秋葉原殺傷事件〔加藤智大被告〕 初公判 2010.1.28. (産経新聞)

2010-01-28 | 秋葉原無差別殺傷事件

産経ニュース 2010.1.28 11:11
【秋葉原17人殺傷事件 初公判】
 裁判長「それでは開廷します。被告は証言台の前に立ってください」
 裁判長「名前を教えてください」
 被告「加藤智大です」
 裁判長「生年月日は?」
 被告「昭和57年9月28日です」
 裁判長「それでは、検察官に起訴状を読み上げてもらいます」
 検察官「それでは読み上げます」
 《起訴状によると、加藤被告は平成20年6月8日、東京・秋葉原の交差点にトラックで突っ込み、3人をはねて殺害。さらにダガーナイフで4人を刺殺したほか、10人にけがを負わせたなどとされている》
 裁判長「では、起訴状を被告に示してください」
 裁判長「では、被告は証言台の前に立ってください」
 裁判長「今、検察官が読み上げた起訴事実について審理を始めていきます」
 裁判長「検察官が読み上げた、かなりたくさんありましたが、その内容に違っていたところはありますか。また、主張したいことはありますか」
 被告「まずは、この場を借りておわびをさせてください。亡くなった方、ケガをされた方には、大変申し訳ございませんでした。起訴事実については、事件当時の記憶がないところもありますが、私が事件を起こしたことに間違いはありません。私の償いは、どうして事件を起こしたのかということを明らかにすることです」
 裁判長「起訴事実については、どのようにお考えですか」
 被告「私がしたことには間違いありません」
 弁護人「完全責任能力であったことには、疑いがあります」
 裁判長「被告人は席に戻ってください」
 検察官「被告は派遣社員として働く中で、自分の存在価値が認められず、部品やパーツのように扱われていると感じて不満を抱くことがありました。木材加工工場を辞めてしまい、しばらく定職につけなかったので、将来に不安を抱くようになりました…。被告はそのころ、携帯電話の出会い系サイトで知り合いメールを交換していた女性が、被告を心配してくれたのをうれしく思い、『女性と交際して結婚すれば幸せになるかもしれない』と思いました。しかし、その女性に自分の顔写真をメールで送ると、とたんにメールが来なくなったことから、自己の容姿が不細工であると思うようになり、強いコンプレックスを抱くようになりました。こうして被告は、就労状況や自己の容姿などに思い悩むようになり、平成18年ごろから悩みや苦しみを携帯電話サイトの掲示板に書き込むようになりました。そうすれば読んだ者から慰めやアドバイスをもらえたり、自分のことを大事に考えてくれる女性と知り合い、結婚できるかもしれない、という期待をもっていたのです。掲示板は被告の唯一のはけ口でした…。被告は、自分の唯一の居場所がなくなり、存在が殺されたと感じるようになりました。さらに、それまで慰めの書き込みをしてくれた者にも、裏切り、無視されたと感じました。自分以外の者すべてが敵だと思い怒りを深めていき、『みんな死んでしまえ』と思うようになりました」
 《その間、加藤被告は19年11月から静岡県裾野市の自動車製造工場に派遣され、塗装検査の仕事を始める。そして20年5月28日、派遣会社の所長から「派遣が6月29日で終わる」と告げられたという》
 検察官「被告は、自らの意志に基づかず仕事を変えるのは初めてで、『工場から必要とされていない』と思い、ショックを受けました。しかし6月3日、派遣会社の社員から、『29日以降もその工場での仕事を継続できる』と聞かされました。自分はほかの人と交換可能な存在に過ぎず、まともな存在とは認められていないと感じ、ますます自分以外の者への怒りを深めました」
 《そして、加藤被告のうっぷんを爆発させた“事件”が起こる。6月5日の早朝、出勤して更衣室に行くと、自分の作業着が見つからなかったのだ。「誰かが嫌がらせで隠した」と感じた加藤被告は激怒する》
