荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

山内久司の巻。

2015年02月11日 | 偽りの人生に優れたエンターテイメントを


知らなかった

なにかと申しますと、山内久司氏が亡くなっていた事。

【シンプル生活】だの【ミニマリスト】だの【トランクひとつだけで暮らしたい】だの【ドミニック・ローホー】だので、このブログに来られる方にはご存知ない名前でありましょう。

ザックリ申し上げますと、朝日放送の元重役で【必殺シリーズ】の産みの親、と言われる方です。

テレビジョン創世記から放送業界におられた重鎮ですね。

命日は昨年8月13日だったのが、故人の遺志により公表されず昨年12月8日にようやくオープンになったそうです。



ずいぶん前ですが、生前の山内氏がテレビ出演された番組も観ましたし、彼の著作も読みました。

正直、頭が良くて自分に凄ぇ自身があり、性格がメンドい大阪のオッサン、というイメージに終始しております。

今もその印象は変わりませんし、実像もそれほど変わらないと思えてなりません。

なぜなら、同じく【必殺シリーズ】のプロデューサーであった仲川利久氏が、

『山内さんは京大出身だし、労働組合の議長をしていて、私は彼を背後から見ていて、非常に言葉がはっきりしている、説得力があって、頭が切れる男だな、逆に言えば私とは合わないぐらいに思っていましたね。私はあれほど、頭が良くない、利口じゃないと思っていましたから』(【秘録 必殺シリーズの舞台裏】1999年)

と語っています。

仲川氏ほどの立場の方が、そう言うのであれば、さらに下の人間からするとかなり厄介だったのかも、と。

もっとも、そのくらいの頭脳と行動力とアクがなければ、力強い作品は産まれて来ないわけですが。



裏番組【木枯し紋次郎】の視聴率の脅威に怯えつつ産まれた【必殺仕掛人】。

実際に起きた殺人事件のヒントになったという誹りを受けた【必殺仕置人】。

放送業界の腸捻転に巻き込まれ、視聴率が半減した【必殺必中仕事屋稼業】。

主水・鉄コンビが復活し、シリーズ最高峰と言われた【新・必殺仕置人】。

オカルト時代劇というコンセプトが大コケした【翔べ!必殺うらごろし】。

原点回帰及び三田村邦彦人気で、視聴率が安定し出した【必殺仕事人】。

中条きよしが加入し、完全に国民的番組に成長した【新・必殺仕事人】。

京本・村上にスイッチし、新たな視聴者をも獲得した【必殺仕事人V】。

必殺シリーズ崩壊を招いてしまったA級戦犯【必殺仕事人V・旋風編】。

最後なら目茶苦茶やっちゃおう!という破れかぶれの【必殺剣劇人】。

火曜日だと、いまいち観る気にならなかった【必殺仕事人・激突!】。



とまぁ、駆け足で要所要所を記してみました。

簡略且つ明解な履歴紹介だなぁ…。



後期【必殺シリーズ】当時、山内氏は、

『昔の【必殺】はオトナが観る映画仕立てやった。今は違う。バラエティ番組全盛なんやから、バラエティ仕立てのドラマ作りをせなアカン』

という様な事を、再三再四言っていました。

確かに、その読みは正しかった。

1980年代前半~中盤までは、バラエティ仕立てのドラマ作りは成功しました。

しかしながら、1年1年経るごとに微妙なズレを感じていたものです。

とくに【必殺仕事人V・旋風編】あたりは、バラエティ仕立てという番組作りをはき違えているとしか思えませんでした。

1980年代中盤以降は、また違ったドラマ作りが要求されていた。

それなのに、バラエティ仕立てにこだわり続けたトコに、山内氏の【老い】を感じたものです。

【必殺剣劇人】が終了した頃【オレたちひょうきん族】の視聴率もガタ落ちし始めました。



【必殺シリーズ】を愛する、いちファンであるが故、求めるモノも増えるというものです。

とはいえ【必殺シリーズ】はもちろんの事、【ザ・ハングマンシリーズ】や【京都マル秘指令 ザ新選組】等様々なドラマで楽しませて頂きました。

ホントにありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。


【必殺シリーズを創った男】。創造者でしか語れないあれやこれや…名著です


最新の画像もっと見る