今、50歳です。
昨年、自殺未遂をし、2ヶ月半程入院しました。
退院と同時に引越し、正月と共に新しい生活が始まったのです。
引越したマンションは、とくべつ気に入ってはいません。
中野の住宅街ですから、面白くないし。
収納が少ないので、服が出しっ放しだし。
シャワーを浴びるのも3~4日に一度だし。
今迄の様に几帳面に暮らそう、という気がなくなってしまいました。
そう、今の僕には諦観しかありません。
全てが『ど~でもいい』って感じ。
能動的に何かしようと思えません。
今後もこんな生活する位なら、死んでも良いっす。
でも、なかなか死ねないもんですね。
なんか、坊さん以上の境地であります。
『「あきらめ」ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽くして後に初めて許される「魂のおちつき」である』種田山頭火(ニッポンの俳人・1882~1940)
過去の関連記事。
50歳の巻。
昨年、自殺未遂をし、2ヶ月半程入院しました。
退院と同時に引越し、正月と共に新しい生活が始まったのです。
引越したマンションは、とくべつ気に入ってはいません。
中野の住宅街ですから、面白くないし。
収納が少ないので、服が出しっ放しだし。
シャワーを浴びるのも3~4日に一度だし。
今迄の様に几帳面に暮らそう、という気がなくなってしまいました。
そう、今の僕には諦観しかありません。
全てが『ど~でもいい』って感じ。
能動的に何かしようと思えません。
今後もこんな生活する位なら、死んでも良いっす。
でも、なかなか死ねないもんですね。
なんか、坊さん以上の境地であります。
『「あきらめ」ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽くして後に初めて許される「魂のおちつき」である』種田山頭火(ニッポンの俳人・1882~1940)
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50歳の巻。