鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折

2024-05-20 | 本/演劇…など

 週刊 読書  かいわい

 (2024.05.20 中日新聞夕刊)

■ ノンフィクション ■ 藤井誠二

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折
 春日太一

 著者が12年もの年月をかけて取材をしてきたのは、橋本忍という戦後最大の伝説的な脚本家である。『羅生門』『七人の侍』『ゼロの焦点』『白い巨塔』『日本沈没』『砂の器』など、映画館で見ることが当たり前だった時代にいずれも大ヒットした名画の脚本を「腕力」で手がけてきた人物である。私はここに挙げた作品はすべて見てきたが、俳優や監督、原作者の名前は記憶に残っていても、恥ずかしながら脚本家の名前を意識したことはなかった。
 原作を映画化するにあたっては、監督の演出や役者の演技は重要な要素だが、何よりも脚本が原作を凌ぐ力を持たねばならない。そのためには脚本家の傑出した才能と努力が不可欠であることと、人生経験=戦争体験に裏打ちされた世界観や思想、哲学が明確でなければならないことを思い知らされる。
 著者は橋本にインタビューを続ける中で、脚本家が原作に惚れ込んでいるさまはもちろん、それをいかにして映画として昇華するかという、橋本の独自の「編集力」や「構想力」をも聴きだしていく。
 橋本の証言と、当時の資料が食い違う点があれば遠慮なく切り込むのだが、それらが総じて脚本家・橋本忍の凄味や弱点をもあぶり出していく過程と被り、引き込まれる。インタビュー半ばで橋本は亡くなってしまうが、著者は残された資料をあさり、橋本の脳内に入り込んで、成功した仕事も挫折した作品も含めて、その軌跡を辿る。原作をどう加工し、そこにどのような思いを込めたのか、それを検証していく中で、橋本の「腕力」がだんだんと明らかになる。
 <人間は、生まれて、生きて、死んで行く。その生きて行く間が人生である。人生とは何だらう。恰もそれは賽の河原の石積のようなものである。(中略)ところが、時々、自分達の力ではどうしょうもない鬼(災難その他)がやって来て、金棒で無慈悲にこの石をうち崩す。>
 これは冒頭に著者が置いた橋本の創作ノートの一節である。
「自分自身ではどうにもならない災厄により悲劇的な状況に陥る人間たちを描いてきた」と著者は読み解くが、橋本の死後に著者が「発掘」したメモなどには、時代の空気を読み、どう人心を掴んでいくかという緻密な「シナリオ」があった。それを読むと、著者の主張の輪郭がより理解できる。そして、私がとりこになった映画の裏側にあった脚本家の「腕力」の内実も。(ノンフィクションライター)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し


〈来栖の独白 2024.05.20. Mon〉
 本日、NHKBSで「白い巨塔」を観た。上記事を書き写す気になった。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。