KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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マラソン日本代表の五輪成績ランキング・改定版

2021年01月21日 | 記録データ・ランキング
先が見通せない状況ではあるが、一応今年は「五輪イヤー」であるので、それらしい企画記事を書いてみることにした。2012年のロンドン五輪直前に作った、日本代表のマラソンランナーの記録ランキングの2021年版を作ってみよう。改定にあたって、それぞれの大会の優勝タイムを付け加えることにした。いや、これが無くてはこのランキングに意味は無いと思う。
まずは男子から

男子
1位 宗 猛 2時間10分55秒(1984ロサンゼルス4位) 2時間9分21秒*
2位 中山竹通 2時間11分5秒(1988ソウル4位) 2時間10分32秒
3位 中本健太郎 2時間11分16秒(2012ロンドン6位) 2時間8分1秒
4位 油谷 繁 2時間13分11秒(2004アテネ5位) 2時間10分55秒
5位 諏訪利成 2時間13分24秒(2004アテネ6位) 2時間10分55秒
6位 尾方 剛 2時間13分26秒(2008北京13位) 2時間6分32秒*
7位 瀬古利彦 2時間13分42秒(1988ソウル9位) 2時間10分32秒
8位 森下広一 2時間13分45秒(1992バルセロナ2位) 2時間13分23秒
9位 佐々木悟 2時間13分57秒(2016リオデジャネイロ) 2時間8分44秒
  (中山竹通)  2時間14分4秒(1992バルセロナ4位) 2時間13分23秒
  (瀬古利彦)  2時間14分13秒(1984ロサンゼルス14位) 2時間9分21秒*
10位 宗 茂  2時間14分38秒(1984ロサンゼルス17位) 2時間9分21秒*

※ 谷口浩美  2時間14分42秒(1992バルセロナ8位) 2時間13分23秒
※ 円谷幸吉  2時間16分22秒8(1964東京3位) 2時間12分11秒2*
※ 君原健二  2時間16分27秒0(1972ミュンヘン5位) 2時間12分19秒7
※ 君原健二  2時間23分31秒0(1968メキシコ2位) 2時間20分26秒4
※ 川島義明  2時間29分19秒(1956メルボルン5位) 2時間25分0秒

*を付けタイムは、その時点での五輪最高記録である。こうして、優勝タイムと比較してみると順位だけでは分からなかったものが見えてくる。中山のソウルのタイムが実は金メダルのボルディンとは33秒差との「惜敗」と見ることが出来るし、中本が5位でゴールしたロンドンの優勝タイムは当時の彼の自己ベストよりも53秒上回るタイムだった事を思えば、ロンドンの彼の走りは無理に先頭集団を追わずに自己のベストを尽くす「クレバー」な走りだったと分かる。
酷暑のアテネのバルディーニの優勝タイムは、当時はスゴイなと思ったが、それを遥かに上回るワンジルの北京での優勝タイム、2時間6分32秒がいかに驚異的で破壊的だったか。尾方が13位でゴールした直後に、先にゴールしたランナーと握手を交わしたが、それがアテネの金メダリストであるステファノ・バルディーニだった事を実況アナはスルーした。僕は
「NHKのアナウンサーも質が落ちたな。」
と思ってしまった。

戦後の五輪マラソンでメダルを獲得した3人の内、円谷と君原はトップの見えない背中を追いかけるレースをしていたが、森下は金メダリストの黄永チョとのがっぷり四つのガチンコ勝負で銀メダルを得た。しかし、タイム差が22秒というのは、彼のスパートを追う気力が残ってなかったのかもしれない。むしろ、転倒した谷口が黄とのタイム差が1分19秒というのは意外。実際に、黄がゴールする前に谷口がスタジアムに戻ってきたという実況に驚かされた。やはり、あの「コケちゃいました。」が無かったら・・・。いや、あれがあったからこそ、彼は「愛すべきヒーロー」となれたのだから、「これも運です。」としか言いようがない。

記録でみると、メキシコ五輪というのはいかにも苛酷なレースだったということが伺える。君原のミュンヘン5位という結果は、同大会での陸上競技唯一の入賞だった事もあって、当時はメダルと同等の称賛を得た。(当時の入賞は6位まで。室伏重信がハンマー投げで8位だった。)

