま放っておいたら、

国土の六七パーセントの森は、たちまちにして消失するかもしれません。まさに森の破壊

は、農耕牧畜文明が成立していらいの、とくに近代工業文明が成立していらいの人類の

人類の運命でありますが、この運命を現在という時点において大きく転換しなければ、

人類は一直線に地獄への道をたどることは火を見るより明らかです。われわれは文明の

原理を、人間の自然支配を善とする思想から、人間と自然との共存をはかる思想に転換

しなければなりません。私は、もう一度人類は、この狩猟採集時代の世界観にたちもどり、

個人ではなく種を中心にした考え方、つまり永遠の生と死の循環という思想をとりもどさな

ければならないと思うのです。こういう思想は、古代ギリシャの思想に、あるいはヒンズー

の思想に、あるいは中国の老荘思想にも見られるものですが、それはおそらく狩猟採集

時代における人類の共通の原理の残存であると思われます。このような原理が日本文化

の伝統のなかにもある点に、私は今後の日本文化の可能性を認めたいと思っているの

です。ギリシア思想のなかにも、ケルト思想のなかにも、あるいはアメリカ・インディアン

の思想のなかにも、あるいはアボリジニの思想のなかにも見いだすことができるかもしれ

せん。私は、近代という時代がその合理的な自然征服を貫徹するために、排除していっ

た多くの思想に注目する必要があると思うのです。


   

 『森の思想が人類を救う』の紹介②

 
 最近、私はカナダへ行きました。カナダでは大きな木の根っこだけがあちこちで見られま

す。これは、百年以上前に、白人によって伐られた木の伐り株です。インディアンが何千年

も大事にしてきた自然が、またたくまに破壊されました。いま、カナダ政府は自分たちのや

り方が間違っていたことを認めています。そしてすべてのものが自然のなかで循環していく

という、インディアンの思想に学ぼうとしています。そして、森の文明の考え方の基本は

“生命はひとつだ”ということです。じつはこのことは高度に発達した自然科学によって証

明されています。現代の生科学は、最後にDNAを発見したわけですが、DNAは人間にも動物に

も植物にも共通にあることがわかった。これは生命はひとつだということのなによりの証明

です。旧石器時代いらいの考え方が科学的に実証されたのです。人間は生死をくり返す。そ

して固体は死ぬけれども、遺伝子は永遠に生き残るのです。それが人間の永生なのです。人

間の永生を遺伝子科学が証明したわけですね。そういうふうに考えると、植物や動物の命を

尊敬して天地自然を尊敬す

る、そしてその天地自然や動植物と調和して生きていく、共生する方法をわれわれは考えな

ければならないのです。それが人類の知恵である、というふうに思わざるをえない。人間は

動物や植物を殺さなくては生きていけない面があります。木は信仰の対象だけではなくて

人間に最も役に立つものである。だから木を伐るにせよ、動物の命を奪うにせよ、われわれ

と同じ命をもった木を、そして動物を殺すわけですから、その木や動物の霊を手厚くあの世

に送らなければならないのです。霊をあの世に返さなければならないのです。そしてまた木

や動物たちにこの世に帰ってきてもらわなければならない。私は、こういう宗教を今こそと

りもどさなければならないと考えるのです。だから、巨木の問題にしても、珍しいものがこ

こにあるから、人を呼ぼうではないかということではなくて、日本人のあるいは人類の考え

方の根底にあるものにまで、思いをはせなければならない。そして、人間が生きていくとい

うことはどういうことなのか、それは植物も動物もみな同じ命であって、すべてのものはあ

の世とこの世を循環しつつ、永遠に共生しているのだということを認識しなければならない

と思います。

そういう思想が人類に浸透したときに、人類は生き残る可能性が出てくるのだと思います。

そうでなければ、私は人類の将来はそんなにながくないと思う。巨木の問題は文明の根底に

かんする問題であり、そして巨木を中心とする街づくりは、二十一世紀を正視する街づくり

でなければならないと私は思います。


 [1990年10月佐賀県武雄市で開催された“巨木の里”シンポジウム”(武雄市・椎葉村共催)における基調講演の記録から]

