暴走する「検察」~検察を捜査する機関が日本にはない、という問題

2010-03-08 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

暴走する「検察」 〔別冊宝島編集部〕
 まえがき
 検察権力の強大さを、いったいどれだけの国民が知っているだろうか。
 彼らは、ありとあらゆる犯罪被疑者を「起訴」(裁判所に被疑者の審理・裁判を要求)する権利を、国から独占的に与えられている。被疑者は、検察官がクロだと思えば起訴されるし、そうでなければ起訴されない。つまり、検察官は国民を“自分の裁量”で法廷に引きずり出す権限を持っているのである。
 この権限に比べたら、警察の力など取るに足りないものだ。警察官は、被疑者を捕まえて、犯罪の証拠を揃え、検察に引き渡す。後の判断は検察がすべて行うわけで、警察官はそれに口出しできない。要するに、警察官など、検察官からみれば使用人のようなものなのである。
 そんな検察権力の象徴が、お馴染みの東京地検特捜部だろう。田中角栄元首相から、近年では鈴木宗男代議士に至るまで、大物政治家を次々と逮捕・起訴してきたその力量は、他の追随を許さない。とてもではないが、自民党の顔色を窺う警視庁あたりには真似のできない力技である。
 だが、そんな“日本最強の権力装置”の動向については、誰がチェックしているのだろうか。
 検察官も人間である以上、その手に転がり込んできた“強大な権力”を必ずしも正当に行使するとはかぎらない。悪用することだって当然、ありうる話だ。ところが恐ろしいことに、検察権力の濫用にブレーキをかけるものが、この国には存在しないのである。
 たとえば、日本の司法をつかさどる裁判所は、検察が起訴した事件に対して、なんと99%を超える異常な有罪率で応えている。“検察の言いなり”としか言いようがない。
 では、行政機関たる検察庁を運営する内閣はどうかというと、その実権を握る政治家たちは、検察を敵に回したくないためか、めったに口を出さない。
 検察がもっともその動向を恐れているマスコミにしても、田中角栄逮捕のころに喧伝された「検察ヒーロー伝説」の影響が残っているせいか、特捜部を“正義の味方”視する風潮がいまだにある。事件報道のネタ元である検察には楯突くことができないという業界の内部事情もそこにはあるが、いずれにせよ、大手の新聞・テレビには、検察批判の報道がほとんど見られないのだ。
 これでは、検察官たちが増長するのもしかたがないだろう。
 たとえば「国策捜査」と指摘される一連の強引な立件がある。犯罪性の有無を取り調べるという基本を無視し、国家の政策に都合のいいように、最初から起訴を目的にした捜査をすることだ。とくに90年代半ばの「住専問題」のころから顕著になっている傾向だが、それが年々エスカレートしてきているとの指摘がある。マスコミのバッシング報道に乗じた、安易な起訴も目立っているという。
 あるいは、繰り返される「冤罪事件」の問題もある。とくに、検察がしつこく上訴して敗訴を認めたがらないケースには、その真の理由が、たんに“担当検察官の失点隠し”というものもあるようだ。人生を台無しにされた被告たちにとっては、あまりにも理不尽な話だろう。
 だが、もっと大きな問題が別のところにある。「検察を捜査する機関が日本にはない」ということだ。政界にしろ官界にしろ、あるいは警察組織にしろ、不正があれば特捜検察のメスが入る。ところが、検察内部で不正があった場合、それを摘発するのも、結局は検察以外にない。だが、自らの不正を喜んで明らかにする組織・人間が、この世にいるだろうか---。
 実際、検察庁のウラ金疑惑(調査活動費流用疑惑)を告発しようとした三井環・大阪高検公安部長(当時)が、まさに“口封じ”としか思えないタイミングで強引に逮捕されるという事件も起こっている。マスコミの追及を恐れる検察は現在、全力を挙げて組織的な“疑惑隠し”に邁進しているがこうした検察組織のどす黒い隠蔽体質が垣間見える例は、まだいくらでもあるようだ。本誌の取材でも、奈良地検事務官(当時)と女性司法修習生との間で生じたトラブルの揉み消し疑惑(揉み消したのは現・東京地検検事正らしい)が新たに浮上している。
 検察庁はアンタッチャブルな“伏魔殿”なのか?彼らを“権力の怪物”にしてしまったものとは何なのか?
 「検察の正義」は、もはや虚構でしかない。検察官たちはそれに気づいているのだろうか・・・。
 本書の目的は、検察の真の姿をあぶり出すことだ。最強権力の組織浄化に役立つことを願うばかりである。 〔別冊宝島編集部〕

検察ファッショ~検察は今や、一次捜査権と公訴権を安心して任せておける存在ではなくなった〈1〉
「罪なき罪」をつくる検察の大罪  元大阪高検公安部長.三井環 / 元広島高検検事長.緒方重威
被疑者ノート「冤罪 こうして作られる」郵便不正事件 厚労省元局長村木厚子被告の公判で元係長上村勉被告
検察を支配する「悪魔」 
検察/メディア/政治/小沢一郎
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ムネオ日記
2010年3月7日(日)  鈴 木 宗 男
 民主党小林千代美衆議院議員が昨日一連の事件について記者会見した。小林議員本人の進退に言及しなかったことでマスコミは批判的な論調記事、ニュースになっているが、一方的な作り、流れは公平ではない。
 北教祖からの政治資金について、小林議員は何も知らされていないし、本人は一円も触っていない。知らない話を責めるのは酷ではないか。
 よく進退について話題になるが、国会議員の首は国民の判断である。次の選挙で審判が下されるのである。マスコミにも国会議員にも国会議員の首を取る権限はないのだ。
 小林議員は連座制の問題も抱えているが、これも小林議員の知らないところで行われていたと聞かされている。小林議員本人が全く知らない事まで、連座制に問われるのは、これまた公平、公正ではない。
 事の成り行きを冷静に見守り、結果が出てからそれぞれの立場で、言及するのが民主主義の基本でないか。個人の人権、身分に関することについての報道は、慎重の上にも慎重に、そして何よりも真実のみを国民に伝えて頂きたい。余談や予見を挟む話は必要ない。
 8年前の私の経験からも「ムネオハウス」「三井物産北方領土支援ディーゼル発電」「アフリカODA」と疑惑疑惑と報道されたが、事件になっていない。しかし、国民は鈴木悪者論に傾き、何故そんな悪い奴を捕まえないのかという空気になり、検察の思う通りの流れになったのである。
 こうした国策捜査、マスコミを使った世論誘導は私のときだけで止めてほしいと心から願うものである。正直者が馬鹿を見る社会にしてはいけない。8年前の私の出来事を一つの反省点にしてほしいと思うが、検察もマスコミもこの点なんら変わっていないことを憂(うれ)うるものである。
 12時から空知管内栗山町で新党大地・鈴木宗男栗山後援会新春交礼会。17時から日高胆振地区新党大地・鈴木宗男後援会の「大地の集い」。
 おかげ様で熱心な鈴木教とも言える鈴木信者が大勢出席して下さる。どこの地区でも言えることだが、人間関係で築いてきた財産である。
 人の出会い、ご縁にいつも感謝の気持ちで一杯だ。


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