真我の花道・・・幸福の道・・・

本当の自分に出会うことで因縁を断ち切り・・・
・・・・幸福の道へと人生の電車を乗り換えるこができました

夫婦の自由恋愛?(因縁多き女が幸せな結婚と悟の世界へまっしぐら)

2015-06-29 21:25:15 | 日記
真我開発に出会う前の私の生活は、男と女の泥沼の中にどっぷりとはまっている状態だった。
その中で、その泥沼の中にいる人たちはその状態がへんだとは感じていなかったようである。今思えば、ひとつの洗脳に近いと思う。
因縁という洗脳だと思う。男と女の泥沼に引き寄せらえる記憶をもっているのだと思う。
私の場合も、潜在意識の中に、先祖からの男と女の因縁が不遜でいた。
だから、好きになってはいけない人を好きになったり、男に騙せたり、貢ちゃんのようになったり・・・そうはなりたくないと思っても、
なぜかそういう方法にいってしう。悲しいかな・・・・その果てに苦しみのなかへまっしぐらだった。
・・・今はというと、そのようなおかしな、男と女の人間関係とは全く関係のない世界でいきている。
今ははっきりと、真我に出会う前の男と女の人間関係はおかしいと思う。
因縁の洗脳から抜け出すのはそれはそれは大変なことだった。
けれども、洗脳からとかれた…本当の自分に戻ることによって・・・
けれども、苦しみの渦中にあっては、ほんとうの自分・・・真我に目覚めようという意識はなかった。
ただただ、学長に向かって歩き続けるだけだった。苦しいが故に、その苦しみをフックにして、ただただ上って行ったような感じである。

社会的には公的に夫婦でありながら、お互いに自由恋愛を宣言し、恋愛をする・・・・感情が麻痺しているのか・・・
夫婦としては破たんしていえるのか・・しかし、その相手にあるひとは、悲しくないのだろうか・・・
割り切る? そんなことが簡単にできるだろうか。
だが、私もその渦の中でいきていた。わずかな喜びあっても、生き地獄であった。抜け出したい思っても自分ではなかなか抜け出せない。
抜け出そうとしても、また、その世界に引きずり込まれてしまう。
そうして自分が生まれたことの意味、自分という存在価値を自分で見失ってしまう。
幸せになってはいけないのだと思い込んでしまう・・・その結果、いつも自分を卑下し、なぜか、苦しい事や困難なことを引き受けてしまう。
そしてまた、自分を責めてしまう。自分らしさを殺してしまう・・・私は仮面のような顔になってしまっていた。
 ある人から…笑わない人だと思ったと言われたことがる・・・・
・・・自由恋愛・・・独身ならまだしも・・・既婚者の自由恋愛は罪作りである・・・
だが、現実、そのような世界で人生を送っている人もいる・・・
意外と、私の業界では多い・・・この業界、表向きは善人の集団であるが、個人の人生は男と女の泥沼に生きている人も多い・・・
その結果、独身か離婚か・・・子供は非行に走るケースが多い・・・

本当の自分に出会うとは・・・・(因縁多き女が幸せな結婚、悟りの世界へまっしぐら)

2015-06-28 00:11:59 | 日記
問題があったから、真我にむかってまっしぐらだった・・・・今は、12年前のような苦しみ、悲しみなどはない。
真我に向かってもっと貪欲に踏み込みたい・・・・踏み込む方向がわからないのか・・・・全力で踏み込んでいるとは言えない今がある・・・
12年前のあの行動力はどこへいったのか・・・・私にはもっと貪欲に行動できる力があったはずである。
ニュートラル現象というものが長すぎる・・・問題が解決したら、真我の追求は終わりではなく、問題が解決してからが、本当の真我の追求の始まりなのかもしれない。
本当の自分、真我によって今の幸せがある。
本当の自分はと問われたら、因縁を背負って生きてきた私も、私である。自分をなかなか認られないのは、過去の自分を自分で否定し、認めていないからではないか。
問題はとうの昔にか解決しているが、なかなか、自分に自信が持てない。もっと、真我にむかって前進したいと思っても進めない・・・
過去自分がやってきたことを好きになる・・・これがなかなかできないのが、自分を認められない結果になっている。
因縁を背負った私も本当の自分・・・

因縁多き女が幸せな結婚  悟りの世界へまっしぐら・・・

2015-06-25 21:08:09 | 日記
こんばんは。いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
このブログを書きは始めて、私自身はすごく変化しています。
・・・因縁を背負った自分をなかなか認めれずにいました。現状は100%変化しているにもかかわらず・・・
自分に自身がなく・・・本当の自分に出会うことがとてつもなくすごいことであると、確信していても、現実の中で、すごいという結果を
私自身が出せていないと思っていたから…
ブログをかくことで、からだの中に残っていた因縁の抜け殻が消えていったように感じます。記憶が消えるのがとても速いのです。
夫の笑顔がとても優しくなりました。息子も、依然より増して明るくなりました。
背負った、とてつもない因縁に苦しんだ果てに、死を覚悟し全力で臨んだ因縁切りと本当の自分探し。
受講した講座の数は50以上・・・・なぜそんなに受講したのか・・・・今振り返ると、自分ではない自分に背中を押されていように思う。
確かにお金も時間もかかったが、今、貧乏であるかといえば、そうではない・・・むしろ、豊かになった。