  出典http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/MorinoSisou.htm

森を歩く旅

2010-07-22 06:18:47 | 出会いの旅
 今夏最大の?イヴェントの日程が決まり、旅行社との契約も完了しました。参加者はカツヨシさんと私たち。少し前までは妻の母が一緒でしたが91になった今は長期旅行は無理です。(デイサービスに通っています)。

 僕と勝義さんは病気持ちであやかしくなっています。レンタカーの運転など大事なことはすべて妻の世話になります。

 自然林や原生林を散歩するのが中心です。

 こんな旅でよかったら次回ご一緒してください。費用の概略も紹介しておきます。このほかに昼食代、保険料、ガソリン代、ゴンドラ代などがかかります。


 ○7月27日(火)

 大宮発 8:22(はやて5号)~10:53 盛岡着 

  盛岡市内見学          「ルートイン盛岡駅前」(泊)


 ○7月28日(水)

 盛岡~渋民(石川啄木記念館など)~八幡平(はちまんたい)(森林浴)~大葛((おおくぞ)温泉(大館市比内町) 

     比内ベニヤマ荘(泊)¥6240
http://www.city.odate.akita.jp/dcity/sitemanager.nsf/doc/beniyama_index?OpenDocument


 ○7月29日(木)

 大葛温泉~藤里町(白神山地・森林浴)  

       ゆとりあ藤里(泊)¥10650http://www.shirakami-fujisato.com/index.html


 ○7月30日(金)

 藤里町~森吉山荘(奥森吉・森林浴)   森吉山荘(泊)¥10000http://www.moriyoshi.or.jp/
 


 ○7月31日(土)

 森吉山ゴンドラ(山頂付近・森林浴)~田沢湖~盛岡

  ゴンドラhttp://www.aniski.jp/
 

 盛岡発17:41(はやて26号)~19:42大宮着


[費用] 一人当たり

 ○新幹線+盛岡ホテル(朝食付き) ¥22600

 ○レンタカー 5日間  ¥11000

 ○宿泊 3泊(2食付き)¥26890
 

白神山地

2010-07-21 09:17:03 | 出会いの旅
 このところ蒸し暑くてかなわない夜が続きます。

 白神山地などを訪ねる旅が待たれます。僕が白神山地を訪ねたのは1998年7月のことですから12年前です。このときは青森側が中心でした。今度は藤里町など秋田県側に足を踏み入れたいものです。

 今日から計画を立てます。皆さんもよろしかったら一度訪ねてみてください。縄文文化の時代から人々がどんなふうに自然とかかわりながら生きてきたか?現代人が見失ってしまった、生の原点を知る旅でもあります。

 <白神山地・写真ガイド>

 矢印をクリックしてスライドを楽しんでください。右上の文字をクリックすると関連する情報が得られます。

 http://www.google.co.jp/imglanding?q=%E7%99%BD%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%9C%B0&imgurl=http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1d/be/sjcjg859/folder/638425/img_638425_8086214_3%3F1150730283&imgrefurl=http://blogs.yahoo.co.jp/sjcjg859/8086214.html&usg=__TV_HALyfi1j1r9rPWLPiB1aht1U=&h=480&w=640&sz=132&hl=ja&tbnid=AITdujNYjDNjVM:&tbnh=103&tbnw=137&prev=/images%3Fq%3D%25E7%2599%25BD%25E7%25A5%259E%25E5%25B1%25B1%25E5%259C%25B0%26um%3D1%26hl%3Dja%26sa%3DX%26rlz%3D1T4TSJB_jaJP347JP347%26biw%3D1030%26bih%3D560%26tbs%3Disch:1&um=1&itbs=1&um=1&sa=X&rlz=1T4TSJB_jaJP347JP347&biw=1030&bih=560&tbs=isch:1&start=0#tbnid=6zM36OTbTJl1mM&start=16