 検察官「被告は更衣室にかかっていた作業着をすべて投げ捨てた上、手に持っていた缶コーヒーを壁に投げつけて、更衣室を飛び出しました。仕事を辞める決意をして寮に帰り、だれかが思いやりのある返事をしてくれると期待して、掲示板にそうした出来事などを書き込みました…。被告は『大きな事件』を起こし、自分の存在をアピールし、存在を認めさせようと思いました。さらに『大きな事件』の原因が自分をまともに扱わなかった者、『偽物』や『荒らし』にあると思わせ、『復讐(ふくしゅう)』したいと考えました。被告は、次の日曜日である6月8日、秋葉原の歩行者天国で、通行人をトラックではね、続いて通行人をナイフで刺し、無差別に人を殺害する『大きな事件』を起こそうと決意しました。被告は、警察に捕まれば、自分の人生は終わりだと思いました。しかし『もう生きていても仕方がない』と自暴自棄になり、捕まった後のことはどうでもいいと思いました。それよりも『復讐』が重要だったのです。(平成20年)6月6日に福井市内でダガーナイフ1本や折りたたみ式ナイフ1本や滑り止め手袋などを3万4600円で購入しました。そして、人をはねて殺害するため4トントラックを用意しようと思い、6月7日朝、秋葉原に行き、ゲームソフトとパソコンを売却して7万円を入手しました。7日昼ごろから、インターネットで調べたり静岡県内のレンタカーの営業所を回るなどしましたが、4トントラックを借りることができず、沼津市のレンタカーの営業所で2トントラックを、8日午前8時から借りる予約をしました。6月7日午後4時3分ごろ、『無事借りれた。準備完了だ』と書き込み、さらに『もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしている』と書き込みましたが、反応は何もありませんでした。6月8日午前6時半ごろ、電車で沼津駅に向かい、レンタカーの営業所で2トントラックを借りました。いったん寮へと戻り、ダガーナイフ1本が入っている鞘をベルトの右腰辺りにつけ、ユーティリティーナイフ1本を右足の靴下に隠しました。トラックを運転して東京へ向かい、午前11時45分ごろ、秋葉原に到着しました。掲示板に『時間だ出かけよう』『神奈川に入って休憩』『秋葉原についた』などと書き込みました。(犯行現場の)交差点では、南北の中央通りが自動車での通行ができませんでした。6月8日は予定通り、午前11時50分から午後0時10分ごろまでの間に、中央通りの歩行者天国が開始しました。午後0時10分ごろ、掲示板に『秋葉原で人を殺します』『車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います。みなさんさようなら』と書き込み、さらに『時間です』と書き込みました。当初の予定では、歩行者天国の中央通りに突っ込んで、多くの歩行者をはねた上で、ダガーナイフで人を刺して殺すつもりでした。交差点にさしかかったとき、信号は赤でした。被告は中央通りの人通りがあまりに多かったので怖くなって、信号で停止しました。青になると交差点を直進しました。歩行者天国に突っ込むことはあきらめ、赤信号を無視して突っ込んで歩行者をはねることとしました」
 《そう決意した加藤被告は、犯行現場の交差点に再度戻ってくる。そして、加藤被告は3度に渡って犯行を躊躇(ちゅうちょ)した》
 検察官「『やらなくて良かった』という気持ちと、『何でやれないんだ』という気持ちで葛藤(かっとう)しました。8日午後0時33分ごろ、交差点に向かって走行中、『今度こそは犯行におよぶ』と強く決意しました。交差点で赤信号を認識し、トラックのアクセルを踏み、前方の車を追い抜きました。多くの人が通行していることを確認しましたが、ブレーキを踏むことなく赤信号を無視し、時速約40数キロで交差点に進入しました。車道上にトラックを停止させ、ダガーナイフで次々と通行人を刺すこととし、ベルトに付けていたダガーナイフを取り出して交差点に向かって走りました。目についた通行人を殺害するため、通行人を次々と刺しました。被告の犯行を秋葉原交番に勤務していた巡査部長(法廷では実名)が目撃し、被告人を追跡しました。巡査部長は、被告が通行人を刺す現場を目撃し、殺人未遂の現行犯で被告を逮捕しようとしました。被告は、巡査部長は警察官であり、自分を逮捕しようとしていると認識し、ダガーナイフで右胸を刺しました。しかし、対刃防護衣を着ていたので刺さらず、さらにダガーナイフを振り上げて切りつけようとしましたが、巡査部長は警棒で応戦しました。