日大在学中にメルボルン五輪代表となり、5位入賞(6位は前回のヘルシンキ五輪で、5000mる10000m、マラソンの3冠王で「人間機関車」と呼ばれたエーミール・ザトペック)した川島義明の名前は今では知る人も多くない。やはり、メダルを取らないと歴史に名前は残せないのか。

女子のランキングも改定しよう。

1位 高橋尚子 2時間23分14秒*(2000シドニー1位) 
2位 野口みずき 2時間26分20秒(2004アテネ1位)
3位 木崎良子 2時間27分16秒(2012ロンドン16位) 2時間23分7秒*
4位 山口衛理 2時間27分39秒(2000シドニー7位) 2時間23分14秒*
5位 尾崎好美 2時間27分43秒(2012ロンドン19位) 2時間23分7秒*
6位 有森裕子 2時間28分39秒(1996アトランタ3位) 2時間26分5秒
7位 土佐礼子 2時間28分44秒(2004アテネ5位) 2時間26分20秒
8位 福士加代子 2時間29分53秒(2016リオデジャネイロ14位) 2時間24分4秒
9位 中村友梨加 2時間30分19秒(2008北京13位) 2時間26分44秒
10位 市橋有里 2時間30分34秒(2000シドニー15位) 2時間23分14秒*

※ 坂本直子 2時間31分43秒(2004アテネ8位) 2時間26分20秒
※ (有森裕子) 2時間32分49秒(1992バルセロナ2位) 2時間32分41秒
※ 山下佐知子 2時間36分26秒(1992バルセロナ4位) 2時間32分41秒

(lリオデジャネイロ五輪の金メダリストは、その後のドーピング検査で陽性反応が出る。2位のランナーの記録はトップより5秒差)

こうしてみると、ロンドン五輪代表の木崎が3位にランクインしている事に驚かされる。北京五輪の惨敗以降、女子マラソンの注目度は大いに下がっていたし、北京に続いて入賞ゼロということでメディアからも顧みられなくなっていた。大会前には、女子マラソン界の潰し屋、もとい「金メダリストを育てた名伯楽」サマから
「今の代表ではメダルは無理だ。」
と酷評されていた(アンタが指導した選手は、そのメダル無理な選手らに負けたくせによく言うよな)が、高橋尚子の五輪最高記録が破られたレースで、自らのベストタイムからは44秒落ちのタイムのゴールというのは「健闘した」と言えるのではないか。

甘い?メダルが取れなきゃビリも同じ?それは代表選手の心構えであって、レースを観る側の人間が口にすべき言葉ではない。

しかし、これで2010年代、ロンドンからリオの頃の日本マラソン界は、スピード強化を怠ったツケを払わされていた時期だったというのがよく分かる。世界のマラソン界の高速化に対応出来ず、1990年代の成功体験から「真夏のマラソンは、粘りの走りが身上の日本のランナーに有利」という観念に囚われていたのではないか?谷口や有森や土佐らの個人の資質を「日本人の特質」と勘違いしていたのではないか?

つい数年前にも、テレビのニュースショーで、「真夏の東京でのマラソンは日本代表に有利」などという、2004年頃からマラソンの知識を上書きしていないような「専門家」がコメントしていて呆れ返った。リオ五輪の金メダリストは世界最高記録保持者のキプチョゲ、佐々木とのタイム差は、ほぼベストタイムの差である。

近年のマラソンで最もエキサイティングで感動的なレースだった、2019年夏のМGC。その直後の、マラソン会場を札幌へ変更というIOCの勧告は驚きというか唖然とさせられた。こんな事が許されるのか。マラソンの会場が開催都市と異なる場所でいいのか。今のIOCの連中には五輪に於いてマラソンが特別なものという意識が無いのかという困惑と、少しは好条件となり、熱中症によるリタイア続出というリスクは減ったなという安堵感の混じった複雑な気持ちとなった。

さて、本稿をどう締めくくるべきか。1年前の今頃ならば、東京よりも涼しく空気の乾燥した札幌のコンディションはどうなるか、優勝ラインはどのくらいになるか。メダルを狙うつもりなら、男子は2時間8~9分くらいを、女子は2時間23~24分くらいを設定ペースにすべきかという話で締めくくっただろう。

今は、ただ、МGCを勝ち抜いた6人のランナーの努力が徒労にならないよう祈るだけである。



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