『クロッシング』上映中  川越スカラ座

2010-07-20 11:35:57 | 韓国・北朝鮮
 先週末から川越スカラ座で映画『クロッシング』上映中です。妻は初日の朝、見てきて友人たちに感動のお裾分けをしています。23日までです。


  川越だより『クロッシング』http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=1efbd8f1b7fbc9b5cf28c75454ef61fb
 


  スカラ座http://k-scalaza.com/screening/screening.html

 「拉致風化させるな」飯塚代表がトークイベントhttp://www.saitama-np.co.jp/news07/18/02.html


 昨日は久しぶりにカツヨシさんが遊びに来てくれました。夕方、お隣の自転車を借りて川越公園に行き、河川敷の遊歩道を散歩しました。

 お互いに闘病中ですがカツヨシさんは今も学校で働いています。外国から来たこどもたちに日本語を教えています。

 忙しい日々のせいか、日々散歩とサイクリングに明け暮れる僕とは違って少し、歩く力が落ちているようです。

 ちょっと心配になって、兄貴分に(僕よりは2ヶ月早く69になりました)は申し訳ないことですが、歩け、歩け、と叱咤激励をしてしまいました。

 同じ時代をほとんど同じように歩んできた者同士です。僕が生きている間は僕よりも元気でいてもらわなくてはなりません。

 27日から八幡平・森吉山・白神山地などを訪ねることにしました。歩いていればモリモリ力強くなることは昨年立証済みです。もともとが野球少年なのです。

 盛岡までは新幹線、あとはレンタカーの旅で四泊五日です。付き合ってやろうという方がおられたら声をかけてください。大歓迎です。


 今日は妻の誕生日です。敗戦間際の1945年7月20日、慶応病院で生まれました。今日から年金生活者となります。サラリーマンの妻ということで月、3万円程度だといいます。

 夕方、お好み焼き店で家族で乾杯、の予定です。



つかこうへいさんのコメント

2010-07-19 06:44:45 | 父・家族・自分
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土曜日(17日)にAくん(山吹高校OB)が久しぶりに訪ねてくれました。「永住資格」取得申請に当たって保証人になることにしました。日本生まれでありながら20余年も「定住者」資格で三年ごとの更新を繰り返してきたのです。

 近頃はBくんとの交流が親密のようです。同じ学校で過ごしながら出会いがなかった二人が、丸木美術館の行事を通して友人になったのです。よかったなあのひとことです。10月の川越祭りに二人で遊びに来てくれるそうです。どんな会話が弾むのでしょうか。

 つかこうへいさんが友人・知人に宛てたコメントを読みました。

 
 友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。

     2010年 1月1日 つかこうへい


  出典http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100712-OHT1T00253.htm

 『娘に語る祖国 』を読んだほかは縁がなかった方ですが、このコメントには共感しました。

 どんな人生を歩いてきた方かわかりませんが超有名人です。「墓もつくろうとは思っていない」そうです。出来そうでなかなか出来ないことのように思います。こういうコメントを残されたことに共感と敬意を感じました。

 僕は漁師の孫で海辺で育ちましたが海への散骨はどうも性に合いません。どこか、故郷の山に散骨してもらえればと思っています。「落葉帰根」という言葉を知ったせいもありますが費用がかからなくてすむかなというのが一番です。

 墓石などはとんでもありません。大地に帰ることが何よりです。

 僕も恥多い人生ではありますが死後にまではお手を煩わせたくはありません。でも、命を頂戴している間は友人たちとの交流を楽しませてもらいたいと思います。皆さん、どうぞよろしく。

 つかこうへいさんの冥福を祈ります。(合掌)