中村勝彦さん=当時(74)=はこの日(犯行日の6月8日)の午前11時ごろ、秋葉原に遊びに来ていて食事を終え、現場の横断歩道で信号待ちをしていました。信号が青に変わると北から南に向かって横断しました。その時、加藤被告が時速40数キロの速度で信号を無視してトラックで交差点に侵入させ、中村さんと川口隆裕さん=当時(19)=らは避けられず、はねられました。(一緒にいた)中村さんの長男が中村さんの救護に当たりましたが、搬送先の病院で肝破裂などにより午後1時44分ごろ死亡しました。中村さんはその年の3月に歯科医師を引退し、余生を楽しもうとしていた矢先でした。現場の周囲にいた通行人もはねられた各人の救護に当たりましたが、Aさんは午後2時9分ごろ、脳挫傷などで、川口さんは午後2時15分ごろ搬送先の病院で亡くなりました。Aさんと川口さんは大学生でした。さらにこのほか(Aさんの友人)2人がけがをし、親友を失った悲しみからいまだ抜け出せないでいます。Dさんはネットカフェで仮眠後、店を出てソフマップ前で加藤被告がトラックで人をはねた音を聞き、交差点を見ました。そしてトラックから降りてきた加藤被告に背後から刺されました。一命は取り留めたものの全治半年の傷害を負い、いまだ事件のショックから抜け出せずにいます。Eさんは携帯電話で110番通報した後、交差点に向かいマクドナルド前に行ったところ、そこへ加藤被告が来ました。Eさんは後ずさりしましたが、前から刺されました。搬送先の病院で午後3時40分ごろ失血死しました。Fさんはこの日、秋葉原に遊びに来ていて、交差点を渡っていました。加藤被告から逃げようとしましたが背後から刺されました。Fさんは119番し『刺された、背中を刺された。苦しい』と話しました。しかし午後2時26分、病院で失血死しました。次に、△△さん(タクシー運転手、法廷では実名)、Gさん、Hさん、○○さん(警察官、法廷では実名)の被害状況について述べます。タクシー運転手の△△さんは秋葉原で客を降ろした後、現場交差点で信号待ちをしている最中に犯行を目撃しました。トラックにはねられて倒れたAさんを救護したが反応がなく、その直後、前から来た加藤被告にナイフで刺されました。一命は取り留めましたが、全治半年で現在はその影響で、仕事を辞めざるを得ませんでした。○○さんは(近くの)交番に勤務する警察官で、同僚と交通取り締まりに当たっていました。事故の音を聞き現場に行き、背後を振り返った瞬間、加藤被告にナイフで刺されました。○○さんは追いかけようとしてそのまま倒れました。一時、心肺停止したが一命は取り留めました。全治3カ月の重傷を負い、現在は事件のことを含めて多くの記憶を失っています。Gさんは午前10時ごろソフマップで友人と会い、その後、テニスに行くため店を出て交差点で事故の音を聞きました。そして川口さんたちを救護するため近づきました。Gさんは119番したが繋がらなかったようです。加藤被告が○○さんを刺したのを見た直後、前から腹部を刺されました。一命は取り留めましたが、全治3カ月の重傷を負いました。Jさんは、前方からトラックではねた大きな音を聞いて、交差点に近づいていきました。すると、本件交差点の南側に集まっていた群衆がJさんに向かって走ってきました。その直後、被告がJさんがいる方に走ってきました。Jさんは被告に、正面から前胸部をダガーナイフで1回刺されました。そのまま中央通りの車道上まで逃げて、倒れ込みました。Jさんは、通りがかりの人たちの救護を受けましたが、同日午後2時18分ごろ、右前胸部刺創に基づく右房損傷、右肺損傷による失血により亡くなりました。Kさんは、中央通りを南から北に向かって歩いていきました。群衆が走ってきたのでKさんも南方向に向かって走って逃げました。そこへ、被告が走ってきて、Kさんは、被告に背後から左背部をダガーナイフで1回刺されました。Kさんは病院に搬送され、一命を取り留めましたが、全治まで約2カ月間を要する左背部刺創、右腎臓損傷などの傷害を負いました。Kさんは心的外傷後ストレス障害に苦しんでいます。争点について説明します…失礼しました。巡査部長(加藤被告を取り押さえた警視庁万世橋署地域安全課の巡査部長、法廷では実名)の被害状況を説明します。巡査部長は警視庁万世橋警察署に勤務する警察官であり、秋葉原交番で勤務していました。被害状況については、先ほど述べた通りです。本件の争点は3つです。