米百俵=教育へ ドナルド・キーンさんが説く

2017-04-09 12:20:13 | 政治
17.4.9付東京新聞2面の記事である。

『米百俵 何よりも教育』と題するドナルド・キーンさんの随筆だ。
読んで大変感銘を受けた。

以下内容を紹介する。

百俵の逸話は、
窮乏していた長岡藩に届いた救援の米百俵を
指導者小林虎三郎が、藩士たちの反発を受けながらも
売り、その資金で学校を開設したというもので、
山本有三が戯曲にしたものだそうだ。

この話をキーンさんが英訳し、
ホンジュラスの文化大臣がスペイン語に重訳。
同国内に広まったという。
そして、ホンジュラスでは教育環境の改善につながっていること、
また、バングラデシュでも舞台上映され、
米百俵の精神が発展途上国の多くの国に受け入れられていることが嬉しい
と、キーンさんは書いている。

ところが
と、キーンさんは述懐する。
「この精神を輸出している日本では、最近子どもの貧困が問題になっている」
「先進国と比べて、日本は国家予算における教育費の割合が低く、家計に占める教育費負担の割合が高い」と。

全くその通りである。

そして、
理解に苦しむこと
としてキーンさんは、
「財政難と言いながら、一方で気前よくお金を使っていることだ」として
2020年の東京オリンピック関連の開発事業をあげる。

しかも
「日本では、東日本大地震や原発事故の被災者救済や復興は不十分なまま」なのに、
「まるで、発展途上国が公共事業を急ぐかのように、五輪の事業ばかりが進められている」
と指摘する。

こうした思いを吐露し、キーンさんは
「親の経済力で子どもが受けられる教育に格差が生じることは望ましくない。それこそ政治の出番だ」
とお考えを述べられている。

私は、先日、このブログで就学援助制度について紹介した。
この制度も、所得が一円でも多いボーダーラインの世帯は受給できない。
また、就学援助が受けられても、義務教育に掛かる費用がゼロになるわけではない。

高校の授業料無償化も、今は所得による支援金制度となり
ここでもボーダー層が取り残される仕組みになった。

大学の奨学金も返済の必要のない給付制度樹立に、与党は重い腰を上げることを渋っている。
子どもたちは、大卒時に数百万円の借金を抱えるのである。

まさに親の経済力で子どもの教育を受ける機会に格差が生じている。

オリンピックの開発問題でのドタバタを報道で見聞きする度に腹立たしさを感じていたが、
今日の
ドナルド・キーンさんの随筆を読み
私の思いを書いていただいたとの感を強くした。

正に、子どもの教育に対する政治のあり方が問われているのだ。

こうした批判を、世の政治家たちはどのように受け止めるのであろうか。