朝霞まで応援のサイクリング

2010-07-18 22:34:22 | 川越・近郊
今朝は梅雨明けの快晴、9時前に家を出て自転車で朝霞市営球場を目指すことにしました。高校野球の埼玉大会3回戦で県立川越南高と市立川越高が対戦します。

 川越初雁球場での試合は1・2回戦だけで今年はもうありません。南高は娘の母校でもあり、少し遠いけれど挑戦してみることにしたのです。

 国道254のバイパス(旧川越・富士見有料道路)に沿う自転車道をどんどん南下。車の量は多いけれど自転車道は隔離され危険性のない快適な道です。

 一時間ほどで浦和・所沢線に出て少し所沢側に行ったところで新河岸川に出会ったので右岸に沿って土手の道を進みます。富士見市・志木市とちゃんとしたサイクリング道です。

 朝霞市の新宮戸橋で土手の道がなくなったので一般道におり、田島というところから城山通りをどこまでも走ると朝霞中央公園に着きます。このあたりは米軍の朝霞キャンプの跡地なのか、未利用の森が広がっていたり立派な運動施設が並んでいたりします。

 朝霞市営球場も初雁球場とは比べようのない快適な野球場です。一塁側の内野席の最前列に座りました。11時過ぎです。

 それぞれの学校の応援席は外野スタンドです。試合前から華やかな応援風景を見せる川越高校のスタンドは目の前でよく見えますが肝腎の南高の応援席は見えません。これが少し気になります。内野席に座る市民が応援席とは切り離されて一体感を味わえないのです。

 試合の結果です。

    1 2 3 4 5 6 7 計
川越南 0 0 0 0 0 0 1 1
市川越 5 0 1 0 0 3 X 9
7回コールド

【投手】川越南:早見→渡辺
市川越:大岩根→上倉

 川越勢両校の熱戦を誰もが期待したのでしょうが川越高校のワンサイドゲームとなり、南高側の内野席は終始静かなものです。

 これに対し、三塁側は盛り上がり放しです。川越商業以来の伝統校ですから応援もぴしっとしています。

 これで川越勢は市立川越のほか川越工業(県立)、川越東(私立)などが 4回戦に進みます。僕がまた応援に行こうという気になるように勝ち進んでもらいたいものです。

 遅目の昼食でしたが朝霞の街に出て「うな重」を張り込みました。猛烈な日差しの中、僕もよく頑張ったのです。

 帰りは新河岸川の土手の道を可能な限り選んでみました。一部工事中のところがありますが土手の上を川越までたどることは可能です。ふじみの市と川越市の領分はすべて未舗装です。川越市に入ったあたりに蓮光寺という素敵な寺がありました。本堂の前に蓮の花が咲いています。

 蓮光寺http://www.yumehori.com/2_2.html 

 平野の中を流れる新河岸川に沿って今度は浅草まで行ってみたいと思います。江戸時代の舟運の道です。13里半といわれました。

第二次大量処分 文庫本数百冊

2010-07-17 06:03:54 | 父・家族・自分
昨日午前中に文庫本数百冊を次々にひもで結わえたり、段ボール箱に入れたりして玄関に運び出しました。これらは40年あまりの間に二階の部屋のあちこちに並んだり、つみあげられたりしていたものです。

 小説類など妻や娘がが読んだものが大半です。島崎藤村や山本周五郎など僕が若い日に読んだものもいくらかはあります。

 「1958年 母の日に」と書かれている『智恵子抄』(高村光太郎)があったのでこれはとっておきました。

 今日午前中に集団回収があり、持って行ってくれるはずです。これで本の大量処分は2回目です。

 この夏にはいよいよ「在日コリアン関係の図書」などを整理するつもりです。「川越だより」に書いたら、卒業生のほか某国の国立図書館の司書の方からも問い合わせがありました。もらってくれるのかもしれません。

