田中森一著『反転・闇社会の守護神と呼ばれて』幻冬舎刊

2007-08-03 | 本/演劇…など

〈来栖のつぶやき〉
 心を不穏にさせる本である。私が常時抱え持つ「漠とした不安」を殊更逆なでする。然しながら、田中氏の人間臭い感性・弱さは、強烈にアピールしてきて不思議な魅力を放つ。「有罪」「有期刑」それだけで(死刑や無期刑でなくても)、人は強烈な不安恐怖を抱く。人とは、そういう存在らしい。法の確定力の怖さだろう。逮捕の瞬間から、人は独りには、なれなくなる。如何なるときも前後左右を官によって固められ、「身柄」と呼ばれるようになる。
 清孝の最高裁判決が迫った時期、私は眠れなくなった。神経の異常な緊張と高ぶりが続いた。裁判の怖さ、確定判決の怖さを、宣告言い渡しの前から予感していた。確定後だったが霞ヶ関へ行ったとき、国民の生殺与奪権を握る国家の巨大な力を如実に感じ、震えた。国民、ましてや囚人など、哀れにちっぽけなものだ。
 エントリー標題の本は、rice_showerさんから教えていただいて読んだ。面白い。6月25日第1刷、7月17日第7刷。よく売れている。田中氏はいま上告中だ。この時期、本に纏めて残しておきたい何かが心にあったのだろう。
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p141
 他の検事なら七年求刑するところを四年以下にした。検事は扱った被疑者の刑が重いほど評価され、それが上司の評価にもつながる。だから、上司からは「えらい求刑が安すぎるやないか」とこぼされる。だが、どうしても軽めにしてしまう。「いや、本人が心から反省しとるんで、これでええでしょう」と押し切った。ことに特捜部に入ってからは、極力、起訴求刑を軽くした。事実を掘り起こし、本人の反省を引き出すまでは鬼検事、事実がはっきりしたら仏になろう。それでいい、と思ってきた。
p153
 人間社会には、汚い世界がある。必然的にドブを生む。犯罪者はそうしたドブのエキスを吸いながら、罪を犯すのである。検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」にすぎない。正義を振り立て、人をリードする職業などではない。人間のやったことの後始末をするだけだ。それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。犯罪者にペナルティを科し、ドブを多少なりとも掃除するのが検事の仕事。検事や弁護士のバッジを光らせて傲慢な顔で闊歩するほどの仕事ではない。いつしかそう思うようになっていった。
p402~
 1月31日。それが石橋産業事件の控訴審判決の日だった。この間、主張すべきところは主張してきた。みずからに恥じ入ることは何もない。無実だ。あとは、裁判所がそれをどう判断するか。まな板に載った鯉になったつもりで、この数カ月を過ごしてきた。しかし、年が明けたとたん、次第に精神に変調をきたしているのが、自分自身でもわかる。とくに、それがひどくなったのは、村上正邦元参議院議員に会ってからだった。
 自民党の参議院議員幹事長まで務め、参院の最高実力者といわれた村上元議員は、KSD中小企業経営者福祉事業団がらみの汚職事件で逮捕された。一審判決では、懲役二年二月の実刑が下されている。(p403~)その刑は、05年12月19日の控訴審判決でも、あっさり棄却された。
p403 
 「田中先生、私はまだまだ戦うよ。このまま引き下がったら、これまで何のために生きてきたのか、わからんからね」
 判決直後に会った参院のドンは、意気軒昂にそう語っていた。いつもと変わらない村上元議員のその気丈な姿には、ある意味感服した覚えがある。だが、年が明け、再び会ったとき、明らかに彼の様子は違っていた。
 「このところ、体調が悪くてね。考えれば考えるほど、どうにもならん。いっそのこと、国会議事堂の前に座り込んで、腹を掻っさばいて果てようか、とも思うんだよ。しかし、やっぱりみずから命を絶つというのは、できん。これでも政治家だからね。だから、この際、誰かが俺を殺してくれんかな、心の底からそう思うんだよ」
 こんな気弱な村上さんの言葉を聞いたのは、初めてだった。日頃は74という高齢とは思えないバイタリティの持ち主である。(略)すっかり老け込み、肌もカサカサに乾いている。あの村上先生がそこまで追い詰められているのか。そう考えると、いまさらながら、法の世界の怖さを知った。
 彼と会って以来、その恐ろしさが改めてわが身を襲う。
p404
 だが、夜になると、どこからともなく、裁判長の声が聞こえてくる。
 「被告人田中森一の控訴を棄却する」
 裁判長の冷静な声が法廷に響く。懲役四年。刑務所に移送され、独房の鉄の扉が閉じられる。たたみに正座している自分自身の姿----。この先、四年ものあいだ、刑務所でどう過ごせばいいのか。絶望的になる。
 そうして、はっと目が覚める。夜中に目が覚め、そのままじっとしていると、不安でたまらなくなる。そんな夜が続いた。 *リンクは来栖
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◇ 検察を支配する「悪魔」田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)講談社 2007年12月5日第1刷発行[1] 
検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)講談社 2007年12月5日 第1刷発行[2]
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◇ KSD事件・日歯連事件の笠間治雄氏が検事総長に/ 「けもの道」の闇が更に深くなった 2010-12-28  
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4 コメント