1つ目は、□□さん(法廷では実名)に対する殺人未遂罪における殺意の有無です。2つ目は、巡査部長に対する公務執行妨害罪における公務性に対する被告の認識です。3つ目は、本件各犯行時における被告の責任能力の有無および程度です。ダガーナイフで切りつけられた□□さんに対する殺人未遂罪における殺意が認められることを、主に3つの事実によって立証します。検察官は、被告に完全責任能力が認められることを6つの事実により立証します。1つ目は、起訴前に実施された精神鑑定の結果、被告人には、何らの精神障害も認められなかったことです。2つ目は犯行に至る経緯や動機は、了解可能な現実的なものであったという事実です。6つの事実を立証します。1つ目として、罪質が凶悪極まりないことを根拠付ける事実として、日曜日の昼間、多数の人が集まる歩行者天国において、多数の通行人を無差別に殺害し、又は殺害しようとしたものであることを立証します。2つ目として、極めて残虐であることを根拠づける事実として、多数の人が安全と考えている横断歩道付近にトラックを突入させて5人の通行人に衝突させ、引き続き12人に対し、無差別でダガーナイフで突き刺すなどしたことを立証します。本件犯行により、7人もの尊い命が奪われ、1カ月以上の傷害を負った7名を含め、10名もが重軽傷を負いました。また、被害者感情も峻烈(しゅんれつ)です。遺族がいずれも死刑を望んでいます。また、関係者の処罰感情も厳しいものです。次は動機です。自己中心的で身勝手な犯行で、無差別に計画し、社会に衝撃を与えました。また、事件が大きく報道されたことから、一般予防の見地からも厳罰が望まれることなどを立証します。これで終わります」
 《1時間以上にわたって行われた検察側の冒頭陳述の読み上げ。ここで、村山裁判長が、このあと弁護側が冒頭陳述を行うかどうか確認した》
 弁護人「10分ほどで読み上げが終わりますから、引き続き(弁護側の)冒頭陳述を行わせてください」
 弁護人「この事件で明らかにされないといけないことは3つあります。一つめは、彼がなぜこの事件を起こしたかということ。二つめは、彼が事件で何をしたのかということ。そして、三つめは彼にどのような責任をとらせるか、ということです。まず、彼が事件で何をしたのかは、検察官が法廷で明らかにするものです。彼の責任は審理が終わった後、裁判所に判断していただくものです。そして、弁護人は、彼がなぜこの事件を起こしたのかについて、明らかにしたいと思います。まず、彼の生い立ちについてです。彼は青森市内で労働金庫に勤める父と、母の間に生まれました。3つ下に弟がいて、父は市内に一軒家を購入し、家族4人で生活していました。彼は子供のころから、人一倍、車が好きでした。小学校では4年、5年生で将棋クラブ。6年のときは陸上部に入り、県大会にも出場しました。中学でも3年間ソフトテニスをやっていました。中学校でも成績優秀で、学級委員や合唱コンクールの指揮者も務めました。高校は県内一の進学校に進み、放課後は友達の家に行って過ごすなどしました。高校の友達とは、就職して青森を離れた後もつきあっていました。高校卒業後は、将来車の仕事に就きたいと考え、岐阜県の自動車短期大学に進学しました。短大時代は、バイクでツーリングしたこともあります。高校の友達ともメールでやりとりして、一人暮らしの友人の家に遊びに行ったこともあります。短大卒業後は、仙台の警備会社に就職しました。最初はアルバイトでしたが、仕事ぶりが認められ、警備員の配置などを任せられるようになり、正社員に昇格しました。その後も埼玉の自動車工場や青森の運送会社に勤務しました。運送会社では、小学校の給食に出される牛乳を運んでいました。仕事ぶりはまじめで、無断欠勤などはありませんでした。その後、彼は静岡の自動車工場で塗装の仕事をしていました。彼の交友は高校の友達だけではありません。同僚と居酒屋に行ったりカラオケに行ったり、東京に遊びに行くこともありました。趣味は運転で同僚を誘い、ドライブやカート場でレースすることもありました」「これが彼の生い立ちです。これまで事件を起こすようなことは決してありませんでした。また、極悪非道な人生を送ってきたわけでもありません。では、彼がなぜこの事件を起こしたのか。2つの視点で考える必要があると思います。