 目録をつくる力はありませんが本棚に分野別に並べるくらいはしたいと思います。そのためには単行本を中心とした第3次大量処分をして本棚に余裕をつくる必要があります。

 資料類の処分も少しは進んだので見通しがついてきました。後生大事にとっておいたもののほとんどは焼却処分です。

 このごろは資源化センターで買ったベッドで寝起きしています。本棚に囲まれた部屋でパソコン机もあります。

 本の整理が進めば居心地がよくなっていくはずです。「一応庭」に面していてコリンゴの木から2mも離れていません。このごろはガラス戸は開けっ放しで網戸で隔てられているだけです。コリンゴの木の上に広がる空を見上げながら寝ころんでいます。




コニヤンのお母さん

2010-07-16 06:16:32 | 友人たち
川越はそろそろ梅雨明けでしょうか。朝から青空です。

 息子夫婦の「Bar招福堂」の常連さんという方からコメントをいただきました。一言ですがとてもうれしい。人々に喜んでもらえるということほどありがたいことはありません。

 先日、高知のコニヤンのお母さんが91になられたという記事を読ませてもらいました。写真付きです。

 たった一回の人生です。出来れば元気に日々を楽しんで生きたいものです。コニヤンのお母さんのようにはいきませんが、自分にも出来そうなことを参考にさせてもらいます。

 コニヤン夫婦がお母さんを大切にして日々を過ごしておられることが何よりもお母さんの精神を励ましているのだと僕は思っています。

 また、お会いできることを楽しみにしています。


    ☆「91歳の母から学ぶ脳活性化の生活術30」

 私の母は、本日で91歳になる。足は弱くなってきているが、ぼけはあまりない。 
日頃同居の母と接してきて認知症にならないためにはどうしたらいいのか、母から学んだことをつらつらと書いてみることにする。

 ① 規則正しい生活リズム

 母は、毎朝六時には起きている。まずは窓あけから。朝の新鮮な空気を入れ替えることから。朝起きて洗面をしてから、仏壇と神棚に花と水を飾る。ローソクをつけて般若心経を唱える。夜は遅くとも九時には寝ている。

 ② 朝から声を出す

 仏壇に向かって毎朝般若心経を唱えている。朝から「声を出して」拝むということは心の健康のためにもいい。

 ③ 朝食は必ずとる

 朝から食欲がある。茶碗一杯は食べる。海苔、梅干、チリメンジャコ、味噌汁は毎朝である。

 ④ 新聞を熟読する

 朝刊は毎朝必ず読んでいる。一日のできごとをよく知っている。

 ⑤ 今日することをメモする

 母は、よく今日電話で連絡することや、やるべきことを新聞のチラシの裏を利用してメモをしている。その日に買うものも必ずメモしている。 

 ⑥ テレビを見ながら笑う

 よく「笑点」などを見て笑っている。やはり「笑い」は大切である。笑いは、ぼけ防止である。

 ⑦ 電話で長話をしている

 ふだんの会話は少し耳も遠くなってきたのだが、電話はよく聴こえるらしく大きな声で話している。しんどいことや身近であったことをかなりまわりくどいが知り合いとか親戚などによく電話して長話をしている。

 ⑧ 花の水やりをしている

 足が悪くなったので散歩にでかけることはないが、毎朝、庭の花壇の手入れ、水遣りはかかせない。そして、花と対話をしている。自然との対話は大切。

 ⑨ 外にでかける

 乳母車(モノが入る年寄り専用の車)をついて針治療にでかけたり、ちょっとした買い物にはでかけている。すぐ近所の公民館での老人会の集まりなどには今でもでかけていっている。

 ⑩ 毎日料理をする

 これが意外に大事。料理は、脳活性化に一番いい。ノーミソの「総合学習」であるからだ。まずは段取りを考える。買うものから始まる。そして、手先を必ず使う。彩りも考える。一品でも毎日作っている。この料理こそが、ぼけ防止に一番いいと思う。

