katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

kobitoさん、みどり相席教室

2013-10-21 01:34:52 | モザイク教室
さて、昨日の今日、かぐやも帰ってようやく本題のお教室となる・・・・
昨日の前フリの4時間を経て、いよいよお互い遠慮なく、質疑応答なんて事もあるのかな?

そんな教室・・・・。昨日のブログも長くなり途中のまま出勤となる。
さてそんな中、小雨交じりの中、kobitoさんが早めにやって来た・・・・

すると、みどりから連絡を貰ったらしく、若干遅れるらしい・・・そんなスタ-ト。
1対1、お互いに先生同士、誰も気にせず遠慮なく・・・とは言うものの、

本気でいきなり・・・ってそれでも受け入れて貰えるのか?本当に・・・・
ただ、今日が最後かも・・・と思えば、全力を出せずじまいで終わる訳にも行かず、

それじゃ、本気に・・・となる。じゃ伝えたい事の結論から言うと、もしここに来た理由が、俺の考えている通りなのだとしたら?・・・・俺が教える事は・・・1つ。

何故モザイクの先生をするのか?どうしたいのか?・・・・と訊ねると、
恐らく好きだから・・・とか、広めたいから・・・とか、色々と理由はあると思われる。

でもね、もし本当は作るのが好きだから・・・だったとしたら?
ちゃんと、自分のモザイクをする時間を確保していますか・・・・・?って質問になる。

先生のサンプルや仕込みの下地や準備に追われてはいませんか?・・・・になる。
もしそうなら、先生の先生による先生の為の作品を作っていない事になる・・・・

それって楽しいのかな?本当に・・・。kobitoさんを良く知っている方が、この作品の
進行具合を見たら、嘘でしょ?先生はいつももっと早い・・・・何でこんなに進まないの?

そう思われるだろう。ちなみに今日は9時からスタ-トして、夜の12時ちょい・・・・
きっとビックリしているだろうね・・・。

でも理由ははっきりしているのね・・・・それで良いんですか?・・・美しいですか?
ただそれだけ言えば、こうなる。本気で向き合えば、色々意識する。

考える・・・って行為を何度もする。だから進まなくなる・・・迷うから・・・。
じゃなんで迷う?それはこだわるから。じゃ何でこだわる?上手になりたいから・・・とか

良い作品、納得する作品を作りたいから・・・・日々の生活として追われる日常では、
先生としてしか生きていなければ、1時間でも良いからじっくり作る事。

慌てないで、やり過ぎないで、けれどコンスタントに・・・。すると、こうなる。
これを何度も繰り返すと、必ず結果が出る。これをダイエットと考えれば、

やったり、やらなかったり・・・だよね?結果はその通りになる。
比喩を変えれば、お母さん。毎日、お母さんで良いなら日常だけで良いはず・・・・

時に、非日常が欲しいと言うのなら、その考えで言えば、どの程度欲しいのか?って話。
いくら好きでやっている・・・・と言っても、自分の時間が無く、慌しいだけで進めば、

誰だって立ち止まる事がある。これで良いのか?・・・ってね。
要するにそこが問題なら、姿勢としての立て直しって事になる。

体験の座禅みたいなもん。心の立て直しさえすれば、自分自身と向き合って疲れ果てる事は無い。そこさえしっかりすれば、また元に戻るはず。

当然、もしそれが合っていたら・・・・の話で、うわべだけ受け入れられても続かない。
本当にそうなのか?本当に受け入れられるのか?きちんと向き合わないと、

ここへ来た意味は無いに等しい。ただ受け入れられたかどうかは、昨日と切っている姿を
見れば一目瞭然。座禅をしている後姿で背中を叩けるお坊さんがいるのなら?