まず、一つめはこれまで述べた彼の生い立ちを通して、彼がどのように育ち、どのようなものの考え方をしていたのか、ということです。そして二つめ。彼にとって掲示板とは何なのか、ということです。彼は数年前から、携帯電話の掲示板サイトを利用するようになりました。最初は人の書き込みを見ていましたが、いつの間にか自分でも書き込むようになりました。書き込みは毎日になり、1日に何度も書き込むようになりました。掲示板を通して知り合った人と会ったこともあります。青森から福岡まで、車に乗って訪ねました」「掲示板サイトは、彼の生活の重要な一部になっていました。彼がどのように掲示板を利用していたのか、どういう存在だったのかを解明しなければ、動機を明らかにすることはできないと考えます。彼はこの事件を起こしてから、『なぜ事件を起こしてしまったのか』と必死に考えています。どうか彼の話を聞くときは、先ほど述べた2点に着目して、話を聞いていただきたいと思います。以上です」
 裁判長「弁護側は、責任能力についてあまりお触れにならなかったようですが…。それで結構ですか」
 弁護人「結構です」
 裁判長「それではこれで休廷し、午後は証拠調べを行っていくこととします」
・・・・・・・・・
 裁判長「定刻より早いようですが、始めます」
 裁判官「争点の1番目は、□□さん(法廷では実名)に対する殺人未遂罪における殺意の有無です。2番目は、(加藤被告を取り押さえた)巡査部長に対する公務執行妨害罪における公務性に対する被告の認識です。これ(の争点)は、巡査部長が職務をしていたことを被告が認識していたかどうか、です。それでは、証拠調べに入っていきたいと思います。本日は甲号証の調べを行っていきたいと思います。では、検察官お願いします」
 《村山裁判長に促された検察官が立ち上がり、リモコンで法廷の左右に取り付けられた大型モニターの電源を入れた。映し出されたモニターには「要旨の告知」と記されている》
 検察官「甲114号証は捜査報告書です。これは現場の状況をまとめたもので、(犯行当日の)6月8日に行われた実況見分の結果です。この画面の上が北となっており、下の部分がJR秋葉原駅です。ここからは、それぞれの被害者が倒れていた状況を、写真を示しながら説明していきます。次にAさんの倒れていた場所です。事件当時の現場の写真です。続いて、川口隆裕さん=当時(19)=が倒れていた場所です。大量の血痕のようなものが確認できます。次は、Eさんが倒れていた場所の確認です。現場の中央通りの交差点から、少し東に進んだ付近です。これは、Fさんが倒れていた現場です。Eさんが倒れていた場所より、少し交差点に近いところです。ここでも、血痕のようなものが確認できます。次は、△△さん(法廷では実名)です。△△さんは、交差点の内側付近で倒れていました。近くにはアメの袋が落ち、やはり大量の血痕が確認できました。続いてGさんが倒れていた場所です。交差点の内側の南東付近です。Hさんの倒れていた場所に移ります。現場近くを写した写真はこれです。続いて、Iさんが倒れていた現場です。中央通りを南に進み、西側に入った路地です。Kさんが倒れていた場所を東から西に向けて撮影した写真を示します。倒れていた場所を近くから撮影した写真を示します。続いてトラックの検証調書を示します。トラックの内部の写真を示します。補助席にはリュックサックが置いてありました。緑色のポリ袋には特殊警棒、ナイフ、ユーティリティーナイフが入っていました。ナイフはいずれもケースに収納されていました。これから示す写真については、写真内容をこちらが説明した部分を弁護側が不同意としたため、写真のみとします。写真は52枚で6秒間隔で示します。なお、被害者の写真も含まれているため、大型モニターには映しません。以上です」
 裁判長「本日分の要旨の告知はここまでです」
 《次回の公判期日は2月1日午後1時半から、この日の初公判と同じ東京地裁104号法廷で開かれる。書証の証拠調べや目撃者の証人尋問が行われる予定だ》

秋葉原事件加藤智大被告謝罪の手紙要旨「同様の事件が起きないよう(公判で)真実を明らかにしたい」 2009-11-07 | 秋葉原無差別殺傷事件


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