高橋被告無罪主張 逃走17年余「尊師」の写真所持
東京新聞 2015年1月16日 13時58分
オウム真理教による一九九五年三月の地下鉄サリン事件など四事件で、殺人罪などに問われた教団元信者高橋克也被告(56)の裁判員裁判の初公判が十六日午前、東京地裁(中里智美裁判長)で始まった。一連のオウム事件で最後の特別手配犯だった高橋被告。罪状認否で「まかれたものがサリンだと知らなかった。殺害の共謀はない」と述べ、地下鉄サリンなど二事件で無罪を主張、残る二事件では起訴内容を争う姿勢を示した。
地下鉄サリン事件を裁判員裁判で審理するのは初めて。四月一日の結審まで四十回の公判が予定され、教団元幹部の確定死刑囚六人を含む三十人前後の証人尋問が行われる。判決は四月下旬の見通し。
弁護側は地下鉄サリン事件について「サリン散布役を車で送ったのは事実だが、高橋被告はサリンがまかれることを理解していなかった」などと主張した。
高橋被告は、猛毒ガスVXで男性二人を殺傷した事件についても殺意を否定し、無罪を主張。また東京・目黒公証役場事務長拉致監禁事件では「事務長を無理やり車に乗せたのは事実だが、なぜ亡くなったかは分からない」、都庁小包爆弾事件では「爆発物の部品を作ったのは事実だが、人が死ぬようなものとは思わなかった」と述べ、起訴内容を争う姿勢を示した。
起訴状によると、高橋被告は教団元代表の麻原彰晃死刑囚(59)=本名・松本智津夫(ちづお)=らと共謀。九五年三月二十日午前八時ごろ、東京・霞ケ関駅を通る地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線で教団元幹部らが一斉にサリンをまいた無差別殺傷事件に関わったとされる。十三人が死亡し、六千三百人以上が重軽傷を負った。
共犯者の確定判決などによると、高橋被告は事件の総合調整役だった教団元幹部の井上嘉浩(よしひろ)死刑囚(45)の指示で、サリン散布役の五人のうち日比谷線でサリンをまいた豊田亨死刑囚(46)を、東京都渋谷区のアジトから中目黒駅近くに車で送ったとされる。
■被害者に謝罪なし
高橋克也被告は、オウム真理教が発足した年に出家した古参信者。十七年余り逃走を続け、逮捕後の取り調べでも、教祖だった麻原彰晃死刑囚を「尊師」と呼んだという。初公判の午前中の法廷では、被害者への謝罪はなかった。
法廷に現れた高橋被告は黒のスーツに白のシャツ、青のネクタイ姿。髪を七三分けにし、もみあげに白髪も交じる。二年半前の逮捕より頬がこけ、やせた印象だった。質問には小声で答え、裁判長から「大きい声で」と指摘を受ける場面も。事件の被害者名が次々に読み上げられた場面では、終始、視線を落としていた。
神奈川県出身。横浜市内の工業高等専門学校を卒業し、会社勤務を経て一九八七年に出家した。教団を国家に見立てた「省庁制度」では、非合法活動を担う「諜報(ちょうほう)省」に所属。諜報省のリーダーだった井上嘉浩死刑囚に心酔していたとされる。
特別手配後の九六年十一月以降、菊地直子被告と二人で逃走し、埼玉県所沢市や川崎市などに潜伏する。「櫻井信哉」の偽名でアパートに入居し、建設作業員として働いていた。菊地被告が二〇一二年六月三日に逮捕されると、十二日後に東京都大田区の漫画喫茶で見つかった。鶴見駅(横浜市)のロッカーに保管していたバッグの中には、麻原死刑囚の写真があった。
<オウム真理教事件> ヨガサークルから宗教団体「オウム真理教」をつくった麻原彰晃死刑囚が「ハルマゲドン(世界最終戦争)が起きる」などと信者の不安をあおり、首謀した一連のテロ事件。坂本堤弁護士一家殺害事件(1989年)や松本サリン事件(94年)、地下鉄サリン事件(95年)など、国は6500人以上の被害者を確認している。麻原死刑囚ら13人の死刑が確定している。(東京新聞)
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産経ニュース2015.1.16 11:35更新
【オウム高橋被告初公判】「サリンとは知らなかった、殺害も共謀もありません」地下鉄サリン事件で無罪主張
今年3月で発生20年となる地下鉄サリン事件など4事件に関わったとして、殺人罪などに問われた元オウム真理教信者の高橋克也被告(56)の裁判員裁判の初公判が16日、東京地裁(中里智美裁判長)で開かれた。高橋被告は地下鉄サリン事件について、「まかれたものが、サリンだとは知らなかった。殺害も共謀もありません」と無罪を主張した。地下鉄サリン事件では初めての裁判員裁判で、同事件を裁く最後の裁判となる。判決は4月下旬に言い渡される見通し。
他に起訴されたVXガス事件についても無罪を主張。東京・目黒の公証役場事務長拉致事件と都庁郵便物爆発事件では起訴内容の一部を否認した。
高橋被告は、平成7年3月20日午前8時ごろ、元教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(59)らと共謀し、東京都内の地下鉄でサリンを散布させて12人を殺害し、14人に中毒症を負わせたなどとして起訴された。
教団元幹部の確定判決などによると、高橋被告は実行役の豊田亨死刑囚(46)を日比谷線中目黒駅まで車で送ったとされる。
公判は裁判員裁判では最多回数となる41回を予定し、主に週3~5回のペースで開かれる。元教団幹部の井上嘉浩死刑囚(45)ら死刑囚6人を含む約20人の証人尋問が行われる。事件の遺族らは被害者参加制度を利用し公判に参加する。
一連のオウム事件の刑事裁判は麻原死刑囚ら13人の死刑を含む189人全員の判決が確定し、23年にいったん終結。その後、特別手配された高橋被告ら3人が24年に逮捕され、昨年1月に約2年ぶりに再開された。平田信被告(49)は懲役9年、菊地直子被告(43)は懲役5年の判決を受けていずれも控訴している。
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