紀子さま・悠仁さま乗った車が追突 けがなし
日本経済新聞 2016/11/20 20:40
20日午前7時40分ごろ、相模原市緑区の中央自動車道下り線相模湖インターチェンジ付近で、秋篠宮妃紀子さま(50)と、長男の悠仁さま(10)が乗られていたワゴン車が前を走る乗用車に追突した。2人にけがはなかった。
警視庁高速隊や宮内庁関係者によると、ワゴン車は30代の宮内庁の男性職員が運転しており、紀子さまと悠仁さま、友人ら計6人が乗っていた。
当時、現場は渋滞中で、最後尾で停車していた乗用車に追突。乗用車を運転していた50代の男性も含め、全員けがはなかったという。宮内庁の男性職員は「現場が濃霧で前の車の減速に気付くのが遅れた」と話しており、同隊が詳しい事故原因を調べている。
宮内庁関係者らによると、紀子さまと悠仁さまは友人らと、山梨県へ山登りに行く途中だった。
追突事故後、紀子さまや悠仁さまらは、別の車で目的地に向かったという。
◎上記事は[日本経済新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2016.11.20 Sun 〉
>現場は渋滞中で
まず驚いた。俄かには理解できない。将来の天皇となられるであろう御方が一般国民と全く同じレベルで通行されていたとは・・・。
東宮家には膨大な費用を掛け、護衛も半端ではない。先般、天皇皇后両陛下両陛下は「私的」ご旅行にお出かけになったが、護衛など大々的で、「私的」と称する域を超えている。秋篠宮家の警護について、早急に見直すべきだ。
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両陛下、愛知・長野両県へ私的旅行…特別列車で
2016年11月16日 14時19分
天皇、皇后両陛下は16日午前、東京駅から新幹線の特別列車で、愛知、長野両県への私的旅行に向かわれた。
午後には、江戸時代初期に造られた愛知県犬山市の農業用ため池「入鹿池」に立ち寄り、長野県阿智村の宿に向かわれる。17日は、満州(現中国東北部)などに渡った農業移民の歴史を伝える同村の「満蒙開拓平和記念館」を訪問。「語り部」として活動する引き揚げ者らと懇談される。
2016年11月16日 14時19分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
◎上記事は[讀賣新聞]からの転載・引用です
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秋篠宮ご一家のお出かけに交通規制なし 追突事故の背景
2016年11月20日 19時17分 産経新聞
紀子さまと悠仁さまが乗られた車が渋滞中に追突事故を起こした背景には、天皇、皇后両陛下や皇太子ご一家とは異なる宮家の皇族方の警備事情がある。
両陛下や皇太子ご一家が車で出かけられる場合、前方を白バイなどが先導し、後方に警備車両が続く。通過する一般道の信号を全て青信号にし、高速道路も交通規制するため、渋滞に巻き込まれることはない。
一方、皇位継承順位第2位の秋篠宮さま、第3位の悠仁さまがおられる秋篠宮ご一家であっても例外ではなく、宮家の皇族方には後方に警察の車両が1台配置されるだけで、交通規制も敷かれない。
両陛下をはじめ皇族方は交通規制で一般社会に迷惑をかけたくないとの意向を持たれているが、警備関係者は「重大事故に遭われてからでは遅い。今後、態勢を見直す必要があるかもしれない」と話している。
◎上記事は[livedoor・NEWS]からの転載・引用です
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「将来の天皇」に相応しい処遇を 問題は警備態勢と予算 麗澤大・八木教授が緊急寄稿
zakzak 2016.12.03
秋篠宮妃紀子さまと、悠仁さまが乗られたワゴン車が11月20日、神奈川県内の中央自動車道で追突事故を起こした。この件で、皇位継承順位3位であられる、悠仁さまの警備態勢やご待遇への疑問が浮上している。麗澤大学の八木秀次教授が緊急寄稿した。