 ⑪ 人と話をする

 聴き上手とは言えないが、世間話は好きだ。家に訪ねてきた方や近所の方ともよく話をしている。

 ⑫ 歌を歌う

 さすがにカラオケはしないが、テレビの歌謡曲を見ては、よくつられて声を出して歌っている。のど自慢も大好きである。

 ⑬ 孫と対等にやりあう

 70歳も歳が離れた孫とも対等にやりあう若さがある。その姿を見ていたら子どものように感じるときがある。そういう単純さがいいのかもしれない。

 ⑭ 昼寝をする

 夜中はぐっすりとは寝ていないらしくて朝方は寝付けなかったとの嘆きを聞くことがある。しかし、昼からはけっこう短時間だが昼寝をしている姿を見かける。

 ⑮ 親子ケンカをする

 これは私とであるが、時々は親子ケンカをしている。このときおりの「言い合い」というのが脳活性化にはいいのである。やはり喜怒哀楽の感情の起伏は必要なのである。

 ⑯ テレビドラマを見て泣く

 さきほどの喜怒哀楽で、「泣く」という行為も重要である。ドラマやニュース番組を見ては、泣いていることがある。

 ⑰ 本を読む
 
 あまり読書好きではないが、ときおりは老眼鏡をかけて本を読んでいる。最近では、高知で活躍している同年輩の方の手記を読んでいることが多い。

 ⑱ 世話役をする

 敬老会の会長などいろいろな会合の世話役を長い間してきた。現在役職はないが、時々は電話連絡するなどしていろいろな会での世話役的な連絡をしている。責任感がこの歳になってもあるというのが大事。

 ⑲ 夕食は七時までにとる

 日頃は私たち夫婦と共に食事はするが、私たちが遅いことが多いので、自分でかまえて夕食は七時までにすませることが多い。

 ⑳ すべてのことに感謝の心を持つ

 母は特定の宗教を持っているわけでもないが、日頃の感謝の心というものを大事にしている。親戚へのお歳暮などのやりとりとか、心遣いが日常できている。なにかあったら「ありがとう!」の声をよく聞く。このことはすごく学ぶことが多い。

 21 毎日感動する心を持つ

 母は家にいても、外に車に乗せて行ってもいろいろなことに「へぇー」とか「ほぉー」とか純粋に驚いたりする。きれいな花を見てはいつも感動している。好奇心旺盛である。

 22 悩みやグチが言える仲間がいる

 お年寄りにとって大事なことではないかと思う。悩んでいることを言える仲間がいる。電話で長々と聞いてもらえる友人がいる。自分の不安を聞いてもらえることがすごくいい。

 23 主治医がいる

 高齢になるといろいろなところにガタがでてくる。だから、なんでも相談できる主治医がいるというのは心強いのである。無病息災ではなくて一病息災である。

 24 手紙や葉書きを書く

 字はおせいじにも上手だとは言えないが、お礼の手紙や葉書きを書いたり、いろいろなメモを書いたりしている。

 25  毎日洗濯をする

 自分のものが中心だが、毎朝洗濯をし、部屋の前のベランダに干している。足が悪くても自分でできる最小限のことは自分でしている。

 26 服のコーディネートを考える

 91歳になってもオシャレである。出かけていくときの服は、その時期とかタイミングに合わせて服のコーディネートをしている。もちろん化粧もしている。髪も黒色に染めていて、見かけはとても91歳には見えない。

 27 くよくよしない

 不安や不満グチも多いが、あまり過去のことにこだわりがない。くよくよせず、いやなことがあっても次の日には忘れている。常に前向き思考である。元祖「肯定脳」である。すごく大事なことである。ノーテンキであり、アバウトであり、いわばO型の典型ではある。

