KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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あなたもマラソンランナーになれる・・・わけではないvol.17~あれは最期の輝きだったのか?

2021年01月24日 | あなたもマラソンランナーになれる
7年ぶりに愛媛マラソン完走、それもネットタイム(スタートライン通過からゴールまでのタイム)で4時間5分を切っていた事に大いに満足していた。これなら、もう一度マラソンで4時間切ることも可能ではないかと思えた。金哲彦さんが提唱する「フォーエバー・スリー(終生、マラソンを3時間台で完走する走力を維持する事)」も容易い事の思えた。この時は。

愛媛マラソン完走の翌月、2018年3月13日の朝、姉から電話がかかってきた。1年前の1月から介護施設で生活していた母が救急病院に搬送されたという。慌てて病院に駆け付けた。診断はクモ膜下出血。たとえ手術を受けたとしても意識の回復は絶望的だという事だった。89歳の高齢だっただけに、「この日」は遠くない将来訪れる事は覚悟していた。しかし、つい先日、久しぶりに愛媛マラソンを完走を報告したばかりである。昨日も普通に他の入居者や職員らと話し、食事も残さずに食べていた。それが早朝に頭痛を訴え、そのまま意識を失ったという。

夜、県外に出張していた孫が病院に着き、見舞った。彼が来るのを待っていたかのように、数時間後に旅立った。RCサクセションの歌のように、
「お別れは突然やって来て、すぐに済んでしまった。」

本当に、「混じり気無しの」ひとりぼっちの生活が始まった。母親が施設に入ってからの1年2ヶ月はまるで予行演習で、いよいよ「本番」が始まったようだった。
初七日が過ぎ、ランニングを再開した。愛媛マラソン以後、5月まで積極的にレースに出場していた。5kmを2本(1本は駅伝)、10kmを2本、ハーフマラソンを1本。5kmは23分42秒で走れたし、ハーフマラソンでも2時間を切れた。10kmで50分は切れなかったがどちらもアップダウンの多いコースで、ネガティブ・スプリットを刻めた事に大いに満足していた。来年の愛媛マラソンまでに年内にフルマラソンを1本走る事を決めて11月のおかやまマラソンにエントリーした。

愛媛マラソン以後、昔馴染みのランニング仲間と電話で話していた。少々口の悪い彼から愛媛マラソンの結果について、
「これ、ローソクの灯が消える前に一瞬きらっと輝くようなもんやないんか?」
と言われた。いつもの事なので、さほど腹も立てずに、笑って流したのだが、それは不吉な予感だった。

6月と10月に中学時代の同級生とチームを組んでリレーマラソンに出場した。身体も絞れたし、フルマラソンも完走したし、1250m~1500mでも悪くないタイムで走れるだろうと思った。6月の大会はさほど悪くなかったし、6月のトラックでの練習会では1500m6分57秒で走れた(自己計測)。ところが10月のリレーマラソンでは1500mに8分かかってしまった。速いペースで走れなくなっていた。ペースを上げようとすると胸が苦しくなってペースが上がらなくなった。他のメンバーは大半はランニング経験が無かったので僕の「異変」には気がつかなかったようだが、おかやまマラソンに向けて、不安材料が出来た。