一歩間違えれば、取り返しの付かない事態になっていた。これではテロにも対応できまい。
秋篠宮妃紀子さまと悠仁さまが乗られたワゴン車の事故は幸いけが人はなかった。悠仁さまは翌21日朝、お元気な様子で登校された。
悠仁さまは「将来の天皇」である。ご誕生の直前まで、当時の小泉純一郎内閣は皇位継承の原理である「男系継承」を変更して、女性天皇や女系天皇を認めようと本気で検討していた。そんななかで、初代の神武天皇からの男系の血筋を引く男子として皇室に40年ぶりに誕生されたのが悠仁さまである。その存在は限りなく尊い。
運転していたのは30代の宮内庁職員という。霧で前が見えなかったというが、問題は運転技術ではなく、宮内庁の態勢や予算にある。
秋篠宮家は「将来の天皇」を擁していても一宮家の扱いで、「内廷皇族」である皇太子家(東宮)とは処遇が天と地ほどの開きがある。天皇皇后両陛下、皇太子家の日常の費用である「内廷費」の今年度予算が総額3億2400万円であるのに対し、秋篠宮家は6710万円。この中から、私的使用人の人件費やお子様方の学費も賄われている。
スタッフも皇太子家70人に対し、秋篠宮家は20人。お出掛けになる際の警備も皇太子家の場合は、白バイが先導し、後方に警備車両が続き、通過する一般道の信号をすべて青にし、高速道路は交通規制する。渋滞に巻き込まれることはない。
秋篠宮家の場合は、護衛の車両が1台つくだけで、交通規制はしない。運転手も皇太子家は、宮内庁からプロの運転手が派遣されるのに対し、悠仁さまをお乗せした車の運転手は一般の職員であろう。
宮内庁の西村泰彦次長は事故翌日(21日)の定例会見で、「今回の事故が警備態勢を強化しなければいけない事態ではないと認識している」と語ったが、杓子(しゃくし)定規すぎる。
交通規制はしないにしても、最低、白バイが先導をしたり、運転手をプロに替えるくらいの措置をとるべきだ。予算を含め、「将来の天皇」にふさわしい処遇が受けられるような、法整備が急がれねばならない。
◎上記事は[zakzak]からの転載・引用です
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◇ 「内外に蠢く皇室を潰したい勢力」小和田家・東宮・国連・創価学会・・・『WiLL』2016/10月号
WiLL 2016/10月号 河添恵子「内外に蠢く皇室を潰したい勢力」
p232~
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。
国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。
大多数の日本人は、「国連は中立」との印象を持っているはずだ。だが、少なくとも女子差別撤廃委員会、自由権規約委員会、人権理事会(以前は人権委員会)、南京文書を登録した国連教育科学文化機関(ユネスコ)などは、コミンテルン(共産主義インターナショナル)の残党や中国共産党、韓国など、「反日」や世界支配(ワンワールド)を志向する面々が結集する場となっているようだ。
女子差別撤廃条約が国連総会で採択されたのは1979年で、それ以来、批准国に対して女子差別撤廃委員会が監視機関として機能してきた。日本はデンマークの首都コペンハーゲンで開かれた第2回世界女性会議(1980年)に合わせて行われた署名式で条約に署名し、1985年に同盟条約を批准している。
そして今年2月、日本にとって5回目となる政府報告書審査が行われ、その際、国連の同委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正」を求める勧告が盛り込まれたのは前述の通りだ。
杉田水脈氏はこう語っている。
