荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

諦観の巻。

2018年02月05日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
今、50歳です。

昨年、自殺未遂をし、2ヶ月半程入院しました。

退院と同時に引越し、正月と共に新しい生活が始まったのです。

引越したマンションは、とくべつ気に入ってはいません。

中野の住宅街ですから、面白くないし。

収納が少ないので、服が出しっ放しだし。

シャワーを浴びるのも3~4日に一度だし。

今迄の様に几帳面に暮らそう、という気がなくなってしまいました。

そう、今の僕には諦観しかありません。

全てが『ど~でもいい』って感じ。

能動的に何かしようと思えません。

今後もこんな生活する位なら、死んでも良いっす。

でも、なかなか死ねないもんですね。

なんか、坊さん以上の境地であります。



『「あきらめ」ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽くして後に初めて許される「魂のおちつき」である』種田山頭火(ニッポンの俳人・1882~1940)

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50歳の巻。


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