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nul (narchan)
2007-08-04 09:07:38
「神から与えられていなければ、何の権限もないはずだ」ローマ総督に向かってイエスは断言しました(ヨハネ19・11)。国家権力は、人民の幸福のために、神から仮に委ねられたものです。好き勝手に行使することは決して許されません。仮に「合法的に」人を拘束するとしても、基本的に人権を尊重しなければなりません。まして、「死刑」と言う口実で人の命を奪う権利は、国家にもないはずです。いのちの主は、神御ひとりだからです。
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Unknown (rice_shower)
2007-08-04 11:11:47
>心を不穏にさせる本である
うまい表現ですねぇ。 
読者には是非“そもそも検察の捜査の本質が、権力体制と企業社会を守護するためのものだ。 つまり全て国策捜査だ(p15)”ということ、そのモチベーションが多くの場合、世論を受けての使命感、正義感であるということ(もちろん権勢欲も有ろう)、を認識してもらいたいですね。

私は本や映画をあまり人に勧めないのですが(自分の趣味を押し付けるようで嫌)、いつか機会が有れば貴女の『累犯障害者』(山本譲司著)への感想も聞いてみたいですね。 私はこれを読んでから「美しい国」を口にする“誰か”を、心底恥知らずだと感じるようになりました。
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narchan様へ (ゆうこ)
2007-08-05 11:07:31
コメントありがとうございます。
 聖書の言葉は、それを信奉するグループ内では真理であり説得力のあるものでしょうが、その中に居らず、思想(グループを一歩出れば、それは真理ではなくただの思想)を認めない一般にとっては、何の合理性もないものだと思います。死刑制度だけでなく、社会の様々な問題にモノを言うとき、自分の属するグループに偏向せず、如何に普遍的な物言いが出来るか、それが課題ではないでしょうか。
 昔、逮捕後に洗礼を受けた死刑被告の控訴審で、あるクリスチャンのご婦人が「すべての罪はイエス様が贖ってくださいました。○○さんに、もう罪はありません」と証言しました。呆気に執られ、頭を抱えました。
 「教会の中でしか通用しない言葉」は使わない、枠に嵌らない青天井の下での(偏らない)思考をする。そういうことを考えさせられました。
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rice_shower様へ (ゆうこ)
2007-08-05 11:28:53
 ロッキード事件も、アメリカの強い思惑があって、あんなに捜査が進んだのですね。
 昨日『累犯障害者』(山本譲司著)を購入しました。が、明日から実家へ帰省します。あちらで今回は用事が沢山ありますので、読む楽しみは少し後になりそうです。
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