村木捏造裁判は氷山の一角「鈴木宗男事件と村木事件は全く同じ構図だ」弘中惇一郎弁護士

2010-09-11 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
村木裁判は氷山の一角─世の中を混乱させた検察への怒り
Infoseek 内憂外患2010年09月10日 22時00分 山口一臣

 郵政不正事件で大阪地裁は被告の村木厚子さんに無罪判決を言い渡しました。当然すぎる判決ですが、本当によかったと思います。
 この無罪に意義があるのは、検察の独自捜査、特捜検察の捜査そのものに問題があることが明らかになったことです。これは大阪地検特捜部の大チョンボとか失態といった次元の話ではありません。氷山の一角と言っていいでしょう。
 あらかじめ事件のストーリーを決め、それに沿った調書をデッチ上げる。関係者を呼びつけ脅し、利益供与をほのめかしながら作文する。まさかそんなことまでしているとは想像だにしていませんでしたが、村木さんの事件によって多くの検面調書(検察官が録取する調書)が実は証人の供述に基づくものでなく、検事自身の作文だったことが明らかになりました。
 これら検察の独自捜査特有の手法が今回、たまたまバレただけのことで、特捜検事にとっては日常的なことだったのです。ジャーナリストの魚住昭さんの近著『冤罪法廷 特捜検察の落日』(講談社)にこんな一節がありました。魚住さんが共同通信記者時代に検察回りをしていたころ、同僚記者がある特捜検事にこう言われたそうです。
「お前ら記者たちは、捜査というのは正義と真実を追及するところだと思っているだろうが、それは違う。捜査というのは一定の筋書きに沿った供述を集めて、事件を造ることなんだぞ」
 こうした捜査手法については、これまでも被告人の立場から批判の声が上がっていました。例えば、リクルート事件で被告になった江副浩正さんが『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論新社)で、ライブドア事件の堀江貴文さんが『徹底抗戦』(集英社)で、衆院議員の鈴木宗男さんが『汚名 国家に人生を奪われた男の告白』(講談社)で、元福島県知事の佐藤栄佐久さんが『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』(平凡社)で、調書をデッチ上げて事件を捏造するという検察捜査の「闇」を告発していたのです。
 しかし、これらの事件は残念ながら裁判で無罪を勝ち取ることができず、したがって被告人の立場からの捜査批判も説得力を持ち得なかったという歴史がありました。それが村木裁判の「無罪」によって、ようやく説得力を持ったといってもいいでしょう。
 端的に言うと、検察は長年にわたって裁判所を騙し続けてきたわけです。村木さんの事件によって、それが白日の下にさらされることになっただけのことなのです。村木さんの主任弁護人である弘中惇一郎(ひろなか・じゅんいちろう)さんは鈴木宗男さんの弁護人でもあります。弘中さんは、
「鈴木さんの事件と村木さんの事件は、まったく同じ構図だ」
 と話しているそうです。しかし、弘中弁護士がついたのが控訴審からだったので、逆転まで至らなかったと話しています。重要証人が亡くなってしまったことも決定的だったそうです。適切な弁護活動ができていれば、多くの特捜事件が無罪になっているはずだとも。
 こうした冤罪を防ぐためには、取り調べの可視化を急ぐしかないでしょう。元検事で弁護士の郷原信郎さんも、「私は、まず検察独自捜査、つまり特捜捜査の取調べを、一般事件に先行して、被疑者、参考人ともに全面可視化すべきだという意見です」とツイッターで述べています。
 検察の独自捜査は問題はそれだけではありません。選挙によって選ばれた国会議員を恣意的に葬ることも可能です。それをやろうとして失敗したのが、民主党の小沢一郎前幹事長を狙い撃ちした西松建設事件であり陸山会事件でした(詳しくは上杉隆+週刊朝日取材班『暴走検察』朝日新聞出版参照)。検察はなぜ小沢一郎氏を狙ったのか。
 霞が関の暴力装置として政権交代を阻止したかったという説から、当時検事総長だった樋渡利秋(ひわたり・としあき)氏が個人的に民主党が嫌いだったからといった説までさまざま語られました。わたしが検察関係者から直接聞いた話では、
「若い検事たちは『小沢をやれば一生めしが食える』を合い言葉に頑張ってるよ」
というものでした。
 特捜検事は在任中に大きな手柄を立てれば組織内での出世はもちろん、退官後も大企業の顧問に迎えられるなど想像を絶するメリットがあるといわれています。そんな検察官の個人的利益追求のために捜査権力が行使され、世の中を混乱させることに、率直な怒りを感じます。「政治とカネ」という虚構を世間に広め、政治を混乱させた罪はあまりに大きすぎると思います。
 そして村木さんの事件はまさに、その延長線上にありました。捜査着手の動機について、村木さんの「共犯」として逮捕された倉木邦夫被告が週刊朝日の取材にこう証言しています。
「取り調べを担当した副検事は捜査の狙いをこう言っていました。『東京地検は小沢一郎の陸山会事件。大阪は石井一や。石井は民主党の副代表で大物やからな』」
 そんな公益性のカケラもない理由で捜査に着手し、さんざん税金を浪費したあげく結局、何の証拠も見つけられなかった。このままでは失敗捜査に終わりそうだと見るや、
「政治家がダメなら高級官僚をやるしかないわ!」
と、検察の体面を保つだけのために、無辜の村木さんがターゲットにされ、村木さんを「罪人」にするための調書があの手この手を使って、次々捏造されていったのです。
 わたしは今回、村木さんが最後まで否認を貫き、真実を明らかにしたことの功績は計り知れないことだと思っています。つらかったでしょうが、闘った445日は無駄ではなかった。そして、当たり前のことですが、目の前の証拠をありのままに見て適正に評価した大阪地裁の裁判体に率直に敬意を表したいと思います。
 最後に宣伝ですが、週刊朝日ではこの村木さんの闘いを綴った『私は無実です 検察と闘った厚労省官僚村木厚子の445日』(朝日新聞出版)を出しました。ジャーナリストの今西憲之さんと週刊朝日の若いスタッフたちの村木報道の集大成です。
 わたしが言うのもなんですが、裁判を傍聴するだけでなく、関係者に話を聞き直すなど、本当によく取材をしています。事件の真相------というより検察の真の姿を知るため、ぜひ読んでいただきたいと思います。前出の魚住さんの『冤罪法廷 特捜検察の落日』と併せて読まれると、なおよいです。
山口一臣
『週刊朝日』編集長
1961年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒。ゴルフダイジェスト社勤務を経て、89年朝日新聞社入社。高校時代から愛読していた『朝日ジャーナル』編集部に配属され、あこがれの「ファディッシュ考現学」(田中康夫)を担当するも3年で休刊の憂き目に。『週刊朝日』へ異動し、事件&事件の日々を送る。その後、何を血迷ったのか広島の公教育問題で日教組を徹底批判し、「朝日なのに産経と論調が同じ」と物議をかもす。9.11テロ直後のニューヨーク、パキスタンを取材。米軍によるアフガニスタン市民への誤爆を伝えまくる。デスク時代に北朝鮮拉致被害者関連の記事で下手を打ち、『週刊文春』に叩かれ、副編集長を解任、更迭される(停職10日の処分付き)。その後、広報部へ配属されるが約半年でお払い箱。百科編集部で子ども向け週刊科学誌『かがくる』の創刊などに携わり、05年5月から再び副編集長、同年11月から、『週刊朝日』第41代編集長に。85年にわたる『週刊朝日』の歴史で中途採用者が編集長になるのは、これが初めて。「ダメだめ編集長日記」
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