私が嫁いでから、夫の両親はとても仲良くなった。いつも二人で出かけるようになった。
70歳を過ぎて、夫の両親は二人のための家を新築した・・・・
何十年と口もろくにきかなかった夫の両親が会話するようになった。
夫の両親は今、新婚生活を送っているようである。
二人での子育てもろくにできなかったようで、今、孫を我が子のように二人で育ててくれている。
・・・ありがたいことである・・・・私は息子を産みはしたが、ほとんど夫の両親が、保育園の入園、小学校の入学とすべてを段取りしてくれた。・・・普通ならここで、嫁と姑の意見のくい違いで戦いになるところであろうが、私は100%口を出さずに、夫の両親の思い通りに
していただいた。なぜなら、すべては、孫を思う愛からの行動であるから…よって、我が家には嫁と姑の争いごとは全くありません。

誰もがもっている男と女の因縁・・・その根底にあるものは愛以外のなにものでもない・・しかし・・それが、苦しみ、嫉妬、恨みとして人を苦しめることになるとも事実である。愛と苦しみは表裏一体なのではないかと思う。
私は苦しみが大きかったからこそ、今のようなお金では買えない大きな幸せにであった。
苦しいことはつらいことである。だが、苦しいからこそ、そこから、抜け出そうとする。苦しんでいるのは最良の状態で、幸せへの早道であると思う。
・・・苦しんでも死ぬことはない・・・自ら命を絶たないかぎり・・・なぜなら私は生きているから・・・・


因縁多き女が幸せな結婚  悟りの世界へまっしぐら・・・

2015-06-24 00:06:28 | 日記
今は、とても幸せな人生を送っている私です。
過去の苦しかったことやつらかったことは、今はほとんど忘れてしまっている感じです。
普通なら、一度離婚をしたら、それを引きずって、人生うまくいかないことの方が多いのではないでしょうか。
真我の追求をしてきたためか、一度めの結婚のことは、全く忘れています。おかしいですよね・・・・
離婚というとマイナスのイメージですが、離婚したことにより、私は今の幸せがあるのです。
離婚してくれた、前夫にこころから感謝しています。
離婚するにあたっては、つらいこともいろいろとありました。
今思えば、つらいことがあったから、離婚する決意をしたのだと思います。そして、もう一つは、今あるものよりも良いものが現れたらから
今もっているものを捨てることができたんだと思います。
学長に最初にお会いした時に、同じことを教えていただきまました。
・・・・このブログを書きはじめてから、左肩と左腕、左半身が痛くて・・・・どんな意味のメッセージなのか・・・・

因縁多き女が幸せな結婚  悟りの世界へまっしぐら・・・

2015-06-22 21:28:46 | 日記
こんばんは。  昨日は、父の日・・・久しぶりに実家に夫と子供を連れてお里帰りをしました。そのため、帰宅し、子供を寝せつけるのに、一緒に眠ってしまいました。
すみません。ブログの更新ができませんでした・・・・

今日は結婚してからのことを書きたい思います・・・・夫の両親の愛の嵐です。みなさん驚きますよ・・・
この世に、こんなに、可愛がられる嫁はめったにいないと思います。

・・・息子を出産後、夫の両親から、、「うちへかえっておいで」と言われたので、迷うことなく、「そうします」と答えた私。
出産後、義母は毎日、病院に面会にきては息子を抱いてくれました。
そして、毎日、わかめスープ(鯛の出し入り)を持ってきてくれました。わかめスープは主人の国では、産後の日立ちがよいように、産後30日は産婦さんが食べるそうです。

出産後 夫の実家へ戻った私は、息子とともに、大切に大切にされました。
24時間ずっと、義母が私と息子の世話をしてくれました。
ふつうなら、自分の実家に帰りますよね。
けれども、わたしには夫の両親の深い愛をすごく感じたのです。
  ただ、ただ、感謝の思いだけがいっぱいあって・・・
出産後、30日、夫の実家にお世話になり、自宅へ戻ったのですが、義母は息子が生まれて100日が経つまで毎日、息子をお風呂にいれに
きてくれました。


・・・・人生、苦しみのどん底だったころからすると、夢のような生活です・・・・・
家族にも恵まれ、経済的にも安定し、体調を崩したりするこもありましたが、幸いにも、最悪の状態からは免れることができ・・・・
 

 これもひとえに、学長とのご縁により、生きているうちに生まれ変わることができたからです。
生きているうちに生まれ変わる過程では、苦しいことも、悲しいしいこともありました。
自分が生きている世界が闇にしかみえないときもありました。
  生きていることそのものが、生き地獄でしかない時期のありました。死んでまった方が、楽だったかもしれません。
けれども、私は「泥沼の因縁」を子孫に引き継ぎたくなかった。ここで、因縁をきるために、私は生まれてきたんだと思った。
私には、特殊な才能があるわけでもありません。ただ、「あきらめなかった」だけです。「逃げなかった」だけです。
そして、絶対に学長の方を向いて(意識を向ける)進み続けただけです。