 28 自慢をしない

 人に自慢をしない。常に謙虚である。感謝する気持ちを忘れずに誰とでも接している。

 29 祖先を大切にしている

 盆や彼岸の日の墓参りはもちろんのことであるが、父の月命日、祖父母の月命日には必ず供え物をして拝んでいる。

 30 早寝早起きでよく寝ている

 最初にも書いたが生活リズムが一定である。太陽にもあたっている。睡眠も短いがぐっすりである。便通もよい。食欲もある。

 ☆認知症にならない脳活性化というのは、日常の生活にメリハリをもち、自然と調和し、自分のペースでゆっくりと生きていくということではないだろうか。私は、母の生き方から日頃学ぶことが多い。決して難しい生き方ではなくて、平凡ではあるが、昔から日本人がやってきたことを忠実に生きているにすぎないが、現代では、この当たり前のような生き方が忘れられていることが多いのではないだろうか。母の91歳の生き方は、私たち大人もすごく参考になる生き方ではないだろうか。
私は、母の生き方から「今日も笑顔でボチボチです!」というきわめて大事な人生の真理を教えられたような気がしている。 ああ有情。
(文責:コニヤン/2010.7.8母の91歳誕生日の早朝・記)

 出典・お母さんの近影http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/archive/2010/7/8

都立大島高 惜敗

2010-07-15 10:20:46 | こどもたち 学校 教育
 7月14日(水)晴れ

 7時半には家を出て大田スタジアムに向かう。モノレールの大井競馬場前で下り、京浜運河を渡り、大井埠頭中央海浜公園を歩く。50年前僕が大井に住んだ頃にはなかった。この何十年間かで巨木が林立する立派な公園になっている。野球場など品川区のスポーツセンターになっているようだ。

 大井ふ頭中央海浜公園スポーツの森 http://www.tokyobaypark.net/oi_sports/index.html

 10時試合開始直前に三塁側の応援席に着く。今日は保護者のほかには数人の人影しかない。(バックネット裏に自民党の島村代議士の姿があった。両国高校OBか?)


 《試合結果》
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
両国 0 0 1 0 0 0 0 2 0 3
大島 0 0 0 1 0 0 0 1 0 2
【投手】両国:鈴木
大島:清瀬
【本塁打】大島:下村

 きびきびしたいい試合だった。好機に一打が出た両国が勝った。大島は8回裏、HRで一点を返した後、一死二三塁と攻めたてたが中心打者にヒットが出なかった。

 試合途中から京華高校の野球部の一団が現れ大島応援団に変身した。トランペットおじさんが回が変わるごとに演奏する校歌などに和して力強い響きが球場にこだました。先日、文京に負けた学校の一団も現れたがこちらは静かに観戦していた。

 二校はこの日試合があるわけではない。一二年生の部員が研修に来ていたんだろうか?
帰りに偶然あった京華の生徒に「ありがとう」を言うことが出来た。

 もう一つうれしいことがあった。
 
 球場を出たところに勝った両国の選手たちがたむろしている。その中に謙一くんの息子さんがいた。
 大学院に通いながら母校のコーチをしていると聞いていたので声をかけてみたのだ。ジュニアーはやはり父親にもよく似ていて昔から知っている人のような親しみを感じた。

 父の母校と戦って勝利したのはいいが、愛する島の学校が負けて複雑な気持ちのようだった。次は足立新田との3回戦だ。健闘を期待して握手して別れた。

 文京も岩倉に負けたという。これで僕の今年の応援は終わった。こどもたちの一人一人の人生をかけがえのないものだと思う。頑張って欲しいものだ。

 まだ昼前なので大田市場に行ってみた。昔の生徒の健治くんに会えるかもしれない。

 大田市場http://www.shijou.metro.tokyo.jp/tonai/01/m03.html

 市場内のお店(仲卸)に着いたらシャッターが下りていた。隣の店の方に聞いて今日が休場日だと知る。お互いよく知っている間柄のようでメッセージを託す。

 近くに東京港野鳥公園があるというので訪ねる。大田市場に隣接しているはずだが入り口がわからず難渋した。これも散歩だと思って歩く。着いたときには脚は棒のようになっていた。

 東京港野鳥公園 http://www.birdfan.net/gallery/live/tokyoko/