当然、その程度なら俺にも出来る。とても簡単で、昨日と違う事を探すだけ・・・・
何せ昨日は緊張から・・・と言う平常心では無かった・・・と言うのなら、お互い様。

けれど今日は1対1。もうそんなに変わりは無い。ならば落ち着いているのなら、状況は
良くなっているはず。では、目をつぶって音を聞くだけでも、何が違うか?はっきり判る

何故なら普通慣れたのなら、どうなる?楽になったりしないかな?・・・するとどうなる?
当然、切っている音は昨日よりもリズミカルになるはず。だって慣れたのだから。

もっと言い方を変えれば、音が早くなる・・・・何しろkobitoさんのブログを見れば、
作成のスピ-ドは半端じゃない。ならば、そう言うスピ-ド感ある音がするはず。

なのに、昨日よりも遅く感じる・・・・その時点で、確認しつつ切っている事が判る。
つまり受け入れてくれている事がはっきり伝わって来る・・・・。

慣れたのに、早く作れるのに、今日帰るのに・・・・こんな急ぐ条件ばかりなのに、
ゆっくり切っている。こんなに慌てず切っているのなら、少なくとも姿勢としてだけでも

落ち着いて作っていると思われる。ならば見なくても姿勢がそうなら、当然いつもとは
違う作品になる。ならば気持ちが違うのだから、テクニックはいくらでも教えられる。

ここはこう、ここはこう、もはや教える事は単なるテクニックだけ。
ただこう書くと、上目線に思われがちだけれど、これとこれ、どっちがどう見える?って

確認の上で進む。こう切って行く文字と、こうやって切った文字はどっちが美しい?って
やり取りをしながらね・・・その違いがテクニックなのね・・・って。

個人レッスンなんて、さしつさされつ。こうならこう、こうならこう、これだとどう?
将棋講座みたいなもん。いちいち検証して、次の展開を読む。どうなる?ってね。

しかも本当の将棋講座なら、全国ネットですべて生解説付き。それは無いにしろ、いちいち振り返って、自分のやった事がどう見えるか?確認をして貰う。

ただね、普通じゃないのは、相当俺のブログを読んでくれているらしいから、察しが良いのね。って事は?って事は?・・・ときちんと読んで下さる。だから俺はもっと先読みを

する必要がある。いつかこんな事にもなる・・・こんな事につまづくかも・・・とね。
それはお母さんの老婆心のように・・・。ハンカチ持った?ティッシュは?・・・とね。

それが夏休みの先読みは、今のうちに宿題やらないと、最後慌てる事になるんでしょ?_
って長期展望になる。こんな違いになる。

じゃ早々と宿題も終わらせちゃう子には?・・・・ねぇねぇ、外で遊ばないの?
何処か行こうよ・・・にならないかな?つまり、こなす事がそつない場合は、

反対の老婆心になる。つまり、どんなに調子が良くても、毎日1時間程度ですよ・・・・
になる。何故なら自宅には俺がいないから・・・止められないからね・・・。

やり過ぎれば、日常がおろそかになる。おろそかにしないようにすれば、寝るのを惜しむ
・・・・欲張り過ぎである。だから日常から何とか捻出の1時間の練習。

結果を焦らない。何しろ昨日までの自分を下回るような事無く・・・・それを上回れるように・・・になり、いつしかそれをいついかなる時もキ-プ・・・にとなる。

いかに自分の調子を把握して、何処をやるべきか?を見出す事が出来れば、質はいつも
安定する・・・・それが大作の作り方。

ただそうしていても、必ず人だから失敗をする。その時、いかにそれをフォロ-出来るか?が問われる。ここが自分と向き合う場所でもある・・・いかに自分の力でこれ以上

落とさないか?どうすればそうなるか?・・・・ここで踏み止まれる事が出来、結果も
元に戻せたようにフェイク出来ると、それが作り手の実力の向上だったりもする。

世の中の一流は踏み止まる力を身に付けている・・・・では無いかな?
より向上のテクニックもあるのなら、これ以上落とさないテクニックもある。

こんなやり取りを徹底的に言い続けた・・・・時間のある限り・・・・ずっと・・・・
そんな中、みどりが来て・・・・



新展開の下絵も持って来た。


中々良い。少しは立て直した感はある。・・・・おっと、もう8時・・・出勤・・・。
いずれにせよ、後悔しないで済むくらいやり尽くした・・・そんな感じである。

最後に一言なら・・・・今度はその作品の完成を楽しみにしています・・・・
ブログで・・・・作成経過をずっと・・・・なのである。

そう、先生同士、お互い様なのである・・・・今度は俺が観る番なのねぇぇぇぇぇ。
お疲れ様でした・・・・そして有難うございました。

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