「2015年7月のプレセッションの時も、2月の対日審査の場においても、その前日の事前ミーティングでも皇室典範に関する発言は、女子差別撤廃委員会から出ていませんでした。要するに公開の場では一切触れられていない話題が、いきなり最終見解を出すための議論中で出てきたと考えられます。委員会自体は非公開なんですよね」
ちなみに、国連女子差別撤廃委員会の委員長は日本人女性---弁護士の林陽子氏である。松井やより氏の後継者で、福島瑞穂氏らと慰安婦問題を世界に広げた“第一人者”で、2008年1月に同委員会の委員となり、昨年2月に委員長に就任したという。
日中友好協会と創価学会
今年3月、国連の女子差別撤廃委員会で、「男系継承(皇統)は女性差別」との最終案を取りまとめたのは同委員会の副委員長で、鄒暁巧(すうぎょうこう)・中華全国婦女連合会・国際連絡部部長だと『週刊文春』(3月24日号)が暴いた。
鄒暁巧副委員長が所属する「中華全国婦女連合会」とは、中華人民共和国の建国直前の1949年3月に発足した、中国共産党の女性幹部が牛耳る老舗機関である。
発足時から長い歳月、名誉主席の立場で君臨してきたのは何香凝(かこうぎょう)だ。香港生まれの何香凝は、中華民国時代に国民党左派に属し、日本留学中に孫文と出会い、側近で金庫番だった廖仲愷(りょうちゅうがい=米カリフォルニア州サンフランシスコ生まれで、1925年に暗殺)と結婚した。国民党婦人部長として様々な女性運動を展開した、この道のパイオニアとされる。
そして1953年から1978年9月まで、何香凝と共に名誉主席を務めたのは、孫文の寡婦となった宋慶齢(そうけいれい)である。米国留学をした宋三姉妹だが、次女の宋慶齢は少なくとも1930年頃には共産主義者となり、コミンテルンの情報部員との関係を深め、ソ連のスターリンによる中国政策において影響力を行使する人物になっていたとされる。
もう一人、婦女連合会の発足当初から副主席として名を連ねたのが周恩来の妻・鄧頴超(とうえいちょう)で、後に名誉主席に就任した。現名誉会長の彭偑雲(ほうはいうん=1929~)は、中国全人代常務委員会副委員長や中国赤十字会会長といった重要ポストを歴任している。
つまり中華全国婦女連合会は、女性の中国共産党員の最高幹部が名を連ねる。とすれば、国際連絡部部長の鄒副委員長が、「皇室典範の改正」を求める勧告を盛り込んだのは、中国政府の意向でもあると断言できる。
孫文でつながる何香凝と廖仲愷夫妻の息子、廖承志(りょうしょうし)は日中関係に携わってきた人間ならば誰もが知る中国共産党の大物である。東京生まれで江戸弁を操れる廖承志は、周恩来の下で対日業務・情報収集の責任者となり、国交のない50年代に訪日。中日長期総合貿易覚書の締結にこぎつけ、日中友好協会の1963年の設立時から死去(1983年6月)するまで会長を務めた人物だからだ。
「日中友好」という工作現場で、生涯、「友好」を演じ続けた廖承志と創価学会が、古くから友人関係にあることも周知の事実だ。池田会長(当時)は、日中国交樹立の2年後に訪中し、病床にあった周恩来首相と最初で最後の面談を行っている。中国では『廖承志与池田大作』(高岳侖主編/中央文献出版社)(2011年5月)も発刊された。
そして胡錦濤国家主席は、日本の総理には見せることのない、満面の笑みで池田名誉会長と「再会」している(『聖教新聞』2008年5月9日や公明党のサイト)。ちなみに、程永華(ていえいか)駐日中国大使は創価大学の第一期留学生として、1975年に来日した人物である。80年代、私は中国に留学しているが創価大学の留学生は当時から少なくなかった。
中国政府やコミンテルンは、日本の強さの根源が天皇陛下と皇室にあると分析している。ベルリンの壁、そしてソビエト連邦の崩壊により、90年代はコミンテルンが弱体化したかに見えた。だが、組織や国際ネットワークの主舞台を国連や中国政府に移し、日本の左派=親中勢力が“日中共同作業”で日本の伝統を破壊する工作に邁進してきたきたという図式ではないだろうか。
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