katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

引き続き椅子の下地

2024-05-10 07:21:27 | モザイク作家
今日も引き続きタコの椅子の下地。まぁしかし俺の実力では、アップアップなのね。しかもどんどんと重たくなって行くし・・・。これでタイルを張ったら・・・一体何キロになるんだろうか?

とは言え、何とか形にはなって来たのね。明日大家さんが不在だから、削って角を丸くすると、もっと雰囲気が出ると思うのね。って言っても大きく軽くはならないだろうけど。

ただ座る前提だから、どうしてもおしりの部分は木を使いたいし・・・まぁしかし、世の中色んなものがあっても、蛸の椅子なんて早々無いだろうし、手足が付いて来ると段々と気持ち悪さや、

不気味さも出て来たし、雰囲気はあるのね。ただね、展示作品ばかりが数ヶ月も続くと、精神的にも生活費にも大きく影響するし・・・気持ちに焦りも出るし、それが上手く出来ない原因とは言う

つもりは無いが、きつくはなって来る。リュウグウノツカイ、カツオノエボシ、そして蛸の椅子。まぁ見事に今すぐ売れるとは思えない作品ばかり・・・。まさに落語のはたののりゆきになっている。

今回の蛸の椅子は完璧にそう言えるのね。かっぱだぬき・・・何だこりゃ?って作品なのね。人が見た事が無いものを作るってのは、かなりリスキーだし、欲しい・・・とは思われない。

しかもこれからどんどんとそうなって行く・・・楽しい作品作りでは無いのね。でもそれで良いのね。もしこれが芸術って方向なら、楽しい作品の訳が無いし、凄い・・・ってものは簡単なはずが

無いのね。だから凄い方向に向かっているのなら、気持ち悪かろうが、不気味であろうが、それで良いのね。これが自分の勝手に作れる最後の作品と思ってやっているのだから・・・。

しかし改めて思うのは、一般的とか普通とかって言葉に合わない方向の自分が、一般的や普通を求められた場所では結果が出なくて当然だし、逆にエリートでは無いから、シードされる事は無い。

つまりどんな場所であっても、常にそこに合うような事を続けて来たが、思えばTVチャンピオンの時には、予選ではベランダに露天風呂ってお題には、蛸のお風呂を作った・・・。まぁ有り得なかった。

他の人達はお洒落なものだったり、富士山だったりした。決勝ではヘビにカエル・・・あの時に、選んだ理由は、katsuさん東京から来たの?って御宿の子供達が憧れたような目で見るのね。

たった東京って言っても2時間弱の場所。しかも東京って言ったって江戸川区。とても胸張って言えるような場所じゃ無い。別に悪い場所では無いが、昔からコンプレックスのようにある。

例えば最終学歴が高校でも、職人なら十分に生きて行ける。でも、ハングリー精神と言うのなら、むしろ中卒だったり、不良と呼ばれるような人達の方が、根性があるって感じに思われた。

もっと言えば、大学を出ていても、腕が全ての分野では、むしろ馬鹿にされていた人達を見て来た。大学出て職人かよっ・・・ってね。そうかと思うと、設計士を先生と呼ばないとならず、

そんな時に、良いよなぁ、冷暖房で絵描いてりゃ良いんだから・・・楽だよなって言っていた職人も山程見た。そう考えると、何もかもがコンプレックススタートなのね。その俺に、子供達が、

凄い・・・って言ってたのね。だから、東京ってヘビに飲まれるなよ・・・カエル達って意味だったのね。誰かがここを守らないと過疎化するし、東京で生き残れるカエルが何人いる?ってね・・

その時は38歳・・・生意気にも程があるだろうね。そんな若造が過疎化を口にするのだから。でも今明らかに過疎化している。あの時に感じたように。そうならないように・・と思っていたのに。

俺はまだ未熟だし、認められた立ち位置じゃ無いから、説得力に欠けるだろうが、芸術って言うのは気付きだったり、警告だったり、ホラーだったり、作者が強く言いたい事を言葉では無い表現で

伝えようとしていると思うのね。このままではいつかそうなる・・と。そんなもんは幸せな人達には受け入れづらい。だから映画や漫画、アニメ、ゲーム、アトラクションの即効性のある娯楽とは

違うのね。一言で言うなら神々しさが。まっ一応、何でも例外はあるから、村上隆さんのような芸術家もいるけれどね。どの分野でも例外はある。大谷さんみたいにね。ただ一般的にって言うのは

絶対数が多い方を指すもので。そんな分野に、美大でも無く、60歳で、もうタイル屋でも無く、信用出来るような一切肩書き無しって感じで、ここまでやっているのは、シード無く、予選を毎回

戦って来た上の、ここまで・・・って感じなのね。そんな俺の自由な最後の作品が蛸の椅子。葛飾北斎が春画の蛸を描いたように、俺もこの蛸の椅子で春画が描きたいのね・・・。

立派な芸術家でも無いのにね・・・ただ春画って、その当時ご法度なのね。それを描くって言うのは命掛けだっただろうね。でもきっと貧乏な奴らが、ご飯の為、道具の資金、しがらみ・・・

そんな中の制作だっただろうね・・・きっと。今となっては芸術家扱いで、立派な人となっていても、春画を描いている時点で、その当時はへっぽこ扱いだったのは間違いないのね。

ただこうして今、認められているって事は、へっぽこ扱いされていたのは事実だろうし、その春画が表立って描けない以上、ヤミ取引なのだから、安い扱いをされていたのは間違いは無いのね。

でも腕は下手だった訳じゃ無いから、こうして今認められている訳で。じゃ俺も・・・へっぽこ扱いの安い扱いの今より認められた時に、この蛸の椅子の春画が、名作として扱われるような仕上がりにしたい訳で・・・。

ただねぇ・・・春画って貧乏作家の収入源だったはずなのね。でも俺の春画はただただ、タダなのね。むしろ追い詰められているだけなのね。だからきついのね。しかも手慣れない立体・・・

益々時間が掛かる。ただモザイクに入った所で楽では無いが、アップアップで作っている立体よりも、気持ちが楽になる。だから逃げ切りたいのね・・・最低限の合格点で良いから・・・。

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